徳島で若者を採用するお悩み その3「不平等社会を生きろ!」

公開日 2006年08月11日

「全共闘」って知ってるか? 70年代に吹き荒れた学生革命のことだ。
あの時代に酔ったオッサンたちが作った社会が今のニッポン?
それじゃあまりに思想と現実のギャップが激しすぎるよな。
きっとオッサンたちはどっか地下深くに潜行し、虎視眈々と出番を待ってるのだ。
あの時代、オッサンたちは何を否定し、何を生み出そうとしたのか。
今となっては何もわからない。けどな、「全共闘」は悪くないと思う。
主義のためにケンカするのはいいことだからな。

文責=坂東良晃(タウトク編集人)

こまった。
またこの季節である。
スギ花粉が舞い飛ぶ春先、あのオッサンたちがふわふわと地上に舞い降り、そして活発に動きはじめるのである。
オッサンたちは元気である。いたるところに出没する。ふだんは迫力あるコワモテの人相も、このときばかりはとても柔和なお顔立ちになられる。
オッサンたちの活躍の季節・・・コネ就職シーズンの開幕である。ニッポン列島を覆うコネの嵐は、就職戦線が活発化しようと氷河期に入ろうと、関係なく吹き荒れている。コネ、コネ、コネ、しつこい小バエのようにまとわりつく。
毎年100人を超える学生が、小社の入社試験を受けにきてくれる。競争率は10倍から20倍。徳島には、同業種の就職口はそんなに多くはない。だからみな、真剣である。
一方のわれわれは、わずかな接触時間で学生を「選択」しなくちゃいけない。だから自然と、試験内容はストイックなものとなる。大勢が注視する中で激しいディベートをしたり、自分自身のプレゼンテーションに挑むなど、短期決戦型であり、かつ本人の性格があらわになる手法をとる。
創業して8年という若い当社に、大切な1日を預けてくれる学生たちに強い緊張と努力を強いているぼくたちは、必ず守らないといけないと思っていることがある。試験は、平等でなければならない。そして、不正があってはならない。あたりまえのことである。

ところが、そこにメリメリと割り込んでくるオッサンたちがいる。
4月も春の盛りの頃、オッサンたちは増殖をはじめる。あるオッサンは、「紹介したい人がいるんだけどね」と満面の笑顔で登場、「なかなかいい子なのだよ」と汗をふきふき説明をはじめる。あるいは、今まで何の接点もないオッサンから電話がある。
「いやあ、キミはよく頑張っとるみたいだね。□□の議員さんからも聞いてるよ」
(そんな議員など知らん! なおかつ議員なんて人種、好きなわけねぇ)
何の用事かと不審がると、「ところで今、人の募集やってるんだってね?」とおずおずと切り出す。この程度のアプローチならまだマシな方だ。
ある図々しいオッサンは、知人の子供を会社に連れてくるなり、「今から面接してくれるかな、私も同席するからね」と言いだす。またあるオッサンは、当社へ融資をしている銀行の行員を帯同してくる始末。んなことが効果でもあるとでも思っているのだろうか。だろうね。

このオッサンたちは実にさまざまなルートを通じてアクセスしてくる。取引先、取引先の取引先、取引先の取引先の取引先、親戚、近所、関連会社、議員、役人・・・。まるでワールド・ワイド・ウェブ並みの蜘蛛の巣ネットワークをお持ちである。オッサンたちは自らの存在証明をしたいのだ。
「就職の世話をした」というのは、ビジネスでいう貸し・借りの作りっこである。仲介するオッサンは、ぶじ就職を世話できた相手方に貸しをつくる。人を受け入れたカイシャは、仲介したオッサンに貸しをつくる。いい血筋の息子・娘さんなら、人質として機能する。天下りをあえて受けていれる各種団体や企業と同じ構図である。
ぼくはオッサンたちに申し上げる。「当社はいつ誰にでも門戸を開いてますが、少なくとも就職を希望しているご本人から連絡をもらわないと、どうしようもありません。それに、採用試験は他の方と同じように受けていただきます」
すると、オッサンたちはブ然とする。
(おいおい誰が口をきいてやってると思ってるんだ? この世間知らずのバカヤロウ。 ワシだぞ、ワシ。ワシの紹介なんだけどな〜。ケツ青いのかテメエ)って感じだ。ま、丸カッコ内はぼくの想像だけど。要するに、自分の紹介する人物を他の学生ドモと同列の位として扱うなかれってことなんだろね。

ところで、ぼくは「コネつき」の学生さんとも平等に接する。タチが悪いのは親や周囲であり、本人にたいした罪はないからである。彼ら学生さんと面接をしてみると、80%以上の確率で不本意ながら当社を訪問していることがわかる。
「ボク、ホントは別の夢があるんですが、親が許してくれないんです。だから就職せざるを得なくなってしまい、ここを受けにきました」
「実はわたし、他の会社に内定をもらっているんです。でも、県外なので親が反対しているんです。地元で就職してほしいって粘られて、やってきたんです」と、辛そうな表情を見せる。ぼくは同情の念に耐えない。
「私はなぜこんなワケのわからないカイシャを受けないといけないのですか? 」
と泣き出す学生もいる。不自由な環境にたいそうストレスがたまっとるようだ。こういう学生さんたちとお話をしていると、次第に採用面接が悩み相談会と化してゆく。

「どうやったら親を説得できますか?」
「なぜ私は好きなことをやらせてもらえないんでしょう」
ぼくはぼくなりの答えを返す。答えのパターンは決まっている。
「親が病気なら、親の言うことをきく」
「親が健康なら、自分のやりたいことをやる」
物事はシンプルに考えれば解決に近づく。

いびつな社会である。小学生に平等観念を刷り込むために、運動会のかけっこで順番をつけるのをやめる。男女混合名簿やら、通信簿で相対評価しないやら、教育現場は現実社会を無視して、その場限りの桃源郷をつくろうとしている。ところが、役人と議員と商売人が作る大人の社会は、不平等主義の集大成ともいえる。

不完全な競争社会、不完全な日本型なれあい資本主義。公のルールではなく、コネ、密約、根回し、裏取引、夜の接待などで勝敗を決めようとする。そんなつまらないことに、コストと時間をかける事がビジネスよとうそぶく。
そして、就職という人生のスタートラインに立つ若者に、自らぬけがけを試みる生き方をしろと、大人たちがセッティングする。だからこの社会はダメだ、絶望的だ、とボヤきたいのではない。
言いたいことはひとつ。若者だけがこの世の中を変えることができる。コネがあるヤツも、コネのないヤツも、自分の権限や境遇を利用するかしないかは、最後は自分の判断なのである。
オッサンたちは選択肢をちらちら見せているだけだ。キミは試されているのだ。
キミは自分の脳ミソがぐっちゃんぐっちゃんになるまで考えればいい。そしてサバンナの弱肉強食の生態系のなかに放り込まれたつもりで、この不平等社会を力強く生きろ!
痛みに慣らされず、誰にも取り込まれず、この不平等社会をマシに変えていこう!
それだけ!