バカロードその97 四国の先っぽの先っちょまで

公開日 2016年08月04日

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文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 発作的に、四国でいちばん遠いところまで走りたくなりました。悪い発作です。愛媛県の西方に延びる佐田岬(さだみさき)ってとこ。

 その形を地図で眺めてるだけで、自然の妙というか神秘というか、なんでこんな地形になったんだろと想像を巡らせわくわくする。伊予灘と宇和海を隔てるように延びる東西50kmの陸地は、タツノオトシゴのような背びれ、尾びれをまとい、ぐにょぐにょと海を切り裂く。陸地の南北間は、狭い所では1kmにも満たない。標高300mから400mの山岳の連なりが岬の背骨をなす。幅1kmに300mの山って、比率的にすごいな。この細ながーい岬の先っぽの先っちょまで、足でいける限界の所までいってみよう。
 世界がインターネットでどれほど縮まろうと、グーグル・ストリートビューをなぞれば、一日中部屋にこもっていても、どんな道の風景も知った気になれるけど、実際んところ、何十年も住んでる島(四国)の反対側ですら、自分の足でお出かけしたことないのである。世界は広く、四国もまた広いのである。
 吉野川河口からスタートすると距離はちょうど300km。いちおう四国東岸から西岸までの横断っていうおまけをつける。ほんとの四国最東端は阿南の蒲生田岬灯台だから、そっから始めた方がいいんだけどね。誰かにわざわざ蒲生田岬まで車で送ってもらうの気の毒やし。
 GWのまっただ中、急きょ思い立った割に、ほぼ中間地点(140km)にあたる愛媛県西条市駅前のホテルに1室空きを見つけ。そして、ゴールの佐田岬先端から7km手前の、最後の漁港らしき集落にある民宿も予約できた。こちらも最後の1室だった。
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 初日。昼3時に吉野川河口をスタート。道は成りゆきまかせ。
 交通量の多い徳鴨線を鴨島のドン突きまで進み、吉野川の堤防道路にあがると、歩行者専用道路みたいなもんで快適。川島城の横を過ぎる頃には、山辺に落ちる夕陽が、吉野川に架かる潜水橋をシルエットにする。そのうち堤防道路は国道192号と合流する。ここから愛媛県まで一本道だから迷う余地なし。
 国道192号線は、旧市町村の街々が10km足らずの間隔で現れるので、夜でもさみしい思いをしなくてよい。川島から山川まで8km、穴吹まで7km、貞光まで11km、半田まで3km、三加茂まで9km、井川まで6km   池田まで7km・・・といった具合。
 日はとっぷり暮れ、おごそかにライトアップされた山川の斜張橋・岩津橋を越すと、歩道がなくなる。路側帯は1人幅くらいと狭い。民家まばらなこの辺りで、夜中にヘッドランプ揺らせてうろついてる人いないよね。対面する大型トラックの運ちゃんたちは大きくハンドルを切って、道幅半分くらいの間隔をあけて通り過ぎる。時おり、ハザードを点滅させて合図してくれる車もいる。ありがとう優しきトラック野郎一番星たち。
 貞光の入口あたりにある「めん処かねか」の駐車場に、うどんの自販機が煌々と輝いている。店の営業時間外だけ稼働しているらしい。全国的にも希少価値の高いレア自販機だ。ところが、うっかりして手前の街のコンビニでカップ麺を食ってしまった、後悔である。今度走るときは、ぜったいここで食べるぞと堅く心に誓う。
 深夜12時を過ぎると、ちょいと眠くなってきたので、JR辻駅の駅舎にある木製のベンチで仮眠を試みるが、ギンギンに蛍光灯が点いていて、虫が顔にたかるので、たまらず離脱。しばらく進むと、道沿いの24時間コインランドリーに、絨毯敷きの座敷スペースがあり、5分だけ横にならせてもらいました。
 深夜3時、80km走ってJR阿波池田駅前の商店街に着く。12時間もかかっとります。ダラダラしすぎです。
 池田ダム湖に架かる橋をわたると、道路と並行する渓流のせせらぎが谷あいに響く。坂を登り切ると、ゆるやかに蛇行する河岸が広く開け、馬路、佐野という順で集落がつづく。
 愛媛との県境ラインが中央を通る境目トンネルは標高300m。愛媛県側にトンネルを抜けると、すっかり夜が明けました。
 夜明けとともに、白装束の巡礼客が前からたくさん歩いてくる。10分に1人くらいの頻度。なかなかの密度です。
 けっこうな若い女性が歩いています。いわゆるお遍路ガールってやつだな。歩きスマホ率が高いね。
 狭い歩道を無言ですれ違うのはどうかなと、「おっはよーございやぁす!」と元気に声をかけると、編み笠を斜め下に向け、無視されてしまう。
