公開日 2025年03月28日
ヒマラヤのクンブー谷にあるアマダブラム山(標高6856m)は、険峻な主峰に抱かれるように穏やかな前衛峰が位置し、まるで母が子を抱いているように見える。アマ・ダブラムとはシェルパ語で「母の首飾り」という意味があり、ヒマラヤ山脈で最も美しい山のひとつとされる。
5日目
状況は一瞬で変化し、瞬時に対応する
エベレスト街道が通るクンブー谷で最大の山村・ナムチェバザール。最大の、といっても人口は約1700人。「バザール」と呼称がつくのは、文字どおりバザールが毎週金曜と土曜に開かれるからである。方々の山村から持ち寄られた農作物や衣類、雑貨がここの青空市場で売買される。
興味深いナムチェバザールについては後に書くとして、いろんな状況が変わった。
まず、目指しているアマダブラムの天候が、今日から12日間、5月24日まで安定するという予報が出ていること。気温はマイナス17℃程度で暖かく(想定はマイナス25℃)、晴れもしくはやや曇りが続く。同じクンブー谷にある著名な山、エベレストやローツェなどの8000m峰でも晴れ続きの奇跡的な予報により、明日から登頂ラッシュが起こると見られている。
元々予定していたアマダブラム登頂までのプロセスはこうだ。
高度順化の第一弾として、標高3550mのナムチェバザールの高台に2泊する。
翌日から標高4410mのディンボチェ村で2泊。これが第二弾。
第三弾は、ディンボチェ村近くの丘を標高5000mまで登り降りてくる。
第四弾は、5550mのチュクンリー山への登山。
と、10日間をかけて標高を上げたり下げたりし、高山病にやられない体質を作る…予定だった。
しかし状況が変わった。
目指す山、アマダブラムの山頂は、あと12日間は崩れないと見られる。ガイドのフルパさんが天気図や予報を見ながら「晴れた時に登った方がいいですね。チャンスが来ています。バンドーさんの体調が良ければ、予定は全部変更して、直接アマダブラム・ベースキャンプに向かいます」と熟慮した表情で言う。
高度順化をアマダブラムそのもので行うのだ。頂上に至る途中にある3つのテント場を何度も往復する。C1(キャンプ1)は5900m、C2は6000m。
山頂アタック日は、C3を飛ばして一気にC2から攻めるため、夜8時頃に出発し10時間の行動の後、明け方の早朝6時に頂上に立つ。そして、体力が残っておれば、一気にベースキャンプまで下る。
変化のもう一つは、アマダブラムの南西壁で大規模な雪塊の崩落があり、予定したルートが破壊されたこと。その画像はすぐに飛び込んできた。ヒマラヤ登山ガイドたちは、リアルタイムで各山の情報を共有しあっている。
まだ僕にはツキが残っているのだ。この崩落が後ろにズレていたら、巻き込まれた可能性がある。
緻密に立てた計画なんて、状況が一瞬で変えてしまう。それが偉大なる自然というものだ。その巨大な壁に虫ケラのように取りつき、蠢くだけの僕は、瞬間瞬間の変化にすべて対応する。
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人に助けられ登るということ
38年ぶりの母なる山との対面
土曜日。高所順応のため、ナムチェバザールに2泊続けて滞在する。ホテル「シェルウィカンバ」は、山岳写真家として世界的に高い評価を受けているラクパ・ソナム・シェルパさんが経営している。彼はクンブー地方の民俗研究者としても功績が高い。ホテル横には私財を投じて建築した巨大な博物館があり、ヒマラヤとクンブー地方の自然と人を撮り続けたソナムさんの写真や、各国のアーティストから寄贈されたヒマラヤの峰々を描いた絵画、また古くからの登攀用具を展示している。
貴重だなと思ったのは、ヒマラヤ登山の歴史をシェルパ(クライミングガイドやポーター)の視点から見つめている展示だ。
僕たちが知っているヒマラヤ登山史は、西欧側から見たものだ。8000m峰14座(ネパールには8座)の初登攀者として、欧米人の名前が言える人がいたとしても、おそらくその欧米人を前で引っ張ったシェルパ族のクライマーの名を知る人は少ないだろう。耳にしたことがあるのは、エベレストに初登したテンジン・ノルゲイくらいではないだろうか。
僕はここに大きな差別を感じる。ルート開拓をし、ザイルパートナーのトップを担い、必要な装備の荷揚げを行うのは全てネパール人かつシェルパ族の人びとである。
