バカロードその171 母の首飾りへ捧げる旅

公開日 2025年03月21日

ヒマラヤのクンブー谷にあるアマダブラム山(標高6856m)は、険峻な主峰に抱かれるように穏やかな前衛峰が位置し、まるで母が子を抱いているように見える。アマ・ダブラムとはシェルパ語で「母の首飾り」という意味があり、ヒマラヤ山脈で最も美しい山のひとつとされる。

旅に出て3日目
針の穴を通す思考方法

 早朝4時に目覚ましをかけたが、ショートスリーパーなので深夜1時から起きたままだ。
 カトマンズの郊外にある空港へのお迎えは5時30分にやってくる。ホテルのフロントスタッフに、登山には不要な荷物を預ける。ここに帰ってくる時まで預かってくれるのだ。荷物と交換に白い箱を渡してくれ「朝ごはんです。召し上がってください」と言う。開けてみると、ゆで卵・パン・フルーツパンケーキ・バナナ・りんご・ジュースの詰め合わせだ。
 トリブヴァン国際空港の隣にある国内線ターミナルから朝7時に、エベレスト方面の登山拠点となるルクラという村へと向かう。「よく墜落し」「よく飛ばなくなる」ことでツーリストに有名なカトマンズ~ルクラ便だが、登山ガイドに訊くと見解が違う。
 「飛ばない日はないですよ。1日に30本くらいフライトがありますから。飛行機がダメならヘリのキャンセル席を待つとか。カトマンズの天気が原因で飛べない時は、すぐに別の飛行場に移動すれば飛べますよ」と平然としている。天気も似たような感じで、このエリアに居住したり経験の深い方からは「5月といえば、もう雨季に入るので山に登れないのでは?」と心配頂いたが、登山ガイド曰く「ぜんぜん晴れてますよ。不安ならサミット(頂上)の時間ごとの天気予報を見てください。風の強い日はあるけど、ずうーっと晴れですよ」。
 発想の道筋が国民によって違うのだろうか。
 日本人は、物事に取り掛かる際に、リスクの叩き出しから始める。ビジネスでも人生のイベントでも、失敗の可能性をリストアップし、丹念に潰していく。その結果として、正確無比な交通機関を運行し、質の高い自動車や電機製品を生み出してきた。
 一般的なネパール人のことは知る由もないけど、今回交渉している山岳関係者の発想は真逆だ。まずは「物事は成功する」と決める。そして成功する道筋をひとつずつ些細に検討していく。リスクを9つ並べる作業はなく、針の穴を通す1つの方法を考える。職業柄があるのだろう。ふだんから人間が生きることのできない標高8000mオーバーの「デスゾーン」を職場としている人たちだ。そこで危機に瀕したときに、アレコレ考えている余裕はなく、風雪の中で議論などできない。置かれた状況を乗り越える方法を瞬時に見い出し、実行する。お会いした4人の登山関係者の方は、全員その思考方法をしており、言霊はどこまでも明るい。
 7時予定のフライトは、使用するルクラからの飛行機の到着が遅れたものの、9時には飛んだ。14人乗りのプロペラ機の客席は、全員が窓際席で、乗客たちはオデコを窓にくっつけて眼下の景色に見入っている。どんな険しそうな山の稜線にも蛇行した道が通され、人々の生活の気配がある。標高差数百メートルにもなる棚田は、段数にすれば何段になるんだろう。山稜をひとつ越えるたびに、川が削る谷の深さは増し、山のボリュームが増していく。森林限界の奥に、白い鋭峰たちが絵巻のように見えてくる。ついに来たんだ、この場所に。
 昔の僕なら「飛行機なんて使いやがって、一生貧乏旅行者の魂で生きるんじゃなかったのか。このブルジョワ野郎が」と毒づいてるだろうね。ごめんね昔の自分。カトマンズから7日かけて歩く労力はカネの力でショートカットしちゃったよ。
 「世界一危険な飛行場」と称されるルクラ飛行場が前方に見えてきた。崖のはじっこに築かれた滑走路は長さ527メートルしかない。ちょっとデカ目の陸上競技場くらい。着陸口から奥へと登り坂になっており、最後では急坂になり、更に右カーブを描いている。短かすぎる滑走路を飛行機がオーバーランするのを防いでいるのだ。
