公開日 2016年06月09日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
何なんだ?
古い知り合いが、いっせいにサブスリーを目指しはじめた。
いったい何が起こったのさ。
ちょっとそこでゼーハー口呼吸してるお兄さん、あなた去年まで「楽しく走れたら、それでいいじゃない」と言ってたよ。
おい、ウルトラマラソンにしか興味のなかった五十路のお方。どしてガーミンの心拍計つきGPS買ったり、モモ上げなんかはじめたんだよ。
大会前になるとダイソーでコスプレ衣装あさってたオッサン! なんでミズノのショート丈パンツ履いてるんだー?
今までの自己記録が3時間03分とか10分切ってる人が目指すのはわかるよ。
あんたらの自己ベスト知ってるぞ。サブ3・5を達成して涙をぬぐいながらガッツポーズやってたでしょ。わかってると思うけど、キロ4分58秒とキロ4分15秒じゃ、観光牧場でポニーに乗馬してポコポコ散歩してるのと、競馬場でサラブレッド乗りこなしてるくらい違うんだよ。
ふつうサブスリーに到達する人ってさあ、学生時代に運動をちょこちょこやってた三十歳男子が、腹周りなど気になりだしてジョギングを再開。そのうち闘争本能に火が着いて三十代後半でサブスリーってのが定番でしょう。人間の能力には盛りってもんがあるはずです。
でもあなたたち既に四十、五十で人生の折り返しコーンをぐるっと回った後でしょう?
NHKの「ランスマ」で金哲彦さんが「五十歳でサブスリー」を成し遂げたからですか。彼に自分を投影したらだめでしょ、金さんは箱根五区で区間賞をとった早稲田のエース級です。
それとも俳優で自転車乗りの鶴見辰吾さんが「五十一歳でサブスリー」を目指して、横浜マラソンで入りの10km39分という勇猛な玉砕を遂げたからでしょうか(結果は3時間09分27秒)。これまた鶴見さんと自分を同列に扱ってはなりません。鶴見辰吾といえば、金八先生で杉田かおるを妊娠させた宮沢タモツ君であり、翔んだカップルで薬師丸ひろ子の彼氏だった人であります。そんな青年スターをテレビの前でぼーっと眺めてた坊主頭+趣味はカブト虫の幼虫掘り+オヤツはぼうぜ寿司のぼくたちとは、生きてきた世界が違うんだから。
しかし気にしはじめると、書籍も続々と出始めてるナー。
「3時間切り請負人」が教える!
マラソン目標タイム必達の極意
/福澤 潔著 SBクリエイティブ刊
マラソンはゆっくり走れば3時間を切れる!
49歳のおじさん、2度目のマラソンで2時間58分38秒
/田中猛雄著 SBクリエイティブ刊
マラソンは3つのステップで3時間を切れる!
運動経験のない50歳のおじさんがたった半年で2時間59分
/白方健一著 SBクリエイティブ刊
走れ!マンガ家 ひぃこらサブスリー
運動オンチで85kg 52歳フルマラソン挑戦記!
