公開日 2022年09月20日
文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)
(前号まで=アフリカ大陸の徒歩横断を試みる“ぼく”は二十歳。アフリカ東岸の国ケニア共和国の港町モンバサを出発した。ケニア、タンザニア、ルワンダを経て二千キロ余りを踏破し、大密林地帯のザイールへと入る。州都キサンガニから西へ向かう道が途切れたことから、一艘の木彫りカヌーを買い、川幅最大十キロという大河・コンゴ川を下る決意をする。川を下り始めて一週間、六百キロある川旅の半ばにある)
コンゴ川には「人喰いカバ」以外にもいろんな伝説がある。有名なものは「地獄船」である。地獄船とはザイールの首都キンシャサから内陸都市キサンガニまでの片道約二千キロを往復する商業船のことである。貨物輸送できる満足な道路がないこの国で、地獄船だけが唯一、大量の物資と人を数千キロにわたって移動させられる。この船をヘルシップ(地獄船)と呼んでいるのは貧乏旅行者だけで、ザイールの民にとれば「希望の船」といったところである。
「地獄」の冠は、比類のない船内の混乱ぶりを指して称されたものだ。詰め込めるだけの人間、野菜、衣類、家具、豚に鶏…があふれ、目隠しされた食用ワニや、かさぶただらけの奇魚が甲板に無抵抗なままに転がっている。船上は交易場と化し、人々は市を開いてモノを売りさばき、買い占め、再び売る。
途中で立ち寄る村からは、どんどん人が乗ってくる。誰も乗船券など持ってないのに堂々と乗客ヅラをし、人と動物とモノの間に割り込んでくる。そんな密集した船内にだけあって、マラリア、コレラをはじめひととおりの伝染病が蔓延し、死に至ることは珍しくない。川底の浅いコンゴ川で浅瀬に乗り上げるのは日常茶飯で、ある時など川の真ん中で二週間も立ち往生し、数百の乗客が腐乱死体で見つかったという(これは大げさすぎる都市伝説だとぼくは思うが)。
「地獄船」にまつわる噂と憶測は、ジャングルを旅する者たちの妄想をかきたてながら、熱帯の偶像を作りあげる。地獄船に乗り込み、数十日を耐え、大ジャングルの塵芥にまみれることは、密林旅行のロマンチシズムなのである。達成すれば勲章となる。勇気あるツーリストは、いつ訪れるとも知らぬ船の到着を、コンゴ川の畔で何週間もぼんやり待っているのである。
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川下り九日目。
幸か不幸か、本物の地獄船とすれ違うこともなく、孤独な川の旅が続いている。数十キロにひとつあるかないかの集落の近辺以外で、人に遭遇することはほとんどない。
今日はついに村が現れないまま日没を迎えてしまった。仕方ない。小島で野宿することにする。うっそうとしたジャングルが川岸近くまで迫っている。椰子の幹に蚊帳をくくりつけ、葉っぱを地面に敷き詰めて寝床を作る。
真夜中、眠り込んでいると、荒々しい息遣いに目覚める。蚊帳の周りの暗闇に巨大な影がうごめいている。影は一つではない。少なくとも三つ以上いる。バオッバオッと咆哮をあげる。
そのうち、足元でグシャグシャと何かを喰いあさりだす。寝る前に、濡れたビスケットを乾燥させておいたのだ。カヌーが浸水したときに水浸しになった貴重な食料である。どうやらそれを、むしゃぶり食われているらしい。ビスケットを喰いつくすと、蚊帳越しにぼくの腕の臭いを嗅ぎ、フンゴフンゴと鳴く。こりゃ野ブタだ。しかも猪のように巨大だ。ヒゲの感触がザワザワと皮膚を刺激する。カバが人間を襲う話は山ほど耳にしたが、野ブタが危険生物かどうかは聞いたことがないので、正しい対応が思いつかない。身動ぎせず耐える。
野ブタの群れは、これ以上食い物がないと悟ると、蚊帳から離れていった。森の奥に入っていきブォーという雄叫びをあげて、バフバフと肉と肉が衝突する音がする。交尾をはじめたようだ。ぼくは豚に噛みつかれずに済んでホッとして眠りにつく。
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川下り十一日目。
今日中にカヌー旅の終着地点となる街・リサラに着くぞ!と必死に漕ぐ。リサラは、キサンガニから千キロ下流間の最大の街という。
