公開日 2016年04月08日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
最近よー転ぶわー。人間ってこんなに転ぶものなのかな。
反射神経が鈍ってるっていうより、「これすれば、こうなるだろう」という状況予測する能力が乏しくなっている。
ジョギングの最中に、目の前に迫っている樹木の枝に気づかず、デコを痛打して火花が散り、尻もちKOダウン。
布団のなかに入れておいた湯たんぽの存在を忘れ、掛け布団を踏んづけたときに楕円形の湯たんぽにグニャリと足首を取られ、そのまま転んで窓サッシで頭を打つ。
どの転倒の影響かわからないけど、膝裏の十字靱帯を損傷し、右脚のヒザが曲がらなくなった。和式トイレでしゃがめない、畳の間で座布団に座るのがつらい。寝た状態から立ち上がるには、腕で何かを掴んだり支えが必要。バリアフリーって必要ね。パラマウントベッドのテレビコマーシャルを、真剣に見るようになってきた。
片足曲がらず、日常生活は支障だらけなのに、不思議とジョギングだけはできる。速くは走れないけど、キロ7分より遅ければ痛くない。だから練習は欠かさず行っていたが、知らないうちに患部のヒザをかばっていたようだ。ピキピキと電流が走るような鋭利な痛みが、ふくらはぎと太腿に起こりだした。少しスピードを上げると、「バキッ」と音がしそうなくらいの痛みが爆ぜて、あとは歩くしかなくなる。
自宅から10kmも離れた場所でふくらはぎに衝撃が起こり、帰り道の10kmを3時間かけて歩いた日は悲しかった。汗が冷えて指先は氷みたいになって、加齢への絶望感ってヤツに苛まれて心も痛む。歳とると筋肉は衰える一方だし、首筋からは加齢臭を漂わせてる気がするし、歯ぐきが下がってると歯科衛生士さんに歯みがき指導されるし。もはや老衰ロードへ一直線って感じかな。
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「神宮外苑24時間チャレンジ」は、例年は秋に行われていたが、旧国立競技場の取り壊し工事の影響もあり、真冬の開催となった。
足が曲がらなくても、歯根がグラついても、エントリーした大会には参加する。どのみち上位を狙ったり、記録を目指すレベルのランナーではないし、ビリケツでゴールしては独りよがりなエクスタシーを感じているわけだから、足の怪我なんて悲劇の中年ヒーローを目指す(意中の物語ですよ。他人に表現したいものではないですよ)には最適な条件である。
大会前日、東京は麻布にあるホテルに宿泊する。24時間走の会場である「神宮外苑」まで電車で7分という好立地にあり、都心随一のお洒落タウンにもかかわらず、1泊3000円台で大浴場つきという掘り出し物件である。ところが案内されたお部屋、壁や絨毯がシミだらけ、室内にはすえたカビ臭が漂っている。クローゼットのドアは外れ、蝶つがいの釘がむき出しだ。薄暗い窓辺には、防水シートに覆われた謎の巨大な荷物がドッカンと置かれている。一等地で大浴場つきにして1泊3000円台がリスキーな存在であると、なぜ気づかなかったか馬鹿バカ! 調子に乗って15時早々にチェックインしたので、明朝まで16時間はこの部屋にいなくてはならない。
壁に浮き上がった黒いシミが心霊に見えてきたので、居たたまれなくなって外出する。
麻布十番の商店街には、育ちの良さが全身から目映く放たれた大使館員っぽい外国人ファミリー闊歩している。上質の洋服をまとい、高そうなブランド紙袋を手にしたセレブリティな奥様方が、歩道いっぱいに横並びで歩く。さすが金持ち、いっさい道を譲ろうとはしない。いや、市民マラソンの大会で横一列に手をつないでゴールするオバチャンランナーたちと一緒かな。まずは自分ありき・・・ご婦人方の正しい生きざまである。
一軒のパン屋さんに行列ができている。ふだんの悩みのレベルが高そうな女性たちが群がっている。好奇心には勝てず、列に並ぶ。ここんところ練習でまともに走れずデブりがちなので、炭水化物抜きダイエットをしていたが、レース前日くらい高級パンを食べて、肝細胞にグリコーゲンを満たすのも悪くなかろう。1個400円近くするパンには少女趣味な長ったらしい名前がつけられていた。
