バカロードその71 岬の向こうの岬のそのまた向こうの岬へと〜土佐乃国横断遠足242km・前半戦〜

公開日 2014年07月08日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

JR高知駅に着くと、日射しがシャワーのように降り注いでいた。目を細めて空を見上げると、光の七色の粒が散乱している。5月だというのに真夏みたいだ。
 駅前の広場に、大会が用意してくれたマイクロバスがエンジンをかけて待っている。参加ランナーは20人強と少ないので、行列ができるわけでもない。乗り込んだ車中は、マラソンバスというより、どこかの宴会場に向かう送迎バス的なくだけた空気である。
 大会前夜に宿泊する「国立室戸青少年自然の家」までは80kmほどの距離。顔見知りの選手もそうでない人も、わきあいあいとした雰囲気でもって、海辺の道を室戸めざして進んでいく。
 海辺の街道沿いには、古いタイプの商店や食堂が軒を連ねている。通りがかったあちらこちらの街角に、大きな魚の模型が飾りつけられている。魚の種類は街によって違う。カツオやらクジラやら鮎やら。漁港や河川によって地域経済を支える特産魚が違うのだろう。
 やがて国道55号線を山側に折れ、くねくねの山道にはいる。どんだけ人里離れた山奥に連れて行かれるのかと不安になる頃、青少年自然の家が木立の合間に現れる。コンクリート造りの巨大な建造物はアルカトラズ刑務所のような迫力で、「囚われの身」との言葉が頭をよぎる。そう、ここから逃げられはしないのだ。アルカトラズ、もちろん見たことないけど。
 荷をほどく間もなく競技説明会がはじまる。DNSを除くと選手は21人。受付を終えるのに10分もかからない。大会を企画した四万十町、大正・十和スポーツクラブの田辺さんから、走行時の注意点とコースの概要が説明される。
 「第1回 土佐乃国横断遠足」は総距離242kmを60時間制限で行われる。出発は、高知県室戸岬の先端にある中岡慎太郎像の前。中岡は、言わずと知れた維新の志士。陸援隊隊長である。スタートの中岡像、82km地点の高知市桂浜の坂本龍馬像を経由して、ゴール地点である足摺岬のジョン万次郎像へと、明治維新の立役者たちの彫像への到達の時を、ランナーたちは今か今かと恋い焦がれる趣向となっている。
 田辺さんの口調から、コース上の警察署や県警本部との丁寧な折衝を重ねたことが伝わる。一般に、100kmを超える長距離の大会は「レース」ではなく、市民が歩け歩け大会をやっているという主旨というかタテマエを貫く。車道を走ってよいわけではなく、選手はイチ歩行者として歩道を利用する。信号や横断歩道をふだん以上に実直に守る。交通ルール厳守の善良なる市民として立ち居振る舞う。
 とはいえ警察の立場からすれば、ゼッケンとヘッドランプ着けて歩道を走っている集団に、知らんぷりもできない。歩行者としての万全の安全対策を求める。当大会では、日没後は両足首に反射材テープを巻き、所在確認のために携帯電話や充電バッテリーの所持が義務づけられている。
 競技説明会につづいて青少年自然の家のオリエンテーションがあり、施設利用ルールがまとめられたビデオ映像が流される。そう、本来ここは青少年たちが自主自立の精神を養う場所。いかに我々が、いやぼくが人生に疲れ切った中高年であろうと、敷き布団を片付ける際は三つ折りに、掛け布団は四ツ折りにしなくてはならないのだ。
 夕食はバイキング形式で、炊き込みごはんやパスタなど炭水化物豊富でありがたや。コーヒーゼリーのデザートまでついて1泊2食つき2000円也とは涙ホロリである。
