バカロードその90 ジャーニーランへのいざない

公開日 2015年12月10日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

自分が使う荷物をすべて背負い、地図を頼りに超長距離を走る行為をジャーニーランと呼んでいる。たった1人で野山に走りにでかけるのも、大人数で同じゴールを目指すのも、ジャーニーランと言える。いつ誰が言いだしたかはわからないが、1980年代に発行されたジェイムズ・E・シャピロの著書「ウルトラマラソン」(森林書房刊)にはこの言葉が登場しているので、少なくとも日本人が使いだす以前から、欧米では存在していたようだ。

 ジャーニーランを集団でおこなう際は、2つの異なるレース形式がある。「ステージ形式」と「ワンステージ形式」だ。毎日特定の場所からゴール会場を目指し(たいていは宿泊施設が指定される)、宿泊を重ねながら前進していくのがステージ形式。かたや200kmを超えるような超長距離を、宿泊所を設けず徹夜で走り続けるのがワンステージ形式である。
 こういった宿泊の有無とは別に、主催する人や参加するランナーの意識の違いによって、のんびり楽しい「走り旅」と、走りを極める「レース」に2分類できる。名所や旧跡をめぐり郷土料理に舌鼓を打ちながら旅を楽しむ「走り旅」は和気あいあいとした雰囲気、それとは逆にタイムや順位を競うスポーツライクな「レース」もある。
 ヨーロッパでは「ステージ形式のレース」がとても盛んだ。フランス人やドイツ人がこの競技形式を好み、両国内では1000kmクラスのステージレースが頻繁に開催されている。サハラ砂漠やヒマラヤ、南極などで行われているアドベンチャー系の大会も、あるいはヨーロッパやアメリカで時おり開催される大陸横断レースも、宿泊しながら総合タイムを競うというステージ形式を採っている。これらエクストリームな大会の主催者にフランス人やドイツ人が多いのも頷ける。競技の幅を広げてみれば、自転車レースの最高峰ツール・ド・フランスは、世界最大規模のステージレースと言える。フランス人のステージレース好きは100年の時を数えて存在し、壮大なスポーツビジネスの市場を創りだしている。
 ぼくはこの毎日宿泊しながら進んでいくステージ形式のジャーニーランが大好きである。
 ワンステージ形式の場合、走力に差のあるランナーとは、スタートラインを超えた先では、ほとんど遭遇する機会はない。たとえば5日間レースなら、先頭と最後尾の選手では、ゴールの時間差が50時間にも及ぶ。距離にすれば200kmだ。鈍足ランナーがゴールする頃には、上位選手はとうの昔にお家に帰宅し、翌朝会社に出勤しているかもしれない。
 一方のステージ形式ならば、どんなに足の速い一流選手も、あるいは60代や70代のベテランランナーで、もはやタイムなど関係なく走り旅を楽しんでいる方ともゴール会場で会える。ともに風呂に浸かり、ビールで乾杯し、町の名物料理を食べ、大部屋で枕を並べて寝る。総合優勝を狙っている人も、足裏に大きなマメを作り歩くのがやっとな人も、翌朝には同じスタートラインに立つ。それぞれが持つ運動能力や年齢、性別といった条件差が、毎日リセットされる。
 ランナーやサポートスタッフ、応援に訪れた人たちが、一大キャラバンを成して、町から町へと移動していく。旅芸人の一座のように、西部開拓時代の幌馬車のように。そんな旅情あふれる流浪感がよいのである。
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 現在、国内ではこのステージ形式のジャーニーラン大会は、数えるほどしか行われていない。
 かつては日本でも盛んにジャーニーランの大会が行われていた時代がある。1990年代から2000年代初頭だ。田中義巳さんという自らも超ウルトラランナーでありウルトラトライアスリート(※)でもある氏が、次々と新コースを開拓しては、日本中のジャーニーランナーたちを集め、また育てながら歴史を切り開いていった。
(※ウルトラトライアスロンとは、トライアスロンのロングディスタンスの3倍、4倍の距離で行われる競技。たとえば1992年にハンガリーで開催された4倍トライアスロンは、スイム15.2km、バイク720km、ラン168.8kmの合計904kmで、ゴールまで4日間を要している)
 1991年には、今や伝説的な大会である「東海道五十三次遠足ジャーニーラン」がスタートした。30余名のランナーが東京・日本橋から京都・三条大橋までの504kmを、6ステージ制で走った。初代のトップランナーは海宝道義さん。アメリカ大陸横断レースを2度完走したスーパースターだ。完走者は12人だった。