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山に生きる若者たちはヒップホップなノリで
 空港に降り立つと、待ってくれていたポーターのラースさんとご挨拶する。27歳の青年に、21㎏の荷物を託す。「重くないですか?」と聞けば、「まったく重くない」と言う。山岳ガイドの説明によると「ビジネスライクに言うと30㎏までは定価内で問題なし。40㎏を超えたら割増賃金が発生します。ポーターは稼ぎたいので重い方が嬉しいんですよ」とのこと。
 「高所ポーター」とは山岳地帯において荷上げを行う専門職だ。この生業で暮らしている人は、エベレスト街道のあるクンブー地方では千人単位でいる。通常は30~40㎏を背負い、物資の集積地であるルクラ空港から観光地のメインルートであるエベレストベースキャンプまで運べば、日当3000円程度になる。力がある人は80㎏までなら背負え、100㎏を持ち上げる人もいる。ルクラから、クンブーの首都とも言えるナムチェバザールまで目方100㎏を担いで上げたら、1万円になるという。
 1日の稼ぎが1万円。これは企業勤めのサラリーマンの平均月給が5万円のネパールでは破格のギャラだ。ナムチェバザールから折り返す下山路も、山岳地帯で収穫されたジャガイモなど根菜類や野菜を背負って降りる。毎日仕事が入れば、サラリーマンの5倍は稼ぐ。世界には凄い職業があるものだ。
 賛否両論があるのは知っている。旅行者や地域の経営者による搾取であり、過酷労働をさせているという趣旨だ。
 が、現場にその暗さはない。
 特に若者ポーターらは、お洒落なスポーツウェアに身を包み、ヒップホップミュージックをスマホのスピーカーから流しながら荷運びをしている。都会の若者と嗜好性は同じだ。歩きスマホならぬ「荷上げスマホ」もしてるぞ。ビール瓶が2ダースも詰め込まれた40㎏の荷物を、頭部に渡した布一本で支えながら、目線は片手に持ったスマホに集中し、風のように急峻な山道を登っていく。
 おいおい、世界的なクライマーはここにゴロゴロいますって!
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 午後2時30分に本日の行程は終わり。パクディンという村で一夜を過ごす。「カラパタールロッジ」では、山小屋とは思えない綺麗で広い部屋に案内される。夜はまたまたネパール定食・ダルバートだ。ダルバートはレストランごとにカレーや惣菜の種類や味つけが違い、飽きないし、美味このうえない。ガイドのフルパさんが心配そうに訊く。
 「バンドーさんは、ダルバート大丈夫? 今まで登山やトレッキングでうまく行かなかった人は、ネパールの食事が合わなくて、特にダルバートが口に入らないと言って元気がなくなっていくんですよ。とうぜん体力も落ちて、風邪や高山病にかかってギブアップするんですよ。そういう日本の人、すごく多いです」
 僕は答える。
 「今回の旅の目的の半分は、このダルバートを食べまくる事なんですよ。日本のネパール料理屋さんで注文したら1500円とか2000円とかで高いんですよー。ネパールだと500円くらいでお代わりし放題でしょう? 嬉しくてたまんないですよ」
 フルパさんは念を押す。
 BC(アマダブラム・ベースキャンプのこと)から上に行くと、放っておいても身体が消耗して、どんどん痩せていきます。だから、今からたくさんごはんを食べて、たくさん飲み物を摂ってください。ビールはいいけど、ロキシーやチャンやトゥンバはだめです(ネパールの山の民が呑む酒やどぶろくの名称。僕が呑みたいとせがむのでたしなめる)。サミットアタックに成功したら、帰りはどれだけ呑んでもいいですから、我慢してください。今は頂上の事だけ考えましょう!
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4日目
デンジャー都市伝説とインドの美少年

