公開日 2015年02月20日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
(前回まで=ギリシャで行われる247km36時間制限の超長距離レース・スパルタスロンに4連敗中のぼくは、今年もしょうこりもなく出場したが、例年どおり50kmあたりから嘔吐をはじめ、105kmあたりで体が動かなくなって道ばたに倒れてしまった)
(前回まで=ギリシャで行われる247km36時間制限の超長距離レース・スパルタスロンに4連敗中のぼくは、今年もしょうこりもなく出場したが、例年どおり50kmあたりから嘔吐をはじめ、105kmあたりで体が動かなくなって道ばたに倒れてしまった)
後方の暗闇からヘッドランプの灯りが揺れながら近づいてくる。現れたのは恩人ともいえる方である。はじめてこのレースに出場した5年前、スパルタスロンという競技のもつ素晴らしさ、完走する価値の高さ、挑戦しつづける意味について教えてくださった。彼についていけなければ完走はできない、と思い立ち上がる。必死で後ろにつこうとするが、やはり体が動かずじりじりと離れされていく。
110km13時間53分。余裕時間が再びゼロになる。エネルギーを体内に入れないと置かれた状況は変わらない。エイドにあったブドウを20粒ほど無理やり口に押し込み飲みくだすが、しばらく走ると吐き戻してしまった。もうぼくの周りにはランナーはいない。ここ30km間で追い越してきたランナーたちは皆リタイアしたのだろう。
113kmのエイドに着いたときは、閉鎖時間に対してすでに5分も遅れていた。エイドの裏手にある民家の軒先に倒れ込む。動けない。2、3分そうしていたら、大会役員らしき人が横にしゃがんで話しかけてくる「まだ走るのか?」。
「まだぼくは走ってもいいんですか?」と聞き返す。「君が走りたいなら」と真剣な顔。「はい、まだ走ります」と答えて立ち上がる。エイドに陣取った20人ばかりのスタッフが、「日本人よ、ストロングだ」と総手の声援と拍手で見送ってくれる。
勇ましく再出発したものの、つづら折りの急坂の途中で歩くのも困難になる。ここから4km先のエイドまでよろよろと歩いて何時間かかるというのか。立ち止まったまま考えて、それから腰掛けてしばらく考えて、もういっかい道ばたに仰向けになって暗い空をぼうっと眺める。
もがき苦しむわけでもなく、地を這いずって前進する根性も見せられず、自らギブアップしようとしている。それなのに悔しいとも悲しいとも、特別な感情が湧いてこない。1年間これに懸けてきたのにさ。どうなってんだよ自分。
立ち上がって、元来た道を引き返す。エイドにたどり着くと、スタッフたちは驚きもせず「よくやった、よくここまで来た」と言う。巨漢のおじさんスタッフが抱擁してくれる。隣にすごい美人おねえさんスタッフがいたのになと残念に思う。
椅子に腰をかけさせられ、ゼッケンと計測チップを外され、リタイアの署名をする。
フタが開いたままのクーラーボックスに、飲み物を冷やすためのクラッシュアイスが山盛りになっている。これから片付け作業がはじまるんだろう。両の手のひらいっぱいに氷を取り、ガリガリとかじりつく。死肉にあさりつくハイエナみたいに氷の塊にむしゃぶりつく。枯れ果てた体に染み込んでいく。狂ったようにひたすら貪る。
見かねたエイドのおじさんが、ぼくの肩を優しく抱いて「その氷はあまりきれくないからペットボトルの水にしときなさい」と止めてくれる。ぼくは氷の塊を決して手放そうとせず、いつまでも虫のようにかじり続ける。
□
レースが終わってしまった。1年間、この日に懸けてきたのに。
奥田民生が熱唱する「I'M A LOSER」が頭骨の中でわんわん反響している。枝にぶらさがった瑞々しい果実をもぎとろうと、何度ジャンプして手を伸ばしても空振りする。届かない。何にも届かない。かすりもしない。そんな映像が頭の中で繰り返される。負け、負け、負け、負け、負け。スパルタスロン5連敗、弱すぎる。
