公開日 2009年01月29日
文=坂東良晃(タウトク編集人)
(これまで=アフリカ・サハラ砂漠を230キロ走る「世界一過酷なレース」にエントリーしたタウトク編集人。メタボリックかつアラフォーの二重苦をものともせず、ひたすらに走るのだ)
12月は「もう死ぬー」というくらい自分ってヤツを追い込む、そう決めた。「ここいら辺でちょいと一休みを」と身体が訴えても知らない。ランニング教本に書いてある「適度な休息と回復期を与えることで能力が向上する」との科学的アプローチは完全無視する。
(これまで=アフリカ・サハラ砂漠を230キロ走る「世界一過酷なレース」にエントリーしたタウトク編集人。メタボリックかつアラフォーの二重苦をものともせず、ひたすらに走るのだ)
12月は「もう死ぬー」というくらい自分ってヤツを追い込む、そう決めた。「ここいら辺でちょいと一休みを」と身体が訴えても知らない。ランニング教本に書いてある「適度な休息と回復期を与えることで能力が向上する」との科学的アプローチは完全無視する。
それくらい追い込まないとサハラに立つ資格を得られないと思う。物事がおもしろいと感じられるかどうかは、1点集中して本気で立ち向かっているかどうかによる。仕事でも道楽でもテキトーに手を抜いて取り組んでも何もおもしろくない。ヒィヒィとノドの奥を鳴らしながら、やれそうにもない事に食らいついていく。そうやってはじめて人生はおもしろみを増していく。
【3日間で2本のフルマラソン】
12月21日に山口県で行われる防府読売マラソン、その2日後に開かれる兵庫県の加古川マラソンに出場を申し込んだ。中1日をはさんでのフルマラソン2本は、1週間連続で走るサハラマラソンには及ばぬとも、連チャンレースが肉体に与える影響を試すには絶好である。
防府読売マラソンは実業団の若手選手の試金石といった色合いのある大会。昨年までは制限3時間でファンランナーの出場は望べくもなかったが、今年より4時間に緩和され一般市民ランナーにも間口が広げられた。といってもテレビの生中継が入り、実業団トップクラスの選手が凌ぎを削るという点では、緊張感は失われてはいないだろう。
冷たい雨が止まぬ曇天のなか会場入りすると、市民マラソンとは別次元の大会であることを実感する。防府市陸上競技場のトラックをウォーミングアップする選手たちのランニングフォームの美しいこと、そして風を切るように走るさま。明らかにキロ3分チョイのペースで走っている。もちろんぼくの全力疾走より早い、早いに決まっとる! 「う、こんな人たちと走るのか。スタート直後に1人置いてけぼりを食らうんちゃうんか」・・・場違いな場所に足を踏み入れた恐怖心か、あるいは極上の美肉を目の前にした高揚感からか(範馬勇次郎が憑依する混乱ぶり)、得体の知れぬ鳥肌を全身におっ立てながらスタート集団の最後尾に並ぶ。
号砲とともに飛び出せば、かつて経験した事のないハイスピードの群れの中。「行けるところまで行ったる!」とのプランとも言えぬレースプランにしたがいキロ4分45秒平均で進む。10キロを47分、ハーフを1時間44分台で通過。目標である3時間30分切りを充分狙える。けっしてオーバーペースではない。呼吸は深く、グリコーゲンの貯蔵に余裕はあり、気分も平常である。しかしながら12月の雨は体温を著しく下げ、手袋の内側の指先が凍りつくようである。誤って深い水たまりに何度か踏み入れたため、足指先の感覚は痛みからマヒへと移行する。
