文=坂東良晃(タウトク編集人、1967生まれ。18〜21歳の頃、日本列島徒歩縦断、アフリカ大陸徒歩横断など約1万キロを踏破。男四十にして再びバカ道を歩む、か?)
【神宮外苑24時間チャレンジ】
「場ちがい」という体験をしたことがありましょうか。、「肩のこらないカジュアルなパーティです」と書かれた案内状を真に受けて普段着で会場に行ったら、全員がフォーマルスーツで決めていて「マジかよ!」と悪寒が背筋を貫くような、嬉しくないひとときです。
「神宮外苑24時間チャレンジ」の会場にやる気満々、鼻息もバフバフはせ参じたぼくは、受付でもらった選手リストに目を落とすにつけ、自分の存在が完全に場ちがいであることを認めざるを得なくなり、急転直下のしょんぼりとしたムードに包まれた。リストには各ランナーの自己ベストタイムが併記されている。なんと、8割程度の選手がフルマラソンで2時間台、100キロマラソンで8時間台以内の実績がある。100キロ6時間台の鬼ランナーまでいる。フルマラソン3時間33分と書かれたぼくのプロフィールが名簿から完全に浮き上がり、逆に目立っているではないか。オオカミの集団にまぎれこんだ子羊か、あるいはヒクソン・グレイシー道場に殴り込み血祭りにあった安生洋二か。かなうならば植木等ばりに「およびでない・・・こりゃまた失礼しました〜」と舞台から引けて、一刻も早く徳島にUターンしたい気分である。恐る恐る控えテントに近づくと、全身にぜい肉のカケラも付着していない研ぎ澄まされた方々が、去年のスパルタスロンの話題で盛り上がっていらっしゃる。ちなみにスパルタスロンとは246キロを36時間以内に走る世界最高峰のウルトラマラソンの大会であり、ぼくがどう逆立ちしてもローラースケートを履いても完走すらおぼつかない偉大なる大会である。つまりスパルタスロンで上位に食い込むようなレベルの皆さんが、いまここに集結してらっしゃる。 (やっぱし、いのかな〜)と思いつつ、なるべく他人と目をあわさないように伏し目がちに着替えていると、1人の選手に話しかけられる。「徳島からいらしてるんでしょ? 同じ四国からですヨロシク!」という愛媛ご出身のランナーのお方。柔和な表情でリラックスした雰囲気。(あ、やっと仲間ができたかな)とひと安心したが、この方もスパルタスロンを完走され、ウルトラマラソンの優勝経験もある超A級ランナーと判明。「来年、スパルタ一緒に行きましょう!同じ宿で長期過ごすからランナー同士のつながりも強くなって、楽しいですよ!」と優しく誘っていただく言葉に、「もごもご」と歯切れ悪く返事する。(あのう、ごめんなさい。ぼくただの場ちがいな人です)と心でお詫びする。ふつうの市民ランナーなんて、この会場にいるわけないか、と再び落ち込みスタートラインにとぼとぼ歩く。
スタート5分前にランナー49人は公園周回路の歩道上に並ぶ。定刻9時に号砲。いきなり周りのランナーたちが猛スパートをはじめ、ぼくは置き去りにされる。ちょちょちょちょ、ちょっと待ってー!と追いすがる。先頭集団の入りは明らかにキロ3分台である。あのーみなさーん!今から24時間走るんですよね? じっくり入ったりしないわけですかぁ。それともそのペースでも抑えめですかぁ、と心で叫びながらついていき、取り残される羞恥心からぼくもキロ4分台で入ってしまう。明らかなるオーバーペース、「オマエはすでに終わっている」状態である。
それから30キロあたりまではキロ5分30秒ペースで走る。が、先頭集団に何度も周回遅れにされる。こっちだってサブフォーペースなんですけど一応・・・。彼らはまるで中距離走者みたいに速く、気持ちよいほどガンガンぶち抜いてくれる。もーどうでもいいや、走れるだけ走ろ、とふっ切れる。笑うくらいの実力差にすがすがしさを取り戻す。
