バカロードその142 おけけとぼくの旅4~日本徒歩縦断2700キロ~

公開日 2020年06月05日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)
(前号まで="アフリカ大陸徒歩横断"を目論む十九歳のぼくは、前哨戦として北海道宗谷岬から鹿児島県佐多岬へと日本列島縦断二千七百キロの徒歩行を始める。生後間もなく保健所行きになりかけた北海道犬「おけけ」を道づれに。北海道を抜け、みちのく路から北陸へと続く旅は、連日の雨と風に打ちのめされる日々。懸命に後をついてくるおけけが心の支えだ。歩きだしてちょうど三十日目に新潟県に入る)

 国道沿いの廃屋の土間で、ぼくは朽ちかけた漆喰の壁にもたれかかって座り、やすらかなおけけの寝顔を見つめていた。
 ぼくは幸福だった、そして少し動揺していた。
 「ぼくは彼女(おけけ)が好きだ・・・」
 その瞬間、背後からボボ・ブラジルのココバッドを喰らったがごとき鈍く重い衝撃が走った。頭蓋骨がカラカラと砕け、前頭葉の中心軸がグラグラ揺れる。身体じゅうの関節のゴムバンドがびょんとたるんだような虚脱感に包まれた。
 「おいおい」とぼくは驚いた。
 「何を馬鹿なことを考えているんだ」そして「冷静になるべきだ」。
 ぼくとおけけの間を紡ぐ運命共同体としての意識が、多少偏向して表層に現れているのだ。動物への愛玩と、恋愛感情が混濁している。
 疲れているのだろうか。寝不足なのかもしれない。冷静になろう。
 けど明らかに意識は覚醒している。
 ぼくはおけけを愛することに戸惑い、おびえている。その事実は、彼女(おけけ)に対する愛が、動物(イヌ)と人間(ヒト)との間で通常交わされうる愛情の範疇を超え、常軌を逸しはじめていることを示す。
 倒錯しているのだろうか。
 ぼくは狂える動物偏愛者か、それとも単なる変態か?
   
 十月十六日。左前方に高い山群が見えだす。北アルプスの気配が濃くなり、心なしか大気が緊張している。
 午後二時半、糸魚川市。激しい風と雨にあおられる。傘をさしていられない強風で、歩くのもままならず。青海町(おうみまち)を過ぎると海崖沿いに隧道と絶壁が繰り返される。天候はさらに悪化し、稲妻が海に突き刺さり、天井が抜けたようなバケツ雨が海面を泡立たせる。隧道のコンクリート柱の向こうに広がる黒々とした日本海。鈍色の空を切り裂く雷光のコントラストは「ベン・ハー」や「十戒」の天地交歓シーンのようだ。
 午後七時半、親不知駅(おやしらずえき)にやっとこさ到着。駅舎のベンチで夜を明かせるかなと勇んで来たが、有人駅だったので野宿をあきらめる。一キロほど引き返し、小学校のグラウンド脇の物置小屋に無断侵入する。せまくて脚を伸ばせず、雨漏りが顔にふりかかって眠れない。四十・二キロ歩く。

 人類の性は形而上にあり、精神世界のあやふやな構築物である。サマセット・モームとボーイ・ジョージはゲイで、KISSの連中はグルーピーの女の子のプッシーを何百人分も撮影し、野坂昭如は羊や鶏と肉体関係を結んだ。そういう事実をちょっとずつ認識し、理解していくことが十代前半の最大テーマであった。
 幸いなことにポルノ映画館から徒歩五分というコンビニエントな高校に進んだ。土曜日、昼までの授業を終えると千円札を握りしめ「ピンク映画」や「ロマンポルノ」を観に映画館にダッシュした。ぼくたちは「にっかつ」と耳にするだけでパブロフの犬のようにゼエハアした。極めて健全で単純な青春だった。
 映画館はパステルカラーのトンガリ屋根を持つメルヘンな建物だったが、館内はいつも湿っていて、精液の臭いがかすかに立ちのぼっていた。薄茶色に汚れた年季モノの銀幕では、あらゆる人種や民族、国籍の人間たちが、階級や性別を超越して、綿々と性の営みを繰り返した。昼下がりの団地妻もロシア文学読みの女子大生も、みなが歓びの声をあげた。スクリーンの向こうには差別も戦争もなく、果てしない自由があった。
 性は奔放で大衆的で、観念は何物にも束縛されない。人間と動物の境界すら破壊する。ある映画では、白い肌の女がサラブレッド馬の股間に顔を埋め、黒い肌の男が綿羊の背後から荒々しく男を叩きつけた。
 それぞれが愉快な動作だった。スクリーンの営みはぼくを優しい気持ちにさせた。ポルノムービーを一つ観るごとに、一つ年輪を重ねていくような熟し方をしていった。土曜日の午後は限りなく平和であり、リアリティに満ちていた。