 昨晩は19時にベッドに就いた。今朝の集合時間は朝6時30分。10時間以上眠ったが、尿意が強く1時間おきに10回は催す。その度に大量の小便が出る。2リッター以上は身体から抜けた。水分をたくさん摂取しなければ、体液バランスが保てない。それにしても、標高2610mでも身体に変化はあるんだな。
 ひと晩じゅう鹿の鳴き声がけたたましかった。部屋の外の壁を、何者かの動物が歯でかじっていた。
 今日は830mを登り、標高3440mのヒマラヤ登山の拠点となる村ナムチェバザールを目指す。貧乏バックパッカーの頃はカトマンズから1週間以上かけてナムチェにたどり着いてたのに、カネを使えばたったの2日だ。徳島で船に乗ってからでも4日でヒマラヤの核心部だよ。文明は怖い怖い。
 登りの日なのに、やたらと道は下り基調。「またオラロ(下り)かよ!」とガイドのゲルさんとフルパさんに毒づくと「はい、この先もオラロです」と笑っている。長年のガイドトレーニングを積んだプロフェッショナルな二人は、自分からは絶対に僕には話しかけない。僕を雇用主として捉え、対等な関係ではない、という態度が身についている。しかし、登山の局面に於いては、二人の意見、なおかつ年配者であるフルパさんの意見が絶対である。
 ネパールでは人と人の上下関係が日本より遥かに厳しい。喋り言葉も2種類あり、目上の人へ話す言葉と、その逆の言葉があるそうだ。一方で、ベースキャンプから最終アタックまでリードしてくれる29歳のゲルさんは生命を託す人であり、僕は絶対的な信頼と尊敬を抱いて接している。フルパ、ゲル、バンドーは、入り組んだ上下関係にあるが、とても自然に成立していて、居心地がいい。これは二人のプロのおかげだろう。
 さっさと高度を上げて高所順応したいので、急な登りに差しかかると嬉しい。黙々と登っていても暇なので、ガイドの二人にやたらと話しかける。こちらが質問の言葉を投げかけると、二人は大変な情報量で返してくれる。
 本日の主なテーマは以下であった。
 「ネパールに来たおもしろ日本人伝説」「ネパール人と日本人のカトマンズ女遊び逸話」「ネパールで稼ぐ方法」「日本で出稼ぎするハウツー」「カトマンズのぼったくりバー」などなど。ぜんぜん登山の話してないですね。
 特に「おもしろ日本人伝説」が危険ネタすぎて公にできない。こうゆう話は、バックパッカーの間で「ここだけの話ですけど…」と深夜にコソコソ話するのが宜しい。バックパッカーに語り継がれる有名な都市伝説「インドのみどりさん」「中国のみどりさん」「だるま女」「ラホールのレイプ宿」「試着室から人が消える店」「北欧と南米で日本人男が大モテな理由」などに匹敵するネタだ。あー話したいな。いつか僕と呑んでくださる方にはお話します。
 道中やたらと笑顔を向けてくれるトレッキング客がいて気になっていた。母と息子の親子連れのように見える。少年は元気そのものだが、お母さんは汗をぬぐいながら大変そう。二人とも彫りが深い美形の顔だちをしている。たまたま同じ場所で休憩したので話しかけてみる。母親らしき女性に「彼はすごく若く見えるけど、あなたの息子さんなんですか?」と尋ねると、「そうよ!まだ12歳なの。彼が行きたいと言いだして止められなくなって、エベレストベースキャンプまで行くことになったのよ!」と誇らしそうだ。インドから訪れたとのことで、僕のインド旅のお話をしていると、にこやか少年が「実は、僕はあなたのことを前から知ってるんだ」と言う。ん?どーゆーこと? すると少年は人差し指ほどの小さなライブカメラを取り出し、画像を見せてくれる。そこには昨日の朝、カトマンズの空港のロビーで、だらしなく椅子に横たわって爆睡している僕の写真があった。
 「こんなのいつ撮ったんだよ!?」と訊くと「今からヒマラヤに向かうというのに、すごくリラックスしているあなたを凄いって思ったんだ。だから写真を撮ったんだよ!」と笑っている。少年よ、悪しき旅人事例として、さっさとSNSに投稿して、インド13億人にバズらせて下さい。
 標高3440m。山の首都・ナムチェバザールの容貌は、突然のようにドラマチックに目に飛び込んで来る。半円のすり鉢状に形成された村は、屋根や壁が色彩に溢れている。絵が緻密で美しいアニメーションの挿画のようだ。ヨーロッパの古都のように建築制限などないのに、誰も設計図など描いてないのに、この人間の営みの結果としての美は何だろう。僕は絵の中に吸い込まれていく。
(つづく)