熱砂に汗がしゅみこむのだ サハラマラソン参戦5カ月前「長い長い季節をどこまでも走ろう」

公開日 2009年01月03日

文=坂東良晃(タウトク編集人)

(前回まで=アフリカ・サハラ砂漠を230キロ走るレース出場を決意したタウトク編集人。古本詰め込んだバックパックを背負って今日も砂浜をひた走る)
 歳をとると1年がアッという間に過ぎ去る・・・と大人は語る。自分が若者と呼ばれる年齢の頃は、その意味がわからなかった。ひと夏ですら永遠のように感じた。地獄と呼ばれる野球部の夏練習がはじまると、心から夏の終わりが近づくことを願ったが、日めくりカレンダーの進行は遅々としていた。夏の盛りはどこまでも右上がりで、太陽は地面に黒々とした影を焼きつけつづる。
 秋の先には冬が訪れ、その向こうに春という節目が設定されていて、自分にとって重要な人が遠くに去ってしまったり、二度と会えなくなるかも知れない。そんな先々のドラマを想像するのは無茶だ!と反論したくなるほど、季節の変化はゆったりとしていた。
 いつから時間の流れに加速がつきはじめたのか。世の中の大半の人と価値観を共有できないと知ってからか。自分の能力を遙かに超えるようなチャレンジをしなくなってからか。何かを成し遂げるために生きているのではなく、生きていくために何をやるか選択するようになったからか。
 三十路に突入すると、「1年はアッという間」をイヤってほど実感する。七草セットがスーパーに並ぶを見て正月の終わりを知り、桜舞う交差点に春のあはれを覚え、お盆には海にクラゲが出るから泳いではいかん!と若者を注意しているうちに、もう大みそか格闘技特番のカード発表なんだもんな。
 今感じている1年という時間を帯グラフ化すれば、中学生の頃の夏休み分くらいの幅しかない。この分じゃあ、かりに平均寿命まで生きたとしても、残り数十年はジェットコースターに乗ってるみたいに猛然とつき進んでしまうのか。
 ・・・そんな思いがカンペキに覆された1年であった。アシックスのランニングシューズを買ってから季節がひとめぐりした。新品シューズの底をドタドタと鳴らし、わが身体は何と重力の影響をモロに受けるのかと絶望した1年前が、まるで5年くらい昔の出来事に思える。

 「走る」ことが目的ではなかったのだ。
 2年前、休暇を利用してヒマラヤ・トレッキングにでかけた。18歳のときにエベレスト・ベースキャンプを旅して以来、20年ぶりのヒマラヤだった。十代の記憶は時を経ても鮮明で、脳内イメージの自分自身・・・つまり身体に余分な脂肪がついてない冒険大好き少年が、飛ぶような勢いで山を駆け上がり、岩場をピョンピョンとトラバースして遊んでいた記憶とのギャップの激しさに打ちひしがれた。
 現実世界にある肉体は、鉄球の足枷をはめられた罪人のごとく重く、標高差わずか数百メートルの峠を越えるのに心拍数はレッドゾーンに達し、汗が暴力的に吹き出す。現地の少年ポーター(荷運び)が50キログラムもある荷物を背負って口笛吹きながらサンダルで歩く背後を、ゼエゼエと青い息をはきながら追いすがる劣等感。縦走がダメならと、手頃な岩を見つけてフリークライミングを試みる。立派なホールドだらけの壁を2メートルも登れずズルズルずり落ちる。厚生労働省が流行らせた例の言葉が耳の奧でこだまする・・・「われメタボリックオヤジかな」。
 心にメラメラと紅蓮の炎が燃える。キスリングに重りを詰め込んで六甲全山を風のように駆け抜けた孤高の登山家・加藤文太郎のように心身を研ぎ澄まし、再アタックしてやる! 薄めの酸素と淡い気圧の高山病アタマで、唇を青黒く腫らしながら、分をわきまえぬ決意をするに至ったのである。
 帰国すると、基礎体力を回復させるために眉山を登りはじめた。1年間に100回以上登頂した(よくも飽きずに!)。やることのひとつにランニングを加えたのが1年前である。朝、眉山まで出かける時間がないときに、どちらかと言えば仕方なくである。あくまで登山のサブ練のつもりであった。
 多くのビギナー・市民ランナーがそうであるように、最初は500メートルも走れなかった。血液は心臓からスムーズにポンピングされず、汗が轟の滝ほどもゴーゴーと流れ落ち、目まいと吐き気と便意が同時に襲ってくる。そんな生理現象にもがき苦しむぼくの横を、熟年ランナーの集団がキャッキャと黄色い声をあげながら駆け抜けていく。明らかに10歳、いや20歳以上は歳上である。圧倒的な力量差だが、不思議と嫌な気分はしない。あんな風に軽々と走れるようになりたいと願い、鈍重な脚に力を込めた。

