公開日 2020年08月10日
文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)
(前号まで=アフリカ大陸の赤道直下を東から西へと五千五百キロを歩いて横断すべくケニア共和国にやってきた"ぼく"。血まみれのミートパスタを食べてから下痢が止まらなくなり、女性旅行者にもらった生理用ナプキンを尻にはさんだまま、出発地点となるインド洋岸の港町・モンバサへと向かったのであった)
時代は静止軌道衛星のように、止まっているのやら猛スピードで動いているのやら、わからないのであった。
「俺たちに戦いのリングはない」と言い放った十代のジャーナリスト・高野生は、単身北朝鮮に不法入国し、旧日本赤軍派と接触を図る。誰もが戦うことに絶望した八十年代、彼は「全共闘」の復古を願った。
十代のロッカー・尾崎豊は、日比谷野音の高さ七メートルの照明の足場から舞台へと飛び降りた。左脚を骨折し、ステージに這いつくばったまま歌い続けることで、伝説の扉をこじ開けた。
五十年に一人の逸材と称された天才ボクサー・高橋ナオトは、神技的なディフェンスを封印し、閃光のようなカウンターパンチで世界への道を疾走していた。自らの生命を削り取るような殴打戦の繰り返し。彼もまた十代だった。
そして十九歳になったぼくは、目指すべき先も戦う場所も曖昧模糊としながら、アフリカの端っこのフライパンのように熱くなったアスファルトの上で、毎日汗を十リットルも流しながら、帰るべき蟻塚を見失った蟻のように、のろのろとただ歩いていたのだ。
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ケニアの首都ナイロビから列車に乗り、インド洋岸の港町・モンバサへやってきた。ここをアフリカ大陸横断のはじまりの地とする。
出発のセレモニーは何もない。いや、スタートを切るつもりもないのに、なし崩し的に始まってしまっていた。
その朝、蚤と南京虫だらけのスプリングの壊れたベッドから逃げだしたくて安宿をチェックアウトした。庶民メシ屋に入り、小麦粉を焼いた得体のしれないものを腹に収め、次の宿を探そうと街をふらついているうちに郊外の広い幹線道路に出てしまった。「↑ナイロビ520km」という標識が現れた。街の中心部からけっこう遠くにまで来てしまっていて、戻るのが面倒くさくなった。このまま歩いていこか・・・。こんな感じで大陸横断を始めてよいものか。誰かが見送ってくれるわけでもないし別にええか。まことにシマリのない旅立ちである。
市街地エリアはすぐに終わり、ナイロビへと続く一本道の周りは、砂ぼこり舞う赤茶けた土地に、太陽に焼かれたトラックのタイヤが転がる荒涼とした風景に変わる。といっても無人地帯ではなく、数キロおきに集落がある。村人たちは、観光地でもない自分らの村にひょっこり登場した奇妙な旅人を放っておかない。
「おい、そこの若いの。どこに行くんだ」
「ナイロビだ」
「ナイロビに行くんなら、そっちじゃない。モンバサに戻ってバスか鉄道で行くんだよ」
「ぼくは歩いていくんだ」
「金がないのか。金があればバスに乗れるんだぞ。金がないならトラックをヒッチハイクしろ」
「金はなくはないけど、歩くんだ」
「イーッヒヒヒヒ、何言ってんだお前。ここから先はブッシュ(茂み?)だぞ。ブッシュを知っているのか? ライオンいるぞ、わかってるのか? ナイロビなんて行けっこない。今からライオンのエサになるんだぞ」
「食われるときは食われるときだ。とにかく歩くって決めたんだ。そのために日本から来たんだ」
「オーケー、じゃあピストルを持っていけ。さもなくば本当に食われちゃうぞ」
幹線道路沿いには、トラック運転手向けのレストランやジュークボックスバーが点在していて、店の前に客がたむろしている。英語を解す人が多い。彼らは、歩いてやってきた謎の外国人の行動がおかしくてたまらないといった表情で目を丸くして大笑いする。ぼくのゆく先を聞き、また爆笑し、そのうちこちらが真剣だと気づくと、頭を両手で抱えて心配したり、必死で止めようとしてくれる。メシやコーラをおごってくれ、別れ際には「頑張れ」と抱きしめて励ましてくれる。みな優しい。
だんだんと集落の気配が消えていく。
