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2013年10月
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徳島の式場・ダンドリ・結婚マネーが全てわかる
とくしま 結婚しちゃお!冬号 徳島で結婚が決まったら、最初に読む本「結婚しちゃお!」。地元徳島の人気式場をはじめ、衣裳店、写真館、指輪店、二次会会場などウエディング関連全54軒の最新ニュースを総まとめ!
冬号は豪華すぎる6大特集に注目! 「式当日までの完璧ダンドリ」「ウエディングケーキ実例91」「婚約&結婚指輪ベストセレクト100」など盛りだくさんの内容。
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遥か彼方の星たちに想いを馳せて…。タウトク11月号 ★未知なる宇宙に夢中
11月、アイソン彗星の訪れとともにブーム到来! プレネタリウムに天体観望イベント、宇宙グッズまで紹介。
★この店でしか食べられない名物メニュー
他店では決してお目にかかれない、そのお店でしか出せない味がある…。本当にウマい名物メニューを集めました。
★もみじの名所、もみじまつり
今だけのレジャー。紅色に染まり、趣のある景色にうっとり。
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レジャーや防犯情報もあり!さらら10月17日号 今回のみみより10には、「絹ごし豆腐でつくる絶品お好み焼き」や、「困ってしまったお・も・て・な・し」のほか、秋に大量発生するカメムシの対処法などもあり。
月1回のぐるっと徳島は海・山の幸や歴史のある見所スポットいっぱいの小松島。ほか徳島の振り込め詐欺の実態や、妊娠から育児までにもらえるお金&受けられるサポート一覧も。
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「さらら」は毎月第1・第3木曜日、徳島新聞朝刊とともにお届けしています。
次回発行は2013年11月7日(木)。お楽しみに!
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徳島人11月号、発売中! ■各地域の消費者の行動はこう変わる!
イオンモール徳島店ができたら、どうなる?
「こんなテナントに入ってほしい!」県民の要望を集約
県民が望むショッピングモールの見取り図はコレだ!
■大型店、施設があった場所に新しくできるのは?
論田の免許センター街は? ファミリー両国藍住店の跡にできるのは? あの跡地は何に生まれ変わるのか
■創部は昭和30年。まだ語られていない歴史があった
大塚製薬サッカー部物語
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CU11月号 ノッてる!バル飲みと進化系フレンチトースト ■昼も!夜も!!とくしま女子飲みの新定番
ノッてる!バル飲み
リーズナブルにサク飲み&お手軽料理が味わえるハイスペックなバルが増殖中!ごくごく、ぷはー。幸せのため息がもれる、飲んでおいしく楽しいイマドキ酒場へご案内。
■次なるスイーツブーム決定!
進化系フレンチトースト
お気に入りの一皿がきっと見つかる、そんなフレンチトーストを集めてみました。
■ラブホDEデート
肌寒くなる季節の到来とともに盛り上がる男女の思いをラブホテルでひとつに。3回使えるお得な割引クーポン付。
■楽しくお得に結婚準備!ブライダルクーポン&フェア情報
ウエディング関連のショップで使えるお得なクーポン券をゲットしよう。ブライダルフェア情報も満載! -
徳島人9月号 実売部数報告1309_徳島人部数報告.pdf
徳島人9月号 実売部数報告です。
徳島人9月号の売部数は、3,909部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムでは、自社制作している
「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を発表しております。 -