老婆の団体客がロビーにたむろするホテルの部屋に戻り、期待に胸膨らませて食べた高級パンは、特に特徴のない、とりたてて評価の言葉も浮かばないお味であった。どこぞの県道沿いにある産直市で、近所のおばちゃんが焼いた80円のホタパン(蒸しパンのことですよ、若い読者どの)の方が、よっぽどウマいぞな。ふだんの悩みのレベル高い女どもの舌は、どうなっちゃってんでしょ。
満たされない食事を終え、ホテル地下のボイラー室の横にある酸っぱい臭いのする大浴場で汗を流し、じっとり湿ったシーツにつつまれて、悪夢をたくさん見てはうなされ、朝になっても朝だとは認識できない日射しの当たらない部屋で目覚めたら、いざレース会場へと出陣である。
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24時間のうちにいちばん長距離を走った人が日本チャンピオンとなるこの大会。今年は150人ほどの選手が挑戦する。
1周1.3kmの周回路を、おおむねキロ5分から6分ペースで刻んでいくのである。世界大会へと進むトップクラスの選手は、250km以上を狙っている。上位20名ほどの強豪選手は200km以上を、またスパルタスロンの参加資格である180kmや、何となくお洒落な響きのある「100マイル」にあたる160kmを最低クリア目標にする選手もいる。
いずれにせよ、選手間で順番を競い合っているのはトップクラスの5人くらいで、大多数の選手は、自分の能力と、残り時間、積算距離の駆け引きを、脳内で孤独に行いつづける競技である。
午前11時、レースが始まる。右ヒザが曲がらないためキックが使えず、キロ6分ペースでも息があがる。たちまち最後尾ちかくが定位置となり、エリートランナーたちに何度も周回遅れにされる。
寒さも手伝って、開始30分もしないうちからお小水がしたくてたまらない。仕方なくコースから30mほど離れた公衆トイレへ離脱。排尿を終えてすっきりレースに集中できるかと思いきや、その後も四六時中、尿意がおさまらない。3~4周(5km)に1回のペースで用を足す。離脱するたびに2分はタイムロスしている。トイレまでの往復60mも一応いそいそと走ってるから休憩にもならない。
そういや、この冬の夜長は2時間おきに尿意で目覚める頻尿体質が加速化している。加齢への現実を思い知らされる材料が、膀胱にも現れているもようです。
50kmを5時間03分、100kmを11時間13分で通過する。
夜も10時を過ぎると、真冬の東京に時ならぬ寒波が押し寄せる。気温は摂氏2度まで下がっている。吐く息が白くたなびき、冷蔵庫、いや冷凍庫に閉じ込められたよう。ランニングシャツの上からウインドブレーカーを2枚重ねて着てもまだ寒く、最終手段だいっ!と普段着用のダウンジャケットまで羽織る。臭くなったらヤダなーと一瞬ためらったが、寒さには勝てません。
夜も深まり丑三つ時。眠くて眠くてたまらなくなり、かといって仮眠するのを自らに許すほどの甘さはなく、アテもないのに選手テント(走路から20mくらい外れた所に設営されています)にフラフラと吸い寄せられる。
地面にブルーシートだけを敷いた氷みたいに冷たい床に、精気なく体育座りをしてうつらうつらしていたら、知り合いの選手の方が、こちらの様子を見かねたか「このお薬、試してみる?」と、眠気覚ましの巨大な錠剤を手渡してくれた。
眠気対策をまったくしていなかったのでラッキー。「助かります!」と、もらった薬をお茶とともに飲み込んだ瞬間、モーレツなサロメチールの空気の塊が、胃の奥から食道、気管へと噴き出してきた。「ゲホゲホゲホッ、これ、むちゃくちゃ強力ですね!オエッ、ゲホーッ」とむせ返りながら感謝を述べると、お薬をくれた方が「え、飲んじゃったの? 今のトローチみたいに舐める薬なんだけど・・・」。
どうりで錠剤がデカいと思った。呼気もゲップもクールミント臭がすごい。眠気は吹っ飛び、ハイテンションで走路に舞い戻った。
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30年前、現役時代の瀬古利彦が、黄色いジャンパーを着た中村清監督の見守るなか、毎日何十キロと走り込んだ神宮外苑の周回路。その同じ路を、ぼくは走っている。背丈のある樹林の連なり、神宮球場の外壁のコンクリート塊・・・都市景観の谷間深くにこの道はひっそりと在る。ところが今年は少し様子が違っている。1カ所だけバーンと景色が開けていて、新宿方面に林立する高層ビル群の美しい夜景が眺められるのだ。去年までは旧国立競技場がデンと存在していた場所が、解体によって更地になり、だだっ広い空間が突如現れたのだ。深夜、喧噪が収まった都会の夜に映し出される光り瞬く都会の夜景は、今年限りのご褒美だ。
