公開日 2025年11月07日
足首の骨折から半年、尖ったナイフの先でつんつん突かれるような痛みが取れず。ロッククライミングは無理だと判断し、歩いて登れる標高6476mのメラピーク(ヒマラヤ)へ。リハビリを兼ねた登山のつもりだった。
1日目
旅のはじまり
カトマンズからオフロード車で10時間。いったん標高350mまで下がると熱帯の暑さで汗がダーダーほとばしる。それから3000mの峠を越えたら寒ーい。もいっかい2200mまで下りクンブー県の県都・サッレリで宿を取る。パンケーキのようにやわらかな、上流階級な僕のお尻は悲鳴をあげている。
街の薬局で高山病の薬ダイアモックスを探すが売り切れとのこと。念のため下痢止め(ラクトバック)と風邪薬(シネックス)を買う。ヒマラヤでの体調不良はネパール製造の薬しか効かないのだ。気のせいかもしれないが。
今日270㎞ほど移動した。スパルタスロンの選手って、たった一晩でこの長さの道を走り切るのね。今さらだけど信じがたい。スパルタスロン本番の日と、こちらの登頂予定日が偶然同じ日。あの熱い道を走られている皆さんに思いを馳せながら登りたい。
今回、登ろうとしてる山・メラピークは標高6476mで岩壁なし。装備はアイゼンとピッケルで間に合うし、ひたすら歩いて標高を稼ぐのみ。3月に骨折した左の足首が登り降りのときにやや痛みが走るので、無理をしない選択をした。登ってるうちに痛みに慣れてくればいいけど、どーだろ?
2日目
あちこち崖崩れ、あちこち濁流
車道が通じている終点の村ケラウレーゴンパ(標高2540m)までピックアップトラックに乗る。72㎞進むのに8時間かかる。
すんごかったー!ロサンゼルスの絶叫遊園地シックス・フラッグス・マジック・マウンテンの最恐コースターより遥かにうわてだ。濁流と化した道へ、躊躇なく突っ込んでいく。タイヤが7センチずれたら1000m下の谷底。山水をバケツでボンネットにぶっかけて、エンジンを冷やす。
自分が運転してたら、生きるか死ぬかの丁半に賭ける危険地帯を、ドライバーはスマホ片手に電話したり、よそ見しながら運転してる。スギちゃんの「ワイルドだろ~」が頭にこだまする。
ふだんの自分が、いかにぬるま湯につかり、安全が担保された生活に満足しているか。「男児たるもの、朝起きて寝床につくまでは、生死の覚悟をして生きねばならぬ」とかお侍さんは言ってたらしいけどね。谷側に崩落した路肩ギリギリを踏むタイヤに、最初はヒリヒリと肌を刺す生の実感にときめいていたが、そのうち眠気がまさって居眠りした。人は、生死の境目にもすぐに慣れるようです。
ところで昨日、車に飛び込んできた蜂に目の下を刺された。やられた瞬間だけ激痛があり、すぐに痛みはなくなった。しかし今日の昼から目の下が腫れてきて、視界の下に膨れたほっぺたが入るまで成長した。怖すぎて鏡が見られない。生死を賭けた生きざまに憧れてはいるものの、腫れたほっぺたからは現実逃避したい。
3日目
高所登山というかピクニック
朝から雨模様。森林限界はまだ先のようで、いくつもの渓流を横切り、苔むした森を縫っていく。朝8時、雨宿りしたロッジで出してくれた野菜入りのヌードルスープが温かくておいしい。
床に3センチほどの巨大なヒルが蠢いていた。生まれたばかりの子猫ちゃんたち2匹がヒルを見つけ、爪先でヒルをいたぶりはじめた。ヒルは迷惑そうに逃げてた。ヒルだって困ることはあるんだな。
ゆっくり登っていると、登山客の一団…というよりもピクニック客と呼ぶにふさわしい人たちが、楽しそうに追い抜いていった。みな地元のネパール人だそう。リュックに装着したスピーカーから大音量でネパールの最新ポップスを流し、見晴らしのいい峠にさしかかると「フォー!」っとレーザーラモンHGのように雄叫びをあげる。笑顔の可愛らしいクライマー、いやピクニッカーの女性は、おへそを出したファッションだ。
ううむ、僕は自分にしてはハードルの高い6000m峰を目指して、高山病にビクつきながら緊張のおももちで歩いているのだが、地元の人たちにとってこのエリアはピクニックスポットのようで、とてもハイテンションであり、陰気な外国人と陽気な地元民の存在が対照的である。
見晴らしのいい高原に出る。深い谷の向こう側に北アルプスの剱岳や槍穂あたりに似た連山が現れ、正面には鋭く切り立った峰が屹立する。目測で標高4200mくらいか。
クライミングガイドに「あれは何という名の山ですか?」と尋ねると、「名前はないですよ。人が登るような山ではありません。牛が頂上まで草を食べにいきます」とのこと。
この壁を巨体の牛が登ってるのを想像する。確かにヒマラヤでは、傾斜70度くらいの絶壁で、草をはむ牛たちが点々としている。崖から落ちないのかな?と心配になるが、きっとDNAに刻まれた生存本能で落ちないのだろう…と思っていたら、たまに落ちて死ぬらしい。ネパールの方々は、宗教上の理由で牛を殺すことはしないが、不運にも事故死した牛のお肉はありがたく食べてよいそうだ。
