公開日 2025年11月21日
足首の骨折から半年、尖ったナイフの先でつんつん突かれるような痛みが取れず。ロッククライミングは無理だと判断し、歩いて登れる標高6476mのメラピーク(ヒマラヤ)へ。リハビリを兼ねた登山のつもりだった。
8日目~9日目
馬鹿がヒマラヤに向かう理由
山頂まで距離にして10㎞、高低差2300m。3日の行程を残し、雪と氷の世界がはじまる。前に進もう。
昨日の夜は本降りから嵐になった。宿の屋根を叩く激しい雨音。ゴーゴーという風。ヤギたちはこの土砂降りのなか、草の上で寝てるんだろうか…と想像していたら、朝、長い毛をびしょびしょにさせて寂しそうに外にいた。
蒼白い氷河湖の湖面を眺めながら、標高5000mのカレ村に着く(9月26日)。人が暮らす最後の村だ。山頂まで距離4㎞、標高差1470m、あと10時間の行程だ。
カレ村はメラピークへの登山基地として拓かれた村だ。広い山裾の段丘に宿が10軒ほど並ぶ。この村では高所登山用の登攀具のレンタルができ、インターネット回線が速い。
何日ぶりかに、山頂の詳細な天気予報を確認する。天気予報の表示画面を見てめまいがした。最悪の予報だ。今日から3日間で2メートルに及ぶ大量の積雪があるという。3日後の9月29日の夜から晴れに転じるものの、これでは山の核心部に誰も入れない。
夕方になり、標高5800mの最終キャンプ他・メラハイキャンプから宿に帰ってきたシェルパ(ヒマラヤ登山のエキスパート)によると、5800m地点で腰より上の積雪だという。そこから山頂まではもっと深いだろう。
天候回復を待つ3日の間に、今のドカ雪に更に2メートルの積雪が上乗せされる。当然、ルート開拓する者はおらず、ラッセル(雪を掻き分け進む)する人もいなけりゃ、トレース(雪の踏み跡)もない。
8000m峰を何峰もガイドしてるシェルパが「これから1週間、山頂に近づくことは無理だ」と言う。素人の僕が意見するまでもなく、そりゃそうなんだろう。しかし苦しい高度順化を経て、体調はピンピンしており、核心部を目の前にして諦めるのか?と悔しい。
カレ村に集まっていた登山チームのほとんどは登頂を諦め、撤退を決めて村から下りていったという。ずいぶん潔いものだ。
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さて、食うこと以外はやることがないので、マイナス25度対応の高所用寝袋にもぐりこんで暇つぶしに文章を書く。
ここの所、登山のことを書き続けているが、大方の方がお気づきのとおり、僕は登山家ではなく、登山者でもない。軽い登山愛好家かというと、登ったり下りたりはしんどいので、あまり好きではない。昔やってたトレイルランニングなんてコケたら痛いし、血が出るわでまずやりたくない。
百名山、二百名山など全国を股にかけて山を登っている方は、本当に山が好きなんだろう。僕は夏山はほぼ登らない。冬山もあくまでトレーニング目的なので、無理して山頂に行こうとはしない。ラッセルが嫌になったら、回れ右して戻る。テントを張っていて、外が暴風ドカ雪になると、神さま仏さまに助けてーと手を合わせるほど臆病だ。
そんな人間が、なぜわざわざネパールくんだりまで来てるかというと、「ヒマラヤ登山」という他人に説明可能なお題目を掲げて、果てしなく長いアプローチの道をぶらぶら歩きたいからに他ならない。訪れる村の人がおもしろく、日本では食べられないチベット由来の料理や、ラマ教・チベット仏教をベースとした豊かな文化がたくさんある。
本当は1年くらいの歩き旅をしたいのだが、なかなかそうはいかない。その代償行為として、ぎゅっと旅感がつまってるヒマラヤを選んでいる。程よい異邦人感、程よい危険、適度なチャレンジレベル。
山岳地帯へのアプローチ交通が発達した現在で今、山麓から山頂まで2週間以上の行程が必要な山は、ヒマラヤ以外では、チベットやカラコルム以外には思いつかない。
また炭酸飲料ジャンキーの僕にとって、ヒマラヤの山奥で飲む、1本500円もする高価ファンタオレンジは、何よりの贅沢だ。ネパールのファンタオレンジの味は、子供の頃、昭和中期に飲んだ瓶入りのファンタと同じ人工甘味料の味がするのだ。瓶のフタの裏側にスターウォーズのキャラが印刷されてるやつね。「ファンタオレンジを飲むために1カ月ヒマラヤに家出します」なんて心配している家族には言いづらいので、隠している。
当初計画では、今朝から氷河に取りつき最終登攀がはじまるはずが、天候大荒れのため待機2日目。やることもなく、宿の部屋と食堂を行ったり来たり、ぶらぶらしている。ぶらぶらしたいから来たのでこれでいいのかもしれない。
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大雪に閉じ込められたカレ村に入ってくる情報は、刻一刻と悪化していく。4時間上のハイキャンプ(標高5800m)からは、朝方に「新雪は腰上」と連絡があったのが、昼には「胸と首の間まで」と一気に深くなった。上部キャンプにいたネパール人ガイドたちが雪達磨のようになって、疲れきった表情で降りてきた。標高5000mのこの村も夕方には50センチほど積もり、雪は降り止む気配もない。
クライミングガイドのゲルさんが判断を下した。「村から1時間も登れば氷河に入ります。しかしクレバス(氷の裂け目)が雪で埋まっているため、危険すぎて進めません」。「天候が回復する見込みは数日なく、ますます雪は深くなります。明日撤退します」。ゲルさんは山を下る決断をした。僕も従うしかない。
下山といっても簡単ではない。腰まで雪は来るだろうし、登山道があるわけでもない。積み重なった崖上の岩や、雪渓から流れ落ちる渓流を越えていく。日本の山のように、正しい道を示すピンクテープは貼られていない。本来安全な着地場所は雪で消えている。
2度あった雪崩にも気をつけねばならない。おとついまでは大雨の影響で、融雪しての雪崩だった。明日は分厚く溜まった新雪の雪崩を心配しないといけない。下山ルートは、元々氷河だったカールの底をいく。
昨年のアマダブラム(標高6856m)撤退に続いて、2年つづけて登頂を諦める。そして正念場が下山に待ってようとは、今さらながら自然は大きく、ちっぽけな人間の思うようにはなってくれない。
10日目
決死の脱出劇な気分は僕ひとりだけ?