月刊タウン情報CU9月号 実売部数報告1309_CU部数報告.pdf
月刊タウン情報CU9月号 実売部数報告です。
CU9月号の売部数は、5,164部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
長らく雑誌の実売部数はシークレットとされてきました。雑誌は、その収益の多くを広告料収入に頼っているためです。実際の販売部数と大きくかけ離れ、数倍にも水増しされた「発行部数」を元に、広告料収入を得てきた経緯があります。
メディコムでは、その悪習を否定し、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号以来、発表しつづけています。 -
月刊タウン情報トクシマ9月号 実売部数報告1309_タウトク部数報告.pdf
月刊タウン情報トクシマ9月号 実売部数報告です。
タウトク9月号の売部数は、7,075部でした。
詳しくは、上部のファイルをクリックしてください。
メディコムは、「月刊タウン情報トクシマ」「月刊タウン情報CU」「徳島人」「結婚しちゃお!」「徳島の家」の実売部数を創刊号から発表しつづけています。
雑誌の実売部数を発行号ごとに速報として発表している出版社は、当社以外では日本には一社もありません。実売部数は、シェア占有率を算出し、媒体影響力をはかるうえで最も重要な数値です。他の一般的な業界と同様に、出版をなりわいとする業界でも正確な情報開示がなされるような動きがあるべきだと考えています。わたしたちの取り組みは小さな一歩ですが、いつかスタンダードなものになると信じています。 -
バカロードその60
川の道の届かないゴール文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
フルマラソンよりも長い距離を走ることをウルトラマラソンと呼ぶ・・・なんて今さら説明の必要もないけど、100kmよりも遠くまで走る行為を総じてどう呼ぶかは、迷いのあるところである。
200kmくらい走ったあとに精魂尽き果てのろのろと商店街なぞ歩いていると、地元びとから「よーにいちゃん、ゼッケンつけた人が朝から時々やってくるけど、何やってんの?」と声を掛けられる機会がけっこうある。そんなとき、「ウルトラマラソンです」とは言いにくい。マラソンというからには、走ってないとダメな気がするのだ。右手にご当地サイダー、左手にご当地ソフトクリームを携え、物見遊山気分で未知の土地を歩いている自分を「ランナーです」と自己紹介しにくい。
かといって地元びとに「ウォーキングの大会なの?」と尋ねられると、少しプライドが傷つく。なんせ2昼夜かけて200km走ったもんですから、歩いて筋力回復させてるトコなんですよ。本来は走ってるんですよ、今はたまたま歩いてるだけでして。商店街アーケード内を走るのも無粋でしょう? なんて地味に心中で反論する。
他人様に「何をやっているのか」と問われて明瞭に答えるすべを持たないこのジャンル。けっきょく「○○から××まで走ったり歩いたりしてます」と、そのまんまな説明で妥協する。
あえて日本語化するなら「超長距離走」なんだけど、大会によって主旨も参加者の質も違うから、現実問題としてひとまとめにできそうにもない。250kmを厳しい制限時間のなかで高速で駆け抜ける、スパルタスロンやさくら道ネイチャーに代表される競技性の高い大会もあれば、500kmを時速5キロペースで押していく「川の道」のような耐久的なフットレースもある。
毎晩、宿泊先を決めて1日70〜100kmを刻んでいく「ステージレース」形式で、旧街道や宿場町を経由して旅と走りを組みあわせる「ジャーニーラン」と呼ばれる世界もある。山野をクロスカントリー走しチェックポイントをめぐる「ロゲイニング」や、地図を片手に街や野山をラン&ウォークする「マラニック」、テント担いで山岳、砂漠、極地を駆ける自炊型の「アドベンチャーレース」もある。1000kmや1週間といった単位でタイムや走破距離を競うガチンコな超ウルトラレースも存在する。