ところが午前から向かい風の大風が吹きはじめ、高波がカヌーの内側にザブザブ侵入してきては、いくら漕いでも前進はおぼつかず、逆に上流へと連れ戻されそうになる。
日没間近、集落もなく焦っていると、二日前に上流のブンバ村にいた木材の輸送船が停泊していた。操舵室に向かって「誰かいませんか」と叫ぶと、乗組員が顔を出し「オマエ、上の方の村にいた奴だな。夜はカヌーに乗ると危ないよ。今、メシ食ってるから上がって来い」と誘われる。
直径二メートルはある巨木を数十本束ねた丸太船だ。体育館の床ほどの広さのイカダを、小さな動力船がけん引している。これから首都キンシャサ近くの取引所まで、幾日もかけて材木を運んでいくのだという。
この巨大イカダが今夜の寝床だ。乗組員たちが、丸太の上に木の皮を集めて敷きつめ、簡易ベッドを作ってくれる。支柱を立てて蚊帳を張って完成。
船員たちが、川魚やイモを煮込んだスープを椀に山盛りにして注いでくれる。コンロの火を囲んで、夜飯を食っていた最中だったようだ。
彼らはコンゴ川の水をそのままコップですくって飲んでいる。「その水を沸かさずに飲んで、コレラにかかったりしないんですか」と尋ねると、「オレらは生まれたときからこの水を飲んでいる。大丈夫だからおまえも飲みなさい」と勧められる。それまでは、村で出された濁り水は飲んでいたが、コンゴ川からの直飲みはさすがに控えていた。まあでも、地元の人が大丈夫ってんだから大丈夫なんだろう。コーヒー色をした濁り水をガブカブ飲む。
久しぶりに満腹になるまでマトモな食事をしたので大満足である。丸太船に寝転ぶと、夜空は百八十度さえぎるものは何もない。闇の深さに浮かぶ人工の光源は、蚊帳の中で炊いている蚊取り線香のオレンジ色だけ。星の光のまたたきは、チカチカと音が聴こえそうなくらいに騒がしい。流れ星が幾筋もの白い軌跡を残して地上に降る。黒い半球の表面を次から次へと流れつたう。ここは流星の巣だ。一生分の願い事をつぶやいてもおつりがくる。
丸太船は揺りかごのように、ゆっくりと揺れている。どこからか、長い汽笛とともに銀河鉄道が降りてくるんじゃないかと、子供のような幻想にとらわれる。
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川下り十ニ日目。
夕べとはうって変わって無風だ。鏡の表面のようにつるつる滑らかな川面を、幾何学的な波紋を描いて進む。
不思議なことに、抗生物質を飲んでも治らなかった下痢がピタリと止まっている。昨日の晩、コンゴ川の水を直飲みしたからなのか、これが自然の治癒力かと驚く。
丘陵上にリサラの街が現れる。ここがカヌー旅の終着地点である。ゆるく湾曲したコンゴ川の縁に屹立するこの街は、湖に浮かぶ島のようにも見える。
州都キサンガニからここリサラまで約六百キロを十ニ日かけて下った。リサラから西方面へは道路が中央アフリカ共和国の首都バンギへと伸びている。バンギまで、五百二十キロほどの距離だ。
カヌーは川辺に乗り捨てることにした。どうせ売っても端した金にしかならないだろう。
街に上陸する。リサラはこの数百キロ間で最大の都会だが、豊かさは感じられない。茅葺き屋根の家々が、ぬかるんだ道の両側に延々と連なっている。
珍しく立派な店構えのレストランが現れたので、たまにはぜいたくも良かろうと入ってみるが「メニューは山羊肉のスープだけだ」と言う。パーム油でねっとり味つけされた山羊肉は、パサパサしているうえに野獣臭が立ち昇り、喉を通すので精一杯なほどマズかった。
店を出て、碁盤目状の街を西へと向かう。土埃が舞う長い道の左右に市が立っている。売っているのは天日干しの魚や、燻製された密林の動物だ。
めったやたらと暑い。Tシャツが汗でぐっしょり濡れる。呼吸がうまく続かない。脚の関節がサビがまとわりついたみたいに軋む。カヌー旅をしていた十二日の間に、すっかり下半身が衰えてしまったのだ。
乾ききった赤土の道の上で、熱い太陽にチリチリと焦がされながら、目玉が飛び出した干し魚のように、みじめにゼエゼエと喘ぐ。歩き旅の再開だ。ここからアフリカ西海岸まで二千キロ以上ある。あの飢えと乾きとの戦いがはじまるのだ。
(つづく)