バカロードその65 同じ場所をぐるぐる回る

公開日 2014年02月10日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 うまくいくことと、うまくいかないことは、だいたい1対9の割合でやってくる。他人から良い連絡を1本受けるためには、悪い連絡を9本処理する必要がある。貸した金が返ってくる確率も10%あたりと思っておけば人間不信だよ、友情より金かよ、なんて臍をかまなくて済む。
 人生とはロクでもないものという前提に立てば、よほどの不幸に巻き込まれても、あぁぼくの人生こんなものかと平静を保てる。不幸な状態をアベレージに設定すると、自販機に取り忘れられた釣り銭がジャラッと指先に当たっただけで幸せな週末を過ごせる。
 世の中全体に清潔で明るくなりすぎたから、目映い光を浴びせかけられて、人の不幸がより強調されている。報道番組に生活保護受給者が登場して、毎日カップ麺かインスタントカレーだけで生活しているんですよ、お先真っ暗ですよとうなだれ、ニュースキャスターと美人女子アナが哀しみと同情と憂いを湛えた目を映像モニタからカメラに移す。いや、カップ麺とインスタントカレーで十分OKだと思うよ。日本製ならなおさら品質高いし・・・とテレビの前でボンカレーもぐもぐ頬張る。
 世界が元々つげ義春の画風のようにモノクロで泥まみれでできていたら、誰もが不幸の基準を低く設定できるのに。きらびやかな街の下には、古くから流れる用水溝がコンクリートでフタされ閉じ込められている。地上の光が届かない暗渠の水面で、ブクブクと泡を立てて呼吸する地下生物のように生きていられたらよい。
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 4年越しで挑んだスパルタスロンに4年連続でリタイアした。スパルタスロンとは、ギリシャ国内247kmを36時間リミットで走るレースだ。
 直前8月の月間走行距離は1300km。和製スパルタ親父の星一徹に頭をなでなでされるくらい昭和スポ根漫画的な足づくりを行い、さらにはギリシャの高温乾燥した気候に慣れるため5日前から入国し調整に臨んだ。選手を決して褒めて伸ばそうとはしない宗猛監督にも、意識の高さをプロ並みだと称えられるかもしれない。
 徹夜で走る大会に備え、前日に12時間以上眠るため、導眠副作用の強い花粉アレルギーの薬を激しく鼻吸引し昏倒。
 整腸剤を用量の倍服用して、出せるウンコを全部出し切りすぎて脱腸寸前。
 頼れるものなら神も仏も薬物も何でも頼る、それがオレのスパルタスロンなんだ!オーッ!と気勢を上げる。
 やれることは全部やった。もはや完走を阻害する要素は何ひとつとしてない。ヒクソン・グレイシーに200%勝てると断言した安生洋二に匹敵する自信満々にあふれていた。
 ・・・そして、人生はうまくいかないことが9割の鉄則どおり、またもやリタイアという惨劇に至る。
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 スパルタスロンで大コケしてから、世界がチグハグな入れ籠でできているような不穏な心情に陥りだした。不幸への耐性が、異常に弱くなっている。
 ある日、待ちに待った海外ドラマの新シーズンのDVDを入手し、万全なる精神状態でドラマ鑑賞すべく、ハーゲンダッツのホームサイズを帰宅前にスーパーで購入。深夜12時、いよいよ今宵は完徹で天才詐欺師とFBI捜査官の知的駆け引きを満喫しようかと立ち上がり、右手にスプーン、左手に冷凍庫から取りい出したハーゲンダッツを握りしめた瞬間、表面に付着した霜によってツルンと手のひらより滑り、そのまま重力定数のとおりに下方へと加速落下し、右足の小指の先にカップの角から落下した。叫び声すらあげられない衝撃に襲われる。小指が、小指がー。赤、紅、紫へと変色し、いちじく灌腸のように腫れていく。おい小指、折れてるんじゃないの? ほんの1分前まで海外ドラマへの期待感で幸せの極致にいたのに、いまや腫れ上がった小指を氷でぐるぐる巻きにして布団の上で目を閉じて耐えている急展開。こんな不幸があろうか。
 深刻なフラッシュバック現象も現れだした。不眠不休レースの最中に起こる精神の異常が、日常生活においても同様の症状となって表れるのだ。