/みやすのんき著 実業之日本社刊
何この列島挙げての「年とってもサブスリーはめざせますよ」的なグイグイ押してくる感じ。
年寄りの冷や水だろ、勝手にしやがれとハスに構えながらも、なんとなく情けない気持ちになるのはなぜであろうか。
サブスリーなんて、元々心拍数が遅くて、体重が58kg以下で、関節の可動域が広く、乳酸のできにくい特殊体質な方々のお話だと思っていたのに、身近な人たちが「俺も、俺も」とダチョウ倶楽部のように皆が手をあげはじめると、自分だけが挑戦もしないうちに無理だと諦めている事が格好悪く感じられ、「ぼ、ぼくも」と恐る恐る挙手せざるをえなくなる。
フルマラソン8年間で42本、自己ベスト3時間24分04秒。だがコレ出したのは5年も前。以来5年間、19レースに出て3時間30分を切ったことは1度もなく、タイムは限りなく4時間に近づきつつある。いやサブフォーできないときだってある。要するにピークを過ぎて坂を下る一方の中高年。
それに、今さらサブスリーを目指す理由もこれといってない。歳とってからサブスリー目指す人って、他人に感化されて始めるもんじゃない気がする。それこそ、わが子にパパの挑戦する姿を見せたいだとか、病床にいる大切な人のためにとか、自らの大病を克服する証としてとか。そういう物語性のあるエピソード、自分にはない。
まあいいか、成りゆきでも。ウルトラマラソンに出たのだってテレビ番組の「ごきブラ」で、大平サブロー師匠がサロマ湖でリタイアした場面を見て、もらい泣きしたからだった。
そんな矢先にジャーニーラン仲間からメールが届く。
「別府大分に出ました。脚の怪我が思わしくなく、3時間05分で終わってしまいました」
えっ、あなたキロ10分ペースで買い食いしながら走る人じゃなかったっけ。怪我して3時間05分なんですか、齢65歳で・・・。
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というわけで、まず練習に入る前に、サブスリーを達成するには何をしないといけないのかを調査してみた。
まず、フルマラソンで3時間を切るためには、ハーフマラソンで1時間26分以内の走力が必要である。後半タレない持久力タイプの人でも、最低1時間28分以内でなければならない。
ハーフでこのタイムを出すには、10kmなら38分30秒以内、5000mなら18分以内でありたい。
・・・ということらしい。
これら数字の並びを見ただけで意識が遠のいていくわけだが、このたびは「無理を承知で目指す」という主旨ゆえに、続けたい。
とりあえず5000mで18分30秒を出すには、1000mのインターバルを3分35秒×5本(つなぎ200m)ができればよい、とサブスリー先輩に教えてもらった。
なるほど。ではやってみよう。そして、1000mを3分35秒で走ったところ、1本で心臓爆発して破裂死しそうになりました。こりゃ2本以上やったら生き倒れになってしまう。
でも、諦めませんからね。インターバル何本目かで白目をむこうが泡を噴こうが、今のところわたくしには失うものは何もありません。
練習方法を週単位でガラリと変えました。
タイムの良いエリートな方々が「週末はポイント練習」とか言い合っているのを、かつては何じゃそれ?と思って聞いていましたが、その憧れと嫉妬の入り混じった「ポイント練習」を自分もすることにしました。
今までの練習といえば、ほぼ毎日が10kmのタイムトライアル。ここで言うタイムトライアルとは、いわゆる極限まで追い込むTTではなくて、その日の精いっぱいの体力と気分で走るTTのことです。具体的には10kmを47分、46分、45分・・・と毎日縮めていき、44分くらいで走った翌日からは疲労困憊でジョクしかできなくなる。疲労が抜けるとまたタイムトライアル、の繰り返し。メリハリもクソもありません。
サブスリーを目指してからは、ポイント練習は週2回か1回。水曜日と土曜・日曜のどっちかの日です。
ポイント練習日にやることは3パターン。
10kmのタイムトライアル。
5000mのタイムトライアル。
1000m3分35秒~50秒設定で何本までいけるか。
今のところ10kmは41分28秒(ハハハ、笑止千万だね)。
5000mは20分20秒(うんこちゃんだよ)。
1000mは3分50秒で3本しかいけない(野犬に追い抜かれる)。
