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2006年11月10日

ガキ戦争
文責=坂東良晃(タウトク編集人)

インドではガキがチャイを売り
カンボジアではガキが赤土を耕し
シエラレオネではガキが戦場に立つ
どんな環境でもガキはしぶとく生きるのだ

いろいろなところで、いろいろな人たちが崩壊している。
ある小学校の校長先生と話をする機会があった。彼は渋面である。
「テレビなんかでは学級崩壊とよく言われますが、今は子どもさんより保護者の方がねぇ。授業参観にいらしても、授業をじっと見ることができず、廊下で大声でしゃべったり携帯電話で話したりメールしたり。私は保護者の方に、(授業をちゃんと見てあげてください)と頼んで回る役目なんですよ」
小1シンドロームなんてのも耳にするようになった。小学校に入学直後の子どもが、授業のある1時間ちゃんと座っていることができない。立ってウロウロしたり、机の上を跳ねまわったり・・・という例の現象である。
幼稚園の自由保育がつるしあげられたり、親とのコミュニケーション不足や過保護が原因とされる。お決まりの論調だ。

社会を揺るがす大問題のように語られる学校教育の今だが、ぼくたちそんなに秩序正しい学校社会を生きてきたっけ?
ぼくが小学校に通っていたのは30年くらい前だ。
授業中、きちんと座って先生の話を聞いてるヤツなんてそんなにたくさんいなかった。
騒ぐヤツ、ヨダレたらして寝てるヤツ、鼻くそほじくってるヤツ、ちんこ出してるヤツ。そんなんばかりだ。
ガキってのは基本バカなんである。
バカに対して、礼儀正しい立ち居振る舞いを期待する方がおかしい。
猛獣使いのような先生が、恐怖政治でもって一時的に生徒を着座させることができても、その反動が必ず別の場所で出てしまう。
休み時間や放課後に、イタズラやいじめとなって噴き出す。
ヘビを捕まえたら歩道橋の上から車の荷台に投げつけ、猫がいたらケツの穴にロケット花火を刺す。カマキリのカマをちぎり、トンボの頭をむしる。それが伝統的なニッポンのフリーダムなクソガキのあり方だ。
動物本来がもっている残虐性は、人間にだってある。それを自由に吐き出せるのは、幼年期しかいない。
しかし今じゃ、学校の周りをウロウロする頓馬なヘビやカマキリはいない。
暴力性を吐き出す方向が、きわめて限定的になってしまっている。

子どもという生き物のタチの悪さを、ぼくは身をもって体験した。
小学校のころ、それはそれは大いなる悪意に何年間もさらされたのだ。
ぼくは小さな商店街のある小さな町で生まれたのだが、小1のときさらに田舎の小学校に転校した。なだらかな山と、メダカが泳ぐ用水路と、稲穂揺れる田園にかこまれたのんびりとした町。都会生活に疲れた人が見たら、第二の人生の終の棲家に考えたくなるような場所。
ところが、転校先のガキたちはとんでもない閉鎖性を秘めていた。
何事にもきっかけというものがある。出だしからぼくは失敗をやらかしたのだ。
ぼくと彼らとの間には、保育園のカリキュラムに差があった。
ぼくには小1の教科書が簡単に思えた。自分が先に進んでいることをすぐに自覚した。
先生の質問に一人手をあげ、答えた。おそらく自信満々に、そしてスノッブに。
ぼくは気分をよくしたが、彼らにはスタンドプレーに映った。
次の日から、変化が起こった。
机に鼻クソがすりつけられている。
新しい消しゴムが真っ二つ。
筆バコの中でミミズがうごめく。
だんだんエスカレートしてくる。
机からは腐ったチーズが登場。
イスにびっしょり小便がかけられている。
ランドセルの中から腐った匂いの雑巾が出てくる。
大便用のトイレの上からバケツの水が降りかかる。
背後から野球ボールが顔面に投げつけられる。
当時は「いじめ」という言葉がなかった。自分の身の上になにが起こったのかわからなかった。
それまでの短い人生で、周囲からこのような圧力を受けたことはなかった。
ぼくはこの場所では異物なのだと認識せざるをえなかった。
田舎の人づきあいは狭い。学級全員が幼児の頃からの幼なじみなのである。
そんな小さなコミューンに、自分ははじめて侵入してきた異物だったわけだ。
異物は排除する、それは人間が得意とする所作である。
幼い頃は運動能力が低く、まわれ右や足踏み行進すらできなかったぼくに、反撃の機会はなかった。
だが、支配する側とされる側の仕組みを勉強するチャンスが与えられた。

