バカロードその63 限界と復活と何もない強さ。トランス・エゾ・ジャーニーラン

公開日 2014年02月10日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

【3日目・羽幌〜北竜85.3km】
 朝4時スタートというのに、夜明け前から蒸し蒸しと暑さが迫ってくる。
 羽幌の市街地を抜けると、断崖が海へとなだれ込む荒々しい海岸線が視界を占拠する。遠く彼方に霞む緑色の岬が、走ってみると僅か5キロ先だったりして距離感がつかめない。
 海辺の道に日陰はなく、太陽エネルギーの直撃を受ける。コンビニでクラッシュアイスを買い、頭やうなじに押し当てて頭骨内の体温を上げないようにする。脳内の温度が40度を超すと、人間は活動を自動停止すると聞いたからだ。「ガリガリ君」を3本一気食いして内臓まわりの深部体温も下げるよう努める。
 50キロすぎの留萌あたりまで快調に走っていたが、ふいに異変がやってきた。立ち小便をしているとき、指先に触れた小便がアチチ!と指を引っ込めるほど熱い。気のせいかと思い、人さし指にジョロジョロ流してみるとやはり熱湯のようだ。いったい体温は何度まで上がっているのか。
 やがてアゴの先からボトボトボトボトッと見たこともない量の汗がしたたり落ち、両の掌の10本の指先から10列の汗がゲリラ豪雨の軒先みたいにしずくを垂れる。体内に蓄えてある水分がすべて逃げだしていく。これだけ急速に脱水するとヤバい。ペットボトルの水を喉に流し込むと、一瞬の後に盛大な噴水となってゲロ戻しする。身体が水分を受けつけない。
 干からびるほど汗をタレ流してるのに、悪寒激しく鳥肌が立っている。奥歯がカチカチと鳴りだす。あまりの急変ぶりに「これって、死に瀕してる状態?」と怖くなり、公衆トイレの床に大の字になり20分寝る。休めば復活するかととの淡い期待も虚しく、路上に戻るとヒザから力が脱けてしまって走れない。
 残り10キロ。「節度時間」の夜8時まで2時間以上を残しているが、ここから先、時速4キロペースで進めるのだろうか。少し歩いては道ばたにしゃがみ、立ち上がっては畑のあぜ道に寝る、を繰り返す。1時間経っても3キロも進まない。そのうち全員のランナーに追い抜かされる。みな足取りも軽く、元気そうだ。
 残り2キロ。さえぎる物のない直線道路の先に温泉施設「サンフラワーパーク」が見えるはずなのに、歩いても歩いても照明の光粒ひとつ飛び込んでこない。本当にぼくは正しい道を歩いているのだろうか? 行く手には何もないのではなかろうか? 残り時間はほとんどないはずだが、もう時間なんてどうでもいいや。自暴自棄になり、意識も飛び飛びになってきた頃、ようやく温泉の駐車場が現れた。ゴールゲートがうつろな感じで揺れて見えた。いつもなら湧き上がるはずの「ヤッター」も「もう走らなくていいんだ」も感じない。消耗しすぎて、人間としての感情に乏しい。心には暗くて深い穴ボコしか空いてない。よろけながらゴールゲートをくぐると体重を支えるだけの筋力が足になく、アスファルトの地面にうつぶせに崩れ落ちてしまった。

