公開日 2017年04月03日
文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
「瀬戸内行脚(せとうちあんぎゃ)」は、愛媛の瀬戸内海沿岸を舞台に、走ることをこよなく愛するランナーが集結した超長距離レースである。2014年に初開催され、香川県の高松港から愛媛県松山市間の217kmで行われた。翌年の第2回大会からは、瀬戸内海の島をめぐる現在のコースに変更された。松山市の道後温泉本館前をスタートし、しまなみ海道の起点となる今治市中心部を経由して、3本の長大橋を越えながら大島、伯方島、大三島の3島をおおむね一周していく。復路は、伊予灘沿いを南下し、松山市のド真ん中・大街道で222kmのゴールを迎える。
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制限38時間の徹夜レースなので、前夜はスタート地点の道後温泉界隈で一泊とする。徳島からの高速バスの終点であるJR松山駅前で下車し、駅の真ん前にある温泉施設「喜助の湯」に寄って、ホテルのチェックイン時間までの暇をつぶす。この温泉、最近リニューアルしたらしく、かつての「キスケのゆ」時代のスーパー銭湯的なたたずまいを一新、浴槽のヘリや天井の梁に古木を配した和の趣のある装飾に模様替えしていた。
浴場で2時間ほどだらだら過ごす。サウナ室の外にある2種類の水風呂のひとつ「しお清泉」ってのが秀逸である。まずはキンキンに冷たい水風呂にザブンとつかって体温を極限まで下げ、お隣りの「しお清泉」に移動する。これがほどよく生ぬるく、塩の成分も手伝ってか身体がぼんやり浮遊する。仰向けにプカプカ浮かんでると、この身に蓄積した汚泥物が塩水に吸収されてくみたい。ゴールした後にも、ぜひ浸かりに来たいものである。
湯あがりほこほこのまま、市電に乗って道後温泉に向かう。が、途中の「大街道」で衝動的に下車する。商店街の入口にあるデパート、松山三越の地下食品店街の「ハナフル」というスイーツの店に、美味しいフルーツタルトがあるのを思いだしたのだ。
5年くらい前のことだが、愛媛マラソンの前日にここのフルーツタルトを2ホールまるごと平らげて良いタイムが出た事がある。それ以来、松山市近辺で大会があるときは必ず「ハナフル」でスイーツ・ローディングを行っている。ジンクスかつぎ&好タイム祈願ではあるが、明日どうせ走って脂肪燃焼するんだから、今日くらいは夢のワンホール食いしたってバチは当たらんだろうという気の緩みですな。
ビスケット状のサクサクしたタルト生地の上に、ゴロゴロと大きくカットされた果物が山盛りになっている。果物たちは艶のある透明のシロップで覆われていて、天井のスポット照明の光を浴びて、宝石のように輝いている。
溢れる唾液を飲み込みながら、2ホール買いたい誘惑を押し殺し、1ホールを購入。ふたたび市電で道後温泉駅に向かう。終点の駅から、ぶらぶら道後温泉本館まで歩く。本館横の「道後麦酒館」というバーっぽいお店の入口に貼ってあるポスターが、「ビールを片手に、道後のまちを散策してみませんか」などと挑発してくる。素直に従い「坊ちゃんビール」とやらをテイクアウトする。左手にフルーツタルトの箱をぶら下げ、右手にはプラカップの黄金の液体を揺らせながら、土産物街を散策する。どこの観光地も似たようなもので、店頭に飾られてるのはご当地キャラのグッズだらけで風情もなく、困ったものである。愛媛県が推してるのは「みきゃん」。まあこいつは有名だが、「ダークみきゃん」というライバルも幅を利かせているようだ。みきゃん全体に青カビが生えた凶悪な物体という想定らしい。ダークみきゃんTシャツを買うかどうか相当迷ったが、判断はゴール後にすべしと自制した。
レース前日にこれ以上うだうだするのは止めて、さっさとホテルで寝だめしようっと。予約してある宿は道後温泉本館から20メートルと至近の距離にある。チェックインしたら、コンビニ弁当2個とフルーツタルトをむしゃぶり食い、睡眠薬代わりに抗アレルギー薬の「ザジデン」鼻スプレーをジャンキーのように吸いまくって、強制睡眠に入るとしよう。
ここで多少の疑念がよぎる。わざわざ道後温泉本館の真横に泊まって、本館のお風呂に行かなくてよいのかという問題である。せっかくなんで行っとこか、でも面倒くせえ。実はわたくし、あんまし本館の浴場、好きじゃないのです。
つまらない理由なんですけどね。道後温泉本館の浴槽のヘリ、つまり足だけお湯につけて腰掛ける部分が、けっこうな急カーブを描いて丸くカットされているのだ。ヘリが平べったくないもんだから、のんびり座り続けていられない。うたた寝なんてしようものなら、後ろにひっくり返りそうになる。ならば、ちゃんと胸まで湯舟に浸かればよいのだが、浴槽に一歩足を踏み入れた段差の部分もまた、めちゃめちゃ奥行きが狭くて、尻が半分くらいしか乗っからない。コレに座っていても、やはり落ち着かない。この本館が建ったのは明治27年っていうから、昔の庶民は長湯しなかったんだろうか。湯舟でだらだら過ごしたい派のぼくとしては、どうも何か見えざる存在から「次の客のために早くその場所を明け渡しなさい」と急かされている気分になる。