暴力はおさまることなく何年間かつづいたが、いろんなことに気がついた。
このようなヒドい目にあっているのは、どうやら自分だけではない。
知的に問題のある子ども、運動ができない子ども、家が裕福でなく学生服を洗ってない子ども、それらの「弱者」は、やはり同じような目にあわされている。
ガキの集団は、単純な論理に支配されている。体力があるか、頭がいいか、金持ちか。その3つのうちのいずれかの要素を持てば、悪意には支配されないのである。
いじめる側の中心人物は常にクラスのヒーローであり、先生のウケもいい。女子にもモテモテだ。
彼らは智謀を駆使し、その正体を大人には見せない。とても賢いのである。
いじめにはブームがあることにも気がついた。
ある時期、誰かを集中的にいじめると、ターゲットは変更される。ぼくはそれを「嵐」と名づけた。耐え切れば、「嵐」はいつか弱風になる。いじめる方も飽きてくるのだ。カタルシスを感じないと、いじめている理由がない。
ぼくはてっとり早く体を鍛えることにした。
「月刊ゴング」という雑誌に、プロレスの神様カール・ゴッチの身体のトレーニング方法のレポートがあった。
カール・ゴッチは、ウエイトトレーニングは行わない。自身の体重を利用して鍛錬するのだ、という記事。本当に強くなるためにマシンはいらない、自分の体を自由にあやつれるようになるべきだと神様は語る。
それ以来、毎日ヒンズースクワットを300回した。木があれば枝に飛びつき、懸垂をした。
上級生になると、腹筋が割れはじめ、上腕二等筋が盛り上がった。
「2」だった通信簿の体育が「5」になった。リレーの選手になった。それだけのことで、いじめの対象から外れた。
簡単な論理に気づき、それに対処した。それだけのことで地獄から脱出できる。貴重な学習であった。

中学校になるといじめとは違うバイオレンスが待ちかまえていた。
ぼくは野球部員だったが、野球部の部室は暴力の巣窟であった。
相手は顔中に硬いヒゲを生やした男性ホルモン全開のヤンキーの先輩たちだ。
暴力に理屈もへったくれもなかった。
練習後は必ず呼び出しをくらい、先輩5人くらいに囲まれ、壁に押さえつけられる。
陸上競技用のスパイクで顔面を殴られる。顔面に穴があく。
空気銃で太ももや尻を撃たれる。撃たれたところは腫れ上がり、ドス黒く内出血する。
野球のバットにまたがらされ、両方から持ち上げられる。股間を激しく打たれると、うめき声も出せない。
拷問さながらの暴力であったが、小学生の悪意に比べると、大したことないと思えた。
痛がると相手は悦ぶのである。だからぼくは、苦痛を表現しない。それは小学生の頃に学んだ防衛方法だ。
どんな攻撃にも、涼しい顔をしていると相手はつまらなくなる。そして暴力は収まる。
これは喧嘩をするときの鉄則でもある。
苦しむほど、相手は悦ぶ。苦しまないと、相手はひるむ。この論理も単純だ。

中学校でも、凶暴な先輩ほど人気があった。
強い者は人望を集め、舎弟をひきつれる。強い者は、(外見が)いい女とつきあえる。単純だ。
要するにヤクザ屋さんと同じ力の論理が、子どもの集団も支配しているのだ。
極端に荒れた中学校ではなかったが、当時の世間標準並みには問題を抱えていた。
マワしの噂は絶えず、タチの悪い大人の仲介で大阪の風俗店に働きにいく女子もいた。夏休み明けには、お決まりの売春、妊娠、中絶。平成の今のように、ガキは生きるのがうまくなかった。
同級生の男子のうち何人かが、風俗通いをはじめた。
最初は地元のチンピラの兄さんがつれていってくれる。そしてなじみの店をつくり、自分たちででかけていく。
ちんげも生えそろっていないのに、小人料金を払って汽車に乗り、1時間かけて徳島市の風俗街に遠征にいくのだ。
凱旋した彼らは、プロのおねえさんがいかに優しく素晴らしいサービスをしてくれたかという話を、滔々と吟じる。
その講談を、田舎の童貞どもがコーフンキミに聞き入る。風俗軍団は最強ヒーローだ。
中学生の分際でパンパン通りとやらに風俗通いするのも、それをもてはやすのもバカの極みである。
だが仕方がない。ぼくたちガキは元からバカなんである。

