イージーな場所からはじめよう

公開日 2007年03月09日

なにかをやるのに勇気とかはいらない。
そんな七面倒くさいことよりも、じぶんがアホであることに気づけばよい。
多芸多才な人物などそうはいない。普通の人は1コか2コくらいのことしかできない。
ぼくなんかそれすら満足にできたためしない。だから、その1コのことしかやることねーんだ。
そんな感じでやっていけばいいのだ。

文=坂東良晃(タウトク編集人)


ぼくは昔、ひきこもっていたことがある。
そんなに長い期間じゃない。はっきり思い出せないが、1年までは長くない。
ひきこもった理由は、自分でもよくわからない。そのときぼくは18歳であり、とりあえず何をしていいか、わからなくなってしまったのだ。
学校を辞め、仕事もせず、何もせず、遊ぶお金もなく、日のあたらない部屋でじっとしているのが、もっとも楽ちんな生き方であった。家賃1万2000円のボロアパート部屋にトイレはなく、牛乳パックの中にモヨオしたものを放出していた。食事はほとんどとらず、体脂肪がなくなり、背中で腕が組めた。相当ひどい状態であったことは確かだ。
自宅ではない都会の片隅のだったため、ほんとうに長い間誰とも話さなかった。部屋から出たときは外の景色がすごく白く見えた。人と話をしはじめたときにはロレツが回らなかった。

ひきこもり中、かろうじて、かすかに、蜘蛛の糸でつながった程度の細い希望があった。
アフリカにいってみたいということであった。ぼくは子供の頃からアフリカが好きであった。「アフリカの動物図鑑」という写真集は500回くらいながめても飽きなかった。アフリカにいけば、確かに自分の生きていられるスペースがあるんじゃないかと思っていた。
「これをやりたい」というような前向きな目標ではなかった。「それくらいしかやることがない」というたったひとつの残された選択肢であった。それ以外に、やることがないのである。だからぼくはアフリカに向かった。アフリカには1年チョイいた。濃密な1年チョイだった。そこで何があったかは長くなるのでまた話させてね。

そんな感じで10代から20代にかけてバックパッカーを4年間やった。
バックパッカーとは、何もしないでも構わない気楽な場所を見つめるために、ボロ雑巾のような身なりで、食うや食わずで過酷な移動をしつづけるという、おおきな矛盾をかかえた生物である。
バックパッカーの一日は長い。
1泊100円程度のホテルはアジアにはざらにある。特にインドや中近東には、1泊50円を切るような大部屋がある。土の上にムシロをしいただけの宿もあれば、ちゃんとしたシングルベッドをあてがってくれる宿もある。シラミとノミとダニだらけだが。
朝は眠れるだけ眠り、もうこれ以上マブタを閉じることができない!というトコまで寝る。
起きればすでに日は高い。のろのろと服を着替え、枕もとのフルーツを食べたり、 ぼーっと天井を見たり、2度読んだ小説の3度目を読みはじめたりする。
夕方くらいに服を着て、街をぶらぶら散歩する。特に用事もない。あまりに長く同じ街にいるので、いろいろな店の人と顔見知りになっている。新しい店に入るのは面倒くさいので、ほぼ毎日同じ店に入る。お茶と野菜いためを注文して、そのまま店に居座る。誰か知り合いの人が現れたら2時間くらい話しをする。お茶を5杯ほどお代わりしているうちに、深夜になり店じまいとなる。仕方なく部屋に帰り、まどろみが深くなるまでハッパの香に酔う。明け方になってようやく眠くなり、服を着替えることもなく、ごろっと横になり眠る。

こんな自堕落な生活を、何カ月もつづけるのである。な〜んにも生産もせず、労働もせず、メシを食って、本読んで寝ているだけなのだから存在意義などまったくない。生産せず消費は一人前にするという生態系に入っているのかいないのか不明生物である。
このように、バックパッカーの生活内容は「ひきこもり」と同然である。「あの人、部屋にひきこもってる」と言えば、大丈夫ですか?と心配されたりするが、 「あの人、世界を旅してるらしい」と言えば、いいねえとうらやましがってくれる人だっている。しかし、両者やってることは大差ない。