元々、スポーツマンにあるまじき陰鬱な空気をまき散らしているタチだが、帰国後はさらに拍車がかかった。ものぐさがひどくなり、外出先でズボンのチャックが2cmくらい開いていてもキッチリ閉めようと思えない。職場ではだいたいボーッとしている割に、発作的にろくでもない事を思いつき、現状打破な行動をおっぱじめてうさんくさい目で見られる。部下には役立たず扱いされ、居場所をなくして片隅で小さくなっている。家に帰ればタタミ二畳分のスペースから移動する気力がなく、布団に横になったまま入院患者の要領でビールを口の脇からずるずるすする。
日課であった朝のランニングにでかけなくなった。朝起きて、ランニングウエアに着替えて、外に飛び出すのは、それなりの気力が必要なのだ。
1年365日、毎日2時間前後は走っていたから、走るのをやめると時間を持てあます。ここ何年も、仕事と走ること以外やってなかった。酒も博奕も社交も、いったん遠ざかれば元にはもどれない。
暇を持て余し、お菓子づくりなぞをはじめてみた。調理道具や型を買いそろえ、小麦粉や米粉をこねこねし、オーブンの焼きあがりを待つ。素材の調合比率や、泡立て方、温度を細かく変えていき、有名ケーキ店並みの柔らかくて食感のいいスポンジ生地を焼けないか試行錯誤する。台所の床は粉まみれになり、オーブンは2度白煙をあげた。
ランニングをしている頃は毎日ヘトヘトで布団にもぐり込んでいたが、走らなくなると寝つきが悪く、夜が恐ろしく長い。夜長の閑に耐えられず口径の大きい天体望遠鏡を買いこんで星の観察をはじめる。月面のクレーター、木星の縞模様、土星の輪、著名な星雲と、ビギナーらしく順に観察していく。文化系な趣味を持てた悦びにひたろうと、エスプレッソマシンでコーヒーなんぞ淹れて、マグカップ片手にベランダで小一時間を過ごしてみたりするが寒くてすぐ撤収。
過去を清算するには断捨離に限ると、家の大そうじに取りかかり、「棺おけに入れなくていいもの」という観点でモノをゴミ袋に詰め込みだすと、押し入れが空っぽになった。ハードルあげすぎだなこりゃ。
いろんな方面に手を伸ばしてみるが、何かが足りない。何か、というか走るのが足りない。ランニングをやめてわかったのは、走るという行為は趣味ではないってことだ。他に代替が効かないのだ。走ることに充てていた1日のうち2時間を、写経をしたり野鳥を観察して過ごしても、ああ今日ぼくは何かをやったぞ、一日を精いっぱい生きたぞ、という感じを得られないのだ。走るのが大好きなわけでもなく、走ってすがすがしい気持ちになるわけでもないのに。
そもそもなんで自分は走ってたんだろう。目標タイムをクリアしたり、順番が何番だとか、難易度の高いレースを完走するだとか、それはそれでひとつの努力目標にはなるけど、そのために走りだしたわけじゃないよな。ランナーが100人いたら100通りの走る意味が存在している。ぼくは、その瞬間、瞬間で全力ってもんを出したいから走りだしたんだよな。ただ今という時間を、つっ走りたかった。心臓を打ち鳴らし、地面を蹴って、前に向かって突き進んでいくのだ。レースをうまくマネジメントしたいのではない。余裕をもって後半ビルドアップしたいのでもない。ヘバッてもいい。ひっくり返るまで追い込みたかったのだ。
いつしかそんな原点を忘れて、名のあるレースに完走したいがために、「自重、自重」ばかり考えて、でも結局たいした走力ないからリタイアの繰り返し。スタートラインからリタイアするまで1度も本気で走る場面なく、不完全燃焼な排気ガスをブスブス煙らせて、収容バスの乗客になる。ほんとつまらないことを何年もやってた。
体重80kg以上あったデブな頃、10kmを1時間20分以上かかってゴールして、芝生の上で仰向けに寝ころんだ時の満足感、今でも強烈に残っている。水色の空の色がきれかったな。
人間以外の動物ってきっと時間の観念はないよね。「明日までには獲物を3羽つかまえておこう」とか「生きているうちに子孫を10子は残そう」なんてビジョンを持たない。今ハラが減っている、だから目の前に現れた獲物を食う。無性にヤリたい気分、だから生殖する。きっと今という点の時間でしか生きていない。人間だけが未来のことを考える。そして夢を見たり、絶望したりする。でも実際、先のことなんか小指の先ほどもわからないんだ。今やるべきことをやってないのに、未来なんてないんだ。動物のように刹那で生きていたい。この瞬間を全力で走るという単純な理屈だけに貫かれて。