 ぬほっ、テンション高すぎて引かれたか。次にやってきた遍路ガールに対しては、自分の中で高感度マックスに引き上げた作り笑顔とともに「おはようごさいます」と自然な挨拶を。するとまた目をそらされ、わが存在を無き者とされた。
 おいおい、オレはオメーら遍路女子をどうこうしようってヨコシマ抱いてるわけじゃねえんだ。ただの朝の挨拶だよ。朝、道で会ったら挨拶しましょうってのは、田舎生まれなら小学生から仕込まれる社会生活の基本なんだ。旅の者どうし、一瞬の心の交流を温めあってもいいじゃねえか。
 その後も、二十代・三十代とおぼしき若い巡礼者に、立て続けにシカトされる。 どうした? 順打ちなら遍路も終盤だよな。皆さん人間不信にでも陥ってるのか? あるいは、朝っぱらからくそ寒い峠道を短パンで走ってる僕は、なにか異常を抱えている人に見えるのか。
 ヤング遍路に比べて、五十代以上のご年配のお遍路さんの愛想のいいこと。挨拶では済まされません。「よい話し相手が来たな」とばかりに捕まってしまいます。
 東から西へ向かうのは、札所を逆順で回る「逆打ち」の進路なので、追い越しざまに逆打ちの方々と話が弾みます。うるう年に逆打ちすると、順打ちの3倍ご利益があるとか。逆打ちは順路を示す看板が乏しく、しょっちゅう道に迷って難易度が高いとか。
 逆打ちの皆さんは、すでに四国遍路を3度、4度とこなしているベテランが多く、先々の道中の情報に長けている。野宿に適したバス停の場所や、お接待の果物やコーヒーが置かれた遍路小屋を教えてくれる。また、家族のことや病のことなど思わぬ打ち明け話もあった。皆、それぞれの想いをもって、四国の山中をさまよっているのです。
 人生の諸先輩方のお話を聞いてるうちに、四国八十八カ所を一気に走って旅したくなってきた。朱印をもらえる納経所が朝7時開きで、夕方5時に閉まってしまうのは難題だけど。行動できるの10時間チョイしかないから、あとの14時間近くは蚊に食われながら野宿かぁ。
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 長い坂を下りきったあたりが四国中央市、製紙会社の煙突がニョキニョキと天を衝いています。ちょうど出発から100kmあたりかな。山道は一転、高速道路みたいに整備されたバイパス道に変わります。歩道は立派で走りやすいけど、景色は単調、交差する道路が多くて赤信号で頻繁に足止めをくらって面倒くさい。
 今まですれ違ったお遍路さんたちはどこを歩いてきたのだろう、と観察すると、国道11号線の一本奥を通る「讃岐街道」という旧街道をメインルートとしている模様だ。
 旧街道は、車2台がぎりぎり対向できるセンターラインのない狭い道。だけど、道の片側に広めの路側帯がとられている。道の両側には、古くから続く金物屋や食料品店、昭和40年代の香りがするトタン壁の住宅が並ぶ。
 庭いじりしている老人も、洗濯物を取り込むオバチャンも、別段こちらを気にするそぶりはない。毎日、何十何百人とお遍路さんが歩く道である。街の住人ではない余所者でも、存在感のない空気みたいな存在として景色に馴染んでいるのだろう。
 ただし下校途中の小学生の女の子たちには、この街を荷物しょって走ってる人物が珍しいようだ。ぼくの存在をちらちらと視界に納めながら、5人の女子児童が前後を小走りに駆ける。
 後ろをついてくるのは良いとして、前を走られると、構図としては女子児童を追いかけ回す変態オヤジそのものではないでしょうか。近所の人に通報されまいかと、視線をキョロキョロさせ、よけいに挙動不審者となる。
 JR伊予西条駅が近づくと、田園(小麦畑?)を貫く小川や用水路の水の流れがドウドウと速い。そして、市街地を流れる川とは思えないほど透明である。水底に揺れる背丈のある藻が、環境映像のようにさらさら揺れる。街角のそこかしこから、地下水がシューシューと噴き出している。南方を見渡せば、仙人が隠れていそうな雲の奥に、標高1900m級の連山が、わずか10kmの距離を隔ててそびえ立っている。石鎚山系に降った雨が、急傾斜の山肌を駆け下り、あるいは伏流水となり、平野となったこの地で地上へと溢れているのだ。
 吉野川河口から140km、ちょうど24時間で西条駅前に到着する。宿泊する「エクストールイン西条駅前」は、真新しい大浴場と、品数の多い朝食バイキングつきで5000円。洗濯代、乾燥機代、洗剤まですべて無料なのは走り旅にはありがたいサービスです。
 ホテルに大休憩に入る旨を、尊敬するレジェンドランナーにメールで報告すると、「300kmくらいノンストップで走りなさい。練習にならないでしょ」と怒られる。なんか無理なんすよー。どこかでいっかい洗濯しないと気持ち悪くてねえ。汗や泥でドロドロの服や靴を、3日つづけて着てられるほど野獣系じゃないのです。
 よっしゃ、ふかふかベッドで寝るどー。自分にムチ打ち目覚ましを早朝2時30分にセットする。宿泊はするが、あくまで仮眠である・・・との精神的な逃げ道(言いわけ)を用意する。