今、ニッポンのひきこもり人口は80万人とも120万人とも言われている。それぞれの人が、それぞれの理由でもってひきこもり、あるいはぼくのようにたいした理由もなく部屋と一体化する人もいるのだろう。
誰からも同情されるような辛いきっかけもあれば、そんなつまらないことで・・・と舌打ちされるも人もいるのだろう。
よく社会問題にまつりあげられるひきこもりはニートとともに「GDPを○パーセント引き下げる」などと、勝手に経済予測に組み込まれたりもしている。ひきこもりたちが、GDPに悪影響を与える以外に、どれほど社会に対して負荷を与えているのかは定かでない。
タダメシ・カラ出張・過剰な退職金などと税をムシバむ役人や議員のオッサンどもや、性的倒錯を隠して教師になるキモ男や、おせっかいこの上ない環境保護運動家とくらべて、どっちが社会的害悪なのか。

今ぼくの周りにも、部屋から出てこれない人たちが何人かいる。彼らの気持ちはさておき、家族は疲弊する。10代のうちはまだいい。20代、30代、40代と年齢を重ねてくると、親は疲れ、そして老いていく。子供がいる二階の部屋まで食事を運ぶことも重労働になってくる。近所・世間の目も、たいへんな重圧となって家族を刺す。親は、自分亡きあとの子の行く末を案じて、朝に夕に暗澹たる気持ちになる。このような状況は、決して幸せなものではない。

ひきこもっている人たちが、このタウトクのような「いざ外に出よう」的な情報誌を読む可能性は少ない。しかし、何かの手違いでこの雑誌が手元に届き、このページを読み、奇跡的にこの行まで読み進んでいるとしたら、あと少しだから、最後まで読んでください。
キミが脱出する場所は、そこの部屋の中じゃない。気楽な場所は、じつはアチコチにたくさんある。意外と楽しく、誰からも干渉されない場所がある。
蒸し暑い工場の中、鉄くずだらけの作業場の隅、まっすぐな夜の道を走る運転席の中、 単純作業がつづく深夜の構内、コンクリートを型枠に流し込む工事現場・・・。そういった場所では、律儀な人たちがキミにやるべきことを与えてくれる。今日やるべきことをやることだけを考え、なるべくきっちりやる。明日のことは明日考える。あまりしゃべる必要はない。ただもくもくと生きてみる。周囲の人たちは、わりと優しい。

それから、こういうことする人は少ないかもしれないけど、おすすめします。
すこしお金がたまったら・・・15万円くらいで十分なんだけど、お金持ちのあまり住んでない国・・・平均的に豊かじゃない国に出かけてみよう。アジアなら、バングラディシュ、ラオス、カンボジア、インド。田舎に行けば、10万円あれば1年くらい余裕で定住できる。
そして、そこで何カ月か、何年かくらしているうちに、今までとても重要だと考えていたことが、ささいな、つまらない、どうでもいいことだったと気づく日がくる。
ぼくは旅先で、たくさんの「ニッポンでは生きられない、って主張する人」たちにであった。そんな相当問題アリな人物でも、何年か旅しているうちになんとなく自然と帰れるようになるのだ。不思議なものでね、気持ちが平坦になるんだね。

ぼくは今、けっこう普通の社会生活をおくっているけど、やっぱしアフリカにでかけていったときと同じで、「これしかやることがない」という 1つの選択肢(選択肢とは言わんか・・・)のなかで生きている。それが「雑誌づくり」ということでコノ文章を書いているわけだが、やることが1つしかないと、とても気楽になる。なんも迷いがないからだ。「あーでもない、こーでもない」と考えることがまったくない。要するにアホの悟りである。

自分が死ぬまでに選ぶたったひとつの選択肢は、そうそう見つかるもんではない。多くのニッポンの若者は、自分にいろんなことが出来そうであるがゆえに、迷ったり悩んだりしている。実際はいろんなことなどできないのにね。可能性は無限なんかじゃない。超有限だ。
50歳になっても、70歳になっても、「自分の人生これでいいのかなあ」と迷っているおじさんたちもいる。どっちかいうと、その方が多い。迷ってるほうが一般的だ。
だから、キミも何年かけてもいいのだ。なにかがひらめくまで部屋ん中で考えるのもいいけど、部屋の外にもイージーな場所はたくさんある。だから、出ようかどうか考え中の人は、外に出たほうがよいとおすすめする。
気楽な場所で、気楽に考えたら、そのうち答えも見つかるだろ。