そして、また走りはじめた。
□
四万十川ウルトラマラソン。 もーね、メチャクチャ走ってやろうかと思ったんだ。スタートのピストル鳴ったら小学生のかけっこの勢いでぶっ飛ばすんだ。オープニングアクトをバラードから入るインディーズバンドなんてクソだろ。3キロ先で倒れてもいいから、今最大限のエネルギーを放出するんだ。前半抑えて後半は落とさないようキープなんてセオリーはゴミ箱にポイだ。キロ何分ペースとかどーでもいい。息を切らしてただ走れ。
四万十ウルトラは15kmから21kmの間に600mの標高差の峠を越える。青い息を吐きながら峠の頂上まで全力で登る。死んでも歩かないぞ。峠の先には急激な下りが10km待っている。着地衝撃なんて知ったことか。地球が重力というアドバンテージをくれてるんだ、ありがたく受け取るぞ。パンパン足音を打ち鳴らして、出せるだけのスピードを出すんだ。
50kmを4時間40分で通過。ふくらはぎがぴくぴくケイレンしている。攣るんなら攣ればいいさ。いけるところまでいくぞ。
61km、唯一の大エイド・カヌー館では1秒たりとも立ち止まらない。ドロップバッグに入れた手製の「補給物資をガムテープで貼り付けた駅伝風タスキ」を取り出す。輪っか状にしたヒモに、エネルギーバーやゼリー、粒あん、鎮痛剤をガムテープで貼りつけたものだ。こいつを首からぶらさげて、走りながら補給する。マラソン会場によくいる「変なおじさん」風情だが気にはしない。大エイドの誘惑なんて断ち切ってやる。多少休憩をとった方がいいタイムが出るのかも知れない。でも休みたくない。休んで脚を回復させたくない。
65kmあたりで完全に潰れた。潰れたあとの35kmは長かった。それでもラスト10kmは遮二無二走った。スパルタスロンの参加資格である10時間30分をぎりぎり切る10時間28分でゴールした。ああ、ぼくはまだヤツに挑戦する意思を持ち合わせているのだな。もうやめようとあれだけ思ったのにな。
ゴールすると立ってられないくらいフラフラだった。汗まみれの服のままブルーシートに横たわり、体育館の天井を眺めながら、アボのことを思った。飼い犬のことじゃないですよ。漫画「worst」に登場するチョイ役のヤンキー高校生。現役高校生最強の男・花木九里虎に、喧嘩を売り続ける桜田朝雄(アボ)という雑魚キャラ。毎回ワンパンチでノされて、たぶん半永久的に勝てっこないのに、しつこくタイマンで挑戦しつづけるアホな男。連戦連敗、でもなぜか精神的にはまったく敗者ではない。ぼくはアボになりたいんだ。
110km13時間53分。余裕時間が再びゼロになる。エネルギーを体内に入れないと置かれた状況は変わらない。エイドにあったブドウを20粒ほど無理やり口に押し込み飲みくだすが、しばらく走ると吐き戻してしまった。もうぼくの周りにはランナーはいない。ここ30km間で追い越してきたランナーたちは皆リタイアしたのだろう。
113kmのエイドに着いたときは、閉鎖時間に対してすでに5分も遅れていた。エイドの裏手にある民家の軒先に倒れ込む。動けない。2、3分そうしていたら、大会役員らしき人が横にしゃがんで話しかけてくる「まだ走るのか?」。
「まだぼくは走ってもいいんですか?」と聞き返す。「君が走りたいなら」と真剣な顔。「はい、まだ走ります」と答えて立ち上がる。エイドに陣取った20人ばかりのスタッフが、「日本人よ、ストロングだ」と総手の声援と拍手で見送ってくれる。
勇ましく再出発したものの、つづら折りの急坂の途中で歩くのも困難になる。ここから4km先のエイドまでよろよろと歩いて何時間かかるというのか。立ち止まったまま考えて、それから腰掛けてしばらく考えて、もういっかい道ばたに仰向けになって暗い空をぼうっと眺める。
もがき苦しむわけでもなく、地を這いずって前進する根性も見せられず、自らギブアップしようとしている。それなのに悔しいとも悲しいとも、特別な感情が湧いてこない。1年間これに懸けてきたのにさ。どうなってんだよ自分。