30キロ。変化は一瞬のうちにやってきた。予期せぬ客が「来ちゃったの」って感じである。身体のどこにも力が入らない。明瞭であった意識が遠のいていく。自滅の理由は何だろう、と自問自答する。無理なペースではなかった。それなりに自重もしていた。おそらくは悪天時の練習が足りなかったのだろう。雨天練習は欠かさぬもののウインドブレーカーを2重に着こみ、フードを被って、防寒対策をしたうえでだ。レース用の薄いランパン・ランシャツは、ほぼ素っ裸みたいなものである。水しぶきと横風を受けながら2時間、3時間と走った経験は一度もない。「雨の日もヘッチャラ」との根拠なき自信はもろくも崩れ去り、大後悔へと転じる。濡れ雑巾のように重い身体をズルズルとひきずり、制限時間いっぱいでゴールに入った。3時間59分22秒。自分をまったくコントロールできなかった大失敗レースである。真っ黒にとぐろを巻いた雨雲を背後に従えながら、涙目で防府の街をあとにした。
翌日は全身に重い疲労感があり、朝起き上がるのに困難を極めた。ハムストリングは悲鳴をあげ、ヒザ関節の軟骨はコラーゲンを失いガリゴリ痛み、足の甲の皮膚の内側には甲殻生物がはいずりまわっているような違和感がある。あと24時間で疲労を除去しなくてはならない。超すっぱい「メダリスト」をガブ飲みし、カロリー補給を促すためにセコイヤチョコレートを10本一気食い。酸味と甘みの波状攻撃を受け、胃腸がもんどりを打つ。
加古川マラソン当日は午前4時に目が覚める。1時間ほどしか眠れていないが仕方がない。大会前日はこんなものである。問題は別にある。「今から42キロ走るぞ!」と準備体勢に入ろうとする身体を、脳ミソが拒絶している。体温が上がって来ず、たまらなく寒い。うーマジで寒い。さらにわが脳ミソ君は、なるべく走らなくてすむよう理論武装をはじめる。「無理して走ったらヒザ痛が深刻化するのでは?」「こんな状態で完走できるはずない。加古川までの交通費がムダになるのでは?」「そもそも3日で2レースなんてどんな論理的根拠のあるトレーニングなのですか?」。うむ、それぞれ一理ある。いや、一理などない! などと布団の中で2時間もジタバタ葛藤し、最後は「3日に2本に意味などない! あるわけ
ない! やると決めたからやるだけだ!」と暴力的に結論づけて、布団から這い出す。
フルマラソンを1回走った程度のダメージでネを上げていては、サハラマラソンなんてとてもじゃない。サハラは連日フルマラソン程度の距離を、気温40度、荷物15キロ、足元は砂という劣悪環境の中で1週間休みなく走り続けるのである。とにかく自分に負けてはいけない。スタートラインに着く前にギブアップしているようでは、単なるヘタレである。
さあジャージを着ろ!乳首にバンドエイドを貼れ!股間にワセリンを濡れ!と命令を下しながら家を飛び出し、夜も明けぬ真っ暗な松茂とくとくターミナルから高速バスに乗りこんだ。高速舞子で降り、JR神戸線の快速電車に乗り換える。加古川駅前のショッピングセンターでウンコを済ませ、大会が用意した無料シャトルバスに乗り河川敷の会場に向かう。松茂から加古川まで高速バス・電車・ウンコの時間を合算しても2時間足らずで到着。加古川ってこんなご近所だったのか。
防府読売とは異なり会場は市民マラソン大会らしい華やかな雰囲気。スタートラインから数百メートル続くランナーの集団は独特の高揚感と興奮を放っている。走りはじめたものの、やはり脚は重く、ストライドが伸びない。キロ5分30秒で精いっぱい。ジョグ並みのペースなのに、2キロも進めば息は荒く、アゴの先から汗がしたたり落ちる。さらに10キロ手前でヒザ痛が再燃し、エネルギーが枯渇しはじめる。2日前に使い切ったグリコーゲンは当然補充されていない。だけどあきらめるわけにはいかない。我慢だ、とにかく我慢である。