こういう感情を抱くのはぼくだけなのだろうか、そんなはずはない。観光客はみな不満に思っていて、ネットなんかでは不平不満の炎上コメントが燃えさかっているに違いない。と思っていろんな言葉を駆使して検索してみたが、ついに誰一人として「道後温泉のヘリが丸すぎて、腰掛けが狭すぎる件」について、不満を抱いている人は見あたらなかった。
心が狭いのは日本全国でぼく一人なのである。
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瀬戸内行脚のスタートは朝7時。準備万端ととのえて、30分前に集合場所に行ってみる。まだ5人くらいしか参加者はおらず、のんびり荷物整理をしている。30分前なのにほとんどのランナーが姿を見せていないあたりは、さすがベテラン揃いの当レースならではだ。これから一昼夜走るというのに「どの荷物をエイドにあずけようかしら?」なんて、今頃になってゴゾゴソ仕分けしたりしている。そう、ここにいる皆さんは、心の準備もエイドの準備もたいしてせずに200km以上走っちゃう人なのだ。偉大な決意も、決死の覚悟もなく、ニュートラルな心理状態で。
【松山市・道後温泉~今治市・来島海峡大橋たもとへ/0~50km】
道後温泉本館前で記念撮影したのちに、主催者の合図でスタートする。今回222kmの部に参加するのは34人だが、7時に出発するのは20数人。実績がすごいランナーは2時間後から5時間後にかけて出発するウエーブスタート方式である。
温泉街の背後にある伊佐爾波神社の脇道から小さな峠道を登り、すぐ下る。突き当たる国道317号線に出るまでは、地元ランナーが先導してくれる。
先は長いので、ランナーたちはいたってピクニック的なムードで、ぺちゃくちゃとおしゃべりに余念がない。息も切らさず、笑いながら登り坂をキロ6分台で走る人たちは怖い。250kmのガチレースをメイン種目と考えている方々にとってこの場は「懐かしい人たちとの再会と邂逅の場」くらいな位置づけなんでしょか?
国道317号線は42km先の今治市へとのびる一本道。しばらく北上し、奥道後の温泉街を越えたあたりから右側の谷深く流れる石手川を渡り、対岸の山道を進む。「白鷺湖」と呼ばれる石手川ダムの湖岸をぐねぐねとフチ取りながら、紅葉の盛りを迎えた森を抜けていく。
国道にふたたび合流すると、松山市と今治市の境にある水ヶ峠トンネルへ。ここでスタートから21kmくらい。標高は500m、知らぬ間にずいぶん登ったものだ。トンネルを抜けると、今治市街までは延々と坂道を下る。
玉川ダム湖畔にある自販機で缶コーラを買い水分補給。第一エイドまでの50km間で、水分をとったのはこの250mLだけだった。夏場はラクダのように水を飲むのに、夏を過ぎたとたんに無補給型の体質に変わる。どうせなら夏場に水なしで耐えられるタフネスボディになりたいもんだが、毎年このサイクルを繰り返しているので、春先にはがぶ飲みラクダに戻るだろう。ちなみに本物のラクダは、オアシスのある街に着くと、いっぺんに150リッター分も水を飲むのである。水分を体中の細胞に溜めこんだら、その後は1カ月もの間、飲まず食わずで砂漠を旅するとか。
今治市郊外の大型店エリアを信号守ってよい子で進み、なんとなく寂れた感の漂う「今治銀座商店街」を尻目に今治市役所前へ。遊歩道を遮るように直径10m近くありそうなドデカい船のスクリューが飾られている。金色ピカピカで太陽光を目映く反射して、日本有数の造船の街をアピールしているもよう。この今治市、タオルの生産量も日本一。製造業の出荷額が年間1兆円を超えるのは、四国の市町村では今治市だけ。われわれはもっと今治の偉大さを知るべきでしょうね。製造業だけじゃなくて、焼き鳥店の店舗数の人口比も日本一の焼き鳥タウンだし、焼き豚玉子めしに、、バリィさんに、岡田監督のFC今治にと名物わんさか。ううむ、本来ならもっと夜中に立ち寄って、肉汁が放つ煙を浴びながら、鳥皮焼きなどをついばみたいものであります。
市街地からさらに7km北上すると、来島海峡を一望する糸山展望台。ちょうど50km地点の所に第一エイドが用意されている。ここまで4時間57分。荷物を背負ってるわりにはまずまずなペース。なんと先頭で到着である。
【今治市・来島海峡大橋たもと~大島~伯方島 50km~75km】