 十月十七日。午前五時四十分。今日も雨。歩道のない嫌な感じの道で、おけけの歩きも不安定。昼ごろまでは肩掛けカバンに入れて、顔だけ出した格好で歩く。
 市振(いちぶり)という街に午前八時半着。雑貨店のおばちゃんがおけけにと白飯をくれたので、サバ缶を混ぜてやる。おけけが食べ残した残飯をぼくが食べているのを見て、おばちゃんは可哀想に思ったのか、別にオニギリを三個握ってくれる。
 玉ノ木という村で、おばあさんに呼び止められ「家に上がっていけ」と手招きされる。奥の部屋に消えたおばあさんを客間で待っていると、お盆にたくさんの食べ物を載せて現れる。アサリの味噌汁、オニギリ三個、せんべい五枚、茄子の漬物、お茶・・・。野豚のように貪り食らう。たぶん臭かったのだろう。お風呂にも入れてくれる。
 おばあさんは汚い身なりをしたぼくを家出少年か浮浪児と思ったらしく、「物を盗むなよ」「野良になるなよ」「ちゃんと世の中を見ろよ」と何度も繰り返す。
 午後、富山県境を越える。黒部市の道沿いにある弁当屋のおっさんに話しかけられる。昔阿南市の電力会社で働いていたそうで、二時間も延々と徳島の思い出を聞かされる。期待した弁当はもらえることはなく、ゆで玉子を二個くれる。おっさんに教えてもらった小学校の体育倉庫に忍びこんで、跳び箱と平均台の間に畳んであった体操マットの間に挟まる。セーターとヤッケを着込んでも寒い。マットは重くて臭く、眠れない。三月からアフリカに行こうと思う。アフリカのことを考えるとやや興奮気味になり、再び眠れなくなる。三十九・二キロ歩く。

 ポルノムービーに学んだおおらかで広大な性の解放区は、逆に強迫観念となってぼくを傷つけようとした。
 彼女(おけけ)にオスの野犬が近づくと、ぼくはムキになって小石を投げつけ防戦に努めた。いくら彼(野犬)が友好的な態度を見せようと無駄である。おけけには指一本ふれさせないと強い意志のもとに戦った。明らかにぼくは、野犬に対して嫉妬していた。薄汚く、空腹を満たすためだけに生き、ペニスからダラダラと青白い精液を垂れ流している野犬に対して、ヤキモチ
を焼いているのである。父性愛の表れだと無理に納得しようとした。しかし、もっと倒錯し混乱した愛情であることは自分自身がいちばんよく知っていた。
 彼女(おけけ)の処女性についてぼくは強く意識した。生後四カ月のおけけにとって"世界"のほぼすべては"ぼく"であり、彼女が処女を失うことは"ぼく"以外の世界のトビラを開くことを意味した。それは耐えられないことだった。
 ライク・ア・ローリン・ストーン。ぼくの内部で何かが崩れ、転がる石のようにカラカラと無軌道なままで、どこに向かうのかもわからず、毎日ただ五十キロを歩く自分を追いかけることで邪念を忌避しようと苦闘した。
 悪天の続く日本海に夕日が沈む頃、奇跡のように風景が飛び去った。暗雲が散り、波濤は鋭角を失う。舞台の第二幕の幕開けのように全てのセットが早変わりし、目の前に展開される。ぼくとおけけは遠くウラジオストクの黒土まで見渡せそうな孤岬の頂に立った。おけけはまっすぐ風を観る。風は、水平線上で空を紅色に切り取り、太陽より放たれる。夕日を映すおけけの瞳は力強さに満ち、白く長いまつげが可憐に揺れる。大きな黒目は、未踏峰のカルデラ火山の頂にたたずむ湖のように深く濃く、けがれを知らず、圧倒的に美しい。
 潮騒が静かに岬にまとわりつく。
 抱えあげたおけけの白い胸にそっと耳をあててみる。心臓がトクトク鳴っている。鼓動は高く弾け、潮騒と調和し、ぼくの右耳のうずまき管に流れこむ。カタツムリのような形のうずまき管は音をじわじわとからめ取る。カカトの先っぽから順に、やすらかな気分が満ちてくる。羊水の海に漂う胎児が母の心音に癒やされるように、おけけの心拍音が今の自分を支配するすべての状況をやさしく包み込んでいく。

 十月二十日。朝起きて立ちションしていると、おけけも起きだしてきて、横に並んでオシッコをはじめる。
 新潟と石川の県境を過ぎ、道路工事中で未舗装のドロ道を強行突破する。シューズの底に赤土の塊が分厚くくっつき歩きづらい。おけけもまた、ぬかるみの中でドロまみれになっているが、いたって楽しそうだ。
 午前十時ごろ、金沢市の名園・兼六園に到着。門の前で修学旅行中の女子高生の集団に取り囲まれる。おけけの人気はあきれかえるほどだ。入園口の手前でおけけを肩掛けカバンに放り込み、チャックをちゃんと閉める。チケット係の人に見つからないようにし、ぶじ園内に侵入する。しばらく散歩してみたが、公園の文化的価値はよくわからなかった。ロサンゼルスから来たというアメリカ人観光客の集団につかまり、写真をたくさん撮られる。英語でいろいろ質問され、舞い上がりながら答える。
 「なぜ歩いて旅しているのか?」と聞かれて「Because there are roads.」と言うと、「ワオ、オゥ、ワンダフル」と誉めてくれ、全員に握手を求められる。なぜなら、そこに道があるから-----しばらく自己嫌悪に陥りそうだ。そんなの露ほども心にない。四十四キロ歩く。
(つづく)