土はますます朱色を濃くし、乾いた草むらの奥にバオバブの巨木が天を衝く。目に映るほぼすべてが、地面、空、太陽。太陽に焼き固められた土は、素焼きの陶器のように硬質だ。何百年と風化に耐え抜いた赤土の塊は、物質そのものの力強さを放っている。
南アジアを旅した時に触れた世界とはまるで違う。ごった返す人の群れや、生命の気配に満ちた森、雪溶け水を外界へと運ぶ高峰。あらゆる物が生まれては死に、再び生まれ変わることによって永遠性を保つ、輪廻の世界観とは真逆だ。「生まれて死ぬまで一代で終わり」といった潔さがここにはある。
直射日光が道路のアスファルトをぐんにゃり柔らかく溶かしている。地面からの輻射熱でヒザから下が真っ赤に腫れ上がっている。上から下から炙られてオーブントースターの中を前進しているよう。
腕に浮かぶ汗は、水滴になる前に空気中へ消えていく。皮膚がカラカラに乾くと、焼けつくように表面が熱くなり、水ぶくれ状のヤケドとなってくる。
皮膚に水を塗ってしのぎたいが、リュックの中のポリタンクの容量は五リットルで、すでに残り少ない。ここから先、無人地帯に突入すれば、水を補給し続けられるかどうか怪しい。飲む目的以外には使えないのだ。そして、もし水が完全に尽きてしまったら、ただちに汗はストップし、ぼくはカサカサのミイラとなって道端に倒れるのだ。
すっかり日が落ちた頃、ピンク色のセロファンで蛍光灯を覆ったまがまがしいドライブイン・バーにたどりつく。店に入り「何でもいいので食べ物と水ください」と懇願する。肉とイモの煮物をぶっかけたモノを出してくれる。そのまま店主と打ち解けて、庭先に簡易テントを張って寝かせてもらう。この夜は村の集会があるらしく、次から次へと村人がやってきて、テントをバンバン叩いては「おう外国人、何でこんな所で寝てんだよ」と顔を突っ込んでくる。駐車場では酔っ払いたちが爆音のミュージックとともにゴーゴーダンスを踊っている。
真夜中に騒ぎが収まると、次はテントの中で蚊がブオンブオンと暴れだす。日本にいる蚊の倍ほどもサイズが大きく、凶暴さは桁違いである。叩き潰そうとするが逃げる素振りもなく攻撃してくる。朝まで全然眠れなかった。
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二日目の朝。身体を起こすのがつらい。吐き気やめまいがする。寝不足もあって疲れ切っている。
ピンクバーを出て、十キロも進まないうちに道端にへたりこむ。初日の昨日は二十三キロしか歩いてない。たったの三十キロ少々でダウンなのか?
ミシュラン社製の東部アフリカの道路地図を見つめる。昨日の移動距離は、地図上の長さでは鼻クソの直径にも満たない。鼻クソの上でぼくはもがき苦しんでいる。途方もなく広いアフリカ。やっぱり無謀なのだろうか。
ポリタンクにつめた五リットルの水を、早々に飲み尽くす。喉を通った水はたちまち細胞に吸収され、乾きを癒やす間もなく、皮膚から体外に放出される。
もう水が一滴もない。ノドの粘膜が乾燥して、吸い込んだ空気が痛い。目がかすむ。景色がグラグラ揺れる。身体から何リットルの水が失われると日射病になるんだっけ・・・。
道路から少し離れた木立のなかに、家が五軒ほど並んでいる。助かった。ふらふらと近づくと、水桶を頭に乗せたお婆さんがいた。
「水場はありませんか。水をください」と身振り手振りでたずねると、こっちに来なさいと集落の中へと導かれる。そこには小さな食堂があり、ぐったりしたぼくにプラスチックのコップに満たした氷水を運んでくれる。一杯では足りず、悪いなと思ったけどおかわりする。そのうえ図々しくも「とても腹が減ってるんです」と訴えてみる。横でお茶をすすっていたおっさんが「よし、オレの家に来い。うまい料理を食べさせてやる」と立ち上がる。
招かれた彼の家は清潔で、応接間にはきれいなソファーと蓄音機らしきレコードプレーヤー、そしてキッチンがある。おっさんは、最近まで学校の教師をしていたものの、何らかの事情で今は失業中の身だという。ソファーを指差して「そこに座りなさい」と勧めてくれたが、赤土まみれの肌とシャツで汚らしい自分が恥ずかしく「外の方が涼しいので、外で座ってます」と申し出ると、軒先に椅子を出してくれる。