しかし速く走ってみないとわからないってことがありますね。キロ4分でも苦しくない走り方って、なんとなくある気がしてきました。
イメージ的には、股間の下で脚をバタバタ動かすのではなくて、背骨から脚が生えてるような気持ちで、ゆったりと大きく動かします。するとお腹が引っ込んで、腹筋と背筋を使って太腿を持ち上げる印象がしてきます。お腹の奥にだけ力をこめて、それ以外のパーツには力を込めないように、ダラッと脱力します。ストライドはあまり広げようと頑張らず、胴体の真下に着地して、前方にだけ推進力が向かうように、左右にブレないように気をつけます。着地したら、地面に足の裏を長々とつけないように、チャカチャカ回します。このへんは自転車のロードバイクのペダル回しに似ている気がします。足さばきは、あまり深く考えないように。後ろ足を跳ね上げて、小さくたたんで、前に振り下ろして・・・という風に神経質に考えだすと、うまく走れなくなります。
ははは、これだけ語っておきながら、速くは走れない自分が情けないす。
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2月上旬・愛媛マラソンに出場。
とにかく一歩一歩だ。まずは5年以上遠ざかっているサブ3・5を確実にマークするのだ。サブ3・5で「別府大分毎日マラソン」の出場権が得られる。初のサブスリーは2017年2月の別大マラソンで達成するのである、と決めたのである。結末を決めないと、追い込み練習の苦しさから逃げてしまうからだ。到達点はなるべく派手で、後戻りできない場所がいい。
20km、30kmといった長距離練習を排除し、最長10kmの全力走しかやってない自分に、42kmを最後まで4分58秒でキープできる能力が備わってるのかどうか、想像もできない。
サブスリーを目指していながら、3時間半すらクリアする自信のないぼくは、ぬぐい去りがたき曇天な気分に陥っていたが、レース1週間前に「ペースメーカーについていってみてはどうか!」とひらめいた瞬間から、雲の隙間に日射しがさしたみたいに、陽気で痛快ウキウキ気分になってきた。深津絵里とつきあってた頃の小沢健二ウキウキモードです。
自助努力ではなく他人と集団の力を借りて、確実にタイムを出そうという妙案に鼓動が高鳴った。
ところが大会当日、1万人ものランナーが密集するスタートブロックで、頭をぐるぐる回転してみても、3時間30分のビブスを着けたペースメーカーがどこにも見あたらない。ああ困った、いきなり想定が崩れたよ。
アタフタしてる間に号砲が鳴り、なんとなく嫌々スタートを切る。他人にすべてを委ねる、という確固たる意思を持っていたのに、その頑強な思いのやり場に困り、糸の切れた凧状態でふわふわ走りだす。
7kmほどキロ4分50秒くらいでもって重い身体で走ってると、前の方に50人、いや百人以上の人の塊が見えてきた。もしや、これは!そうですサブ3・5狙い集団であります。それにしても集団がデカい。「愛媛マラソン」は、男子は3時間30分、女子4時間を切ると「アスリート・エントリー」という優遇枠にあてはまり、翌年は抽選なしでエントリーできるため、このタイムを目標にしてる人が多いのである。3時間30分でアスリートと呼ばれる気恥ずかしさは、この際気にせんとこう。
「さあ、いよいよついていくぞ! 俺さまはコバンザメだ、寄生虫だ、ウイルスだ。この大集団を風よけに、一切のタイム計算を他人まかせにし、自分の意思なく、ただついていくのだ!」と固く心に誓う。
まぶたを落として薄目にし、下界からの情報を遮断する。何も考えないようにし、脳で消費する糖分を省エネモードにする。
大集団の後方に位置し、先導者たちのペースの上げ下げの影響を受けないようにする。
こちら、ダテにマラソン中継の録画を点けっぱなしで寝ては睡眠学習の教材にし、百冊あまりのノウハウ本をトイレにこもって読んでいるわけではないのである。走力はイマイチでも、勝利への近道は頭に叩き込んでいるのだ。
10キロ過ぎの給水所、ぬかりなく集団の左側にポジションを移動。よし給水だ! しかし・・・
「あれ、あれ、あれえ~」「前の人にコップぜんぶ取られる~」
そうなのだ。あまりに集団の人数が多いために、集団後方にいると、給水テーブルのコップが短時間のうちに一気になくなってしまうのである。
