公開日 2016年03月01日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
いまだ一度たりとも克服したという実感を得られない徹夜走。その睡魔との戦いについて、考察を深めてみたい。 200km以上あるいは24時間以上のレースでは、日没から翌日の出まで夜間を走り続ける行為を避けては通れない。200kmオーバーへの挑戦とは、イコール徹夜走に向き合うことに他ならない。
20年前なら山岳レースなら日本山岳耐久レース、ロードなら萩往還やさくら道など、国内全体でも年間に数百人しか経験することのなかった徹夜走は、現在では100マイル(160km)超のトレランが目標レースとなり、2日間以上を使うロードレースも増えたことで、日本国内だけで数千人規模の「徹夜走」競技人口がいると推察できる。
100kmまでのウルトラマラソンと200km以上のレースは、根本的に競技の種類が違う。それはフルマラソンと100kmマラソンの関係性をはるかに越えて、違っている。
足が速い、持久力が優れている、などそれなりに運動能力が反映される100kmに比べて、徹夜という要素が入り込む200kmオーバーでは、肉体も精神も何度となくハチャメチャに壊されたうえで競技を続ける特殊な局面が重点を占める。
持って生まれた運動センスや、トレーニングによって向上させた心肺能力や脚力を、ランナー全員が一度リセットされ、ゼロのラインから「せーの、ドン」を余儀なくされる。そこからは、苦痛に耐えきる精神力だとか、眠気を吹き飛ばす珍作戦とか、前進しつづける根性だとか、とっても昭和のスポ根漫画な香り漂う、ぼくたち世代が愛してやまない非科学的な世界に突入するのである。
徹夜走では、自分の持つ弱さが丸裸となり、さらけ出されてしまう。昼間の真人間な時分なら我慢できる痛みや辛さに、まるっきり耐えられなくなる。
家族の入院つき添いや介護をしたことがある人ならわかると思うが、ふだんは理性的な人でも、闘病生活が続くと幼児並みのタダをこね、わがままを炸裂させはじめる。健康な頃、職場や家族という人間集団のなかで、立場にふさわしい人格を演じたり見栄を張っていた虚像部分のタガが外れてしまうのだ。肉体や心に直接的に起こる危機シグナル・・・痛くて、苦しくて、吐き気がして。不愉快な刺激を受け続けると、人は社会的な仮面などかぶってられる余裕をなくす。不眠で走っていると、そんな入院患者の心理に似た状態に置かれる。
「眠いよう」「もうやだよう」「帰りたいよう」と平気で口走る。他人がネガティブ発言を聞いてどれほど嫌な気分になるかなんて、想像する余裕をなくす。何よりも自分を甘やかすことを優先し、田んぼのあぜ道やら、他人の家の軒先で平気で横になる。見栄も外聞も捨てると、人間は(ぼくは)こんなにもだらしなくなるのだと知る。
ふがいない徹夜レースを、何度となく繰り返してきた。
四十路も盛りになって、これ以上人間性が向上することなどないだろう。我慢強さも清廉さも、十代の頃がいちばん立派であった。では、中年男が既に失ってしまった精神力や根性に頼ることなく、徹夜走を乗り越えられる方法はないだろうか。人は夜になれば眠るものである。この自然の摂理をねじ曲げて、翌朝まで走り続けられる方法などあるのだろうか。
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徹夜走に慣れるために、夜中から朝までの距離走を何度もやってみたが、あまり意味がないことがわかった。スタート時刻を夜に設定すると、朝までぜんぜん眠くならず元気なまま終わってしまう。
夜間スタートの多いトレランに比べ、ロードレースのほとんどの大会は、早朝5時~7時あたりにスタートし、日中に100km以上を走ったうえで、日没に突入する。とうぜん身体は疲れ切っていて、脳は休息を厳命してくる。昼間に体力を使いすぎていると、睡魔はより威力を増す。
眠気には周期があり、2時間おきくらいに強烈なのがやってくる。が、その状態は30分程度で去っていくことがある。
眠ってはいないものの、浅い居眠り状態のレム睡眠と、身体を強制的に休息状態に置こうとするノンレム睡眠的な脳波が交互に繰り返されるのだろうか。
いっそ睡魔に抗わずに寝てしまえとも思う。レースを半ば捨ててしまったときはグースカ野宿をはじめてしまうのだが、これでは「徹夜走の克服」とは言えない。
