公開日 2025年10月21日
遊びと冒険とむちゃくちゃな人 世の中にはいろんな人がいる。
生まれもっての能力や体力がある。変えようがないハンデキャップもある。病気や怪我で以前のように動けないこともある。常識や礼儀ができてる人がおれば、やることなすことむちゃくちゃな人もいる。一般には礼儀正しく、人の模範となるような人が好まれるが、僕はむちゃくちゃな人が好きだ。
社会不適合者でいいんじゃない? 2025年時点の日本の常識は、今だけのものだ。しかも、まあまあしょうもない。空気なんて読めなくていいんだよ。 僕はランニング大会らしきことをやってるけど、走力は一切問わないし、人格者なんて求めない。そもそも自分自身が、一度も就職活動をしたことがなく、自分で会社を経営する以前は、違法行為ばかりしてた。捕まったこともある。他人さまのことをアレコレ評価できる立場にない。
死に物狂いで挑んだスパルタスロンは、8年続けてリタイアという珍例。本気を出しても五流ランナーなのだ。だから、他人さまの走力を評価して「参加基準」など設ける立場にない。
ただね、参加条件で「性格が細かい人はダメ」とはしてる。質問が尋常なく多い人のこと。1コの質問に丁寧に答えると、その回答に対して質問が3つに増える人。どんどん増えていく。「何も考えずにスタート会場に来てください。それでも走れますから!」とアドバイスしても、その意味を問い正してくる。精神をやられるので、他の大会に出てください。
スタート時点で決まってないこと多いからさ。いろいろ尋ねられても、主催者の僕ちんもわかんないの。コースなんて、スタートしたあとで100㎞くらい平気で変えるしね。
中高生のヤングでも、後期高齢に差し掛かった大先輩も、どんな立場の人でも、冒険できる場をつくります。まだ理想の姿には遠いけど、だんだんにじり寄る。
楽園幻想
子どもの頃から逃避癖があり、小学2年生の通信簿には「坂東くんは授業中にいつもどこかへ行ってしまいます」と先生が書いていた。オカンに怒られた。
あてどない旅に出はじめたのは高校2年生のときから。寝袋だけもって野宿しながら放浪した。とんでもない出来事に襲われつづけ、この素晴らしきシャブ中みたいな世界から脱け出せなくなっていった。
高校を出たらすぐにアジアやヒマラヤに出かけた。どうやらヨーロッパから来た貧乏旅行者たちは、アジアのどこかにサンクチュアリがあると信じ込んでいるらしく、氷しかないひどい山奥や、おいしい草の生えている島や、美女がうようよいる街を目指して旅していた。僕もそれを忠実になぞっていた。 アフリカ、ユーラシア、南米、砂漠、南洋の島々。奥地へ奥地へと向かった。どこかに桃源郷がありそうでなかった。けど、どこかにあるような妄想がアタマに憑いて離れない。
カタギの仕事をしだしたら、放浪する時間がなくなり、代償行為として長距離走をはじめた。「自分の脚で遠くに行く」といっても、たかだか数百キロでしかなく、実際はあまり遠くないのだが、週末の休みを利用して遠くにいった気分になるには、これしかない。
246㎞を走るスパルタスロンの練習に、四国を横断するのはちょうど距離が合っていて、右側の海から左側の海まで走るとだいたい250~300㎞だった。繰り返し走った。同じ道を走ると興奮しなくて、いろいろ道を開拓した。
10年つづけてギリシャにお出かけしてると、ギリシャ人のテキトーさが肌にあう。どの人も植木等や高田純次みたいなのだ。そんな国、好きになるしかない。
長い病気をして寝込んでしまい、2年間走行距離がゼロになった。必然的にギリシャにも行けなくなった。最近になって、よろよろだが走れるようになってきた。そしたら楽園幻想にまた蝕まれはじめた。
地球には植木等の国がある。その国に向かうパスポートの窓口は弘前の運動公園とかいう所にあるみたい(24時間走って180㎞を超えるとスパルタスロンの参加資格をもらえる)。
やったな。あと10日でパスポートもらえるのか~、うっとり。ああ「ガンダーラ」が脳でヘビーローテーションする。
異常性をともなう快感について