勝つためのノウハウ、さっそく敗れたり!である。
仕方ない。これは集団の前に場所を移動するしかないだろう。
まだまだ足に余裕があるのでペースをあげ、百人もの集団の先頭に立つ。
おおっ、何か自分がこの集団を率いているみたいだぞ。
先ほどまでの「思考を停止する」作戦が一転、やたらとハイテンションに物を考えだした。
20キロ。キロ4分50秒ペースで余裕を感じてるうちは集団の王たるふるまいを演じていたが、このペースがキツく感じられだす。後方にいる大集団がバタバタバタとたてる激しい足音の洪水が、ぼくを飲み込もうとしている。
集団はペースが速くなったり、遅くなったりを繰り返している。たぶん給水のたびに、ペースメーカー氏がスピードをゆるめてくれているのだろう。エイドを通過するたびに「距離が開いたな」と安心していると、バタバタタタと帳尻をあわせるように追いついてくる。
実力不足の逃げ馬のような追いつめられた精神状態に、耐えつづけられなくなった。
せめて足音の聴こえない所まで逃げるのだ。逃げろー。
無我夢中で足を回転させる。機を同じくして、五十代風情でややメタボ気味のおじさんランナーが、右横からスパートをかけてきた。「ええっ、こんな太くて、ふくらはぎがタプタプしている人に抜かれるのか! それはないだろっ」と、こちらも速度を上げて抜き返す。見たかコラと得意になっていると、500メートルも進まないうちに先ほどのぜい肉男子が前に出る。
「もしやこの人、ぼくを意識してない?」「いや、ぜったいしてる」「だって、抜いたあと走路を変えて、ぼくの前を出るんだもの」
時ならぬライバルの登場に、サブ3・5を純粋無垢に目指す青年ランナーの心根は消え失せた。今ここにあるのはドロドロと燃えたぎる闘争心だけだ。「このくそオヤジー!」と心で叫びながら追い越せば、また逆転される。もはや五輪最終予選会を争うトップランナー2名の様相です。周囲のペースよりいささか速いため(心で感じているほど実際は速くありません)、前を行く選手をどんどん千切っていく。
燃えたぎる2人の闘争心が、周囲のランナーに火を着けたのか、抜かしたランナーが背後に着いてくる。時ならぬミニ集団ができあがっている。振り返って顔ぶれを見渡すと・・・中年ばかりだ!
このデッドヒートは30km手前で決着がつきました。ぼくが4分30秒までペースアップすると、メタボおじさんは力尽き、遠く後方へと下がっていったのであります。アディオスおじさん。ひと言も交わさなかったけど、あなたとの戦い、いつまでも忘れはしない。五輪メインスタンドのポールには、ぼくが日の丸を掲げてみせます!
もともとのレース計画は、30kmまではペースメーカーをストーキングして、30kmの計測ラインが遠くに見えてきたら、そこをスタートラインと思いこむ・・・という腹づもりであった。ライバルの出現で、ストーリーはまったく変わってしまったが、おかけで30km通過が2時間26分と、サブ3・5のイーブンペースより3分も貯金ができた。
30kmの計測機が「ピッ」とチップの認識音を鳴らす。
よっしゃこれがスタートの号砲だ。12・195kmのレースのはじまりだ。
全力疾走。周りの風景なんて、何も目に映らない。目線の先2メートルのぼうっとした世界。
広いバイパス道路のアスファルトの表面が、太陽の光を乱反射して白く輝いている。
35km。あの土佐礼子さんが松山大学の学生だった頃、練習コースにしていたというキツい登り坂だ。ここでキロ4分台をカバーするよう猛烈に手足を動かす。なぜだかわからないが「この坂をちゃんと登り切ったら、今日は合格。たとえ3時間半を切っても、この坂に負けたら不合格」との思いが湧きだし、ヒーヒー息を吐き、ケイレン寸前まで太腿を地面に叩きつける。
40km。スロージョグで疲労抜き練習の日だって、ラスト2kmは全力疾走してきたのだ。毎日やってきたことを、今こそ出そう。
4分30秒台まであげて、ちゃんとラストスパートできた。タイムは3時間25分21秒。よっしゃ別大マラソン出場権とった!(注釈あり) 少なくともサブスリーへの挑戦権は手にしたってことでいいかなっ!
マラソン人口のうちわずか2.6%に許された狭き門であるサブスリー。だけど挑む権利は全員にある。ちょっくら1年かけてやってみたいと思います。
(注釈)2017年より出場資格が変更される可能性があるとのこと。現在未定です。