公開日 2022年08月18日
文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)
(前号まで=アフリカ大陸の徒歩横断を試みる“ぼく”は二十歳。アフリカ東岸の国ケニア共和国の港町モンバサを出発した。ケニア、タンザニア、ルワンダを経て二千キロ余りを踏破し、大密林地帯のザイールへと入る。州都キサンガニから西へ向かう道が途切れたことから、一艘の木彫りカヌーを買い、川幅最大十キロという大河・コンゴ川を下る決意をする)
ジャングルの大都市、キサンガニ・シティの対岸にある寒村から、六百キロ西にあるリサラという街まで、コンゴ川を木彫りのカヌーで下りはじめた。
二千五百円で購入したカヌーは、1本の丸太から削り出したもので、長さは四メートル、幅は七十センチほどの一人用だ。細くて不安定な漕艇を川に浮かべ、ビビリながら漕ぎだす。ぐらぐら右に左にと揺れるばかりで沖に出られず、陸に逆戻りしては、見物客の喝采と嘲笑をいっせいに浴びる。岸辺には、外国人の無謀な挑戦を見ようと、たくさんの村人が集まっては、酒の肴にしているのだ。
櫂(パドル)もまた木彫りである。カヌーの左側の川面に櫂を入れたら、右に曲がるはずなのに、まったくそうはならず、川の流れの圧力のままに船首はあらぬ方を向き、みじめな格好で流されていく。自分の思惑どおりの方向には移動できない。ほとんど漂流である。
赤銅色に濁った川水は、一センチ底すら透かさない。森のような巨大な浮草が、轟音を立てて通り過ぎる。この間まで歩いていた閉ざされた密林が嘘のように、空は百八十度の半球を描いている。
川は、今まで見たどんな海よりも広く感じる。何万立方メートルもの水が、そろりそろりとしたスピードで地の果てまで流れていく。その膨大な質量を体の下に感じると、更に不安定な気分に陥る。
しばらく川に流されるがままでいると、大型カヌーを駆った三人組が接近してくる。彼らは、眼光鋭く「なんだかんだ!」と因縁をつけはじめる。複雑なリンガラ語を理解する術もなく、彼らのカヌーに固定され、川岸へと牽引される。
抵抗できないままに岸辺へと拉致される。男たちは「この船は俺たちのモンだ。今すぐ寄越せ」という主張をしているようだ。このカヌーが盗品だったのかどうかはさておき、強引なやり方にムカッ腹が立ったので、一番上背のある男の胸ぐらをつかんで頭突きを入れ、足を払って倒してやる。すると、ほぼ同時に、別の男のナックルパンチを顔面にくらう。前歯が上唇に刺さって流血する。とにかくカヌーを奪われたらこの旅は終わってしまうという憤怒から、ぼくは「ワーワー」と大声をあげて暴れ、その気勢に三人が圧されたと見るや、強引にカヌーを沖に出して逃げる。
男たちは追ってこなかった。どういう事情でぼくのカヌーを奪おうとしたのかはわからない。実際に盗品を転売したオヤジから買ってしまったのかもしれないし、ただの強盗だったのかもしれない。
いきなりのトラブル発生で焦ってパドルを漕げば、船はぐるぐる回転するばかりで、ぶさいくな格好で漂流していると、今度は後方から猛然と一艘のカヌーが現れる。
漕ぎ手のオッサンは漁師らしく、彼の船は大量の投網が占領している。並走しはじめたオッサンは、まともに船をコントロールできない哀れな外国人を気の毒に思ったのか、正しい櫂の操り方にはじまり、カヌーの底に空いた穴から漏れる水の目止め方法まで伝授してくれる。ぼくは従順に指導に従う。
四、五キロ並走すると、彼は「まっすぐだ。まっすぐいけば村がある」と言い残し、猛スピードで消え去っていった。
あらためて一人で漕ぎだすと、不思議なもので軸先にかかる水圧を身体で感じ取れるようになっていた。頭上で櫂をヘリコプターのようにぐるんと回転させながら、左右交互に水面をかくという、オッサンが教えてくれた玄人っぽい漕ぎ方を試すと、カヌーの舳先がびゅんびゅんと真っ直ぐ水を切っていく。船と自分が一体化したような気分になる。