100㎞レースを走ったあとのビールって、尋常ではないくらいおいしく感じますよね。実感値ではふだんの7倍おいしいです。
それを更に倍増させるために、僕は90㎞あたりからはエイドで一切給水をせず、水分を枯渇させたうえでゴールに向かいます。するとビールの美味は実測12倍に達します。
ビールどころではない快感がありますよ。徹夜レースで300㎞以上走ると、足の裏が赤く腫れてくるんですけど、その足の裏を道路のアスファルト面にカリカリと前後にこすりつけるんです。この気持ち良さったら、何って説明したらいいんでしょう。この世にある、ありとあらゆる快感を超越して、激しく脳を快楽物質の海で満たすんですよ。
むかし病院で、尿管結石でのたうちまわってたとき、オピオイド製剤だと思うんだけど注射してくれた時の快感に匹敵します、300㎞足の裏コリコリは。
大昔、川の道フットレース(東京→新潟520㎞)の上田城すぎた300㎞あたりで、道端に腰かけて夢中になって足の裏を地面にカリカリこすりつけて陶酔していたら、とおりかかったランナーの方々が「こんなとこで何やってるんですか?」と尋ねるので、この地上最強の快楽について事細かく説明してたら、「だいぶ頭がおかしくなってますね」と眩しい目をしていました。
何が言いたいのかというと、僕たちはどんなセレブやトランプファミリーでも経験したことない、カイジみたいに札束を積み上げても手に入れられない、異常なくらいの快楽を手にできる特権階級にあるってことです。しかも無料で、完全なる合法で、ただ300㎞走ればいいだけ。
家出のロマン
長い旅でも、短い旅でも、家を後にするときは、幾分かの胸の痛みがともなう。少しのホームシックと、安全圏からの離脱。野宿旅の場合は、あたたかい布団とのお別れを意味する。
70年代にリリースされた浜田省吾の「路地裏の少年」では、旅に出る際には書き置きと、ポケットにハーモニカと少しの小銭が必要だと語られている。
十代の中ごろ。行く先を決めない無銭旅行を繰り返していた僕は、70年代に流行っていたアメリカンニューシネマにかじりつきながら「旅の最後は死ぬんだな」と漠然と思っていた。「俺たちに明日はない」「狼たちの午後」「ファイブ・イージー・ピーセス」「イージー・ライダー」「明日に向かって撃て!」「アメリカン・グラフィティ」「真夜中のカウボーイ」etc
主人公たちはみな旅に出た。
最後は死んだ。
救いようのない破滅的な物語だ。
しかし僕は平凡な田舎の青年で、特に悲劇的な死を迎えることなく、ごくふつうの大人に育った。家出はあてどなき放浪ではなく、ただの旅行に変わった。帰りの飛行機と宿を予約済みの、よくあるおじさんの旅行。
それでも、家出の胸の痛みを感じるセンチメンタリズムは残している。
旅に必要なモノを荷造りするときは、お気に入りのYouTubeチャンネルを流しながら(格闘技のどうでもいい話)、近所の24時間スーパーで買ったいちばん安いウイスキーを氷無しで舐めながら。
さて、来週出かける弘前24時間走の準備だ。
長いあいだ長距離レースに出てないので、何が必要なのかひとつも頭に浮かばない。主催のスポーツエイド・ジャパンから届いた大会案内には「オフィシャルエイドで提供する飲食料は、種類、量とも豊富です」と書いてある。ほんじゃあ食べ物は持っていく必要はない。24時間コース上にいないと、出したい距離を出せるはずもなく、ウエアの着替えはいらない。
うーん弱ったな。持っていくものがない。あ、マイカップ持参と書いてある! 冷え性なので湯たんぽもリュックに入れとこう。他には思いつかなかった。家出準備は3分で終わってしまった。切ない気持ちにひたる余韻もなく。
「旅に出ます」書き置き机の上
ハーモニカ、ポケットに少しの小銭
(1976年リリース、浜田省吾・路地裏の少年より)
バカにバカの本を贈ってはならない
酸欠脳と高野秀行 探検家の高野秀行さんの本は、ちょうどいい。
何にちょうどいいかというと、イカれた環境で読むのにちょうどいいのだ。