鶏とヒヨコが六匹、餌を求めてピヨピヨ歩きまわっている。台所の様子を心待ちに眺める。おっさんは、キャベツとトマトを包丁で刻み、ガスコンロで怪しげな料理を作りだしている。そのうちぼくは、軒下のひんやり冷たい床と心地よい風にうとうとし、横になって眠ってしまう。
おっさんに起こされると、すっかり食事の用意ができていた。野菜の炒め物の横には、ウガリがでーんと添えられている。ウガリとは、ケニアの食卓に必ず登場する主食で、キャッサバ芋の粉と水を練って蒸したものだ。巨大な蒸しパンみたいな形をしている。
空腹で死にそうだったので、皿に口をつけて犬みたいにガツガツむさぼる。野菜炒めがめちゃくちゃおいしくて、食べているうちに涙が出てくる。戦争体験のあるお年寄りはよく「涙が出るほどおいしい」という表現を使うけど、本当にこうなるんだ。おっさんは、ぼくが泣きだしたのを見て「大丈夫か、大丈夫か」と背中をなでてくれる。
近所の人たちが集まってきて、窓の向こうからこっちを見守っている。いつまでもここにいたい気持ちになるが、そういうわけにもいかない。おめかし服を着たかわいい子どもたちと一緒に記念写真を撮ったら再出発だ。
おっさんは道路までついてきてくれ、握手を交わして別れる。
「ヤングボーイ、いい旅を。疲れたら意地をはらずに車に乗れよ」。
ぼくの姿が見えなくなるまで手を振っている。
おっさん、ありがとう。
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人の優しさに触れ、お腹もパンパンに膨れて、元気は百倍に回復している。「やるぞー」などと叫びながらサバンナを歩く。
ギチギチと羽音を立てながら巨大なバッタが頬をかすめる。人間の足音を聴きつけた野ネズミが、驚いたようにザザザと逃げていく。腹に白い模様のあるカラスみたいな鳥が、上空で群れをなして旋回しながらついてくる。明らかにこっちが行き倒れになるのを狙っている。ぼくは食物連鎖のどこかに位置づけられ、こいつら野生動物にとっては単なる食料と見なされているのだ。
地面を這うツル植物の中に、恐ろしく堅いトゲを持ったイバラが目立ちはじめる。うっかりトゲを踏んだら、トゲが靴底を貫通した。おお、こわ。こんな道をケニアの人々は裸足で歩いているのである。
日ざしは変わらず猛烈だ。おっさんの村で補給した水が、ポリタンクの中で熱湯に変わっている。
家の影ひとつない平原の向こうから青年が道路ぶちへとやってきて、遠くからこちらを見つめている。「ジャンボサーナ」(こんにちわ)と声をかけ、人畜無害なことを伝える。村がまったくない場所なのに、ときどきひょっこり人がいるのが不思議だ。みな、どこからやってくるのだろう。しばらく一緒に歩いてくれた青年が、別れ際に「次に人がいる所まで十キロ以上あるよ。歩いてはいけないよ。気をつけて」と注意してくれる。
二日目の夜が訪れる。猛スピードの車がやってくるたびにはね飛ばされないよう、ヘッドランプを外して光を回してこちらの存在を示す。日が暮れたあとは気温がぐっと下がり、行き倒れは回避できる。深夜まで歩きつづけて距離を稼ぐ。
平坦な空き地を見つけ、シートを敷いてゴロンと横になる。星のひとつひとつがギラギラと輝きを放っている。サバンナでは星もまた力強いのだ。大の字になった真上にオリオン座がある。あとは知らない星座ばっかしだ。
と突然、遠くの地平線のあたりにすさまじい光が走る。西の空に暗雲がたちこめ、その雲がときおり紫色に輝いては、遅れて雷鳴がゴロゴロとうなりをあげる。やがて数秒間隔で空全体が大きな閃光に包まれる。風が砂を飛ばし、草原が雷の共鳴装置となる。嵐がやってきそうだという恐怖心よりも、その巨大な自然の力の制圧下に自分がいることにワクワクする。リュックを枕に、簡易テントを掛け布団にして、強風に身体が持っていかれそうになるのを愉しむ。そして眠りに落ちる。
体じゅうを這いずりまわる蟻の感触に目覚めると、嵐の予兆は消えうせ夜空は晴れ渡っていた。満天の星々が、大地の動きと逆方向に静かに移動していく。ぼくは今、アフリカの表面にへばり着いているんだ。憧れのアフリカに抱かれているんだ。たとえようもない幸福と充実感のなかで、いつまでも星を眺めていた。
(つづく)