バカロードその108 日本でいちばん制限時間の短い100kmレース・その2

公開日 2017年07月21日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)


(前号まで=ときはド真夏、制限11時間という厳しいウルトラマラソン「鶴岡100km」に参加するべく山形県に向かう。空港に降り立つといきなりのピーカン日照り。大会当日は36度まで気温上昇との予報。はて、こんなんで10km✕10周なんてできるものだろうか)

 大会前日は午後3時から全員参加での開会式が行われる。開会式まで特に用事もないので、近隣の温泉場に立ち寄るとする。宿泊していた湯田川温泉から乗った路線バスをいったん鶴岡駅前で降り、湯野浜温泉行きのバスに乗りかえる。市街地を抜け30分ほどで波穏やかな日本海の海辺に出る。コンクリートの護岸が続く海岸ぶちには、時代がかった鉄筋コンクリートの中層ビルの温泉宿が建ち並んでいる。昨夜泊まった湯田川温泉はしんと静まりかえっていたが、この温泉街も観光客らしき人の姿はポツポツ。その代わり、黒いスーツに白ネクタイの披露宴客や、昼から赤ら顔をした宴会客が群れをなして歩きまわっている。
 源泉かけ流しで日帰り入浴のできる旅館を選び、夕方までの時間をつぶそうと試みる。露天風呂でだらだらと過ごすが、湯滝のように降り注ぐお湯は熱く、外気もまた暑く2時間でギブアップ。温泉街に歩き出てはみたが、気温は33度。ちょっとした坂道を登っただけでゼェゼェと息が荒らぐ。団体の酔客たちは大型バスでどこかへと去り、一般観光客がチェックインする時間までも遠く、温泉街には人の気配がない。日光だけがサンサンと降り注く街路は、時が止まったかのようである。強烈な陽射しが、足元に黒々とした影を焼きつける。せっかく風呂に入ったばかりだが、吹きだす汗が止まらずシャツはびしょ濡れである。日陰で猫が2匹、暑さのあまり身体を真っすぐ伸ばして、冷たいアスファルトに身体をなすりつけている。
 外湯をハシゴする気も起こらず、時間をもてあまし、鶴岡市内へと戻るバス待合所のあるロータリー交差点で無益に時を過ごす。何もやることがないと、時計の針はなかなか進まない。
 30分ほどしてやってきた路線バスに乗って鶴岡駅前に戻る。開会会場である公民館「第5学区コミュニティセンター」まで、1kmほどの道のりを裏道を選んでぶらぶらと歩いていく。
 会場の入口では、若い大会スタッフらがきびきびと選手の応対をしている。この大会は、30年以上前から開催されている国内で最も古いウルトラマラソン・レースであるが、数年前に大会の存続が危ぶまれたようである。しかし、歴史ある大会を絶やしてはならないと、地元の若い世代を中心に新たな実行委員会がつくられ、再スタートを切られたもよう。大会を支えているスタッフの皆さんは、みな若々しい。
 ホールにずらりと並べられたパイプ椅子の背には数字の番号が振られていて、自分のゼッケンナンバーの椅子を探して座る。椅子は、最前列からナンバーの若い順に並べられており、古くから大会に参加されている選手ほど前列に陣取るという趣向だ。
 大会の主催者が挨拶される。すごく若い女性(二十代?三十代?)である。ハツラツとした喋り方や身ぶりが印象的で、どっからどう見てもリーダーシップに溢れている。こんな人が中心にいるから、皆ついてくるんだなぁと感心する。
 一方のランナーの顔ぶれは、わが国のウルトラマラソンの歴史をそのままリアル年表にしたかのような偉人的な風貌な方が、一ケタ番号の席からお座りになられている。30年以上も前から100kmという距離を走り、今もなおウルトラランナーとして現役であられる。凄すぎるとしか言いようがない。
 やがてゼッケンの順にマイクが渡され、参加ランナー80数人が一言ずつスピーチをする自己紹介タイムがはじまる。話術達者なランナーたちのトークに笑いが絶えない。ぼくは「エイドに美味しいものがたくさんあると聞きつけてやってきました。1日にアイス10本だけ食べて生きていけるスイーツ中年男子です。美味しいスイーツを楽しみにしてます」といった腑抜けた挨拶をしてしまったが、スタッフの皆さんは「うんうん」と楽しそうに耳を傾けてくれていた。
