公開日 2015年05月11日
=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
なんか最近、ちょっと動くたびに、息切れやめまいがする。ここんとこ疲れが抜けたことがない。ポンコツの自転車に乗ってるみたいに身体の節々がギィコギイコと異音をあげる。
耳鳴りヒューヒュー、汚水パイプを吹き抜ける乾いた風のごとし。
スーパーに行けば真正面に見えてるはずの野菜の値札がこつぜんと視野から消える。これって緑内障ってヤツ?
1時間おきに尿意で目覚める頻尿の夜には、薬局の入口に貼っている「夜尿症」という毛筆の字が頭から離れなくなる。
アキレス腱にカッターでざっくり斬りつけたような鋭利な痛み、ハムストリングには新聞のチラシ広告をパリッと引き裂いた感じの薄い断裂感。
モーレツな偏頭痛はもはや常習。いままで鎮痛薬100箱は飲んだかしら。宇宙人め、何か秘密のチップでも埋め込みやがったな。
走れば走るほど健康体から遠ざかっていく。どんどん身体が壊れていく。ふつう健康になっていくはずなのにねえ。
ロード・トゥ・老人の道にいよいよ足を踏み入れたってことか。自分がまだ若者と呼ばれる部類だって思っていた頃から、ほんの10年ばかりの時が経っただけですよ。人生ってなんと儚い一瞬の夢かって思うね。
7年前にランニングをはじめる前は身長167cmに対して体重80kgオーバーの肥満体だった。20年間ほとんど運動らしき運動をせず、アイスクリームとチョコレートを主食としてたからまあ当然の報い。
デブってのは本当に大変なのでした。春夏秋冬という美しい日本の四季を、肌で感じる情緒とは無縁。一年中、朝から晩まで「なんか暑くない?この部屋」と思っている。全身にじっとり汗をかいてるから、下着は常に湿っていて、かいた汗が乾くと服がすえた臭いを放ちはじめる。太めの方とすれ違ったときに「ツーン」と酸っぱい匂いが鼻をついた経験は皆さんあると思いますが、アレは決して風呂に入っていないのではないですよ。デブの名誉のために言っとくけど。汗をかき、乾き、かき、乾き・・・を3サイクルほどすると、シャツは雑菌の繁殖プレートと化し、独得の匂いを放ち始めるのである。ぼくもあの匂いをよくさせてはそよ風に乗せていました。
デブってるといろんな不都合が起こるのである。たとえば朝目覚めたときに仰向けの状態から上半身を起こすことができない。腹の肉は邪魔だし、腹筋のパワーだけでは上体が垂直に持ち上がらないし。じゃあどうやって起きるのかというと、いったん横を向き、膝を崩して人魚のようなポーズをとり、ヒジや手のひらをつっかえ棒にしながら、じんわり時間をかけて起きてくのだ。
昼間もけっこう大変です。スーツ姿で椅子に座ってると、ベルトが腹の肉にめり込み、赤くミミズ腫れになったりする。ふくらはぎに食い込んだ靴下のゴム。ボンレスハム状に波打つ肉が痒くてしょうがない。
すべての行動がおっくうで、離れた場所にある扇風機のスイッチを押すのに棒を使ったりして、できるだけ体を動かさない工夫をする。布団に入った状態で、あらゆる生活用品を手の届くところに配置して、寝たきりでも過ごせる快適空間づくりにいそしむ。
運動機能的にはとても不便なデブだが、太っていたときは病気らしい病気をしたことがなかった。病院に行ったのも水ぼうそうに罹ったときくらいであった。
マラソンをはじめると、背中や尻の脂肪は取れ、スーツをサイズダウンのため2回も買い換えた。秋は涼しく、冬は寒いものだと実感した。お風呂の浴槽にもたれると、背骨や尻の骨がタイルにゴツゴツ当たるのが新鮮だった。
ところが痩せると、次々と身体のあちらこちらが壊れだした。三十代から四十代に突入したという加齢は要因のひとつだろうが、それにしても壊れっぷりがひどい。運動量と健康は明らかに反比例している。
病院の診察カードは財布に収まりきらないので、名刺フォルダに入れてる。総合病院、泌尿器科、循環器科、胃腸科、内科、皮膚科、耳鼻咽喉科、眼科、歯科、整骨院、街のクリニックのも2枚。カードの蒐集家みたいな気分になって・・・何にもうれしくない。
病院が好きなわけではない。人並みに、いや人並み外れて病院嫌いである。病院の予約を入れただけで軽いウツになる。待合い所に座ってるだけで心拍数がどんどん速くなってくる。深呼吸をしたり、雄大な自然を思い浮かべたり、人という文字を手に書いて飲み込んでも効き目なし。名前を呼ばれた瞬間に、心臓が破裂しそうになる。
白衣の医師と何人もの看護師さんに取り囲まれて、小さなくるくる回転する椅子に座らされてると、一刻もはやく逃げ出したくなる。先生の説明なんてまるで頭に入ってないけど、とりあえず聞いてるフリして頷いている。この病院恐怖症を克服するには心療内科に行かねばならない、と考えただけでまた脂汗が噴き出す。