きっと、これらを総まとめする固有名詞はない。現在60代、70代の齢を迎えた遠くまで走ることを愛する伝説的なランナーの方々が、昭和40年代頃から日本中にたくさんの種まきをし、ユニークな大会をスタートさせてくれた。その歴史に乗っかって、ぼくらは超長距離走を楽しませてもらっている。あちこちの大会に顔を出していると、いまだ現役の「伝説のランナー」たちと走りを共にすることができる。豪快にビールをかっくらいながら100km、200kmとエッホエッホと肩で風切る伝説のオジサンたち。往年の神かがり的な走りではなくマイペースランに努めているのだろうが、それでも彼らの姿を間近で見られるのは幸せである。
夏は太陽の放射熱に焼かれ、冬は横殴りの風雪に身を震わせ、ブヨブヨに腫れあがらせた「象足」で前進を続ける。それがこの世界。必死でやってるのに、競技名すら定かでない世界。他人と競ってないから「レース」ではなく、勝手気ままに移動してないので「旅」でもない。名無しなのに、全身全霊で打ち込める世界。まったく、ヘンなものに夢中になったものである。
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出発から200km。メイン道路を時々はずれ、裏道の旧道へと回り道などしながら、夕方まで淡々と距離を刻む。長野県南牧村を過ぎると、海尻、海の口、小海・・・と「海」の名を冠する地名や標識が続々と登場する。こんな内陸の高原地帯になぜ「海」かと不思議に思う。1000年以上前に八ヶ岳の大崩落によってこの辺りに造られた巨大な堰き止め湖に由来しているという。その湖もやがて大決壊して、下流の村々に被害を出した。わずか100年ほどの短い期間存在した堰止め湖を「海」と呼んだ習慣が、1000年経った今でも受け継がれているのだなぁと感心する。
一歩ごとに骨まで衝撃がくる足の裏の弱さも、腸をこねくり回すような持病の腹の痛みも、いったん受け入れてしまえばどうということもない。苦難とは、そうでない幸せな境遇の頃と比較するから苦難として認識してしまうものだ。苦痛のある状態が平時なんだと割り切ってしまえば、脳は意外とすんなり順応する。
佐久市街にさしかかったあたりで日没し、3度目の夜を迎える。郊外バイパス道の凡庸な風景が連続するため、道に迷うランナーが少なくない場所だが、幸いかなぼくは3年前の経験があり、その時は正確にコースをトレースした。土地勘はある、との自信から記憶に残る建物や交差点を探す。しかし眼前に展開される風景と、記憶の中の淡い映像がなかなか一致しない。見覚えのないファーストフード店、存在するはずのない大型ショッピングセンター、・・・おかしいな。
3年前も睡眠不足、そして今も睡魔に誘われ中。朦朧とした記憶を、朦朧とした脳でたどれば、結果として至るのは「迷子」なのか。ついに自分がどこにいるのか、わからなくなってしまった。広大なイオンモールの敷地の外周を一周した。次に佐久平駅前から西へ北へと移動しているうちに、気づけば15分前にいた佐久平駅前に戻っている。砂漠のリングワンダリング現象ってヤツである。
駅前に交番があった。ここはひとつジャーニーランナーたるプライドをかなぐり捨て、国家権力のお世話になろう。お巡りさんにコース地図を見せて、通過しなくてはならない交差点を示す。若いお巡りさんは地図をぐっと睨みつけながら、道路を指でなぞったりし、地名をぶつぶつと暗唱する。そのうち、地図を右にしたり逆さにしたりしはじめる。どうやら土地勘のない新人警官くんのようだ。時はいたずらに過ぎていく。このままではゴール時間に間に合わない。若手お巡りさんの手から地図を取り戻し、「きっと自分でいけると思います」と断り、行く方向も定めず交番を飛び出す。すると、「ちょっと待って!」と年配のベテランお巡りさんが追いかけてくる。そして弁説明瞭な道案内でもって、ぼくの行きたい交差点の場所を教えてくれる。ううっ、知ってるならさっさと教えてよ・・・。
ベテランお巡りさんの指示にしたがい正規ルートに復帰する。残り1時間で距離8km、問題なくゴールできそうだ。と安心したのは束の間だった。自分は正常だと信じていても、周囲からは異常人格者だと思われてる人は少なくない。明るく礼儀正しいと評判の人が、実は猟奇殺人犯だったって話も珍しくない。自分の立ち位置を客観的に把握するのは、とても難しいのだ。自分が今そういう状態に突入しているとは、自分では気づけない。
