雑誌をつくろう そのシチ「二十日鼠の毎日」

公開日 2007年08月13日

文=坂東良晃(タウトク編集人)

 よく部下に怒られる。こんなにしょっちゅう部下に怒られている人っているんだろうか? いっかい日本じゅうの上司と呼ばれてる人とミーティングしてみたい。「そちらさまも部下の方に怒られてらっしゃるの?」「もちろんですよ、そちらさまもご苦労が絶えない様子で・・・」なんて意気投合し、おでんでも突っつきあう会があれば幸せだろうな。

 先日は、ぼくの方針に異を申し立てた女性社員が、話し合いの席を断つやいなや、ぼくの仕事部屋のすべての蛍光灯のスイッチを「バチバチッ!」と切って、ドアを蹴とばして出ていってしまった。夜だったのでぼくは真っ暗のなかに取り残された。パソコンのモニタだけが鈍く光る暗闇の中で、ボーゼン自失となりながらも「こんな怒りの表現があるのか」と感銘を受けた。言葉で罵るでもなく、手をあげるでもなく、「電力を使って怒りの大きさを表現する」。こんな芸術的かつ具体的な感情表現を文学といわずして何とする。
 また「彼氏ができないのは会社の仕事が忙しすぎるから」との理屈で経営批判を繰り返す社員らのために、仕方なく高年収の人たちとの合コンの場を提供したわけだが、今度は「合コン相手6人中4人が太かった」「口いっぱいに食べ物をモグモグほおばっていた」などと更に口撃の熱を高め、合コン不発のストレス解消のために出かけた二次会の飲み代を請求しようとする。
 いわゆる「飲みニケーション」というものが嫌いである。部下と飲んでもロクなことがないからだ。だいたい酒を飲めば人は本音を出すから嫌いだ。部下の本音といえば日頃のウップンであり、必ずその刃はこちらに向けられる。感情が高ぶると人はみな手が出るわけで、不満爆発のビンタおよび鉄拳ストレートを浴びるという展開になる。両国橋の路上で2回、紺屋町の阿波踊りからくり時計の横で1回、部下に殴り倒されたことがある。酔っぱらっているのであまり痛さは感じないが、翌朝はだいぶ腫れている。
 「人徳」に溢れた人は一目みればわかる。柔和で物腰やわらかく、人を肩書きで判断しない。それでいて決断力があり、困難の伴う仕事を明るい表情でどんどんこなしていく。ぼくなどはその対局にある。いつも追い詰められた感じのニゴリ目で相手を見つめ、「このボケ!こんな簡単な仕事もできんのんかーッ?」と、罵詈雑言を浴びせ、椅子をケトばす。
 そんなペラペラの人格ゆえ人徳なるものとは無縁であり、部下はどんどん離れていってしまう。手塩にかけて育てた部下は、ぼくに三行半をつきつけると東京や関西の誰もが知る一流企業にあっさりと再就職を決めてしまう。なるほど、それなりに優秀だったわけだ。そしてお盆や正月の前には、帰省がてら我が社にひやかしにやってくる。この間も、東京の広告業界とマスコミ業界で働く2人がやってきて、ひとしきり青山とか代官山とかの地名が登場する社内恋愛の話をしたかと思うと、
 「○○のお客はあの仕事、○億で受注しろって言うんですよ〜」
 「マジ、安っ? そんなん蹴ってやったら〜?」
 なんてケタ違いの話を、ありふれた日常会話のようにくりかえす。
 そんな元部下たちの話を、ぼくは封筒の宛名書きをしながら、ボーゼンと聞いているのである。もしも億単位の受注なんて入ったら、ぼくなら神社を借り切って夏祭りを開き、村人たちにタダ酒をふるまって飲めや歌えやと舞い踊るのに・・・。
 だから、昔の部下が来襲するお盆前後の時期は気が重い。