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加齢とともに、肉体の不健全だけでなく、ものぐさ度が加速度的に増しているのも問題だ。一年中、遠征に出かけてる身分で言うのも何だが、外に出かけるのが面倒くさい。同じ姿勢で何時間も過ごしたり、無益に時間待ちをするのが苦痛でならない。飛行機の狭い座席に押し込まれたうえに、隣の香水くさいオバハンに肘掛けを取られたりするとストレスで髪の毛が抜けてく。閉所恐怖症の気もあるので、いつパニックが発症するかもわからない恐怖にビクついている。
だから、徳島の自宅を出て、できるだけ短時間で大会会場に到着するレースばかりを選ぶようになった。その際、実際の距離は関係がない。北海道だろうと沖縄だろうと、飛行場から降りてすぐの場所に会場があるのなら、自宅から4〜5時間もあれば着くのだ。一見不便そうな印象がする各地の離島開催のレースは、実際はアクセス快適だったりする。到着した空港から、宿や会場がすぐ近くにあることが多く、1日2000円台のボロいレンタカーを借りれば、レース前にうろうろ歩いて脚を消耗しなくてすむ。
逆に距離のうえでは近い関西圏の大会には全然でなくなった。前日受付が義務づけられ、スタート会場に近いホテルはツアー会社に押さえられてボッタクリ高額。自分で宿をとろうにもずいぶん離れた街にしかない。前日受付会場やゴールした後には、だだっ広いマラソンエキスポ会場をぐるぐると強制収容所の捕虜のように歩かされる。うんざりなのである。お買い物はふだんちゃんとするからさ、大会前日ぐらい休ませて。
辛抱強く何かを耐えるという精神がなくなってるから、参加者が2000人を越すような大きめの大会はおおむね回避だな。駐車場入口にゼッケン受付に荷物預けにと何かするたびに行列。着替えスペースの場所取りに敗北し、トイレ行列は長蛇すぎてあきらめる。スタートブロックには1時間前に入れってぇ? レース以外でへとへとだよ。ま、マラソン大会に限ったことじゃないんだけどね。アトラクション入場2時間待ちのテーマパークなんて絶対に行けませんな。
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人間って歳をとればとるほど立派になってゆくもんだって思ってたけど、自分が四十を超えてわかったのは実際は逆なんだってこと。
この歳になっても信念らしきものが芽生える兆しはなく、他人の心情をおもんばかる器には穴が開いてザーザー水が漏れてる感じ。若い頃は多少なりともあったはずの、世界の不幸を呪う純真さはとうの昔に消失してる。
自分が十代とか二十代の頃は、どうして大人たちはこんな身の回り半径50メートルくらいの狭い視野を持てないんだろうかと軽蔑したもんだ。ところが、自分が大人になってみて、視野50メートルどころじゃないな5メートルもねえんじゃないかとガッカリしてる。
年を追うごとに、世の中に起こるほとんどの出来事から興味を失いつつある自分に気づいて、あ然としてしまうのよ。巷でどんなモノが流行してようが、スマホのアプリが何万ダウンロードされようが、誰が人を殺し、誰が殺されてようが。
いちばん無くしてしまったのは、「怒り」という感情だな。何に対しても怒らなくなってしまった。世の中は理不尽だらけで、不平等や差別に満ちあふれていて、そういうひとつひとつにムカムカしていたのに、今は平然としていられる。人間が丸くなったってのとはちがいますよ。平和主義者にもなってない。ただ冷酷なだけだ。
テレビには飢えて痩せ細った難民キャンプの子どもたちが映されてる。伝染病に倒れて路上に放置されてハエにたかられてる人、爆弾の破片を浴びて包帯でぐるぐる巻きにされた戦下の人。他人の不幸を傍観しながら、晩ごはんをもりもり頬張って、ビールをぐびぐび飲んでいる。体制と戦わず、権力に抗さず、弱者に寄り添わず。こんな大人に誰がしたんですかって自分だな。
国境を飛び越えて社会起業に取り組んでいる若者たちを心から尊敬する。ビデオカメラ1台で戦場に向かうフリージャーナリストに嫉妬する。「どうしてああはなれなかったのか」としばし我が人生をふり返ってみようと試みるが、どこにも分岐点はない。「臆病だから、何もしなかった」というつまらない話に落ち着く。
「あっち側」では命がけでなにかをやっている人がいて、「こっち側」では死のリスクのない場所で漫然と生きる選択をした自分がいる。あっちとこっちの間にある、飛び越えられない深い断崖。十代の頃なら、用水路をジャンプするくらいの勇気で越えられたような気がする。今は対岸も底も見えないくらい遠いな。
社会性の欠如はまだ軽傷の部類。自分が着る服とか、他人にどう見られているかといったところにも興味をなくしている。夏も冬も同じ服着てるし、10年以上前に買った服ばかりだし。購買意欲のないゆとり世代の若者を見て、経済活動を担う大人たちは困り果ててるけど、わたくしゆとり世代にも及んでないです。
世捨て人への道一直線。まずいよねえ、これじゃあ。