しかしこの鋭峰、もし日本にあれば、○百名山とかに選ばれ何万人もの登山家に愛されて、新田次郎の山岳小説の舞台になるのになー、と不憫に思う。
鋭峰の下で休憩していたら、先ほどのピクニッカーたちが集まってきて個別に写真を撮っていたので「皆さんの集合写真撮りますよ!」と声をかけると、「タイタニックのポーズしようか!」などとわいわい盛り上がっている。ヒマラヤ登山って、ヒマラヤ登山って、現実はこんなものなのかー。
標高差1000mを登って標高3543mのチョレム村にやってきた。家が6軒ほどの小さな村だ。
行動は6時間だけで、昼の13時前に着く。一気に高度を上げると高山病の兆候が出るので(過去に幾度も5000mで痛い目にあったトラウマ)、あまり高さは稼がないようにしている。
□今日の山の値段メモ
コーラやファンタ 350円
Wi-Fi利用料 1000円
野菜ダルバート 500円
お肉ダルバート 600円
ミルクティーなどお茶 100円
ホテルシングルルーム 400円
(ダルバートとはネパールの定食です)
4日目
天国に等しい谷
寝ぼけマナコの朝6時、いきなり急峻な山道に入る。急な坂道を九十九折れと表現するが、ここは九百九十九回は折れている。傾斜角70度ほどの崖に、道を刻んだらこうなるしかない。これ造っちゃうシェルパ族はやはり最強の民族だ。
標高3500mから一気に4286mの峠へ。標高4200mは海抜ゼロに比べて61%しか酸素濃度がない。息を吸っても吸っても、運動エネルギーに変換する酸素エンジンの着火爆発が感じられず、腹がへった野犬のようにハァーハァーと喘ぐだけで、まったく脚は動かない。
峠のてっぺんが近づくと、「あっ、これ昨日みた槍ヶ岳みたいな形した無名峰の頂上だ!」と気づく。誰からも讃えられないヒマラヤ槍ヶ岳の脇をかすめるように、山脈の向こう側に降りる峠があったのだ。昨日教えてもらったとおり、あたりは牛のうんこだらけであった。クライマー牛、尊敬する。
やっとてっぺんに着いたという安堵から、宿のお兄さんが作ってくれた昼ごはん用のゆで卵を剥いて食べたいと思った。しかし、朝からずっと冷たい雨と横風が吹きつけている。クライミングガイドのゲルさんも「寒い」と呟きながら、先を急ぐ様子だ。
ゲルさんが寒いのならそりゃ寒いのだろう。なんせエベレストはじめ数々の8000m峰をガイドしてるメジャーリーガーみたいな人が寒いってんだから寒いに違いない。極度に暑がりの僕は、実はあまり寒くなかったが、メジャーリーガーに併せて「寒いね」と言っといた。
そして、この無名峰あらためヒマラヤ槍ヶ岳峠が本日の最高地点と思い込んでいた僕に、そのあとさらに標高の高い二つの峠が攻めてきてがっかりすると共に、両脚は攣り、ハンガーノックに襲われるなど、100㎞マラソン初心者の80㎞あたりのような症状に苦しみながら、ようやく4460mの本命の峠を越えた。
さて昨日、ピクニックの集団に軽くあしらわれたお話をしたけど、彼女・彼らは海抜3000m付近の村で生まれ育った方々なんだそう。だから4000mの峠なんて、東京における高尾山、徳島における眉山にも満たないお散歩コースなのだ。6000mくらいの山なら巻きスカートと運動靴で登ってしまうという。ピッケル代わりは、そこらへんに落ちてる棒で。またもやヘソ出しルックなんだろうか。日本くんだりから20㎏以上も冬山装備を持ち込んで、決死の覚悟の自分が恥ずかちー。
最後の峠を下ると4つの湖が現れる。パンチポカリという神が宿る湖だ。そして、その先にはすごい景色が待っていた。一日じゅう雨と曇天だったが、この時だけ奇跡のように晴れた。広大な氷河のモレーンがつくる、かつて見たことない広大な空間が眼下にあった。天から滝が落ち、地に吸い込まれていく。数百頭の牛やヤギがカール状の谷底でのんびり草をはむ。
この景色を見てしまったとき、僕が何を考えたかというと「えーっ!?大自然に対面して、感動してしまう真人間な感情が自分に残っていたのか!」という驚きである。もうひとつある。「いつかお嫁さんや子どもをここに連れてきて、この素晴らしい景色を見せてあげたい!」という、恐らくまったくお嫁さんが同意しないであろう、ひとりよがりな思いだ。歳を取ったのだろう。プロレスの試合以外で何かに感動したり、自分以外の人に余計なおせっかいをしたくなるのは老化のたまものだ。歳を取るのも悪くない。
2軒しかないお家の一軒の方に泊めてもらう。電気は通ってない。電話の電波もインターネットも飛んでこない。せせらぎの音と、牛飼いの声と牛の鈴の音がするだけだ。
(つづく)