ヤッホ、ヤッホと声を出しながら一時間も進めば、岸辺の崖の上に大きな建物のある「ヤクス村」に着いた。まだ日は高いけど、初日はここまでにしておこう。上陸すると、村には十数軒の屋台が並んでいるが、どこもかしこもバナナしか売っておらず、疲れて食べる元気がない。川から見えた大きな建物は病院だった。玄関が開けっ放しだったので、待合所のような所にもぐりこんで寝る。
□
川下り二日目。
昨日カヌーを留めておいた場所に向かうと、影も形もない。盗まれてしまったのだろうか。
「ぼくのカヌーが消えてしまった。誰か知りませんか」と泣きべそ顔で訴え、辺りを探していると、昨日、カヌーの指導をしてくれたオッサンが現れ「ムトゥンボ(カヌー)はあっちに移動しておいた。取ってくる」と走り去る。やがて密林へと通じる小川から立ち漕ぎで登場する。
「こんな川岸に留めたまま夜を越したら、増水したときに流されてしまうよ」と櫂を渡してくれる。どこまでも親切なオッサンなのであった。
雨季のコンゴ川は雨日和がつづく。空はどんより厚い雲をたたえ、冷たい雨が川面を叩く。夕方、白波の立つ早瀬に巻き込まれるが、何とか脱出する。それなりにカヌーを操縦するスキルが上がってきたようだ。
日暮れ前に川辺の集落に上陸する。二日間、何も食べていないのでハラがへって力が入らず、重いカヌーを陸揚げするのに四苦八苦する。周囲を取り巻いている村人たちに「コメが食べたい」と訴えると、「ちょっと待て」と言うが早いか、洗面器にドカッと山盛りにされた五合分もありそうな白ごばんを出してくれる。おかずは彼らが「ピリピリサマーキ」と呼んでいる赤い香辛料入りの魚缶詰だ。ピリピリサマーキを米に載せて手でかき混ぜながら食べる。ぶっかけメシはほんとうにうまい。コメばんざいと心で叫ぶ。
夜は、村長の家で泊まらせてもらう。黄色く濁ったドブロクを飲まされ、周りの皆が踊りだしたので、酔っぱらいがてら日本舞踊を適当に踊る。村長宅には大勢の村娘たちが集まってきていて、ぼくの髪の毛を代わる代わる撫でては「黒くてまっすぐな髪の毛、いいわねえ」などと色っぽい吐息をかけてくる。上機嫌の村長は「この中から一人選んで子供をつくれ。そしたら、真っ直ぐな髪の毛の子供が生まれる」などと調子に乗っている。どこまで本気なのかわからず怖い。
□
川下り四日目。
本流から支流に入る。 支流と言っても川幅は一キロくらいある。出発以来、ずっと茶濁していたコンゴ川が、ふと気づくと透き通って川底がきれいに見える。透明な水に揺らぐ紫や白の砂粒にうっとり見とれていて油断してしまい船底が浅瀬に乗り上げる。櫂にいくら力を入れても脱出不可能、座礁してしまったのだ。
いくらもがいても状況は変わらず、ヤケのヤンパチで船を降りてみる。おそるおそる足を踏み出すと、川底は思いのほか硬く、歩いてもへっちゃらであった。ぼくの体重が減った分、船も軽くなり、座礁位置から脱出成功する。
でっかい川のど真ん中を、ロープで結んだカヌーを飼い犬のように引っ張って歩く。映画「十戒」の海を切り裂いて歩く聖者のように、ぼくは堂々と川を歩く。
□
川下り五日目。
食料を求めて川の横断をする。一日に一度は、適度な大きさの村を見つけて、食料補給をしたい。
なめらかな鏡の表面のようにぬるりと平板な川面に、カヌーの波紋がするすると扇状に広がる。まっ白なガスが、頭上低く静かに移動していく。いったいいくつ島をわたってきただろう。今、カヌーの脇に連なっているこの陸地は、コンゴ川の右岸なのか、それとも中洲の 一 部なのかわからない。川幅は十キロほどもあり、その間に何百もの中洲が浮かんでいる。気が遠くなりそうなくらい広大だ。