15キロ地点で大会サイドが用意した「4時間」のナンバーカードをつけたペースメーカーに追いつかれる。ペースメーカーは50人ほどの大集団を引っ張っている。この集団から落ちないように走り切ればいいのだ、と頭を切り換える。ハーフ通過は1時間58分39秒、ボロボロのタイムである。23キロ地点で無性に尿意をもよおす。枯れたエネルギーを補給しようとスポーツドリンクを必要以上にガブ飲みしたためだ。コースを離れ、用を足す間に1分ロスする。「4時間集団」ははるか前方へと走り去ってしまった。追いかけよう。キロ10秒ずつ詰めれば5キロ程度で追いつけるはずだ。ペースを5分10秒まで上げる。しかし集団は遠い。追いつけるようで追いつけない。追いつきたい、どうしても追いつき、追い越したい。食らいつけ、あきらめるな。33キロの折り返し地点を過ぎると強烈な向かい風に襲われる。残り10キロ、身体の疲労感はすでに抜け、足の痛みを感じなくなっている。今の自分ができるベストをしよう。身体に軽さはない。スピードも目いっぱいだ。しかしこれ以上は走れないなんて思うな。今走らずして、いつ走るというのか。今全力を出さずしていつ出すのか。走りにリズムが出てきた。「飛ぶように走れ」と自分を鼓舞する。前のランナーをどんどん追い越していく。向かい風を気持ちよく後ろに置き去りにする。
ゴール、3時間57分32秒。自慢できるようなタイムではないけれど、初めて納得いく走りができた。自分で自分を認められる走りとは、タイムではなく、むろん順位でもない。どうしようもなく苦しく、心が折れる寸前という場面で、粘って、粘って、耐えきれたかどうかなんだろう、きっと。
・・・とレース後、一瞬の満足感にひたったわけだが、2度のフルを走ってみて長ロング走に耐えられる脚が全然できていないのではないか?という疑念が湧き上がった。練習でいくら50キロを走っても現れない疲労感や痛みが本番のレースでは続々と襲ってくる。やはり、疲れがすっかり抜けきった良いコンディションでいくら距離を稼いでも意味がないのではないかと思う。この2本のレースのダメージが回復しきらないうちに更なるロング走を試みるべきだろう。
仕事が休みに入る年末まで1週間あったので、その間はハーフのタイムトライアルなどを連日行い、「ヘトヘト」の状態をキープした。食事をなるべく採らず、エネルギーの枯渇状態を維持した。そして、かねてからチャレンジしようと企んでいた「1人箱根駅伝」を実行した。
(つづく)
【3日間で2本のフルマラソン】
12月21日に山口県で行われる防府読売マラソン、その2日後に開かれる兵庫県の加古川マラソンに出場を申し込んだ。中1日をはさんでのフルマラソン2本は、1週間連続で走るサハラマラソンには及ばぬとも、連チャンレースが肉体に与える影響を試すには絶好である。
防府読売マラソンは実業団の若手選手の試金石といった色合いのある大会。昨年までは制限3時間でファンランナーの出場は望べくもなかったが、今年より4時間に緩和され一般市民ランナーにも間口が広げられた。といってもテレビの生中継が入り、実業団トップクラスの選手が凌ぎを削るという点では、緊張感は失われてはいないだろう。
冷たい雨が止まぬ曇天のなか会場入りすると、市民マラソンとは別次元の大会であることを実感する。防府市陸上競技場のトラックをウォーミングアップする選手たちのランニングフォームの美しいこと、そして風を切るように走るさま。明らかにキロ3分チョイのペースで走っている。もちろんぼくの全力疾走より早い、早いに決まっとる! 「う、こんな人たちと走るのか。スタート直後に1人置いてけぼりを食らうんちゃうんか」・・・場違いな場所に足を踏み入れた恐怖心か、あるいは極上の美肉を目の前にした高揚感からか(範馬勇次郎が憑依する混乱ぶり)、得体の知れぬ鳥肌を全身におっ立てながらスタート集団の最後尾に並ぶ。
号砲とともに飛び出せば、かつて経験した事のないハイスピードの群れの中。「行けるところまで行ったる!」とのプランとも言えぬレースプランにしたがいキロ4分45秒平均で進む。10キロを47分、ハーフを1時間44分台で通過。目標である3時間30分切りを充分狙える。けっしてオーバーペースではない。呼吸は深く、グリコーゲンの貯蔵に余裕はあり、気分も平常である。しかしながら12月の雨は体温を著しく下げ、手袋の内側の指先が凍りつくようである。誤って深い水たまりに何度か踏み入れたため、足指先の感覚は痛みからマヒへと移行する。