世の中ずいぶんスマートになった。
このごろは暴走族もちゃんと左側走行し、交通ルールを7割くらいは守っている。
路上で血まみれの殴り合いなどめったに見なくなった。
女子高生の大半がミニスカートで街を歩き、強姦や殺人が頻発しない国はあまりないだろう。
昔に比べたら、ホントみんなおとなしくなった。健全な社会になったのだ。
「キレる子ども」なんてのが問題視されてるが、子どもってのは元からブチキレてるもんだ。
ガキは、ガキたちの小さな世界で悪どいことも非人道的なこともやっている。
そして傷ついたり傷つけたり、差別したりされたりしながら、社会に出る準備をする。
学校のいじめっ子より遥かに頭が良くてタチの悪い連中が、社会にはウヨウヨしている。
ガキのときに鍛えられてないと、社会に出て自力で渉りあっていけない。

ぼくの脳みそは、今でもガキの頃と同じ宇宙にいる。
お金もうけを考えたり、偽善を吐いたり、仮想敵を作ったり、人を裏切ったり、嘘で説得したりする。
どうにか隙間をぬって生きる方法を探しながら、ゴキブリのように這いまわる。
権力と多数意見を前にした人間の愚かさ、暴力的なプレッシャーへの対処、マイナスの局面をプラスに変える方法。
ぜんぶガキの頃に学んだことが生きている。
だれもが正義では生きていない。
人間という利己的な個を組み合わせ、ポジティブな集団に変えるマジックがある。
その難問の答えを出すのは、どんなロールプレイングゲームより楽しい。ガキの頃から解き続けてる最上級のクイズだ。
ガキの時代、「嵐」にさらされなかったら、脳みそはぷるんぷるんのプリン化してるだろう。

だから、いじめられ中の諸君、ヤツらに授業料を払ってやれ。仕返しはボチボチやるってことで!

2006年11月08日

月刊タウン情報CU*10月号 実売部数報告 cu10_busuu.jpg cu10_busuu_suii.jpg

月刊タウン情報CU*10月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*10月号の売部数は、
7591部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」の実売部数を発表しております。

月刊タウン情報トクシマ10月号 実売部数報告 tautoku10_busuu.jpg tautoku10_busuu-suii.jpg

月刊タウン情報トクシマ10月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ10月号の売部数は、
9750部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。

メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」の実売部数を発表しております。

2006年11月03日

徳島大学蔵本祭タウトク11月号P114でご紹介している徳島大学蔵本祭実行委員さんより吉本お笑いライブのチケット販売の日時変更のお知らせ。
11/3・4の販売を11/4 15時〜(売り切れ次第終了)立見のみの販売に変更させていただきます。チケットは残りわずかになっておりますのでご注意ください。またチケット売り場も正面玄関に変更になってます。

2006年10月30日

月刊タウン情報トクシマ11月号発売!tokushima-12tautoku2006秋を10倍楽しむ4大特集!
話題の新店から老舗までおいしいカフェごはん徹底研究!
ノスタルジィに浸れる「懐かしの学校宿」で遊ぼう
新たなオトコマエ発見ミスター男子グランプリ
青春の思い出高校文化祭メモリーズ
橘のだんじりまつりに潜入だんじりファイター


2006年10月23日

徳島大学常三島祭2006 tokushima-tokudaigakusai今年の徳島大学常三島祭は
11月3日(金・祝)〜5日(日)の3日間に渡って行われます。
パワフルかつキュートなガールズバンド、「中ノ森BAND」のライブや
楽しい模擬店など様々な企画が目白押し!
なかでも11月4日(土) 11:00〜16:00に行われる
フリーマーケットの出店者をただいま募集中。


場所:徳島大学常三島キャンパス工学部内(雨天は雨会場を用意してあります。)
出店料:1ブース 2×3m 500円
締め切り:10月25日(水)
問合わせ:080-1211-8085(黒川) または 090-7147-2949(実行委員会本部)

出店をしたいが締め切りを過ぎてしまった場合、担当者に一応お問い合わせ下さい。
売り上げの一部をユニセフに募金するそうです。

地域密着のお祭りにぜひ参加しよう。

2006年10月21日

カイシャってやつを見極めよう
文=坂東良晃(タウトク編集人)