50キロに達したのはスタートから6時間後。このままのペースを維持できれば200キロをマークできる計算だ(そんなわけないのだが)。先頭を行く選手は100キロを7時間台後半でカバー。24時間走のアジア最高記録(274キロ)を上まわるペースを刻んでいる。やがてにわかに天空かき曇り、東京名物のゲリラ豪雨状態に。小川のせせらぎの中をいくように、神宮外苑の舗道上をジャブジャブと靴を濡らし進む。
1.3キロの周回路をぐるんぐるんと24時間まわり続ける。そこには何かしら哲学的な意味あいが必要なのではないか、と思索する。天気のよい日にさわやかな高原や海辺の道をタッタカゆく、という理想的なランニングのイメージとは対極の位置にある競技会である。場所は都心部、コンクリート建造物の谷間。特に視線を向けるべき自然の造形もなく、かといって近未来的都市の景観があるわけでもない。同じ道をひたすら10周、20周、50周、100周と周回を重ねる。ましてや夜間ともなると、信号や街頭の灯り以外は目に映るものすらなくなる。心はおのずと内省的になる。
到達点のない距離と果てしない時間のなかで、ただ脚を前に出しつづける。遅いけれど少しは前進する。人間の生涯なんてそんなものではないかと思う。自分がある日フイに死んだとしても世の中はうまく回りつづける。今やっていることに重大な意味があると信じて、寝る間も惜しんで取り組んでいたとしても、自分がある日消失霧散したあとも、世界は変わらず同じ時を刻み続ける。他人にとって価値があるのかないのか不明な仕事に夢を抱き、目標をつくり、ひたすら走り続ける。自分が今どこを走っているのか、何のために走っているのかもわからず、全力で四肢をもがき、疲れ果ててトボトボ歩く。24時間というひたすら長い競技時間を、休むことなく、眠ることもなく、湿気った重い空気をかきわけ走る。そういう行為こそ、人生を例えるにふさわしい営みなんではないかと思うのだ。
草木も地下鉄も眠る深夜、遅れてきたランナーズハイに突入する。出だしの頃は、「フルマラソン1回分走ったのに残り20時間もあるんだよね」「10時間走ったけど、24時間から10時間引いたら14時間(暗算があまりできなくなる)。あと14時間ってけっこう長いよね」などと当たり散らせない思いを噛みしめていたが、12時間つまり半分を超えてからはお気楽さが充満してきた。「あとたったの8時間しか走らせてもらえないのか、さみしいもんだね」なんてメランコリックにもなる。自分の能力では抗しがたき状況に晒されると、流れに身を任せるしかない。先のことはともかく、今この瞬間にやれるだけのことをやろう、との刹那的ポジティブマインド。びしょ濡れのナメクジの歩みのようにヌラヌラと、荷役ロバのようにヒヒヒンと笑って。
夜が明けると見物のお客さんが増え、孤独なムードは華やいだものに変わる。見ず知らずのぼくにも沿道の左右から応援の声がかかる。引きずっていた脚から痛みが消え、正しいストライドに戻る。徐々にスピードが増し、最後の1周は心臓も壊れちまえのペース、キロ4分台。何十周と追い抜かれたトップクラスの選手をはじめて追い越す。なんだまだ限界じゃなかったんじゃねーの。まだまだ走れるじゃないか。
結果は139キロ。49人中27位。どうなんだろね、微妙だね。
優勝した井上真悟選手は29歳。大雨の悪コンディションの中、今シーズン世界最高記録の258キロをマークした。背筋をピンと伸ばした孤高の走りは背後から見ていても心洗われた。超長距離走のジャンルで、まさに世界のトップに立つ人物だ。ふだんはジュニア陸上クラブの指導はじめ様々な社会貢献活動に勤しむ素晴らしい好青年である。共通の知人がいたため、フィニッシュ後にお話ができた。自己紹介すると、ぼくのことを知っていてくれた。「あ!サハラマラソンで下ネタばかりしゃべっていたという方ですね」・・・嗚呼、若き王者の歩む道との何たる遠さよ!