立ち上がって、元来た道を引き返す。エイドにたどり着くと、スタッフたちは驚きもせず「よくやった、よくここまで来た」と言う。巨漢のおじさんスタッフが抱擁してくれる。隣にすごい美人おねえさんスタッフがいたのになと残念に思う。
椅子に腰をかけさせられ、ゼッケンと計測チップを外され、リタイアの署名をする。
フタが開いたままのクーラーボックスに、飲み物を冷やすためのクラッシュアイスが山盛りになっている。これから片付け作業がはじまるんだろう。両の手のひらいっぱいに氷を取り、ガリガリとかじりつく。死肉にあさりつくハイエナみたいに氷の塊にむしゃぶりつく。枯れ果てた体に染み込んでいく。狂ったようにひたすら貪る。
見かねたエイドのおじさんが、ぼくの肩を優しく抱いて「その氷はあまりきれくないからペットボトルの水にしときなさい」と止めてくれる。ぼくは氷の塊を決して手放そうとせず、いつまでも虫のようにかじり続ける。
□
レースが終わってしまった。1年間、この日に懸けてきたのに。
奥田民生が熱唱する「I'M A LOSER」が頭骨の中でわんわん反響している。枝にぶらさがった瑞々しい果実をもぎとろうと、何度ジャンプして手を伸ばしても空振りする。届かない。何にも届かない。かすりもしない。そんな映像が頭の中で繰り返される。負け、負け、負け、負け、負け。スパルタスロン5連敗、弱すぎる。
元々、スポーツマンにあるまじき陰鬱な空気をまき散らしているタチだが、帰国後はさらに拍車がかかった。ものぐさがひどくなり、外出先でズボンのチャックが2cmくらい開いていてもキッチリ閉めようと思えない。職場ではだいたいボーッとしている割に、発作的にろくでもない事を思いつき、現状打破な行動をおっぱじめてうさんくさい目で見られる。部下には役立たず扱いされ、居場所をなくして片隅で小さくなっている。家に帰ればタタミ二畳分のスペースから移動する気力がなく、布団に横になったまま入院患者の要領でビールを口の脇からずるずるすする。
日課であった朝のランニングにでかけなくなった。朝起きて、ランニングウエアに着替えて、外に飛び出すのは、それなりの気力が必要なのだ。
1年365日、毎日2時間前後は走っていたから、走るのをやめると時間を持てあます。ここ何年も、仕事と走ること以外やってなかった。酒も博奕も社交も、いったん遠ざかれば元にはもどれない。
暇を持て余し、お菓子づくりなぞをはじめてみた。調理道具や型を買いそろえ、小麦粉や米粉をこねこねし、オーブンの焼きあがりを待つ。素材の調合比率や、泡立て方、温度を細かく変えていき、有名ケーキ店並みの柔らかくて食感のいいスポンジ生地を焼けないか試行錯誤する。台所の床は粉まみれになり、オーブンは2度白煙をあげた。
ランニングをしている頃は毎日ヘトヘトで布団にもぐり込んでいたが、走らなくなると寝つきが悪く、夜が恐ろしく長い。夜長の閑に耐えられず口径の大きい天体望遠鏡を買いこんで星の観察をはじめる。月面のクレーター、木星の縞模様、土星の輪、著名な星雲と、ビギナーらしく順に観察していく。文化系な趣味を持てた悦びにひたろうと、エスプレッソマシンでコーヒーなんぞ淹れて、マグカップ片手にベランダで小一時間を過ごしてみたりするが寒くてすぐ撤収。
過去を清算するには断捨離に限ると、家の大そうじに取りかかり、「棺おけに入れなくていいもの」という観点でモノをゴミ袋に詰め込みだすと、押し入れが空っぽになった。ハードルあげすぎだなこりゃ。
いろんな方面に手を伸ばしてみるが、何かが足りない。何か、というか走るのが足りない。ランニングをやめてわかったのは、走るという行為は趣味ではないってことだ。他に代替が効かないのだ。走ることに充てていた1日のうち2時間を、写経をしたり野鳥を観察して過ごしても、ああ今日ぼくは何かをやったぞ、一日を精いっぱい生きたぞ、という感じを得られないのだ。走るのが大好きなわけでもなく、走ってすがすがしい気持ちになるわけでもないのに。