 走る距離を少しずつ伸ばし、やがて10キロを歩かず走り切れるようになった。タイム計測すると1時間21分かかった。一般的にはものすごくスローなタイムなのだが、まごうことなく全力疾走であった。完走できたのが嬉しく、そしてなんとなく誇らしかった。走り終えた吉野川グラウンドのラグビー場で大の字になり、すがすがしい気分で青空を長い間見ていた。
 秋には、ハーフマラソンの大会に出場した。牟岐町の南阿波サンライン黒潮マラソンだ。ほとんどが登り坂のこのコースで、折り返しを過ぎたあたりで思考は停止し、残り5キロで距離感覚を失った。腕を振り、脚をいくら前に繰り出しても、身体はぜんぜん進まない。ゴール寸前まで70歳台のおじいさんとデッドヒートを繰り広げた。タイムは2時間22分。最後尾に近い位置だが、21キロも続けて走ったわが身を愛おしく思えた。
 初めてのフルマラソンは春の東京・荒川市民マラソン。30キロ過ぎから脚に痙攣が起こり、やがて腰から下全部の筋肉が岩石のように硬直し、包丁を突き立てられるような激痛に襲われた。こんな辛いこと二度としたくないし、早く終わってくれないかな・・・ばかり考えてゴールによろよろたどり着けば5時間25分。さっきまで半泣きだったのに、終わったとたん「これは納得いかない」と自分を許せない気持ちになった。「練習が足りなさすぎる。もっと練習すれば、もっと走れるはずだ」。
 再起戦であるとくしまマラソンはやけに楽しかった。長い間生きてきて、こんなに「人に応援してもらった」のは初めてだ。よほどの人気プロスポーツ選手じゃなければ、ふつうに生きていて全身に声援を浴びる経験なんてめったにない。走っても走ってもその先には沿道の励ましが連なっていた。それまでぼくは「楽しいから走る」という多くの市民ランナーの気持ちがよくわからなかった。マラソンは鍛錬であり、鍛錬というからには苦しみを乗り越えてこそ価値があり、楽しむ余地などありはしないのである。だが、とくしまマラソンは掛け値なく楽しく、42キロが終わりに近づくほどに「もっと続けばいいのに」とさみしい気持ちが加速するのだった。
 この間まで500メートルも続けて走れなかったメタボリックランナーが、100キロという気の遠くなる距離にも挑戦した。初夏の北海道で開かれたサロマ湖100キロウルトラマラソンだ。80キロ関門を越えると同時に心肺・筋肉すべての限界に達してしまい、意識を失ってしまった。よく「ぶっ倒れるまでやってやるぜ」と啖呵を切ることがあるが、本当にのびてしまったのは人生初の経験である。ゴール寸前で無念の涙を飲んだランナーたちを収容した救護バスでは、全員が身体のどこかを押さえ「痛タタタ!」と叫んでいる。ところが次の瞬間には「来年は絶対完走しよう!」と気勢をあげているのだ。ランナーという種族は、どこまでも前向きで明るいのだと知る。

 そんな長い長い、少年時代の夏のような1年がすぎた。レースのたびに失敗し、がっかりしながらも、少しずつ強くなっている。10キロのタイムは初計測の半分にまで縮まり、超長距離の練習をこなしているうちに42.195キロを短いとすら感じるようになった。そしてまだまだ能力の限界にぶつかる瞬間は、だいぶ先にある気がしているのである。
 生活もずいぶん変化した。生活っていうより心境か。限界ギリギリまで心拍数を上げたり、激痛をこらえて脚を引きずり走ったり、緊張のあまり朝まで眠れなかったり。こういうのって何十年も忘れていた感覚だ。野球を必死にやっていた十代の頃、ネクストバッターズサークルでひとり武者震いしてた上ずった興奮と集中。あるいは土埃舞うグラウンドのライトとレフトの間を何十回も、喉から心臓が飛び出しそうなくらい球を追いかけ走りまくったあの頃の「感じ」である。自分の中に、こんな素朴でストレートな緊張感やひたむきさが残っているなんて、驚きだったのだ。
 ときおり飛ぶように走っている、と感じる時がある。周囲から見ればドタバタ走っている鈍重なジョガーなんだろうが、内的感覚ではまさに「羽根が生えて空を飛んでいる」感じ。たぶん10キロのタイムを1分ほど縮める程度の能力アップを果たしたときに、身体が軽くて浮くような感覚・・・恍惚感に近いものを得られるんだろう。
 今は1000メートルのタイムを1秒でも縮めようと、あらゆる努力をしている。そうやって少しずつ自分の限界を超えていって、その先に何が見えるのかを知りたいと欲が出てきた。自己ベストタイムを出せる年齢的なピークは限られているのだろうけど、「ベストラン」は70歳代でも80歳代でもできる。キツいと感じた時に笑えって耐えられる余裕とか、暑い夏も寒い冬もコツコツ鍛錬を積み上げていく辛抱とか、病気になっても折れてしまわない心の強さとか。そういう総合的な人間の厚みをランニングは補強してくれる予感がする。
 強い風に向かい、太陽に焼かれ、雨に打たれて走る。景色が流れていく。空と、雲と、草木と、アルファルトの道路と。
 どこまでも走っていけそうな気がする。もっと実現困難なものにチャレンジしたい、という欲望で心がいっぱいになる。いまの自分ではとてもやれなさそうなモノ、そういう目標が脳裏をかすめると心にボッと火が灯り、やがて自分でも制御できないくらい熱い塊になって吹き上がる。
 そんなこんなで北風に短パンをパタパタ揺らせながら、まだ見ぬサハラ砂漠めざして走り込み中なのだ。