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 翌朝は朝5時前に、鶴岡駅前のホテル玄関で待ち合わせたランナーと、予約しておいたタクシーに乗り込み、5kmほど離れたスタート会場へ向かう。早朝なので路線バスは動いてないし、大会の送迎バスも用意されてない。これはちょっと不便である。
 スタート会場は、周囲を田んぼに囲まれた「高坂地区」にある公民館。レース開始は朝6時であり、1時間前に着いたが、ランナーはまだ2、3名しか集まっておらず、それらの人も公民館の畳の間で横になって眠っている。1時間前入りは早すぎたようだ。マンモス大会と混同してしまった。
 30分くらい前になって、どやどやと選手が集まりだした。多くの方々は昔からの顔見知りのようである。顔に刻まれた年輪や赤銅色の日焼けが、彼らのランナーとしての年期の入りようを表している。ジャージのスボンを脱げば、運動部の女子高生のようにスラリと伸びた贅肉のない脚があらわになる。顔はおじいさん、脚は女子高生。違和感たっぷりである。よほど走り込まないとこんな脚にはなんないよねぇ。
 6時10分前くらいになって、スタートする駐車場になんとなく皆がやってくる。今から走るんだか、走らないんだかよくわからない気の抜けたムードのなか、主催者の方に「スタートぉ」と言われたとたん、スタートラインから田んぼの方に向かって伸びる草むらと砂利道へと、ダーッと駆けだす選手たち。わぁすげえスピード! てーかこの農道がコースなのかあ。制限時間が11時間しかないんだから、完走するにはそこそこ突っ込まないと無理ってのもわからなくはないけど、だるだるな雰囲気とスタートダッシュの激しさのギャップがすごい。
 戸惑いながら先頭集団の見えるくらいの後方位置でハァハァ息を弾ませて追走する。いきなりのダート道というか農道には軽トラのワダチが2本通っているので、そこをちょこまかと走る。
 農道を抜けると「黄金小学校」という運気の良さそうな名称の小学校グラウンドの脇から住宅街に入る。住宅街の奥に赤い欄干の橋が見えてくる。橋のたもとに噴水状にチョロチョロと水が吹き出している水飲み場がある。壊れているのか、ハナからそういう出しっ放しサービスなのかはわからない。赤茶けた錆シャビの飲み口で、喉が乾いてないとまず口をつける気にならない。が、後にこの水飲み場に何度も助けられることになるのである。
 いったん広い直線の車道に出て、行儀よく歩道を進む。自動車道との立体交差をくぐる。10キロのコース中、2カ所しかない貴重な日陰の場だ。
 その先、民家の庭先にしつらえられたパイプから、ドウドウと歩道に水が流れだしている。水の吹出し口の下にはポリバケツが置かれていて、氷水のように冷たい水がまんまんと湛えられている。遠望できる出羽三山から届けられた雪溶け水なのだろうか。何の目的で水を放出しているのかわからないので1周めは素通りした。後の周回で、前方を行くランナーがここで顔を洗ったり、シャツを浸したりしているのを見て、ああこれは選手も利用してよい水なのだな、と理解してからは水浴びに使うようになった。
 2.6km地点あたり、寿公民館の前に「Aステ」と呼ばれる1つめのエイドがある。たくさんのスタッフが待ち構えてくれているが、序盤はタイムを稼ぐために可能なかぎり足を止めないと心がけていたので、1周めは会釈をして通り過ぎる。けっきょくパスしたのはこの初回だけで、あとの周回では必ず立ち寄り氷を補給しないと、正常な意識を保てないほどの暑さに見舞われる。
 「Aステ」を過ぎると再び田んぼを貫く一本道に入る。農家が何軒かかたまった集落を抜けると、その先もまた一本道。天をさえぎる街路樹や日よけとなる建物はなく、剥き出しの直射日光が注がれる。早朝6時台というのに、すでに肌を焼くような暑さに見舞われている。