 広い食事会場は、赤黒く日焼けした季節はずれのお肌な割に、肉体労働者とも思えぬ痩せ身の中高年たち20余名の周りを、数百名の制服姿の小中学生が取り囲むという見たことのない図式が展開されている。現代の初等教育が抱える諸問題はさまざまにメディアで喧伝されるが、ここ高知においては何の問題もなさそうだ。小学生たちはけたたましく賑やか、おかわり止まらぬ大食らいっぷりで、赤黒い顔したオジサンたちをからかって遊んでいる。うむ、日本の未来は明るいですよ龍馬どの。
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 大会当日の朝は6時に起床。昨日教えられたとおりに布団を不器用に畳み、床に掃除機をかけるふりをする。100kmあたりまでのカロリー分を補給するためにバイキング朝食を腹一杯むさぼり喰らう。小学生たちは今朝も元気でやかましい。
 そして再びのほほんムードなバスに乗り込み室戸岬へ。スタート時間の30分前には中岡慎太郎像前に到着。選手の点呼とともに、1人ひとり大会指定の持ち物チェックが行われる。しゃちこばった開会セレモニーはなく、慎太郎像の前で記念撮影を行ったら、静かに242kmの旅が幕を開けた。
 ウエーブスタートながら、21人を3班に分け間隔は30秒おきなので、1班と3班の時間差は1分のみ。辺りを覆っていた松林の樹林帯を抜けると、突き抜けるような高い空と群青の太平洋がひらける。左にゆるく湾曲する土佐湾。四国南岸の緑色の陸地が屏風のように連なる。澄んだ空気の奥に、折り重なって海へなだれ込む岬、その向こうにもまた岬。薄い霞みをかぶった最奥の岬は途方もなく遠いが、よもや足摺のはずはないだろう。ゴールは目に見えるどの岬よりも遠く、そんな地の果てまで自分の脚だけで到達できる可能性を秘めているのだととのロマンにうっとりする。
 自己陶酔中のぼくを、コンクリートの防波堤を歩くよく肥えたトラ猫が何だコイツはと睨みをきかせている。丸石がごろごろ転がる海岸を、海藻採りのオジイチャンやオバアチャンが、白波叩きつける荒れ気味の海に向かって突撃してゆく。ランナーたちは、これからはじまる筋書きなきドラマに浮き立つ心を抑え、朗らかに会話を交わしている。
 5kmも進めば単独走になる。この2カ月で100km超の大会は4本目。脚は重くて引きずり気味だし、足の裏は麻痺していて着地しにくい。はっきり言ってどうしようもない状況なのだが、「どうしようもなくても、どうにかする」ことも人生大事なんだよを走りで証明するのである、との即席テーマを思いつく。はい、あくまで思いつきです。
 大会の公式エイドは27km、60km、82km、153kmの4カ所と限られているが、大会スタッフによる巡回車や、知人ランナーを応援する個人の方たちが、ひんぱんに冷たい飲み物を提供してくれる。街道沿いには自動販売機もたくさんある。重いウォーターボトルを持たずにすむのは楽だ。
 と、水分の補給は十分なれど、50kmも走れば毎度のごとくゲロ吐きがはじまる。もはや年中行事すぎて悲しみもなく、呆れも通り越して、心微動だにせず。義務的に草むらに吐瀉物を放出しては、淡々と走る。
 走っても走っても強さを増すことなく、より弱くなっていく。長距離ランナーとして最も重要な何かを欠いていることに薄々気づきつつ、競技者として高みを目指すでもなく、ファンランナーとして走りを楽しむ余裕もなく、吐き気こみあげる青白い顔で、壊れた機械仕掛けの人形のようにギクシャク走る。
 浦戸湾に架かる浦戸大橋にさしかかる頃に日は暮れヘッドランプを装着。海面高50mの長大橋への登り坂でやけに冷たい汗が背筋をつたい、全身の鳥肌がゾクゾク収まらない。後で知ったのだが、ここは高知市民なら誰もが知る最強心霊スポットだとか。前もって知ってなくて良かった〜。
 スタートから82km、坂本龍馬像のたもとの桂浜エイドでは、心霊の影響もあったかなかったか、かすれ声しか出ないほど消耗しきっていた。