【信越五岳トレイルランニングレース100km】
「神宮24時間チャレンジ」と2週連続の100キロ級レースである。大会2日前にして、疲れがまったく脱けない。これは歳か、アラフォーの性か。凡人たるオッサンがアスリートのマネごとをしている報いか。スーパー銭湯でマッサージ椅子にもみしだかれても、狂ったようにサウナと水風呂を往復してもダメ。ついにはケミカル頼み、ユンケルとリポDゴールドを2日間で20本ガブ飲みしたが、飲み過ぎは当然身体によくありませんな。お小水が黄金色に輝くばかり。
信越五岳トレイルランニングレースは、トレイルラン文化を日本に根付かせようと精力的に活動しているトレイルランナー・石川弘樹さんがプロデュースする大会であり、今までにない先進的な思想が導入されている。元来、孤独でストイックな山岳レースのイメージが強い日本のトレイルランの大会に対し、信越五岳トレイルは家族や友人が応援できるポイントをいくつも設けたり、ラスト34キロを「ペーサー」と呼ばれる仲間の併走を認めるなど、ランナーとランナーを支える人たちが一体となってレースを作りあげる。全8カ所もあるエイドの充実も珍しい。たとえば国内最高峰の大会であるハセツネ(日本山岳耐久レース)のエイド1カ所とは、大きく異なる。ハセツネは登山家を鍛える目的で始められた山岳レースだから、途中補給なんて考えは主旨に一致しない。頂上を落とす最終アタック隊を横から助けてくれる場面なんてないですからね。対して信越五岳トレイルは、石川弘樹さんが長期遠征したアメリカや世界各地での経験を元に、誰もが市民マラソンのような気軽な感覚で森や山のトレイルロードを楽しく駆ける、というライフスタイルを競技に取り入れたものだ。
拠点となる長野市へは徳島からだとアクセス不便に感じるが、高速バス1本で行ける新神戸駅から新幹線で名古屋駅、特急しなの号に乗り換えて長野駅へ、とタイミングよく乗り継げば6時間。JR長野駅前には主催者が用意した無料バスが待機し、1時間かけてスタートの斑尾(まだらお)高原へ運んでくれる。地元市民や自治体とトレイルランナーの協働という観点から、大会前後は地元の宿泊施設での滞在が義務づけられる。参加者からの異論も少しはあったが、今どきの厳しい財政状況のなか地元自治体や商工会らが人を出し、準備に汗を流し、予算も捻出して走らせてくれるのだから、「お金は落としたくないけど支援だけしてくれ」というのは虫が良すぎる。その恩義の大きさにふさわしいお返しはできないが、せめて宿代、食事代、土産代くらいは経済貢献するとしよう。
夜がしらじらと明け始めた午前5時30分がスタート時間。初開催の大会だけあってランナーのお祭りムードも最高潮だ。前夜のパーティー会場では「100キロという旅を楽しんで」と説明してくれた石川選手が、ランナーたちの浮かれ気分がシリアスさに欠けると判断したか、スタート台から拡声器で「これはレースですよー!周りとの戦い、自分との戦いでーす!」と引き締めにやっきになっていたのが微笑ましい。
走りだしの高原ロードは細かなアップダウンの繰り返し。驚いたのは足元の柔らかさ。樹木の堆積物からなる土面や、走路を覆う芝草によって脚への衝撃が少ない。まさにフカフカの雲上を走る気分なのである。ガレ場やぬかるみが当然のトレイルレースにあって快適すぎるサプライズだ。コースは、しだいに深い森の中へとランナーを誘う。左右に蛇行するシングルトラックの細いトレイル。木立がぐんぐん迫ってきては後方へと流れていく。開けたアスファルト道では味わえないスピード感に心躍る。走っている間は、あまり複雑なことは考えない。だから、山を走るってのはこんなに気持ちのいいものなんだと、すなおに感動する。