「夢がないと生きていけない!」なんてコピーが踊る成功者の自伝があれこれベストセラーになってる。夢やビジョンを100個あげてノートに写したり、目標を達成する予定日をシステム手帳につけたりと、なにかとメモしなくちゃいけない。けっこう大変だ。真似しようとしても三日坊主で終わりそうな自己啓発本が売れる世相って何なんだ。
成功者が成功の秘訣を語るのは勝手だが、それを真に受ける人が少なからずいるのが問題だ。
特に冴えない経営者のたぐいは、ビジネス指南書を鵜呑みにする傾向がある。
プレジデント、フォーブス、ダイヤモンド、日経ビジネス、東洋経済。
デスク上に、こんなビジネス雑誌がずらり並び、仕事中に読みふけっている経営者がいたら、ちょいやばい。これら雑誌には、偉大なる経営者の金言や改革のストーリーが紹介されている。
古くは松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫、井深大、ウェルチにドラッガー。もっと古くは勝海舟、吉田松陰、紀伊国屋文左衛門、信長・秀吉、劉備に曹操、孔子の論語に孫子の兵法。
最近では御手洗冨士夫、渡邉美樹、久多良木健、柳井正、ゲイツにジョブスにヤンさん・・・。
新境地を切り開いてきた立派な人物たちの言葉を、ちょこちょこと引用したがる経営者の長い訓辞に付き合うのは、従業員は苦痛だろう。
誰でも知ってるよな本田宗一郎氏の名言を、熱く感動的に語られるとゲンナリしてしまう。
自分の方向性もはっきりしないのに、「君たちは、まずビジョンをもつことが大事だ!」なんてことを、突然言い出したりもする。ビジョンなんてねえ、普通はないんです。あるとしても、そりゃ後づけでムリヤリ考えたもんです。
人間は、「好き」「嫌い」でしか生きられない。もしくは、食ってくためにしか生きられないんです。ビジョンとはイコール、自責の念から逃れるために本当の欲望を隠すための言いわけ、つまりは自己防衛の所作だ。
ケーハク経営者の述べる「ビジョン」のウソを見抜かないといけない。ウソの典型はこうだ。
・世の中をこう変えよう!(世の中を自分の都合のよいように変えよう!)
・顧客に感動を与えたい。(感動はお金に換わるのだから)
・利益の一部は社会福祉に還元しよう。(節税できるし評判もあがるからね!)
大きすぎてワケのわからくなったビジョン、抽象的なビジョンは経営者にとって都合がいい。
「地球環境に貢献する」「誰もが夢を持てる世の中にする」くらいのスケールで語っておけば、細かいことは誤魔化せそうだ。
さて、ここからは経営者たちがつくペテントークを、具体的に検証したい。わかりやすく事例をあげるために、創業経営者バージョンでお届けしよう。つまりウソつき初級編だ。

経営者 「キミたち社員には給料を払う。オレは事業が軌道に乗るまで一文ももらわないからな!」
従業員 「しゃ、社長ー! ご自分を犠牲にしてオレたちに給料出してくれて、感動です!」
その感動はNG。オーナー経営者は、給料をとろうがとるまいが結果としては一緒なんです。
自分がつくった会社から役員報酬としてお金を個人口座に移動させようがさせまいが、結局さいごは創業者(家族・親戚が名目株主のオーナー企業ね)のものになるのである。会社名義の口座にお金を置いているか、個人名義の口座に移動させたか、それだけの話である。お金をどこに置いておくかを決めるのは、どっちが税務上得なのかで判断される。
「私は起業から1年間、1円の給料も取らなかったのだよ・・・」なんて思い出トークを平然とする経営者がいる。
商売を初めた当初はまとまった収入があるはずないから、無給は当然である。また、無給といっても会社の口座にはお金は入ってきているから、それは資産となる。会社は存続すればいずれ他人に譲る。売却する際には会社資産に値段がつけられ、その代価は経営者のものとなる。
当たり前の話を、さも大変なことのように語り、自らの清貧さをアピールしようとするのはエセ度☆☆だ。

こんなトークもよく耳にする。
経営者 「オレは数千万円の借金を背負ってボロボロになった。それでもチャレンジした」
ブ〜イングである。現金をたっぷり相続してない人間なら、商売を始めるときに借金するのは当たり前である。てゆうか、初めて商売を興すときに何千万円も借金できるのは、元々担保価値のある土地家屋を所有していたから以外にない。銀行は、どんな立派な企画書を書いてもお金は貸してくれないからねぇ。儲けるために先行投資する。そんなのは商売も投機もギャンブルも同じだ。創業者が当然背負うべきリスクである借金をヤイノヤイノと語る経営者は、ペテン度☆☆☆だ。

お次は古典的な武勇伝である。
経営者 「周りの誰もが反対したが、オレはやってのけた! 皆がそんなことやってもダメだと馬鹿にしたけどよ、オレを」
つまりこの経営者は、(誰も気づいていない市場に目をつけ、リスクをいとわず挑戦したオレはイケてる!)と自画自賛しているのである。しかしねえ、知り合いが商売をはじめると聞いて反対しない人はいないからね。だって失敗したら目も当てられないことを知っているから。
反対してあげるのは思いやりである。何でも「やれやれ」なんて薦める人は信用のおけない人物だ。初めて店を出したり会社を作るときは、家族や友人は必ず反対するものであり、取引先に信用されるはずもなく、お客様には馬鹿にされるものである。 街に並ぶたくさんの店、会社、事業所は、みないろんな反対を押し切って立ち上げたものだ。そんな当たり前のことを武勇伝化する経営者は、ナルシスト度☆☆☆☆だ。