マラソンに例えるならこうだ。42・195㎞のうち42・185㎞までケニア人のワールドクラスの選手が、否アフリカ人のペースメーカーを務め、ゴールテープ手前で立ち止まり「お先にどうぞ。世界新記録達成おめでとう。あなたの手柄です」と先頭を譲るようなものだ。果たしてそれは世界新記録なのだろうか。スポーツ界なら議論を呼ぶだろう。ところがヒマラヤ登山の歴史からは、シェルパ族の名前は消されている。
当然、僕もシェルパを雇っている。ネパールの制度上、海外クライマーが単独で主要な山を登攀する事は許されていない。モグリでやってきて登っている登山者はいるかも知れないが、公には認められていない。
僕は、個人で使用する荷物21㎏分をポーター役の27歳の青年に預け、アマダブラムの登攀が始まると27歳の若者が引っ張ってくれる。それが正しい事なのかどうかはわからない。自分の凡ミスのために、新婚ホヤホヤの前途有望なシェルパを危ない目に合わせたくないと思う。一方で、自分が頂上に立つために、ここぞという場面までは体力を温存し、あらゆるサポートを受けることを拒まない。僕は38年間、恋焦がれたアマダブラムという山を絶対に登りたい、というエゴイズムの塊になっている。
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「ナムチェに行けば何でも揃うよ」とネパールの人は皆が口を揃える。確かに世界広しといえど、8000m級を登るために必要な装備が、店頭にずらりと並んでいる街なんて、絶対にないだろう。
薬局も何軒かあり、ここで高山病の薬「ダイアモックス」を仕入れる。高山病に罹ってからも効果があるが、予防薬的に使うことを勧められる。ベースキャンプに入ったら半錠、アマダブラムに取りついたC1(キャンプ1)やC2で1錠を飲む。薬の副作用として、手や顔の痺れが起こる。また、利尿作用が強いようだ。
ダイアモックス以外に、風邪薬と下痢止めを買う。高度を4000m以上に上げると、どんどん体調不良が現れはじめる。また、高山病特有の強烈な頭痛…頭をハンマーで叩き続けられる地獄の痛みを抑えられる鎮痛剤も入手した。
僕は高山に強い体質ではない。過去に二度、ヒマラヤで痛い目にあっている。あの苦しみはごめんだ。
さらに、日本にいる時から始まった謎の咳を止める薬液も手に入れた。咳が続くと呼吸困難になりそうになる。これはどうにか避けたい。
金曜・土曜とバザールを訪れ、みかんとマンゴーを買った(マンゴーはガイド・フルパさんのおごり)。みかんはキロ700円、10個。マンゴーは3つで600円と決して安くはない値段だが、標高3500mまで人力で運んできたものだ。それを考えたら安い。
朝8時とゆっくり目のスタートで、ナムチェバザールの背後の丘にある標高3880mの「エベレストビューホテル」まで1時間かけて登る。今日の課題はこれだけなので、気持ちの上でものんびりしたものだ。序盤は扇状に広がるナムチェバザールを見下ろしながら、後半は遮るもののないヒマラヤの峰々に囲まれながら、夢のような道が続く。
小高い丘に立つと、目指すアマダブラムが全貌を見せた。その姿は38年前と微塵の変化もなく、急峻で厳しく、一方で「母の首飾り」と呼ばれるたおやかな表情を見せる。左側の前衛峰を優しく抱きかかえる母親の抱擁を想起させるのだ。38年前はその美しさを、手つかずの聖域として眺めるだけだったが、今回はその母に抱きすくめられるのだ。こんな喜びはあるだろうか。
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6日目
あと6㎞で夢が叶う
日曜日。昨日からたっぷり12時間眠った。頭痛もなく、高山病の気配はない。一般の宿泊者は卵焼きやトーストの西欧風の朝食を取るが、ぼくはネパール定食・ダルバートにしてもらっている。特にここのホテル「シェルウィカンバ」のダルバートは美味しい。添えられているグリーン野菜は、ホテル裏にあるビニルハウスの菜園で採れたもので瑞々しくて、奥歯で噛み締めるとシャキシャキ音がする。2泊の間に4回もダルバートを頂いた。
コンコンと乾いた咳が止まらないため、ガイドやホテルの方が心配してくれ、いろいろなアドバイスをくれる。まずは冷たい飲み物は厳禁。ぼくはコーラやファンタなどの炭酸飲料がなくては生きていけない人なのだが、買おうとすると「ダメ!」と睨まれる。「タトパニ(熱い湯)か、ジンジャーハニーレモンティーを飲んで下さい」と念押しされる。生姜を短冊切りにし、生レモンを絞って蜂蜜を加えたこの飲み物がすごく効く気がする。もちろん民間療法にだけ頼ってはいけないので、咳止め薬も服用している。
幸い、行動中にはあまり咳き込むことなく、休憩したり夜間に酷くなるのでまだマシだ。6000mを超えて岩場に取りついてからゴホゴホやってると酸素が取り込めなくなる。