周回路であるがゆえに、日本のトップクラスの選手の走りを「追い抜かれざまに」背後から眺められる。また、いろんな身体条件や走力レベルを備えたランナーの、「24時間走りきろう」という強烈な意思や魂に触れられる場でもある。
毎年のように参加している高齢の選手がいる。今年で77歳になるという。スタートから20時間を過ぎた頃には、身体をくの時に傾け、痛々しく走っておられる。話しかけても朦朧とされている時があり、体力のギリギリの所で走り続けていることがわかる。(おそらく仮眠を取らず)ずっとコース上で粘られているのだろう。歩くようなスピードながらも休憩時間なく前進し続けているために、24時間経過後の積算距離は「ええっ」とびっくりさせられるほどに達する。途中で潰れてしまった20代、30代のスピードランナーよりも、結果として上位にランキングされているのだ。1年をこの日のために節制し、目標に向かって全力で頑張る。何があってもあきらめない。そんな77歳に、僕はなれるだろうか。頻尿で、イボ痔もちで、よく蹴躓いて・・・なんて泣き言を並べている自分は恥ずべきだな。
一方で、レース序盤に先頭集団にいたトップ選手が、明け方ごろから脚を引きずりはじめた。日本代表経験も豊富な凄い方だから、最初に彼を後ろから抜いたときは嬉しかった。「おおっ、あの有名選手を追い越しちゃったぞ」と。しかし、2周、3周と追い越すたびに、彼は片脚を大きく引きずり、時速1kmくらいでしか前に進めなくなっていった。もはや優勝は夢と消え、上位に食い込み日本代表の座を手にする可能性もない。それなのに、彼は時速1kmで何時間も歩きつづけているのだ。全員のランナーに背後から何周も、何周も追い越されながら。
女子部門のトップクラスの選手が道ばたで嘔吐している。また、かつて実業団に所属したスピードランナーが寒さに凍えている。鍛え抜いた選手たちがベストな体調で挑んでもはね返される24時間走に、ぼく程度の人間が「参加することに意義あり」みたいなやわな精神で臨んでもロクな結果を残せるはずがない。記録は、174kmと平凡なもので終わった。
優勝したのは、今回も走路から離れず252kmを走り続けた長野県うるぎ村の「村おこしランナー」重見高好選手。レース直後に行われた表彰式では、うるぎ村村長さんの押す車椅子に座ったまま立ち上がれなかったが、周囲に笑顔をふりまかれていた。
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閉会式を終えると、中央線、山手線、羽田モノレールと3本電車を乗り継いで、羽田空港へ向かった。
中央線の車内は乗客が多く、椅子に座れずに立ったままでいると、急激に気が遠くなりはじめ、窓ガラスの向こうの景色に白い霞がかかりはじめた。「あと数秒で倒れるかもしれない」と思ったときに、電車が次の駅にすべりんだ。停車位置の真正面に、運良くホームの椅子が見えて、ドアが開いた瞬間そこに駆け寄って座ると同時に、視界が真っ暗になった。
(たぶん)何分かして気がつくと、背後の壁に頭をつけて居眠りするようなポーズになっていた。(ホームに倒れていたら大騒ぎになったなー、何ごともなくてよかったー)と安堵した。
水分を補給して落ち着きを取り戻し、再び電車に乗ったが、中央線(総武線?)、山手線ともに降りるべき駅を寝過ごした。遠くの駅まで行き、いったん降りて、ホームの階段を登ったり降りたりして乗り継ぎ駅まで帰ってきた。
羽田空港が終点である羽田モノレールなら、さすがに寝過ごすことはないだろうと安心して寝ていたら、ここでも降りるターミナル駅を間違えた。ターミナル間の無料バスに乗って、搭乗すべき場所にようやく着いた。神宮外苑から羽田まで1時間で着くところを、3時間もかかってしまった。
搭乗口で眠り込んでも起こしてもらえるよう、アナウンス係のおねえさんの前の椅子を陣取って座ったが、傷めたヒザやマメだらけの足の裏がジンジン熱くて脈を打ち、今度は眠れなくなった。やっと眠れるトコまでたどり着いたのにねぇ。