とどめの苦労話はこれだ。
経営者 「オレは事業が軌道に乗るまで不眠不休だった! フロも入らず事務所の床で30分仮眠を取るだけだったよ!」
従業員 「しゃ、社長〜、俺も寝ないで頑張るっすぅ!」
って共感してはいけません。経営者は労働者じゃないんだから、24時間働いてもいいのよ。株主経営者の自分の働き分は、ほかでもない自分の利益になるんだからね。仮に労働者が24時間働いて稼いでも、その労働が生み出す価値の大半は本人には還元されません。
1人の労働者が、1000万円の価値(この場合は粗利益)を生み出しているとする。しかし実際の年間の給料は400万円だ。のこりの600万円は、会社の資産(モノやカネ)となり、最終的には株主経営者のモノになる。オーナー経営者はみなこのお金の構造を知っている。しかし従業員に説明はしない。じぶんの肉体を酷使した事実は語るが、その結果として生じる利益のありかについてはウヤムヤにしておきたい。そして、自らの苦労話を披露することで、従業員にも同様の苦労を求めようとする。こんな都合のよい状態に労働者を置こうとする経営者は、イリュージョニスト度☆☆☆☆☆だ。

ダマされない労働者になるためには、決算書を読む力をつけよう。「金がない、金がない」と経営者がボヤく会社にホントに資産がないのか確かめてみよう。メイン銀行の口座には金がなくても、別の資産に化けてるかもしれん。そして、それがいつの間にか経営者の個人資産に付け替えられるイリュージョンを使っているかもしれん。
だから決算書は過去にさかのぼって読まないといけない。早急に逃げ出した方がいい会社か、儲けている割に従業員に利益還元しない会社か、決算書を読みこめばわかる。
決算書を理解するのは簡単とは言えないが、難しいというほどでもない。中学生のときに二次方程式を覚えた程度の努力を、今からもう一度すればいい。ただし、従業員の目の届く場所に大事な帳簿を置いてる脇の甘い会社は少ないだろう。多くは金庫の奥で社長と税理士と社長の奥さんだけが見えるようになっている。でもね、普段から立派なマネジメント論を述べている経営者・・・ディスクローズ、コンプライアンス、モチベーション、モラールサーベイ、インセンティブ、報・連・相などの用語を好んで口にする経営者には申し込む余地はある。だって、「でるだけ隠し事なくなんでも言いあって、従業員のやる気を高め、公平で公正な組織を作りたい」って人なんだからね。申し込んでも問題ないはずだ。(急にぶちキレられ村八分にあう可能性もあります。結果はどうなろうと責任は負わん!)
経営者が自らの身を律した経営者なのかどうかは、以下の点で評価できる。
□決算書を、従業員に対し閲覧可能な状態にしている。(つまり隠し事がないってこと)
□会社の利益と、従業員の給与・賞与の関係を説明してくれる。(給料が適切かどうか従業員に判断させる余地を与えている)
□自分の報酬を説明してくれる。(お手盛りでたくさん取ってないか従業員の評価をあおぐ姿勢がある)
このような清廉な会社が、百鬼夜行の世の中でいいポジションにいる可能性は少ないが、少なくともウソつき経営者が君臨する会社よりはマトモである。不幸にもウソつきにしか巡り会えなかったら、自分でウソのない会社を作ってしまうって方法もある。

2006年10月15日

月刊タウン情報CU*11月号、本日発売! tokushima-cu200611月刊タウン情報CU*の11月号が
本日発売されました〜!
秋になっても女性の欲望の熱は冷めません!
特集1
遠征!お買い物ツアー
徳島・四国・神戸・大阪の今アツイ最新ショッピングエリアを紹介。そろそろ上着が必要な季節だし、今年流行のロングニットカーディガンやスキニーデニムも手に入れちゃいましょう!

2006年10月05日

さらら10月5日号発行しましたsalala015本日、さらら10月5日号発行しました。
おかげさまで、この号でさららは9周年を迎えました。これからも読者に喜んでいただけるよう精一杯がんばりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
今回の巻頭特集は、「がんばれ! とくしまの働くお母さん」です。さららの育児コーナーで、働くお母さんのコラム「働きママ」の連載をスタートして約1年。コラム掲載のたびに同じ働くお母さんたちから熱いお便りをいただいています。子どもは可愛いけれど、ときにはストレスがたまることも。仕事もがんばっているけれど、育児や家事との両立は大変な部分もたくさん…そんな「働きママ」たちをさららは応援したい。今回は、働くお母さんのための20分で3品できる夜ごはんレシピ、お母さんたちのホンネがわかる座談会、そして子育て爆笑エピソードなどが満載です。