 主に旧街道をコースに組み込んだジャーニーランの大会は広がりを見せ、1994年には「フォッサ・マグナ+塩の道ジャーニーラン」、1999年に「中山道六十九次遠足ジャーニーラン」が行われた。
 まだトレイルランという言葉がない時代、当時は「登山マラソン」などと呼ばれていた1993年に、「日本アルプス大縦走チャレンジ」と銘打った壮大な山岳レースも行われている。太平洋側である静岡駅を発ち、南アルプス、中央アルプス、北アルプスの主要尾根80ピークを越えて、日本海側へと達するコース。6名が参加し、完走したのは呼びかけ人である田中義巳さんただ1人であった。
 現在に伝わる「ジャーニーランルール」は、当時の田中さんが考えたコンセプト上にある。骨格となる考え方は、
①ジャーニーランには「参加者」はいない。走る人1人ひとりが「主催者」となって、自分を走らせる。
②走行中、必要とする荷物はすべて自分で持って走らなければならない。
③自分以外の人の助力は、一切受けてはならない。
 である。つまり企画者はイコール主催者ではなく、「こんなことしませんか?」と声をかける人=呼びかけ人である。こう説明をすると「呼びかけ人」は、気楽な存在のように聞こえてしまうなら事実に反してしまう。
 何百kmというコースの下見にはじまり、コース設定、安全確保、大人数となる宿の手配、予想外のトラブルへの対処などなど、大会をうまく成功に導くには生半可ではない努力の積み重ねがある(と想像する)。
 では企画者が主催者ではなく、ランナーが主催者とはどういうことか。重要なポイントは、依存性の排除である。道案内も道しるべもない途方もない距離の道を、ある時は草をかきわけ、また増水した川を渡り、農道や林道のガレ道をゆくコースは、他人に頼っていては絶対にトレースできない。大嵐になって道路が濁流と化す場面もあれば、何十kmものあいだ水場ひとつない無人地帯をゆく場面もある。不測の事態に陥ることは珍しくない。しかしジャーニーランを自らの意思で行うからには、その全ての局面に自分の力と判断だけで立ち向かわなくてはならない。誰も助けには来ないし、他人は何も判断しない。1人で考え1人で行動する。そんな気持ちを持っている人の集まりでなければ、ジャーニーランの大会は破綻してしまうだろう。
 田中義巳さんの思想を受け継ぎ、現在も定期的にジャニーランの大会を企画しているのが御園生維夫(みそのうゆきお)さんだ。
 御園生さんは、1994年に開催された北米横断レース「Trans America Footrace」に大会のサポート役として参加された。そして1996年にランナーとして「東海道五十三次遠足ジャーニーラン」に出場し、そこで得た経験や感動を多くの人に伝えたいと、ジャーニーランの大会を作りはじめた。
 1997年、自らの出身大学がある北海道を舞台に、第1回「トランス・エゾ・ジャーニーラン」を呼びかけた。太平洋に突き出した襟裳岬を起点に、北海道の背骨ともいえる山岳地帯を越えて、オホーツク海を望む日本最北端・宗谷岬の先端をゴールとする、7日間、555kmのステージレースだ。
 22人のランナーが駆けた第1回トランス・エゾは、「誰と競うことなく、自分の思いを宗谷に届ける」というコンセプトや、雄大な北の大地を走り続けるというロマンが評判を呼んだ。翌々年には、NHKドラマ「天使のマラソンシューズ」の題材となり、名優・山崎努、石田あゆみがランナー役、筒井道隆が取材記者、山本未来が大会スタッフという豪華俳優陣によって演じられた。また、ドキュメンタリー番組「ドキュメントにっぽん」も同行取材を行い、こちらは実際のランナーの物語が綴られた。
 2000年大会には、参加人数の増加に応じて宗谷岬→襟裳岬→宗谷岬の往復1105kmとスケールアップした。
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 トランス・エゾ・ジャーニーランは来年2016年夏に第二十回大会を迎える。
 この素晴らしい世界を、もっと多くのランナーに知り、実際に体験してほしいと思う。
 ジャーニーランの世界を作ってきたランナーの多くは、60代中盤から後半の年齢にさしかかっている。70代の方も少なくない。いずれの方も人生経験が豊富で博学博識、本気で走れば適いっこない頑強さを持ち合わせている。ランナーとしても人間としても心から尊敬できる人たちだ。まあ、ただの酔っぱらいも少なくないけど。
 幸せなことにぼくは40代のうちに、この神がかったレジェンドの方々と知り合えた。今30代や20代の若いランナーと、彼ら「生きる伝説」を巡り合わせたい。そしてジャーニーランという文化を後生に伝えていきたい。