 2つめのエイド「Bステ」がある民田公民館は5.2km地点。元々は保育園であった建物を改修したようで、運動場に遊具の跡がある。このBステには、たっぷりの氷プールにドリンクが冷やされていて何度も救われる。開会式でスピーチした「アイスクリームさえあれば生きていける」とのコメントを覚えていてくれたスタッフの方が、ぼくのためにアイスを何本も用意してくれた。本当に嬉しかった。
 日枝神社を目標物として三叉路を左折し、参道を逆に進むと真っ白な鳥居が道路をまたいでいる。鳥居をくぐって広めの車道に出たら、3つめのエイド「Cステ」が現れる。ここがスタートから7.2km地点。
 交通量の多い車道を右折すると、近代的な産直施設「こまぎの里」の前にやってくる。ここのソフトクリームの看板やノボリには本当に苦しめられた。駐車場が広いために、走路から建物が離れているのが救いである。道路脇に建物があったなら誘惑に勝てない。クーラーが効いた建物に立ち寄ってみたり、ソフトクリームを舐めながら木陰で長い休憩を取ってしまったに違いない。
 ソフトクリームをやり過ごしてもなお危機は続く。その先の民家のお庭では、お昼どきからバーベキューにいそしんでいるファミリーがおられ、お肉の焼けるかぐわしい匂いが風に乗って鼻腔をくすぐる。この横を通り過ぎるのもまた荒行であった。
 魔のBBQエリアを抜けると、700mにわたる砂利道に突入。けっきょく10kmの周回コースのうち不整地は、スタート直後のわだちのある農道500m、6km付近にある丸石がゴロゴロ転がる200m、そしてトドメとなる8km付近の700m。3カ所合わせると10kmのうち1400mはダートである。100kmに換算すれば14km分にもなる。脚が痛いの痛くないのは我慢すればよいが、いかんせんスピードが落ちてしまう。キロ6分ペースを維持すべきこのレースで、なかなかの障害物となって現れるのである。
 最後に「藤沢周平生誕の地記念碑」と刻まれた石碑のある住宅街を抜けると、スタート地点の高坂公民館に戻る。ふー、これでようやく一周だ。
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 さてさてレース展開はといえば、1周目は速い人についていったので53分、2周めは57分。1周60分を切れたのは最初の2周だけであった。3周目からは気温の上昇に伴い62分、68分、70分・・・どんどんペースが落ちていく。50km通過は5時間12分。2倍すれば10時間24分で完走できそうなもんだが、ペースの落ち込みがひどくて先行き暗澹としてくる。
 後に気象庁のホームページで当日の気温を見ると、朝10時には30度を超しており、昼3時にこの日の最高となる33.1度を記録している。しかしこれは気象庁の観測ポイントのお話。本部テントに設置された気温計は36~37度を示しており、これもまた日陰の気温。直射日光にさらされたコース上は40度を超す猛暑だったと思われる。
 4カ所のエイドでは必ず氷のカケラを大量にもらい、短パンの左右ポケットに詰められるだけ詰める。両手にこぶし大の氷を握り、腕や太ももなど露出した部分やシャツの表面に塗りたくりながら進む。気を抜くと、ふらーっと意識が遠のいていくほどの熱波だが、氷の威力はたいしたもので、ひとしきり全身に塗ると生気を取り戻せる。次のエイドまでの15分~20分に、ポケットの氷はすべて溶けてなくなっている。
 レース環境としては「超難関」であるのは確かなのに、周回を重ねるごとに楽しみが増していく感覚がするのが不思議である。
 この角を曲がればあの風景が見られるとか、あそこまでいけば冷たい水浴びができるとか。
 4カ所のエイドや、分岐道で誘導してくれているスタッフの方の顔も徐々に覚えはじめる。スタッフの皆さんはベテランランナーのことは最初からよくご存知だし、ぼくのような初参加ランナーにも名前を呼んで声を掛けてくれる。エイド各所で「アイス好きのお兄さん、アイス食べて~」と市販のシャーベットアイスを手渡してくれ、そのたびに生き返った。
 (つづく)