 猛烈な便意に襲われトイレに駆け込み、便器を前にしてふと思う。パンツを下ろしてからウンコをすべきか、ウンコをしてからパンツを下ろすべきか。二者択一の簡単な答えが導き出せない。落ちつけ、論理的思考を取り戻すのだ。パンツを下ろさないとウンコがパンツに漏れる。ウンコを漏らさないとパンツがウンコにかかる。あー、やっぱしダメだ。そうやって平穏な平日の朝に、パンツを下ろさないまま暴発させること2度。うちの便座をウォッシュレットに換えといてよかった・・・。
 ハーゲンダッツの角で小指を傷め、脱糞したお尻をウォシュレットでやさしく洗う。そんな些細な出来事がひたひたと降り積もり、チグハグな地層となって積み重なる。笑い話で済んでいたことが、済まなくなりつつある。
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 11月。「神宮外苑24時間チャレンジ」は1周約1.3kmの円周道路を昼の11時から翌昼11時まで24時間の間に走った距離を競う大会だ。走路は完全にフラットで曲がり角もない。淡々とペースを崩さず距離を刻んでいけばよい。その我慢強さが試される地味な世界は、現代に蘇りりし女工哀史かあゝ野麦峠か。
 スタート直後から、9割方の選手に置き去りにされ、ビリ付近を走る。自分のペースはきっかりキロ6分だから速くはないけど、ゆっくり走ってるわけでもない。つまりぼくにはレベルの高すぎる大会であり、観念して自分の周りをATフィールドで囲って黙々と走るとする。
 2周回ごとにエイドに立ち寄って水分補給していると、おじさんということもあってオシッコが近くなる。1時間に1回のペースでトイレに立ち寄る。最近は夜中も2時間置きに尿意で目覚めるのである。これが老化という哀れなのであろうか。
 公衆トイレは走路から30メートルほど離れているため往復60メートルの距離ロスが生じるので、ホンネとしてはあまり立ち寄りたくないのだが、走っている間はずっと「漏れそう」との思いがあり、首都東京の美しい並木道の真ん中でおもらしするわけにはいかず、おトイレタイムはせめて1時間に1回にとどめておこうと尿意を耐えてぐるぐる走る。
 ちょうど10回のトイレ休憩を経た頃に100km地点を通過、タイムは11時間18分。一般市民ランナーとして決して遅くないタイムなんだけど、トップを競っているアスリートたちは40kmも前方を走っている模様。
 とうの昔に日は暮れ、街灯のオレンジが安らかに揺れる。疲れは感じないが、午前0時を過ぎると睡眠と覚醒の中間くらいの脳波状態になり、うつらうつらと夢を見ながら蛇行走。
 朝5時。スタートから18時間たった頃に、寝落ちしてしまう。歩道上でやれやれと体育座りをし、目をいったん閉じて、また開くと時計が20分進んでいる。まばたきくらいの感覚しかないのにさ、タイムスリップだこりゃと驚いて走路に飛びだす。
 相変わらずトップクラスの選手たちはキロ5分台のスピードで、ヒュンヒュン駆けていく。
 24時間走にゴールはない。その場所まで行けばオシマイというゴールラインはない。人生に寿命という時間制限があるように、24時間走にも時間の終わりだけが決められている。
 24時間走にはリタイアという概念もない。真夜中まで走って、潰れて、選手用テントで倒れていたとしても、それはリタイアではない。競技は継続している。ただ前に向かって進んでいないというだけで、人生は進んでいる。速くも走れず、凡庸で、それでいて今やってることをやめる踏ん切りもつかない人生の路上を、のろのろと走る。そう、こうやってマラソンを人生に例えたがるのも老化現象のひとつである。
 朝10時30分、残り30分ともなると、たくさんの観客が走路脇を埋め尽くし、声援を投げかけてくれる。
 人目もあることだし、最後くらいちゃんと走ろうかなと思いペースをあげる。ラスト2周を全力疾走すると、キロ4分台で走れる。まだぼくは完全にはヘバッてないようだ。なんせ一晩中、エイドで飯ばっかし食ってたしな。スタミナはあり余っている(レース後に体重を測ると2キロ増加していた。24時間も走ったのに太るなんてショックだよ)。
 終了時刻である午前11時になると、合図とともにその場所で立ち止まる。係の方が近づいてきて足下に白いラインを引いてくれる。こんなヘボそうなランナーにも正確な距離測定をしてくれるのだなと思うと、ちょっとしたエリート感が湧き上がる。記録は173km939mであった。やっぱし1m単位まで計測してくれるのね。往復60メートルのトイレに25回も行かなきゃよかった。頻尿にも程がある。
 今日はいい日なのだろうか。少なくとも悪い日ではない。体内にカロリーは残っているし、まだ何かやれる気がする。