 椅子に座ると腰砕けになり身体が勝手に右に傾いていく。仕方なくウレタンマットに寝ころぶ。仰ぎ見る夜空と森の木々の梢が目玉とともにぐるぐる回る。近くに水族館があるのかオットセイやらアシカの鳴き声がオウッオウッと森にこだましている。おう、ここは現実世界か黄泉の国か。
 大の字に潰れたぼくの脇に、エイドスタッフの方がクーラボックスで即席のテーブルをつくってくれ、カツオのタタキやそうめん汁などの料理を並べてくれる。ありがたく頂こうとするのだが、唾液が枯れていて、いくら噛んでもカツオのタタキが喉に落ちてかない。お茶で流し込む。そんな食べ方はもったいなく、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。スタッフの親切に心から「美味しいです」と返したいのに、そうならない。
 20分ほどひっくり返っていたが、奇跡の復活劇は起こる予兆もなく、のろのろとエイドを後にする。歩いてでも前に進むしかないよね。寝ていてもゴールには1ミリも近づかない。
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 高知市に隣接する土佐市街の入口がちょうど100kmにあたる。はや深夜12時、ここまで15時間もかかっている。市街地を抜けると渓流音のする森林帯にさしかかり、細かな登り下りが繰り返される。この大会、高低図をながめると全般にフラットな様子だが、実際は100kmからゴールの242kmまで、コースの9割方が坂道である。いちばん標高のある七子峠で289mだから、大したことないよと油断していたらどっこいである。
 夜中じゅう、大会車両がコースを行き来しては、選手の健康チェックに余念がない。100km超級の大会といえば自己責任原則が当たり前。大会スタッフがここまで選手の面倒を見てくれるなんてね、慣れてなくて何となく気恥ずかしい。
 南国高知の夜は寒さに凍えるほどではないが、道ばたで無防備に眠りに落ちられるほどには暖かくない。徹夜で歩きつづけ、夜明け前に、須崎市街の出口にある公衆トイレの便座に腰掛けたまま5分ほど眠る。さて出発という段になって、太腿やふくらはぎの裏がびっしょり濡れているのに気がづく。何だこりゃ? 腰にぶら下げていた帽子やウエストバックもズブ濡れだ。眠りこけていた時に、便器の水に荷物がどっぷり浸かっているのに気づかなかったのだ。全荷物が水びたし、ズボンも、シューズもトイレのたまり水にまみれ、哀れな気分にひたる。
 どんな眠くても朝日を浴びれば意識も覚醒するものだ。夜明けには少しは走れだせればいいなと淡い期待を抱いていたが、足の裏の痛みが尋常ではなく、歩きに終始する。踏みしめる地面は針の山のごとし。靴下を脱げば灼熱の土踏まずはパンパンに腫れている。走るどころか、続けて歩けるのは3kmが限界。30分おきに靴下を脱ぎ、自販機で買った冷たいドリンクを押し当て、「痛いのは気のせい」とぶつぶつ唱える。
 難所の七子峠を越えると、山あいに開けた高台の水田地帯にさしかかる。冷涼な山水がしぶきをあげて水路を流れる。景色の奥へとゆるやかな勾配で階段状に連なる水田。満々と湛えた水に、空の青が映り込む。午前の太陽が水田にキラキラ反射し、そよ風がさざ波をつくる。澄んだ水鏡のうえで農夫たちが作業をしている。そんな田園風景のなかの一本道を、今大会唯一のドロップバッグを受け取れる153km地点の大エイド「クラインガルテン四万十」めざして走る。走る・・・うぬ、知らぬ間に走れているではないか。風に吹かれて、きらめく光と水の台地を、草原を駆け抜ける少女のように軽快な足どりでウキウキと、オホホホホ。  
(後半戦につづく)