タイムの計測機が設置されたエイドに立ち寄ると、「うわあ速いなあ、まだ準備できてないのよ」とスタッフの方が慌てている。お腹はすいてないので、ボトルにスポーツドリンクを補充してもらったら、すぐ出発するとしよう。
「今、食べ物を買い出しにいってる所なんですよ。ごめんなさいね」
と気の毒そうにされるので、
「ぜんぜん平気ですよ。次の島にある道の駅でみかんソフトクリームを食べる予定なんです」
と言い残しエイドを後にしかけたら、スタッフの方にちょっと待ってと呼び止められ、何やら手渡してくれる。
100円玉が3個、300円。
「これでソフトクリーム買って。準備、間に合わなくてごめん」
「こんなことしてもらって、えーっと、いいんでしょうか」
遠慮する素振りをしてみる。
たいした押し問答もなく、「いいから、いいから」という温情をすぐに受け入れ、300円をポケットに仕舞い、来島海峡大橋へと続くループ道路にとりつく。
(なんか親切にされたなぁ)と束の間うれしくなっていたが、すぐに(このお金はあの人のポケットマネーではないか?)(そもそもボランティアスタッフにお金なんて恵んでもらってよいものか?)と真人間な心が蘇る。引き返すべきか悩んだが、足は勝手に動いているので、すでにエイドは遙か後方。ま、反省してもしょうがねえか。ありがたいこの金でソフトクリーム食うどー!エイエイオー!と気勢をあげる。
眼下に激流の渦巻く海峡に架かる来島海峡大橋。馬島、武志島という2つの島を橋脚の土台とし、3本の吊り橋が連続する3連橋だ。四国本土側からだと第三大橋1570m、第二大橋1515m、第一大橋960mの順に渡り、あわせて4105mもの海上の道となる。
しまなみ海道全般に言えるが、これら長大橋はすべて幅広い歩道や自転車道を兼ね備えている。つまり四国から本州側の尾道まで、自転車やウォーキングで旅できるのである。米国の報道チャンネルCNNが選ぶ「世界の7大サイクリングロード」に選ばれるなど世界的な知名度も高まり、莫大な観光資源となっている。なんと今治市管内だけで1年間に10万回以上のレンタサイクル利用があるとか。大鳴門橋や明石海峡大橋も、橋げたの下をちらっと改良して、ランナーとサイクリストが通行できるようにすれば、世界中からツーリストを呼び寄せられそうなもんだけど。しかししまなみ海道は、元は有料だった自転車の通行料を無料化したり、道路にブルーのペイントを施して自転車観光客が道に迷わないようにするなどサポートは万全。あらゆる場所に、自転車ラックがあるのも凄い。形だけマネだけしてもだめかな。
・・・と誰に頼まれもしないのに観光行政についてひとしきり思案し、行動に起こす気もなくぽけーっと島を眺めて走るだけのお気楽ランナーです。
橋を渡りきったら海辺まで下る。大島の玄関口には道の駅「よしうみいきいき館」がある。来島海峡の急流観潮船が出航するここいらの観光の拠点だ。屋外には天幕スペースが設けられ、パッと見た目100人以上の観光客が、七輪コンロで魚や貝をバーベキューしている。香ばしい匂いと、気だるい雰囲気が「おいキミ、昼間からそんなに頑張らなくていいから、ここでビールでも飲んでいけ」と誘ってくる。目の毒、鼻の毒である。なるべくコンロ上の魚たちと目を合わせないようにし、目的の売店へ直行する。
島みかんソフトクリームの売店は、あえてその存在を隠蔽するかのごとく忍びのたたずまい。あらかじめ知ってないと、素通りするだろうね。第一エイドでもらった300円をありがたく使わせて頂き、みかん&牛乳バニラのミックス味をワッフルコーンで注文。
このソフト、たいへん絶品なのである。みかん部分はややシャリシャリ感のあるシャーベット状。濃厚な牛乳バニラ部分とともに舐めた瞬間、快感の電流が肩からお尻までピリピリ伝う。
1個受け取りペロペロねぶったのち、しばし考えたうえで、もう1個分をオーダーする。窓口のお姉さんは「あれ?この人、たった今買ったばかりなのに」と不思議な顔をしているが、そんな対応は慣れたもの。ソフトクリームの両手食いはジャーニーランの最大の悦び。理性ある大人として社会生活では抑圧しているダブル食いの欲求を、解放できるのは今しかないのだ。
両手にソフトクリームを握りしめ、元気いっぱい島の縦断道路へと駆けだす。たっぷり時間をかけて、ちょっとずつ舐め回してやるぜ!という目論みを抱いていたが、30秒で崩れる。正午過ぎの日射しは強く、ソフトクリームがどんどん溶けだして、ワッフルから手へと流れ落ちていくではないか。雨だれのように手の甲、そして肘へとつたうミルク&みかん。両腕ともべちょべちょだ。被害を食い止めるため、むしゃぶりつく。2個を完食するのに1分。一気食いしたために、おなかが痛くなってくる。ねちょつく手を洗える水道が見あたらないので、仕方なく指をちゅうちゅう舐める。ハァーッ、わたくし瀬戸の島までやってきて、何やってるんでしょうかね。のこり150kmです。(つづく)