それからも、何度も道を間違えた。曲がり角のたびに、曲がる道を間違えた。方向感覚は失われ、道が登り坂なのか下り坂なのか判別がつかなくなった。地図上に破線で示されたコースを忠実に守って走っているはずなのに、自分の位置を地図上に見つけられない。二次元図面である地図を、現実の空間に照らし合わせて認知する脳の活動領域が眠りに入っている。
時間はどんどん失われていき、キロ5分で走りつづけてギリギリ間に合うという所まで追いつめられる。260?走った脚でキロ5分なんて走れっこないのだが、それでも全速力で走る。寒いはずなのに額や首筋から汗が猛然と噴き出している。
コース上に決して現れてはいけない大きな商店街が現れる。黄色やオレンジの街灯がずらりと並ぶ商店街はお祭り会場のようだ。どこなんだ、ここは? しなの鉄道の小諸駅が遠く眼下に見える。ゴール会場は小諸駅に対して低地にある。見当違いの場所へと突っ走ってきたわけだな。
もはやゴール時間に間に合うかどうかは二の次となり、今という時間を全力で走ることしか考えられなくなった。見えない未来に自分がどうなるかなんて考えても運命は変わらない。この瞬間をどう生きるかが重要なんだ。
小諸駅に向かって駆け下りる。遠くに懐中電灯を持った出迎えの方が見える。そこがゴールかと思いラストスパートをかけると、彼は「あと500メートル!間に合うから頑張れ!」と励ましながら併走をはじめる。脚のバネを使って、地面にバンバン着地し、空中を飛ぶ。キロ4分00秒ペース、こんなスピードが体内に宿っていたのだ。絶対にゴールしてやる!ぼくはきっとできる! 「川の道フットレース」という強烈な磁場に組み込まれた劇的なクライマックスに向かって、ぼくは疾走する。
ところがゴール目前にして強大な国家権力が眼前に立ちはだかった。交差点の信号が赤に変わったのだ。そう、フットレースの絶対的なオキテ「交通ルールは厳正厳粛に守らなくてはならない」のである。制限時間残り5秒でゴール!という感動ドラマを演じる手はずだったぼくと、突然の名コーチに名乗りをあげた見ず知らずの出迎えランナーの方は、2人でおとなしく横断歩道の白線の手前に立ち止まり、赤信号を静かに見つめつづけた。車も人もいない暗い夜道なのに、信号が変わるまでむやみやたらと長かった。
青信号を待って、再スパートをかけた。結局2分だけ間に合わなかった。265?走って60時間と02分。悔しくもなく、やりきった感もなく、しずかに結果を受け入れる。それが2013年という時の断面に、ぼくが出せたすべてだから。
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バカロードその59
川の道は迷い道文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
埼玉県寄居町にある東武東上線・玉淀駅は、東京湾岸から100?ちょいの所にある。都市郊外の乾いた空気が、玉淀駅を境に農山村的な濃密な匂いに変わる。朝9時に葛西臨海公園をスタートして以来、荒川の広大な河川敷や堤防上をひた走ってきたものの、実際に川面を見る機会といえば4本の橋を渡る場面くらいだったが、玉淀駅以降は深く切りこまれたV字谷の最下部を白波たてて蛇行する荒川を眼下にする。
多くのランナーは日没後、玉淀駅に着く。遠大な旅路において、玉淀駅ははじめての徹夜走に乗りだす起点ともいえる。
平野と山地の境界、昼と夜の狭間、100?という数字もキリがいい。第1関門である「こまどり荘」はさらに70?先にあり、なんとはなしに多くのランナーが玉淀駅を1つ目の乗り越えるべき目標として設定している。265?にしろ、520?にしろ、最初の100?をどれくらいの疲労度で走るのかが、そこから続く道程の楽しさ、厳しさを暗示してくれる。
80?地点の熊谷市街を抜けた頃から体調が悪化し、間断なく吐き気の波が押し寄せてはオェップオェップと空ゲロを口角にもらしながら、走りとも歩きともつかない頼りない前進を続けている。田んぼのあぜ道に寝っ転がったり、トンネルの脇にうずくまったりして奇跡の回復に一縷の望みをたくすのだが、どうやらひとときの体調不良ではなく、リアルに衰弱している。