  2015年現在、トランス・エゾ・ジャーニーランは、3部門で開催されている。①宗谷岬から襟裳岬までの545km・7日間の「toえりも」。②折り返して北上する555km・7日間の「toそうや」。③全コースを踏破する1100km・14日間の「アルティメイト」だ。
 日程は、毎年お盆の最終日あたりの土曜日に宗谷岬にゴールするように組まれる。
 宿泊する場所は、14日間コースでスタート・ゴールの前後宿泊を含めた15泊の場合、民宿・旅館6カ所、温泉施設6カ所、ペンション1カ所、ホテル1カ所、大学の柔道場1カ所である。そのうち夜食がついているのが7カ所。食事つきでない場合は、宿のレストランを利用したり、ゴール手前にあるコンビニで食料を調達してからゴールに入る。
 11日目の夜、旭川大学の柔道場をお借りして宿泊する日があるが、この夜だけは寝具がないため、選手たちはあらかじめ大学宛に寝袋や独自の寝具を発送しておく。
 1日の平均距離は78.5km。日によって距離は異なり、最も短いのは7日目の53.5km、最長日は12日目の98.3km。コース距離に対して平均時速5.5kmで計算し、ゴールの制限時間が設定される。また距離の長さによって、朝のスタート時間が調整される。最長ステージの日は朝3時スタート、夜22時ゴールという19時間の長丁場だ。
 最終ランナーがゴールに入ると10~15分後に全選手とも参加義務のあるミーティングが行われる。その場で、翌日の行程が記された国土地理院発行の2万5千分の1地図が配布される。呼びかけ人からコース説明が行われるが、ベテランランナーの方から重要な情報が捕捉されることがある。ジャーニーランにおける「重要な情報」とは、「この公園の水道は壊れている」「一昨年あった自販機が、去年は撤去されていた」などである。些細なことに思えるが、水場がないままに20km走ってカラカラに乾いて辿り着いた先で、アテにしていた自販機がなければ、脱水症で倒れてしまいかねない。
 ゴール後は、ミーティング以外にもランナーがすべきことは多い。
 ・入浴(入浴は疲労を除去する重要ポイント。水風呂に長時間浸かったり冷水シャワーでアイシングを念入りに行う)
 ・洗濯(すべての着衣を洗う。背中で蒸れて悪臭を放つ元となるリュックも洗った方がよい)
 ・食事(宿泊所が温泉施設の場合、夜8時頃にはレストランが閉まるため、それ以降に着く選手はゴール手前のコンビニで食料調達の必要がある。ゴール手前といってもその距離10kmの日もあり、弁当片手に10km走るのは大変!)
 ・走行記録の整理(毎日10~20カ所ほどあるチェックポイントの通過時刻やゴール時刻、また積算した総合タイムを自分で計算し、シートに記帳する。そして呼びかけ人に提出する。チェック漏れは完走と認められない)
 ・脚や身体のケア(マメの水抜きと処置、睡眠を取りながらの下肢のアイシング、関節や筋肉のテーピングなど)
 ・朝食の準備(おおむねインスタントラーメンやおにぎりで済ませるが、起きてすぐ食べられるように)
 アレコレの用事を効率よく済ませ、できるだけ睡眠時間を長く確保する。大半のランナーの起床時間は、夜も明けぬ朝3時すぎ。上電灯は点くし、準備のための物音もする。大部屋、相部屋であるため自分だけ長く眠ってはいられない。ベテランのジャーニーランナーらが凄いのは、制限時間3分前とか1分前にボロボロになってゴール会場に現れるにも関わらず、睡眠3時間程度のうちに身体を回復させ、翌朝から元気に走りはじめる所だ。
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 ・・・とここまで書いてるうちに、自分はジャーニーランの説明をしているつもりが、本質からずいぶん遠ざかっている気がしてきた。
 細かな説明なんて必要ないのである。怪我への対処、疲労回復のハウツー、装備の軽量化と選択・・・これらはノウハウとして他人に教えられるものではない。自分で走ってみて、自分に最適な方法を見つけていくものだ。自分にとってのベストは、他人にとってのワーストになることもある。ジャーニーランにマニュアルは不要なのだ。
 ジャーニーランの魅力は、自分で発見するものだ。500km、1000km、それ以上の距離を自分の足で移動していくという途方もない行為にあえて挑戦する人は、理由だって動機だってみんなバラバラで、そこに何を見て、何を感じ取るかも全く違うものとなる。
 それぞれの歩みの先に、それぞれの道が伸び、それぞれのジャーニーがある。老いも若きも中高年も、この素晴らしき世界にウエルカム!
  