まず小難しいことを書いてない。探検家にありがちな、探検論を振りかざす内省的なベクトルがない。椎名誠や村松友視に代表される昭和軽薄体の文体みたいな、笑いを取りにいってる浅ましさがない。
身にふりかかってくる珍妙な出来事に、巻き込まれていくだけなのだ。
要するに、偉そうにしてない平易な文章で、こちらの脳がパンクしていて、しかも耐えがたい時間を何かで埋めなくてはならないときに最適なのだ。
高山病で息パクパクのテントの中や、周りがナタを持った山賊だらけの村や、アタックされると肌に穴が開く巨大虫がトタン屋根をバンバン叩く夜だ。
高野さんは知り合いでも何でもないけど、存在した空間と時間が一致しているのも、親しみを感じる要因だ。
高野さんが早稲田大学探検部メンバー11人のリーダーとして、アフリカのコンゴの妖獣ムベンベを探しにいった1987年の夏、僕はザイール(現コンゴ民主共和国)でコンゴ川を木彫りのカヌーで下っていた。2人は20歳と19歳だ。若いのにバカである。
高野さんは20歳にして新聞社を後援につけ、松下電器、大塚製薬から蚊取り線香の金鳥まで名だたる企業の支援を受け、コンゴ政府を介しての50人規模の大探検。僕はひとりジャングルで美女の尻を追いかけるだけの放浪者。オーガナイザーとしての能力がぜんぜん違う。いずれ探検を職業にする人は、出だしからすごい。
高野秀行は1966年生まれで、僕は1967年生まれ。彼が早稲田大学に通っていた時期に、僕は西早稲田に住むともだちの家に居候していた。パチンコ屋「みよし」で一発台のスーパーコンビを打ち、当たりがでたら1万5000円。その金で隣の「大昌苑」で焼肉を食い、銭湯の金泉湯に浸かるのが日課。出版社のバイトで食いつないでいた。高野さんも同じ界隈をうろついたはずだ。
僕が密かに「三大高野」と呼んでいる作品がある。どの作家にも、その人の作家人生でもっとも筆が乗り、感性が輝きまくっている時があると思うが、高野さんにおいてはコレだ。
西南シルクロードは密林に消える
アヘン王国潜入記
謎の独立国家ソマリランド
僕の所には、たまに変な大学生や高校生がやってくる。「卒業したら就職をせず、世界を見てまわりたいんです!」という珍獣なヤツらだ。そうゆうバカには住所を聞いて、この「三大高野」をamazonから強制的に贈りつけている。「世界を見てまわるって、こうゆうことなんだぜ!けっこう大変だし、たまには命がけなんだよ!それでも君はやれんのかい?」というあきらめを促すメッセージだ。世界放浪なんてアホな目標は捨て、さっさと就職しなさい。
なんせ僕は、君の親から「バカな息子を諦めさせてください」という密命を受けているのだ。
しかし、少年たちからはこんなお礼状が届く。「ありがとうございます!僕も高野さんみたいになりたいです!」
しまった! バカにバカの本を贈れば、こうなるに決まってるじゃないか!
奥田民生になりたい。 男なら、みな奥田民生になりたいに 決まってる
可愛らしいリス顔。俗世から隔絶した、のほほんとした生きざま。ギター1本で詩を吟じ、人間を語る。金にも、欲望にも、何にも揺るがない。
着飾ることも、武装もしない。作業服屋で買ったツナギ着ててもカッコいい。
生まれ変われるとしたら、ジョン・レノンにもシド・バレットにもなりたくない。髪の毛をシャンプーしない世界平和を願う女の人に好かれそうだからだ。
かなうなら、Maybe Blueを歌ってた頃の奥田民生になり、オロナミンCのCM時代の森七菜(学年は1つ下の後輩)に、放課後告白されたい。「ごめんねー、俺ちょっとやんなくちゃならないことあるからさ。最短でそこいきたいから」っていったん断ってから、高校卒業したらつきあおう。
深夜3時、京都と大阪の間にある工業地帯を、奥田民生のアルバム「記念ライダー1号」をスマホから流して走る。11曲目の「花になる」で民生は「闇を切り裂け!拳で切り裂け!」と俺を鼓舞する。
15曲めの「御免ライダー」では「誰にも言えないさ、なぜ走るのかって、何のためかって」と超長距離ランナーの心象風景を投影し、「走れロードを!」と巨大な風圧を浴びせかける!
この疾走感よ!
俺は森七菜になりたい!
(つづく)