2006年10月04日

月刊タウン情報CU*9月号 実売部数報告 cu9_busuu cu9_busuu-suii
月刊タウン情報CU*9月号 実売部数報告です。
タウン情報CU*9月号の売部数は、
8082部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報CU*」「月刊タウン情報トクシマ」の実売部数を発表しております。
月刊タウン情報トクシマ9月号 実売部数報告 tautoku9busuu tautoku9busuu_suii

月刊タウン情報トクシマ9月号 実売部数報告です。
タウン情報トクシマ9月号の売部数は、
10629部でした。
詳しくは、上部に表記してある画像をクリックしてください。

メディコムでは、自社制作している「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU*」の実売部数を発表しております。

2006年09月30日

月刊タウン情報トクシマ10月号発売! tokushima-tautoku10gatu月刊タウン情報トクシマ10月号本日発売!!秋の7大特集号
特集1
「ごはん党が愛する店」!
新米の秋、ごはんの一番おいしい季節がやって来ました。ほっくほっくの釜飯やうなぎのお茶漬け、パエリアやビビンバ、おこわやじゃこめしなど、ご飯が主役のメニューが大集合。かめばかむほどに味わい深い、そんな逸品をご堪能あれ。
特集2
「秋のドライブで感動体験!」
剣山山頂からジロウギュウや一の森への散策、高知・愛媛県境に位置する四国カルストの大地でポニーとたわむれる高原ドライブ、小船に身を任せ潮の流れに乗る愛媛の潮流体験など、日常では味わえないドキドキ体験付きの大自然ドライブへ!

2006年09月27日

オモシロプロジェクトライブ「小鉄」 日程決定! tokushima-nitanji tokushima-sabu
オモシロプロジェクトライブ「小鉄」再上陸!

写真や映像を駆使してトクシマをもてあそぶ
小鉄の三回目となるライブの日程が決定した。
「小鉄ライオン」
日時:11月19日(日) 18時開場 18時30分開演
会場:徳島ホール(徳島市幸町1丁目)
料金:1000円

小鉄とは・・・
目に映るものすべてをおもしろネタにかえていく小鉄の脳ミソ・ニタンジさん(写真左)とその傍らで自然体でネタの行方を見守り、流し、ツッコむ小鉄の盲腸・サブさん(写真右)の2人が結成したオモシロプロジェクトのこと。

2004年11月と2005年6月に開催したライブでは、それぞれ約250人もの集客を果たした。
3度目となる彼らの公演、見逃せない。
なお、現在好評発売中のタウン情報トクシマ10月号
5ページの「ホットランナー」
に小鉄の2人のインタビューを掲載!こちらも合わせて要チェック!

2006年09月21日

さらら9月21日号、発行しました SALALAhyoshi921.jpgとくしまの生活情報紙 フリーペーパーさららが発行しました。
今回の巻頭特集は、徳島生まれの「カツ」をクローズアップしました。
魚が原料、衣は鮮やかなオレンジ色、そしてちょっとピリ辛スパイシー…
スーパーでよく買っては食卓の上に並ぶ、徳島人が愛してやまないあのカツです。

さららは県内各地でカツ緊急アンケートを実施。
また、さらら紙面で募集したところ、たくさんの応募があったカツレシピも紹介します。
和風、イタリアン、そして丼・・・そのアイデアの豊かさに編集部はびっくり。

月刊タウン情報トクシマ8月号 実売部数報告 tautoku8_busuu tautoku8_busuu-suii


月刊タウン情報トクシマ8月号 
実売部数報告です。

タウン情報トクシマ8月号の売部数は、
タウトク7月号の売部数は、
10581部でした。

詳しくは、上部に表記してある画像を
クリックしてください。

メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報CU*」
「月刊タウン情報トクシマ」
の実売部数を発表しております。