この1カ月間に、胃カメラに大腸カメラに内視鏡手術にと都合3度の絶食やら安静を求められ、練習不足から太ももの鶏ササミ筋肉はブヨブヨ脂肪に置き換わり、心臓ポンプは子鼠のように弱々しく拍動する。ベストコンディションでも困難な250?オーバーの道を、こんな病弱ボディでどうやって歩むんだい? と、星ひとつ見えない暗い夜空につぶやく。
深夜12時過ぎに玉淀駅に着く。100?進むのに15時間もかかっている。ここに立ち寄るランナーへの配慮から、駅舎を開放してくれている。少しでも睡眠を取ろうと待合所のベンチに横たわるが、すぐ脇の自販機の光に誘われてやってきた子虫ども数百匹が、耳の穴、鼻の穴へと飛び込んできては眠りに落ちることを許さない。仮眠を断念し、駅舎をあとにする。打ち寄せる波のごとく睡魔がやってくる。上瞼が地球の重力に引っぱられて落ちる。歩道にある微かな凹凸につま先を引っかけ、受け身を取れないまま虚しくコケる。
いかに関門時間がゆるい大会だといっても、歩いてばかりでは間に合うはずもない。次第にあきらめの弱虫がぞろ這い出してくる。道路脇を走る線路を見ては“始発電車が動きだす頃にリタイアしようかな”と思い、蛍光灯付きの看板に出くわすと“深夜でも泊めてくれる親切な民宿ではあるまいか”と目を凝らす。
リタイアする勇気もなく、かといって息を切らせて走る覇気もなく、右に左にと蛇行しながらふらふら歩く。先のことはどうでもよくなり、どこかで眠りたいという欲求だけに心を捕らわれる。いろんな所で仮眠を取ろうとしてみる。公衆トイレの床…タイル地に体温を奪われガタガタ震えだし退散する。お寺のお堂…早起きのお坊さんがいつ現れるかと気になって眠れない。鉄網で囲われたゴミの収集箱…間違えてゴミ収集車に放り込まれたら死ぬ、と考えると怖くなり這い出す。こんな繰り返しでは前進もままならず、1時間に2?しか進んでいない。
山の端の空が紫色になり夜明けが近いことを知らされる。周囲の景色がうっすら見えだした頃、後方から5人ほどのランナーに次々と抜かされる。みなけっこう速いスピードで走っている。全然ダメージなんてなさそうだ。どこかでたっぷり眠ってきたに違いない。
テニスコート場があった。フェンス脇にベンチが1脚あり、昇りたての朝日が木々の隙間を縫って座面に一筋射し込んでいる。誘われるように光の下に寝そべる。凍えた夜を直射日光が溶かしていく。温かくなった血液が全身を巡る。2晩目の不眠の夜を越えたら、こんな所に天国があったのだ。安らかな気持ちに包まれる。そして数分で意識がとぎれた。
目覚めると、ベンチの脇に大きな犬とおじさんが立っていた。「おはようございます」と声をかけられる。ぼくが飛び起きたさまを見て、おじさんと犬は安堵した表情を浮かべ、去っていった。無惨な寝姿を見て、変死体ではないかと心配して覗きこんでいたのか。辺りは早朝の鮮やかな色彩に包まれている。このベンチを発見してから30分が経っている。
意識はすっきり明瞭だ。不思議なものだ。30分前には廃人だったのに今や走る意欲に満ちている。走ってみよう、走れる、走れる。ウルトラランナーの好きな言葉「つらいのは気のせい」ってのは本当なんだ。どんなにスピードは遅くても、走り続けている限り、関門を超えていける。フットレースとはそういうものだ。あちこちの筋肉を挽肉マシンに通されるくらい痛くても、首が背中のほうにガクンと落ちるほど眠くても、三輪車の女の子に軽々抜かされても、自分でギブアップの声をあげない限りレースを続行する権利はある。
夜7時、第1関門170?地点の「こまどり荘」に到着。関門閉鎖は夜9時だから2時間の余裕を残している。といっても、ぼくの後ろには1人しかランナーがいないらしい。好んでそうしたいわけでもないが、長距離フットレースでは最後尾あたりを走るのが常だ。
速攻で風呂に入る。小さな湯舟に首までつかると得も言われぬ快感が全身をかけめぐる。エンドルフィンの無制限バーゲン放出状態である。抑圧に耐えきったあとの解放感は尋常ではない。快感に耐えかねて「うー、うー」とうめき声を上げる。ラスベガスの五つ星ホテルのジャグジーでも、高級風俗店のバスマットの上でも、これほどの快楽を得られることはない。ジャーニーランナーにしかわからない秘密の花園だ。