250kmを30時間台でゴール制限されているシリアスレースでは、ランナーに睡眠時間を与えてくれるほど関門時間が優しく設定されていない。眠ってしまえばレースはそこで終わりを告げるのだ。
5分、10分程度の仮眠で収まればいい。しかし爆睡モードに入ると簡単には目が覚めない。わずかな休憩のつもりが、いったん目を閉じ、深い眠りに落ちこむと、瞬きほどの時間を経た感覚なのに、時計のデジタル数字が1時間、2時間と進んでいる。もはや関門時間には間に合わない。「嘘だろ、嘘と言ってくれ」とうろたえる。
よほどのスピードランナーが昼間にぶっ飛ばして時間の貯金をしてない限り、1時間も眠りこけてしまえば、次の関門には間に合わないようにできている。ぼくたちスローランナーは不眠不休で走り続けるしか選択肢はないのだ。
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では今までぼくがどのような徹夜対策を立てては実行し、失敗し続けてきたのかを列挙してみよう。そして、お薦め度を☆マークで記してみました。
①レース前夜に極限まで眠り、寝だめする(☆)
いかにも素人が思いつきそうなことである。レース前日、遠征先のホテルにチェックイン時刻の午後3時と同時に入り、晩メシ(コンビニや弁当店で既に調達済み)、入浴、明日の走る準備を1時間で終え、午後4時には遮光カーテンをぴっちり閉め、布団にもぐり込む。翌朝の起床時間が午前5時だとすれば、13時間は睡眠を確保できる。翌日からの徹夜レース分の睡眠時間まで、まとめて前倒しで取ってしまうという、寝だめ期待論だ。
これが上手くいかなのは、人間はだいたい7時間も眠れば、勝手に目が覚めてしまうってこと。首尾よく夕方から眠れても、夜中の12時頃に目覚めてしまい、あとはどんなに頑張って寝ようとしても目が冴えたままで、明け方まで一睡もできなくなる。「もっと寝なくちゃ」と焦れば焦るほど事態は悪化し、夜明けを迎える頃にはヘトヘトになっている。
また、仮に13時間眠れたとしても、寝だめの効果はほとんどないと実証済みである。翌日の夜には「こんばんわ」と睡魔がやってくる。
②走りながら眠る(☆☆)
「走りながら眠る」といっても、熟睡してしまえば倒れるしかない。半覚醒・半睡眠の状態で歩みを止めないってことだ。夜間、このような状態に陥っているランナーは少なくない。左右に蛇行を繰り返し、後ろから見ていると危なっかしくて仕方がないのだが、半覚醒の状態は、酔っぱらいの千鳥足に似ていて、側溝などに落ちそうでいて落ちない。
むろんスピードは出ないから1時間に4kmも進めばいい方だが、そんなのろのろペースだとしても、日没から明け方にかけての10時間に40kmは前進しているわけで、うたた寝しながらもゴールがそれだけ近づいたという事実は、夜明けのランナーの心を慰める。
しかし極度の睡魔に襲われたときは時速2kmまで落ち込む。こうなると歩いている方がよっぽど速い。「いっそ30分ちゃんと仮眠して、その後に時速4kmで30分歩いた方がマシではないか」とか、「1時間寝て、次の1時間で4km走れば同じじゃないか」とか、頭の中で暗算を繰り返す。しかし、現実は1時間仮眠しても、次の1時間は時速2kmしか出ないから、寝るだけムダである。そもそも仮眠を取ったからといって、眠気が飛ぶかというと、そうでもない。寝る前よりもっと眠気が増して、体がぜんぜん動かなくなることもある。
ということで、時間をかけて努力するほどには距離を稼げず、また事故のリスクも高いダメダメ作戦である。
③ドリンク、ガムに頼る(☆☆☆)
徹夜ランナーの間で評判のいいドリンク「打破」シリーズは、「眠眠打破」「強強打破」「激強打破」の順にカフェインなどの含有原材料の量が増し、お値段も上がっていく。1本500円もする「激強打破」の原材料を見ると、スッポン、赤マムシにとどまらず、サソリ、蟻、ウミヘビ、馬の心臓・・・とまで書いてあり、もはや牛乳瓶メガネをかけた変態博士が調合したトンデモ薬の様相を呈しているが、常磐薬品という立派な製薬会社で造られているので心配はないと思いたい。原料があまりに刺激的すぎて、水分枯渇した身体に摂取するのが怖く、深夜エイドに何度か置いたものの、いまだにビンのフタを開けていない。
ハウスウェルネスフーズの「メガシャキ」「ギガシャキ」はコンビニで調達しやすい。「リゲインエナジードリンク2000」はカフェインとアルギニンの含有量が最強クラスだから、「効くかもしれない」というプラシーボも期待できる?