そもそもなんで自分は走ってたんだろう。目標タイムをクリアしたり、順番が何番だとか、難易度の高いレースを完走するだとか、それはそれでひとつの努力目標にはなるけど、そのために走りだしたわけじゃないよな。ランナーが100人いたら100通りの走る意味が存在している。ぼくは、その瞬間、瞬間で全力ってもんを出したいから走りだしたんだよな。ただ今という時間を、つっ走りたかった。心臓を打ち鳴らし、地面を蹴って、前に向かって突き進んでいくのだ。レースをうまくマネジメントしたいのではない。余裕をもって後半ビルドアップしたいのでもない。ヘバッてもいい。ひっくり返るまで追い込みたかったのだ。
いつしかそんな原点を忘れて、名のあるレースに完走したいがために、「自重、自重」ばかり考えて、でも結局たいした走力ないからリタイアの繰り返し。スタートラインからリタイアするまで1度も本気で走る場面なく、不完全燃焼な排気ガスをブスブス煙らせて、収容バスの乗客になる。ほんとつまらないことを何年もやってた。
体重80kg以上あったデブな頃、10kmを1時間20分以上かかってゴールして、芝生の上で仰向けに寝ころんだ時の満足感、今でも強烈に残っている。水色の空の色がきれかったな。
人間以外の動物ってきっと時間の観念はないよね。「明日までには獲物を3羽つかまえておこう」とか「生きているうちに子孫を10子は残そう」なんてビジョンを持たない。今ハラが減っている、だから目の前に現れた獲物を食う。無性にヤリたい気分、だから生殖する。きっと今という点の時間でしか生きていない。人間だけが未来のことを考える。そして夢を見たり、絶望したりする。でも実際、先のことなんか小指の先ほどもわからないんだ。今やるべきことをやってないのに、未来なんてないんだ。動物のように刹那で生きていたい。この瞬間を全力で走るという単純な理屈だけに貫かれて。
そして、また走りはじめた。
□
四万十川ウルトラマラソン。 もーね、メチャクチャ走ってやろうかと思ったんだ。スタートのピストル鳴ったら小学生のかけっこの勢いでぶっ飛ばすんだ。オープニングアクトをバラードから入るインディーズバンドなんてクソだろ。3キロ先で倒れてもいいから、今最大限のエネルギーを放出するんだ。前半抑えて後半は落とさないようキープなんてセオリーはゴミ箱にポイだ。キロ何分ペースとかどーでもいい。息を切らしてただ走れ。
四万十ウルトラは15kmから21kmの間に600mの標高差の峠を越える。青い息を吐きながら峠の頂上まで全力で登る。死んでも歩かないぞ。峠の先には急激な下りが10km待っている。着地衝撃なんて知ったことか。地球が重力というアドバンテージをくれてるんだ、ありがたく受け取るぞ。パンパン足音を打ち鳴らして、出せるだけのスピードを出すんだ。
50kmを4時間40分で通過。ふくらはぎがぴくぴくケイレンしている。攣るんなら攣ればいいさ。いけるところまでいくぞ。
61km、唯一の大エイド・カヌー館では1秒たりとも立ち止まらない。ドロップバッグに入れた手製の「補給物資をガムテープで貼り付けた駅伝風タスキ」を取り出す。輪っか状にしたヒモに、エネルギーバーやゼリー、粒あん、鎮痛剤をガムテープで貼りつけたものだ。こいつを首からぶらさげて、走りながら補給する。マラソン会場によくいる「変なおじさん」風情だが気にはしない。大エイドの誘惑なんて断ち切ってやる。多少休憩をとった方がいいタイムが出るのかも知れない。でも休みたくない。休んで脚を回復させたくない。
65kmあたりで完全に潰れた。潰れたあとの35kmは長かった。それでもラスト10kmは遮二無二走った。スパルタスロンの参加資格である10時間30分をぎりぎり切る10時間28分でゴールした。ああ、ぼくはまだヤツに挑戦する意思を持ち合わせているのだな。もうやめようとあれだけ思ったのにな。
ゴールすると立ってられないくらいフラフラだった。汗まみれの服のままブルーシートに横たわり、体育館の天井を眺めながら、アボのことを思った。飼い犬のことじゃないですよ。漫画「worst」に登場するチョイ役のヤンキー高校生。現役高校生最強の男・花木九里虎に、喧嘩を売り続ける桜田朝雄(アボ)という雑魚キャラ。毎回ワンパンチでノされて、たぶん半永久的に勝てっこないのに、しつこくタイマンで挑戦しつづけるアホな男。連戦連敗、でもなぜか精神的にはまったく敗者ではない。ぼくはアボになりたいんだ。