ひと晩じゅう降り続く雪が、宿の屋根を伝って地面に落ちる音と振動がやまなかった。
「今日このカレ村から降りないと、明日には雪が胸の高さを越えます」とクライミングガイド・ゲルさんが真剣な表情を見せる。食堂では、ふだんはのんびりミルクティをすすってるシェルパたちが、今朝はピリッとした雰囲気を醸し出している。「雪が深いので、みんなで行きますよ」とゲルさんが言う。
おおっ、カッコいい! 世界最強の山岳民族シェルパたちが、チームの垣根を超えて手を取り合ったのだ。
食堂の隅で無言でオムレツを頬張りながら、僕はほっと胸を撫でおろした。何グループかいる登山チームが合同で山を下るってことは…ふふふ、最後尾にくっついていって、前の集団がラッセル(雪をかきわけてルートをつくる)して切り拓いた雪道を楽々ついて行けばいいんだよねー。褒められたもんじゃないけどね。
んで、宿を出発して驚いた。
あれっ? 僕たちがトップいってませんか?
ゲルさんがトップ、なぜか僕が二番手。いやいや、それは話が違うだろー(なんの打ち合せもなかったけど)。
おいおい、他のチームが後ろに続いてるぞ。そのうち、もうひとりのシェルパ族の若者が合流して、ゲルさんと2人で先頭のラッセル役をローテーションしはじめた。
このシェルパ2人、相当な体力を使うラッセルをしているのに、ゲルさんはさっき宿で借りた傘をさしてるし、拾った棒をピッケル代わりにして、雪除けにビニル袋を体に巻いてる。そして楽しそうに2人でおしゃべりしてる。60~70度くらいある斜度の雪壁を、腰までもぐってトラバース(横切っていく)をしてんだけど。これって簡単なことじゃないよね。僕は山岳会とか山岳部に入ったことなくて自己流の単独行者なので、この雪中行軍の技術・体力レベルはかいもく見当がつかない。足の踏み出すポイントを一歩間違えたら、谷底へごろごろ滑落するのは確実だ。
雪の斜面には目標物となる樹林や岩はない。トップをゆく2人は、腰から胸まで潜る新雪をかきわけ、真っ直ぐ進むことなく、的確に危険なエリアを迂回していく。いったいどうやって危機回避してるんだろう。試しに2人のトレース(踏み跡)を外して足を置くと、ずっぽり雪を踏み抜いて穴が開き、その下は切れ落ちた崖になっていた。生まれついての山岳民族であり、さらに登山学校で鍛えられたクライマーである2人への信頼が一段と増す。
僕がついてこれるか時々振り返ってチェックする彼らと目が合うたびに「ダンネバード、ダンネバード(ありがとう、ありがとう)」と愛想を振りまいておく。
しかし、それが逆効果だったのか「前で道を造っておきますから、バンドウサンはゆっくり来てくださいね」と笑顔で言い残すと、2人の達人はささーっとルート工作のペースを上げ、ぺちゃくちゃおしゃべりをしながら山の向こうに消えていった。
必死に食らいつこうとしたけど無理だった。心拍数を180くらいに上げて、あえいでも、もがいても、置き去りだ。そして渓流の石と石の間にかかるスノーブリッヂで脚を踏み外し、身体を支えようとしたストック(杖)の先もあえなく何に突き刺さることもなく肩までズッポリ。結果、胸まで雪に埋まってしまい、下半身がびっしょ濡れになった。スマホも濡らしてしまい、画面を指でさすっても反応しない。
やがて氷河カールの底にドデカい雪片が叩きつけてくる。雪崩か雷かわからない「バリバリドロドロ」って爆音が5分に1回、谷間に轟きまくる。
ヒリヒリするぞ!
楽しい!
生きてるって実感がビンビンする!
(つづく)