 
 
トランス・エゾ・ジャーニーラン日程          
               
ステージ 距離 行程 スタート 制限 宿泊 夕食 朝食
1 75.3 宗谷岬~幌延 5:00 18:00 旅館
2 82.8 幌延~羽幌 4:30 19:30 温泉    
3 85.3 羽幌~北竜 4:00 20:00 温泉    
4 87.7 北竜~栗山 4:00 20:00 温泉  
5 72.1 栗山~富川 5:00 18:00 ホテル  
6 84.5 富川 ~浦河 4:00 19:30 民宿  
7 53.5 浦河~えりも岬  5:30 15:30 民宿  
8 82.1 えりも岬~忠類 5:00 20:00 温泉    
9 87.5 忠類~新得 4:00 20:00 温泉
10 79.8 新得~富良野 5:00 19:00 旅館    
11 66.9 富良野~旭川 5:00 17:30 大学    
12 98.3 旭川~美深 3:00 22:00 温泉    
13 80.8 美深~浜頓別 4:30 19:30 民宿    
14 60.7 浜頓別~宗谷岬 4:30 16:00 民宿  
 
 
 
□申込み期間 毎年1月~2月頃
 
□開催時期 お盆期間を含む前後14日間
 
□参加分担金
7日間ステージ「toえりも」「toそうや」ともに5万5000円前後
14日間ステージ「アルティメイト・ジャーニー」9万5000円前後
上記に加えて宿泊料金が必要。
 
□空路アクセスは、往路スタート地点の宗谷岬までは、稚内空港で降りて約20kmを路線バスかレンタカーで。復路スタート地点の襟裳岬までは、新千歳空港か帯広空港を使う。新千歳から180km、帯広から110kmと遠く、高速バスや路線バス、JR鉄道などを乗り継いで向かう。

□参加資格などの詳細は、ホームページ「のうみそジャニーラン」に掲載されている。