ナムチェバザールを7時に発ち、300m下ってプンケテンガという谷底に着いて休憩。600m登って午前11時すぎに標高3860メートルのタンボチェ村に着く。お寺の拝観をさせてもらい、石切り職人の若者たちの仕事の様子を見学する。
タンボチェ村からは平坦な道が続き、標高3930mのパンボチェ村に昼2時に到着。今日の行程はこれでおしまいだ。
朝は雲ひとつない晴天だったが、昼過ぎには周囲の山の5000m以上あたりにガスがつき、強い横風が吹きだした。午後2時前には、山に雪が降っている様子が間近に見えた。やはり登頂のタイミングはピンポイントで夜明け…午前5時過ぎを狙うしかない。午前10時頃には天気が悪化する。下山中に吹雪かれるとやっかいだ。
窓の外は、強い横風と雨。ゴウゴウと風音がたち、建物を揺らす。4000mでこれだと上部はかなり厳しいはずだ。今いるパンボチェ村から標高4600mのアマダブラム・ベースキャンプへは直線距離で3㎞、アマダブラム頂上までは6㎞しかない。何年も夢見た山がすぐそこにある。明日、朝起きて体調が良ければアマダブラム・ベースキャンプを目指す。
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7日目
母の首元ににじり寄る
月曜日、朝7時30分に行動開始。今日はパンボチェ村(標高3950m)から、アマダブラム・ベースキャンプ(標高4550m)まで600mを登る。
深夜、目覚めると息苦しく、深呼吸を繰り返すと落ち着く。海抜ゼロに比べて気圧は半分しかないため、身体が取り込める酸素の量も同様とされる。朝起きて、鼻をかんだら出血していた。ウルトラマラソンの長いステージレースの最中では必ず起こる現象なので、心配はない。
今日からたくさんの観光客が行き交うエベレストベースキャンプまでのメイン街道を離れる。そのためすれ違う人はゼロとなる。
連日の晴天続きだったが、昨晩から雪模様となり4000mを越えると雪がつきはじめ、下界から吹き上げてきたガス(霧)が立ち込めて、見通しが悪くなる。
気温はマイナス5℃で、まだ暖かく感じる。とはいうものの、短パンで山を駆け上がっていく人がいたので驚いた。話しかけるとカトマンズからトレイルランを楽しみにきたそうで、キヤノンの一眼望遠レンズで山の写真を撮りながら、颯爽と4550mまで駆け上がっていった。積んでるエンジンが全然違う。世界にはとんでもない化け物がいるもんだ。
雲の晴れ間から一瞬、アマダブラムの頂上が顔を見せる。攻め落とせるとは思いがたい急峻な壁、吹きつける気流が雪煙を真横にたなびかせる。その姿はこの世の物とは思えない気高さ、荘厳さだ。こういう人智を超えた景色を前にすると、それにふさわしい言葉が出てこない。「神々の棲む場所」ではチープすぎる表現だ。僕なんか凡人が眺めるよりも、この景色から強い刺激を受けるだろう画家や作家の方々に見せたいな、と思う。
午前11時に「アマダブラムベースキャンプ・ロッジ」に着く。ちょっと驚きの規模だった。エベレストベースキャンプなどのイメージが強くて、テント生活に毛が生えたようなボロい山小屋があるのかと思っていたら、とんでもなく美しいホテルだった。その設備については箇条書きにて。
■ 部屋/充分に幅があるシングルベッド。毛布はなぜかCHANELのロゴ入り。部屋の窓からアマダブラムが見渡せる最高のロケーション。
■ インターネット/Wi-Fiのパスワードをカードで購入する方式。2ギガ2500円。
■ 充電無料/麓の村ではモバイルバッテリーのフル充電で300円した。こんな山の中が無料なんてね。
■ なんと蛇口から温水がでる/シャワーあり。洗濯も温水と贅沢このうえない。
■ トイレ/自分ですくって流す水洗式
■ レストランの主なメニュー/ダルバート900円、ミックス焼き飯900円、ミックスピザ1000円、ヤク(牛)ステーキ1100円、チキンバーガー1000円、アップルパイ800円、コカコーラ・ファンタ600円、缶ビール900円、ミネラルウォーター400円。テーブルにはキッコーマンの醤油あり。
せっかく温水シャワーがあるのだが、ガイドのフルパさんに「シャワーはダメ。風邪を引いたら山に登れなくなる。降りてきてからにしてください」と丁寧に拒否された。
しかし、同じく禁止されている冷たいドリンクは、ガイドの皆さんの目を盗んで600円のコカコーラを買った。禁止されると薬物のような気分になって、余計に美味しく感じられるのだ。
(つづく)