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 これまでの10年間、雑誌やフリーペーパーの創刊に10本くらい関わってきた。1年間で1コ。これからの10年も10本くらいの仕事しかできないのだろうか、と思う。ペースが遅くてイライラするが、このサイクルでしか仕事できないんだから、これくらいの能力なんだろう。やりたいことはたくさんあるってのに、実行するのはきわめてスローペースだ。スピードを上げようとしても思い通りにはいかない。企画書は1時間で書けても、それを実行する人を育てるには何年もかかる。
 自分には、商売人に必要な「前向きな欲」が欠けている。お金が少々貯まると「1カ月5万円もあれば生きていけるから、もう働かなくていいか・・・」と勤労意欲が萎える。人に誉められると舞い上がり自分を見失ってロクでもないことを始めてしまう。人間関係に恵まれると他人に頼ってしまい、なんでもうまくいく気になって結果失敗する。お腹がいっぱいになると思考能力はなくなり、時間がたっぷりあるとくだらないことしか考えなくなる。要するに満足するレベルが低すぎて、すぐ精神的に満ち足りてしまうから、自分を飢餓状態に置いておかないと、なにもやる気がしない無気力状態に陥ってしまう。
 商売上の危機を迎えると少しハイになって頭も少し動きだすのだが、年がら年じゅう商売の危機を迎えてるわけにもいかない。いたって平穏無事なときは朝から晩まで仕事のことを考えてもなんにも出てこないから、生きている気がしなくなる。
 そんなときはムリヤリ身体を動かして、脳みそをこじ開ける。
 今は2日に1回くらいのペースで眉山に登っている。早朝に起きて朝8時頃には山頂にいる。眉山には登山道が10本以上あり、日々ルートを変えれば飽きることはない。山中には無数のケモノ道がある。山腹を縦横に歩いていると、深い渓谷や亜熱帯植物生い茂る密林に迷い込む。野生の動物・・・巨大な野ウサギやイタチ、山ネコなどに遭遇し腰を抜かしそうになる。そんな自然林のなかを米袋を30キロ入れたザックを背負って駆け上がる。人工の階段を登るよりも、木の根や岩が不規則に並ぶ山道の方が洞察力が必要だ。階段登りは単調な繰り返し作業だが、山道は一歩一歩瞬発的に判断する。ミスをするとすっ転んでしまう。
 重い荷物を背負って走ると心拍数が急上昇し、末端の毛細血管まで激しく血が流れる。1分間に何十リットルもの血が心臓から送り出され、酸素を取り込んでまた戻ってくる。そのうち、ゲロをはきたくなるくらいの酸欠になる。頭がクラックラになってヘタりこむ。寝転がった直後は、血流がそのままである。しかし身体は運動を行っていないので、脳みそにガンガン余分な血が流れ込む。キーンという金属音の耳鳴りがして、眼球がぐるぐる不安定に動き、急激に脳が回転しはじめる。「これこれ、この状態!」とうれしくなる。次から次へとアイデアが浮かび、それをメモしておく。合成薬物の力を借りずに、自分の体内作用でトリップ状態を作るのである。地味な活動でしょ!
 深夜仕事から帰ると、1日に録画してあるテレビ番組10本くらいを2時間で見る。基本120倍速で見て、気になる場面は10倍速で見る。報道番組やバラエティ番組の多くは文字テロップがつくので、音声なしの早送りでもだいたい内容がわかる。また、部屋の中で移動する先のすべての場所、トイレ、風呂、台所、そして布団の横には1冊ずつ本を置いておき、どの場所でも読書できるようにしてある。眠気におそわれるまでの数時間、情報を詰め込むだけ詰め込み、果てる。
 睡眠はなるべく取らない。長い睡眠には満足感が伴い、脳が壊れてしまった印象がする。眠っている時間ほどもったいないものはないから、長くても2〜3時間にしておく。その代わりに昼間、なるべく居眠りをする。眠くなったら我慢せずに1分から5分ほど座ったまま眠るのである。これは布団で1時間眠るのに匹敵するほどの効果がある(ように思える)。
 心拍数にしろ睡眠にしろ、快適な状態からはなにも出てこない。自分を追い込まないと脳みそが動かない。酸素欠乏の朦朧状態、脱水カラカラの血液ドロドロ状態・・・身体が危険な感じにならないと、脳みそにスイッチが入らないのである。クライマーズハイの寝不足アタマ。全力で走っているつもりだけど、同んなじ場所でハーハーゼィゼィあえいでいるだけのオリの中の二十日鼠みたいな毎日。部下に部屋じゅうの電気を全部を消されても、闇を駆ける回転木馬のようにぐるぐると次につくる雑誌のことを考えているのである。