詳しくは、こちら、ついてはいけないウソ をご覧下さい。
月刊タウン情報CU*8月号 実売部数報告 cu8busuu cu8_busuu-suii

月刊タウン情報CU*8月号 
実売部数報告です。

タウン情報CU*8月号の売部数は、
7471部でした。

詳しくは、上部に表記してある画像を
クリックしてください。

メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報CU*」
「月刊タウン情報トクシマ」

の実売部数を発表しております。

詳しくは、こちらついてはいけないウソ をご覧下さい。

2006年09月15日

徳島ビジネスチャレンジメッセ開催中

このメディコムのブログホームページでもお世話になっている「IDS」様が、
徳島ビジネスチャレンジメッセで、
「Beトクシマ」
にて、優秀賞を受賞されました。

おめでとうございます。

誰でも、気軽にブログサイトを作れるということで、非常にブログを開設する人も増えているようです。

徳島の、未来のビジネススタイルを見ることができる
徳島ビジネスチャレンジメッセは、明日(16日)まで開催中です。

2006年09月14日

2006年09月11日

「鳴ちゅる」が週刊文春で取り上げられました鳴ちゅる

メディコムが発行する「鳴門のちゅるちゅるうどん探訪記 鳴ちゅる」(中野晃治著)が、週刊文春9月7日号の「新刊推薦文」に掲載されました。
掲載以来、全国の方々や書店さんより注文が殺到しています。
書評が掲載されたことを編集部は知らなかったので、何が起こったのかわからないまま、きょとんとした表情をキープしつつ、発送作業をおこなってました。
いやー、さすがすごい威力です週刊文春さまぁ!

2006年09月10日

徳島で雑誌をつくろう そのシィ「いち編集者の思考の説明」
文=坂東良晃(タウトク編集人)

朝起きると、寝ぼけマナコで天井を見つめながら考える。「今日もぼくには仕事がある」。原付バイクにまたがり、吉野川を渡って編集部のあるカイシャに向かいながら考える。「今日も出勤できる職場がある」。バイク置き場から事務所までの道を歩きながら、アタマの中で今月の支払いのことを考え、入ってくるお金のことを考える。「まだ現金はある。カイシャを潰す心配はない」。社員の大半はすでに慌ただしく仕事をしている。「急がないといけないほど仕事がある、よかった・・・」
自分のことをろくでもない人間だと思っている。だから自分が勤められる職場が存在していることを奇跡に感じる。朝起床すると、カイシャの存在を実感できないときがある。無職時代が長いので、それなりに社会に適合していることにも驚く。
メシが食えないことに潜在的な恐怖がある。貧したら貧に慣れるという人もいるが、ぼくは貧乏が恐い。全財産が3000円を切れば、病気をしても病院に行く勇気がなくなる。部屋が借りられず寝泊まりする場所を探してほっつき歩いたり、知人の冷蔵庫の食べ物を求めてさ迷ったりと、貧乏は行動をあさましくする。
立派な経営者や、創造的な仕事をする人は、「この仕事はカネなんか関係ない。夢のためにやる」なんて見得を切る場面もあるけど、ぼくはそんな気になったことがない。儲からない仕事をするのは恐怖である。儲からないとドン底まで突き落とされる。他人に働いてもらって、労働にふさわしい対価を払えないのは最悪な経営者の姿でもある。
あちこちの経営コンサルタントや経営セミナー運営会社から、中期戦略の再構築とか中核的強みの見直しとか、色んなことをしてみなさいよと迫られる。外から見ると、ぼくの経営はよほど頼りなく映るのだろう。商売を発展させるためには、周囲を感心させるような重厚な理屈が必要なんだろうけど、さしあたって何かを変化させたいという意志がない。 雑誌づくりという好きなことをたまたま商売と連動させることができ、しかも給料までもらえている。
これ以上のことを求めるとバチが当たりそうなので欲は出さんとこ、と思っている。

「仕事が楽しくないから、会社を辞めます」と申し出た二十歳の社員に、こんなことを言った。・・・世の中いったいどれだけの人が楽しさを求めて仕事していると思うのよ。みんな生活のためにやっている。家庭や子供を守ったり、信用してくれている人を裏切らんために働いている。楽しいかどうかなんて基準は、子供の発想だろーよ。
二十歳の若者はすかさずこう反論する。「そんなこと言ったって、あなたは元もと雑誌が好きだからやっているんでしょう。いつもそう言ってるじゃないですか。仕事を続けられるかどうかは、最終的には好きかどうかじゃないんですか?」。
確かにそうだ。ぼくはこの仕事が好きだからやっている。適当な建て前はでっち上げられるが、ホントの所は好きだから続けられてる。そんな単純人間が偉ぶって職業倫理を語るなんてね・・・ド反省。

高校生のころ雑誌は世界の窓口だった。80年代、阿南の田んぼの真ん中で入手可能な新しいカルチャーは、雑誌にしか存在しなかった。20年前だからインターネットはない。初代ファミコンが登場した頃だが、金持ちしか所有できない。POPEYEと朝日ジャーナルと諸君!と写真時代をむさぼり読んでいた。ファッション誌と進歩的左翼誌と御用右翼誌と極エロ誌を同時に読む。これが田舎の高校生の理論武装だ。
「オールナイトニッポン」2部以降の深夜放送を聴いているとか、民族音楽とかプログレッシブとかの未発売輸入レコード盤を密かに買い漁っている、そういう行動に近い。それが自分のアイデンティティを補完する方法であり、女のコにモテるための引き出しの一つである。
宝島、ミュージックライフ、平凡パンチ、ホットドッグプレス、週刊プレイボーイ、週刊ファイト。どの雑誌でも、活字たちは憤懣やるかたない情熱をたぎらせ、ギラギラと脂ぎったエネルギーを放っていた。ヒッピーやドラッグや反戦や70年代ウエストコーストやサイケデリックやポストモダンやインド放浪やチベット密教やコーランや連合赤軍がカッコいいと思っていた。そんな時代をライブで生きた30代がつくるカウンターカルチャー雑誌と、その反動で軟派化したポップカルチャー誌の洗脳を、10代のぼくは受けた。 そういう雑誌にまみれて無為な時を過ごすのが幸せであった。だからぼくは雑誌づくりを職業にした。