雄叫びをあげながら5分間の湯あみを愉しむ。全身にシャンプーを塗りたくり1分間で体洗いを終了する。刑務所の入浴タイムよりもスピーディである。
風呂上がりに大会スタッフが用意してくれた食事をいただく。ゆで玉子入りカレーライス、ソーメン、野菜サラダ、フルーツデザート…偏食気味の女性ランナーの分までもらい、お皿とドンブリ7杯をテーブルに積み上げる。飯が終われば睡眠だ。布団に入ると両足裏がジンジンと燃えている。足かけ3日間で30分しか寝ていないため一瞬で意識が遠のく。
目覚ましをかけて睡眠2時間。95?先のゴール関門まですでに24時間を切っている、急ぐべし。
深夜11時に再スタート。ヘッドランプとハンドランプを装着し、20?先の三国峠へと続く林道の上りに入る。例年は凍えるほど寒いというが今年は暖かく、用意したダウンジャケットを着用せずにすむ。
標高743mのこまどり荘から1740mの三国峠まで高度差は約1000m。荒川の支流である中津川に沿って標高を稼いでいく。小石だらけの林道を走るのは無理があり、早足で突き進む。5時間かかって峠のてっぺんに着く頃に、空が白み始める。冠雪を抱く八ヶ岳連峰が、ここが信州という別世界であることを教えてくれる。登ってきた峠の埼玉県側とは、肺の奥まで鋭く刺す空気の匂いや、手ですくってカブ飲みする山水の甘さまで違って感じられる。
長い峠道を下り終えると千曲川の源流である梓川沿いに出る。街道沿いに川上村の集落が点在し、正面に八ヶ岳の威容がいっそう近づく。高原野菜の一大産地らしく、田畑には用水路が張り巡らされ、透明の水がゴーゴーと滝のような勢いで流れる。手をひたすと冷水器の水ほどに冷たい。シューズを脱いで足をひたす。赤く腫れ上がった足が一瞬にして凍りつく。
すれ違う登校中の子どもたちが元気よく挨拶してくれる。かと思えば、歩道を連れだって歩く4、5人の外国人のグループと頻繁に遭遇する。どこの国の人だろうか、アジア系の顔立ちをしている。彼らは、ぼくとすれ違う際には立ち止まって気をつけをし、「オハヨウゴザイマス」と深々おじぎをしてくれる。最初は、走りながら返事をしていたが、だんだん自分も同じ態度じゃないと失礼な気がしてきて、都合30人くらいの外国人に直立不動からの斜め30度おじぎ挨拶をする。彼らは、この村のレタス農家が受け入れている外国人研修生らしい。川上村は、総人口に占める外国人の比率が全国一高い自治体なのだという。
再び眠くなってきたので、梓川沿いの護岸コンクリートの上にゴロリと横になる。もはや誰の目も気にならない。他人にどう思われようと平気である。初日の夜はすごく人目が気になったのに、今なら道ばたで平然と眠れる。人間の羞恥心や道徳心なんて簡単に心から消し去れる。
雪山から届けられる尖った風がジャージを揺らす。車道をゆくトラクターのエンジンが地響きを立てる。でもぼくは穏やかな眠りに誘われる。なんだかとても幸せだ。
そうだ、思い出した。ジャーニーランは人生そのものなのだ。タイムを気にし、順位を競って懸命に走るのは序盤だけ。自分の能力やら限界が見えだすと、棒きれのように役立たずになった足を前に前にと何万回も送り出す作業に没頭する。へとへとに疲れては倒れ、路傍の草むらをベッドに熟睡する。道に迷っては途方にくれ、また道を見つけは歓喜する。どこに向かって走っているのかは定かじゃないけど、どこかに向かって走らなくてはならない。そんな人生の縮図の道ばたで、ぼくは眠りに落ちる。 -
新しく生まれ変わったさらら10月3日号 創刊16周年を機に、さららがリニューアルしました! 新たに始まった「みみより10(テン)」では、グルメやビューティ、健康、趣味など、バラエティ豊かな情報を10個お届け。
10月3日号は「メニューはどうやって決める?」「夫は手伝ってくれる?」といった20・30代主婦に聞く徳島の夜ごはん事情や、、県民のげんかつぎ、ウクレレをひく男性の魅力などをご紹介。
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「さらら」は毎月第1・第3木曜日、徳島新聞朝刊とともにお届けしています。
次回発行は2013年10月17日(木)。お楽しみに!