【4日目・北竜〜栗山87.7km】
 昨晩遅く、へろへろでゴールした後、先着の方が気をきかせて注文してくれてた「いくら丼」を前にして米粒ひとつ喉を通らず、レストランのテーブルに顔を突っ伏したまま動けなくなった。夜の選手ミーティングでは、床に寝たまま吐き気を抑えるので精いっぱい。トランス・エゾ1100キロを2年連続完走を果たした伝説的ランナー「キング」こと田畠さんがそっと氷袋を頭に置いてくれた。ひと晩じゅう洗面所でカラゲロえづき、ろくに眠れないまま夜が明けてしまう。
 朝4時。スタートゲートに立っているのもやっとこさで長丁場の87キロを迎える。絶対に完走はあきらめたくない。時速6キロペースを保ちながら、節度時間まぎわにゴールすべく集団の後方に位置する。だが頭は真っ白、今どこを走っているのかも定かでなく、コースが示された地図を正しく把握する力はない。本来進むべき道を逸れ。3キロ以上も正規ルートを外れてしまう。
 完走ギリギリペースでしか前進する力が残ってないのに20分以上のタイムロス。挽回しようともがくが、ジタバタ焦るばかりで速くは走れない。
 一点の雲もなく晴れわたる空。直射日光が皮膚を焼き尽くさんとばかり容赦なく襲ってくる。30キロつづく直線道路には陽炎が揺れている。やがて前日と同様の熱中症の症状が出てくる。千鳥足、蛇行、50メートル歩いては座り込み、狂犬病の犬みたいにハァハァあえぐ。1キロに15分かかり、20分かかり、1キロという距離が果てしなく遠い。コンビニで買った2リッターの冷水を頭からかぶり、氷を全身になすりつけ、破れかぶれで鎮痛剤を倍飲みする。
 モーター音のうるさい自販機にもたれかかったまま20分が過ぎる。もう何をやっても回復しそうにない。制限時間にも間に合わない。あぁ、ここで自分は断念するのだな、と思う。悔しさや悲しさが押し寄せてくるのかと思えばそんなこともなく、思考力がないからぼーっとして感情の揺らぎがない。
 かろうじて理解している事実。たったの3日で、ぼくはトランス・エゾにノックアウトされた。
 今日の行程50キロ以上を残し、JR砂川駅から鈍行列車を乗り継いで、ゴール地点である栗山町に移動する。温泉施設「サンフラワーパーク」の水風呂につかって体温を下げ、布団にもぐりこんでたっぷり眠ったあと、ゴールゲート前で完走ランナーたちを迎える。夜8時数分前、節度時間ギリギリになって遠くにヘッドランプの光が揺れだす。完走を守っている4人のランナーの姿が見える。力なく笑う顔は日焼けと汗が乾いてこびりついた塩でボロボロなのに、輝いている。こんな風に頑張れなかった自分に地団駄踏むべきなんだろうが、ポカンと空虚な穴にいる。どういう感情なんだろ。野球で例えるなら、0対1で惜敗すれば悔し涙を流すだろうが、0対20の5回コールドで叩き潰されたらベンチの隅で泣くほどのアレもないよなーって感じ。

【5日目・栗山〜富川72.1km】
 いったんリタイアすると、いっさいのプレッシャーから解放される。追いつめられた感は吹き飛び、鼻歌まじりで楽々走っている。昨日までの潰れっぷりは何だったのか。今や800キロ先のゴールという大目標を失い、今日という1日をせいいっぱい走るだけになった。明日に体力を残すことを考える余地はなく、怪我のリスクを回避するために自重する必要もない。制限時間を気にせず、ただ走るためだけに走る。何とお気楽なことか。リタイアしたくせに自戒の念に乏しく、すがすがしい気持ちでいることが不思議である。
 「戦っている」という局面が1秒もないと、72キロという距離はやたらと短く、1日が楽々と過ぎ去る。
 ゴール地点の宿「ペンション中村亭」は、女性向け風情のおしゃれ宿。夜食に豪勢な牛肉のバーベキューや、地元名産のししゃも料理を振る舞ってくれた。食べても食べてもまだ食い足りず、どんぶりメシを5杯おかわりする。すっかり体力回復してギンギンだ。

【6日目・富川〜浦河84.0km】
 昼前から土砂降りの雨。路肩がほとんどない太平洋岸の産業道路は通行量が多く、行き交う自動車や大型ダンプカーのタイヤが跳ね上げる泥水をジャブジャブかぶる。シャツもパンツもドロまみれだが汗を洗い流してくれて気持ちよくてたまんね。天を仰いで口を開けてると雨が間断なく降り込んでくるから水分補給いらずで便利だ。
 宿泊所のきれいなホテル「浦河イン」では、支配人さんがアイシング用の氷袋を大量に用意してくれていた。
 夜、「のうみそジュニア陸上クラブ」の少年たち7人が合流する。今大会の「呼びかけ人」である御園生さんの主宰するジュニアランニングクラブの生徒たちだ。小中学生といっても、1500メートルや3000メートルをキロ3分ペースで走ってしまう立派なアスリート揃いである。彼らの目には、「歩いている方が速いだろう」ペースで朝から晩までよろよろ走っている大人たちはどう映るのだろうか。

【7日目・浦河〜えりも岬53.5km】
 トランス・エゾにおいて「toえりも」と称される往路550キロはこの日でおしまいである。ズル休みした50キロを除外して500キロの距離を走ってきたが、進む時間のテンポが早く、「短いな」という印象が強い。「旅はもう半分も終わってしまった」と郷愁めいた心情に包まれる。
 北海道の最南端、えりも岬に用意されたゴールゲートは、断崖の突端にある。荒々しい波が西側と東側から押し寄せては岩礁でぶつかり合っている。記念碑を背景に観光客が代わる代わる写真撮影している。吉田拓郎のメロディが鼻歌やらアカペラで、あちらこちらから聞こえてくる。日本人ならやっぱしあの唄を歌ってしまうよねえ。えりも岬に限らず「何もない」ということには豊かさがある、と思う。あの名曲は、何も持たない人間の強さや豊かさを歌っているのだろうか。