この職業につき、20年近くメシを食っている。恩のある雑誌だから嫌いになることはない。
ぼくは雑誌の匂いが好きである。いや、雑誌の生産過程をとりまく匂いと環境が好きである。完成したばかりの雑誌が放つ独特の香りはいい。乾ききらないインク臭と、漂白された紙の匂い。匂いの質は変わった。むかしの本は、もっと有機溶剤臭がプンプンしていた。
ぼくがこの世界に足を踏み入れた20年前は、まだ活版印刷が存在していた。活字職人が1字、1字ピンセットで活字を拾い、巨大な鉛合金の塊をつくりあげる。その重量感あふれる金属の表面を、インクのローラーが撫で、紙に転写する。紙には鉛の文字が深く刻印される。紙の表面にはその圧力により凹凸が生じる。紙のヘコミに染みこんだインクは今ほどすぐは乾かず、手触りと湿り気で印刷職人の仕事の名残を感じた。現在のハイテク印刷には、このような触感は薄れた。紙の表面はつるんとなめらか。それでも悪い匂いはしない。
締切が近づいた編集部には、独特の匂いが充満する。編集の現場は、匂いの洪水だ。昼間取材の際にかいた汗が乾いて、微妙な臭気を漂わせる。風呂に入っていないヤツの足の悪臭がツーンと鼻をつく。撮影用の食品の匂いが入り混じった生暖かい空気、深夜にスタッフが食べるスタミナ食のニンニク臭。生ぐさい人間の匂いに、忠実に生産活動をつづける機械音が溶ける。スキャナーが画像を読み取る電子音、高速プリンタが激しく紙を飛ばす連続音、キンキン唸りをあげるサーバー群。
匂いと音のはざまに、人間がいる。怒号があがるときもあれば、笑いに包まれるときもある。何かに絶望してる人もいれば、楽しいことだけ考えてる人もいる。プレッシャーに耐えられず失踪する者、机に突っ伏して豪快にいびきをかいて眠っている者、いろいろだ。
雑誌づくりの現場は人間味あふれるモノづくりの工場であり、カイゼンもカンバン方式も効果を出せない、もっとも非効率な生産工場だ。

入社希望の大学生に挑発的に問われた。「タウトクはフリーペーパー化しないんですか。雑誌はいずれ全てフリーペーパーになると思います」。
確かにね、あらゆるコンテンツは無料で供給されるようになってるよね。テレビ=無料、ラジオ=無料、インターネット=無料、フリーペーパー=無料。新聞は有料だが、料金銀行振込なら毎日買ってる意識はない。ケータイサイトもパケ代は必要だが、定額設定してるなら無料感覚で使える。現金購入するメディアって、雑誌以外にはタブロイド夕刊紙やスポーツ新聞くらいしかない。電車通勤の人口が少ない徳島では、スポーツ新聞を買う人は虎ファンかプロレスオタク。現金で売り買いされるメディアはイコール雑誌ということになる。きわめて稀少な存在なのだ。各メディアが先を競ってコンテンツを無料で放出している時代に逆行し、お金で買ってもらえる物を必死になってつくる。その不格好な必死さが好きである。

今のカイシャ、50人くらいの若い人が雑誌づくりに取り組んでいる。今年は1年で70本ちかく出版物を出す予定。5日に1日の発行ペースだ。時間はひたすら猛スピードで過ぎていき、未来を考察する余裕はない。ホンダみたいに産業の未来をちょっと考えてみよーかななんて思うときもあるが、すぐ飽きて寝てしまう。雑誌の未来がどうなるかなんてハナから興味がないのだ。半年先の運命を考えるのはスリリングだが、その先の未来を想像するのは退屈だ。戦略は必要だが、空想は無駄だ。
今日おもしろい雑誌をつくり、明日もっとおもしろいものを考える。それをひたすら繰り返す。どこまで続くかわからない道を、バニシング・ポイントみたいに爆走するだけ。その先に何があるかなんて、行ってみないと分からない。