七時間も漕ぎ続けて、ようやく支流の右岸らしき陸地に村が現れる。高い崖が連なっていて、崖の上に子どもたちが何人かいたので「ハラへった、メシを食べたい」と叫ぶと、「魚も肉もあるぞ」と言うではないか。これ幸いと二十メートルくらいの絶壁をよじ登って村に入る。
この村は「ヤーレンバー村」というそうだ。パパイヤがいっぱい実っていて、村じゅうパパイヤの甘い匂いが充満している。「パパイヤを食べたい」と言うと、村人が良く熟れたパパイヤを八個持ってきてくれたので五十円で買う。ところが後から後から、村人たちがわんさとパパイヤを抱えてきて「こんなのタダでやるよ」と言う。三十個くらい集まってリュックはパパイヤで満杯になる。最初に五十円払ったのもったいなかったなと後悔する。
□
川下り七日目。
すがすがしい朝だったが下痢気味で、カヌーの上で屁をこくと同時にウンコを漏らす。しかし、見ている人は誰もいないのでパンツを脱いで洗えるから嬉しい。
川岸に倒れていた古木の上に攀じ登ってしゃがみ、川に向かって野グソをしていたら、背後に気配を感じる。と同時に、ケツの穴周辺に鈍い痛みを感じる。ふりかえると、鋭く口の尖った銀色の目玉をした魚がウヨウヨと何十匹も集まっては、ぼくの排泄したウンコを食らっているではないか。さらにエサ(ぼくのウンコ)にあぶれたヤツらが、肛門めがけて、水面を叩いてビュンビュン滑空してくる。さっきの痛みは、目玉魚のクチバシの感触だったのだ。怖くなって、あわててパンツをあげて逃げる。
その先には三メートル以上ある黒と黄色のマダラ模様のヘビが、水中をうねっている。大迂回して逃げる。
さらに下流で、流木のような物体が水しぶきをあげている。しかし流木にしては、流れに抵抗して上流へ移動していくなど動きが尋常ではない。変だな、と目を凝らして見つめていると、突然ブフォッと空気を吐き出した。
ヒポだーーー!
密林の民に最も恐れられる存在、ヒポに出くわしてしまったのだ。
わが国では「カバ」と呼ばれ、動物園の柵に囲まれたコンクリートの人工池に浮かぶ彼らは、さも呑気そうに、天下泰平おだやかに浮遊している。しかし、その鈍重な姿が仮の姿であることを、われわれは知らない。
密林の民に最も恐れられるヒポは、まがいもなくジャングル最強最悪の凶暴獣である。ヒポの狂乱ぶりを示すに、ザイール人たちはいろんなエピソードを用いる。
「ヤツは動く物とみたら、とにかく突進していくんだ。アメリカ人のカメラマンが乗ったジープの横っ腹に突っ込んだときは、さすがにアヒャーと叫んだな。そのままヒポは車を横倒しにしちまったんだから」
「ヒポに追いかけられたら逃げられっこねえよ。ああ見えて、陸にあがると時速四十キロ以上で走るんだから」
「ここらじゃ毎年一人はヒポにやられるよ。アイツを見ろよ。ヒポに咬まれたおかけで、腰の骨が砕けて、今でも這って歩いている」
「リサラまでムトゥンボ(カヌー)で行くのか。じゃあヒポを見かけたら声を出すな。死にたくなければ、気づかれないように息を殺してその場を去れ」
確かにアフリカくんだりまでやってきて、カバに噛み殺されるなんて哀れだ。せめてワニに襲われた方が絵になる。まぬけそうな風体のカバに殺されるなんて、あまりにせつなすぎる最期だ。
今まで、村人たちに叩き込まれてきた“カバに会ったとき対応”を思い出す。「ヒポに会ったら騒ぐな、逃げるな。ヤツは動くものを見ると追いかけてくる」。教えられたとおり、体を硬直させ、カヌーの底に身を横たえる。アメンボほどの水音も立てないようにし、川の流れに身を任せる。
頭の中は真っ白で、思いつく限りのお経を唱える。といっても仏説摩訶ハンニャハラミッターくらいしか知らないので、キリスト教やイスラム教の神様にもまとめてお祈りする。すると、不動の体勢が功を奏したか、あるいは世界の神々に助けられたか、ぼくのカヌーはカバの三十メートルほど横を、浮草のように下流へと流れ、カバはプカプカと遠ざかっていったのだった。
(つづく)