いずれもそこそこ値段が張り、「ああ眠い」くらいには効くが、走りながら寝落ちするくらいのハイレベルな睡魔には役不足かもしれない。
もっと格安で原始的な方法としてはガムがある。クロレッツの黒色「シャープミント」を噛む。ひたすらガリガリ噛む! ガムに含まれるメントール系によるすっきり感もあるが、顎を動かしつづけて口角周辺の筋肉を動かし、血流量を増して脳に刺激を与えることで覚醒効果が生まれる、ような気がする。「しゃべり続けていると眠くならない」現象と仕組みはよく似ている。
④片目ずつ眠る(☆)
イルカなどの海洋性哺乳類は1日のうちの50%程度の時間を眠っているという。しかも泳ぎながら! 彼らはゆっくり熟睡しているわけではない。常に天敵から身を守る注意を怠らず、また肺呼吸のため時おり海面まで上昇して呼吸しなくてはならない。
そのために「半球睡眠」という技を編み出した。片目を開け、反対の目をつむる。これを交互に繰り返すことで、視神経と連動している側の脳を半分ずつ眠らせるのだ。
イルカにできて人間にできないわけがない。いやもとい、イルカがやってる離れ業を人間がマネできるはずがない。この「片眼睡眠」信仰は、徹夜ランナーにはけっこうな信憑性をもって浸透しているのだが、実際にやってみると、辺りに光源がない場合は、片目を閉じても閉じなくても視界に映る光景は真っ暗で変化なく、余計に眠くなってしまうのである。また片目だと、とうぜん遠近感もおかしくなるので、段差につまずいたりして、危なくてしょうがない。鈍足ランナーは海洋生物にはなれないねぇ。
⑤猛烈に走る(☆☆☆)
ある時、尊敬するレジェンドランナーの方に質問をした。「夜中にどうしても寝落ちしてしまうんですけど、克服する方法ってないんですか?」。すると、間を置かず答えてくれた。「簡単かんたん。眠くなればキロ4分30秒で走ればいいんだよ」。師曰く「夜中にキロ4分30秒も出せば、苦しくて苦しくて、眠いどころじゃなくなるから、眠気なんて消えてしまうよ」というわけだ。この話を聞いたときは半分冗談かと思っていたが、後にある250kmレースに参加した際に、深夜2時の峠道をワーッと叫びながら爆走するご当人を目撃してからは、信憑性が一気に増した。
以来、ときどき真似してやってみている。深夜にキロ4分台を出せるスピードはぼくにはないけれど、5分30秒くらいでゼエゼエ息を荒げていると、確かに眠気はふっ飛んでいく。初めてやってみた時は「これか!これだったのか!」と感動に打ち震えたものだが、問題がある。そんなスピードを長く維持できるはずがないのである。息が続かなくなって脚が重くなると、疲労がどっと押し寄せ、ダッシュする前より強烈な睡魔がやってくるのであった。
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というわけで現時点では、何ら解決策は見いだせていない。なんのハウツーにもならないコラムを詐欺的に読まされた徹夜ランナーの皆さん、ごめんなさい。
11月から12月にかけて200km以上レースに3本出場している。今回あげたような失敗に懲りず、いろんな試みをやってみるつもりだ。
・エスビー本生「生七味」をすする。チューブパックで携帯便利。
・よく効く湿布を顔中に貼る。
・鼻毛を抜きつづける。
・両まぶたを洗濯ばさみで軽くつまむ。
・輝度の高いヘッドランプを5個くらい装着し、視野全景を煌々と照らす。
根性と走力はないけど、創意工夫への意欲とやる気だけはあるのです。
さて人間の意思では抗しがたい睡眠への欲望だが、今の時季なら午前6時にもなり、東の山端や水平線に夜明けの曙がにじみだすと、少しずつ意識も明瞭になってくる。そして体に一条の日射しを浴びると、眠気はたちまち霧散していく。
たとえ一睡もしていなくても、朝が来れば人は目覚めるのだ。睡眠欲というのは、連続して起きている時間によって左右されるものではないと実感する。睡魔とは、脳の視床下部に組み込まれた24時間周期の体内リズムや、視界が闇に覆われるという無刺激的な環境がもたらすものなのだ。
一流の催眠術師は、夜明けとともに去っていくのである。皆さん、ジタバタせずに朝を待ちましょう。