 コンビニで調達したクラッシュ氷の大袋をバスタオルで巻いて、両足をアイシングしたまま布団にもぐりこむと一瞬で落ちた。
 朝2時30分、アラームに起こされたが、外は真っ暗だし、羽毛布団はぬくぬくだし、足は筋肉痛だし、5000円払って仮眠ってのはもったいないし・・・と軽やかに出発を断念し、二度寝に入る。朝ご飯の時間にのろのろ起きだし、バイキング用のお皿に山盛りで3回転ほど食べ、さらにカレーライス大盛りで締める。
 ということで普通の観光客と並んで朝8時にチェックアウト。ま、明日の日没までに160km先の佐田岬まで走ればいいんだし。
 西条市から松山市方面へは峠道「桜三里」を越えていく。さっそく朝イチの登りにさしかかると、遠く前方に旅人らしき後ろ姿が見える。走っているのだろうか、なかなか距離が縮まらない。巨大なザックを背負い、明らかに歩いているのに、こちらの走っているペースとそう変わらない。
 時間をかけてやっと追いつく。ぼくの足音に気づき振り返ったその人は、外国人の女性であった。「歩くのなんでそんな早いの?」と話しかけてみる。彼女は、オーストラリアのパースに住んでいて、今は遍路の寺院はじめ四国のあっちこっちを適当に訪ね歩いているとか。行き着いた街で寝るので、野宿をすることもあるが、安くて快適な宿がいっぱい載ってるガイドブックを持ってるので苦労はしてないわ、とのこと。世界中を歩き回ってるらしく、アメリカ合衆国東部のアパラチア山脈に延びる自然道、アパラチアン・トレイル3500kmを踏破したという。そりゃ健脚なわけです。
 「ぼくはいつか走ってオーストラリア横断するよ」と伝えると、「自転車で横断してる人はたくさんいるけど、走ってきた人は知らないわ。途中ほとんど砂漠だから死なないで。もしパースに着いたら私が全部世話をしてあげる」。
 うふふ、四国の山の中にも、すてきな出会いがございますこと。
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 左右を峰々で切り取られた狭い空を、どよどよと薄暗い雲が猛スピードで移動している。
 正午を境に突風が吹きはじめる。森の木々が、弦を伸ばしきった弓幹のように激しくしなっている。谷間を抜ける風が舞い上げた枯れ葉や小枝、小さい砂つぶてが、背中からバチバチと叩きつけられる。追い風のおかげて、蹴り足を強く空中に身体を浮かせば、30cmはストライドが伸びる。力を使わずスピードが出て、楽ちんに峠を登れて喜ばしい。
 標高310mの桜三里のてっぺん付近に、屋根のない路線バスの停留所がある。そこに1人の男性が立っている。風圧に抗うように黒い傘をさしている。上下とも黒革をまとい、豹柄シャツが覗く。肩まで伸びるほどの長髪が、荒々しくたなびく。その居住まい、ツイストの鮫島秀樹か、ヴァン・ヘイレンのエドワードか。
 人の気配のない山中で、嵐吹きすさぶ中、ハードロックの王道たるファッションで、マイカーを使わず路線バスを待つ人。ただ者ではない。
 彼は、バスの来る方向から視線を移し、興味津々のまなざしをこっちに向ける。ハードロッカーの瞳は、生き生きとしている。こちらは、舞い上がる枯れ草を衝いて短パンで峠を駆け上がってきた男だ。きっと気になるのだろう。二人で目を見つめ合いながら、互いの生きざまを確かめ合う。会釈もなく、無言でバス停を通り過ぎ、100mほど走って振り返ると、鮫島秀樹の眼は真っ直ぐこちらに向かっていて、「戦えよ」と告げているようだった。アディオス、鮫島! 君が路線バスで向かう今夜のライブ、きっと伝説となるぜ!
 峠の向こう側の街、東温市まで急坂を下る。重信川の河畔道路を追い風に身を任せてぼーっと走っていたら、ふと視界の隅に異物が入る。
 今から着地しようとしている足の真下に存在する黒い岩。いや、これは岩石ではない。岩にしては滑らかな半球を描きすぎている。岩じゃなくて、生き物だぞ! 0.1秒の間にこれだけの観察と判断を瞬時に行い、踏みつけるすんでの所で交わした。しかし空中で無理に横移動させた足の着地に失敗。グキーと足首をひねってしまった。いててー、怪我したぞー。
 落ち着いて地面を見れば、路側帯の真ん中に横たわっているのは、直径30センチほどの亀の甲羅である。死体かとのぞき込んでみると、もぞもぞと動いている。コンニャロ、テメーのせいで足くじいたぞ。いや、泥亀のせいではない。ジャーニーランナーの基本である、下をうつむいて走ることをサボッていた自分のせいだ。路面には穴ボコや突起物、動物の死骸、いろんなアクシデントの種が潜んでいる。半覚醒状態で走り続けるジャーニーランにおいては、一瞬の不注意で骨折、筋断裂を負うことは珍しくない。だから、路面から視線を外してはならないのだ。この捻挫は、クサ亀さんからの警鐘と前向きに受け取るべきであろう。さあ、嵐を衝いて、下をうつむきながら陰気に走るぞ!(つづく)