新潟と長野にまたがる5つの山岳地帯を結んで設計されたコースは、更にさまざまな局面を用意してくれていた。ダブルトラックの走りやすい林道、木の根が縦横に張りだした急峻な登りや下り、瀑音とどろく河川を眼下に伸びる土手道、満開のコスモス畑、牛が草をはむ牧場地帯、湿地帯の木道、そして神秘的な戸隠神社の境内へ・・・。つぎつぎとタイプの異なる道が現れては、回転舞台が転換するように目を楽しませ、適切な走りのテクニックを要求する。飽きることのない仕掛けに笑いが込み上げてくる。やー、バカみたいに楽しいなこりゃ。
ラスト10キロは標高1840メートルの峠へと続く飯綱山への登り。登山道に取り付いたのは深夜12時、制限時間まで4時間を残しての10キロである。最後の最後に最高の美肉を用意してくれたものじゃ!などと余裕をかましていたら、次第に霧が深くたちこめヘッドランプの光が映し出すのは乳白色の空気ばかりで足元おぼつかず。険しい登山道は半ロッククライミング状態となり、吹きつける雨に木の根も岩もアイスバーンのごとく滑る。10分に1回ペースですっ転んではケツも腰も打ちまくり。最後に何たる仕打ちじゃ〜と半泣き&全身ドロまみれになって4時間近くもがき苦しんで山を脱する。ラスト2.6キロは平坦な林道、足も折れんばかりにキロ4分ペースの猛ダッシュを試みた。神宮外苑24時間走に続いての「なんだまだ限界じゃねーのラストスパート」である。しかし、22時間の制限時間にどう計算しても2分届かない。22時間も走ったのに公式記録上はDNF(did not finish)なんだよね〜ガックシ。
制限時間オーバーゆえにてっきりフィニッシュ会場も撤収準備に入っているだろうと思い最後の角を曲がると、何ということでしょう! 多くの先着ランナーたちが花道をつくって待っていてくれた。「おかえりなさい!」「ナイスラン!」と声がかかる。そしてフィニッシュゲートの真正面に少女漫画の主人公ばりのキラキラ笑顔で立っているのは、かの石川弘樹選手(34歳・美形)ではないか。背景に薔薇の花びらが舞ってますよ! うひょー、最高のクライマックスだね。ぼくがミーハー女子ならこのまま彼の胸の中に顔をうずめて、ぽっぺをスリスリしちゃうトコだね。
しかし自分はオッサンであるという自覚を胸に、自制に努める。石川選手に「来年もぜひ来てください!」と声をかけてもらい、がっちりアスリートっぽく握手を交わす。当代きっての美青年カリスマランナーと、当代きってのバカランナーの人生がここで初めて電撃的にクロスし、化学反応を起こし激しくスパークしあったわけだ!(単に握手してもらっただけです)
撤収作業のはじまった会場を眺めているうちに、徐々に我に返る。全身ドロまみれのボロ雑巾。どこもかしこも痛くて動くたびに悲鳴をあげそうだ。だけど気分はすがすがしい。2週つづけての100キロレース。ハンガーノック状態で悶え苦しむのは望みどおりの沙汰だ。大都会のド真ん中や、大自然のド真ん中を、理屈・屁理屈はさておき、ひたすら猛進する。それぞれのカテゴリーに若き超一流の選手がいて、競技者としての強いハートと高い社会的使命を背負った、輝かしい姿を目の当たりにした。そして、それぞれのカテゴリーにおいて超五流のぼくは、今日もまた地味にエントリー料を振り込み、大会案内がポストに入っているだけで一日幸せ気分になり、過酷なレースの最後尾をよろよろ走りつづける。美しくもなく、栄光もなく、寝不足気味のスカンピンで。