30キロ。変化は一瞬のうちにやってきた。予期せぬ客が「来ちゃったの」って感じである。身体のどこにも力が入らない。明瞭であった意識が遠のいていく。自滅の理由は何だろう、と自問自答する。無理なペースではなかった。それなりに自重もしていた。おそらくは悪天時の練習が足りなかったのだろう。雨天練習は欠かさぬもののウインドブレーカーを2重に着こみ、フードを被って、防寒対策をしたうえでだ。レース用の薄いランパン・ランシャツは、ほぼ素っ裸みたいなものである。水しぶきと横風を受けながら2時間、3時間と走った経験は一度もない。「雨の日もヘッチャラ」との根拠なき自信はもろくも崩れ去り、大後悔へと転じる。濡れ雑巾のように重い身体をズルズルとひきずり、制限時間いっぱいでゴールに入った。3時間59分22秒。自分をまったくコントロールできなかった大失敗レースである。真っ黒にとぐろを巻いた雨雲を背後に従えながら、涙目で防府の街をあとにした。
翌日は全身に重い疲労感があり、朝起き上がるのに困難を極めた。ハムストリングは悲鳴をあげ、ヒザ関節の軟骨はコラーゲンを失いガリゴリ痛み、足の甲の皮膚の内側には甲殻生物がはいずりまわっているような違和感がある。あと24時間で疲労を除去しなくてはならない。超すっぱい「メダリスト」をガブ飲みし、カロリー補給を促すためにセコイヤチョコレートを10本一気食い。酸味と甘みの波状攻撃を受け、胃腸がもんどりを打つ。
加古川マラソン当日は午前4時に目が覚める。1時間ほどしか眠れていないが仕方がない。大会前日はこんなものである。問題は別にある。「今から42キロ走るぞ!」と準備体勢に入ろうとする身体を、脳ミソが拒絶している。体温が上がって来ず、たまらなく寒い。うーマジで寒い。さらにわが脳ミソ君は、なるべく走らなくてすむよう理論武装をはじめる。「無理して走ったらヒザ痛が深刻化するのでは?」「こんな状態で完走できるはずない。加古川までの交通費がムダになるのでは?」「そもそも3日で2レースなんてどんな論理的根拠のあるトレーニングなのですか?」。うむ、それぞれ一理ある。いや、一理などない! などと布団の中で2時間もジタバタ葛藤し、最後は「3日に2本に意味などない! あるわけ
ない! やると決めたからやるだけだ!」と暴力的に結論づけて、布団から這い出す。
フルマラソンを1回走った程度のダメージでネを上げていては、サハラマラソンなんてとてもじゃない。サハラは連日フルマラソン程度の距離を、気温40度、荷物15キロ、足元は砂という劣悪環境の中で1週間休みなく走り続けるのである。とにかく自分に負けてはいけない。スタートラインに着く前にギブアップしているようでは、単なるヘタレである。
さあジャージを着ろ!乳首にバンドエイドを貼れ!股間にワセリンを濡れ!と命令を下しながら家を飛び出し、夜も明けぬ真っ暗な松茂とくとくターミナルから高速バスに乗りこんだ。高速舞子で降り、JR神戸線の快速電車に乗り換える。加古川駅前のショッピングセンターでウンコを済ませ、大会が用意した無料シャトルバスに乗り河川敷の会場に向かう。松茂から加古川まで高速バス・電車・ウンコの時間を合算しても2時間足らずで到着。加古川ってこんなご近所だったのか。
防府読売とは異なり会場は市民マラソン大会らしい華やかな雰囲気。スタートラインから数百メートル続くランナーの集団は独特の高揚感と興奮を放っている。走りはじめたものの、やはり脚は重く、ストライドが伸びない。キロ5分30秒で精いっぱい。ジョグ並みのペースなのに、2キロも進めば息は荒く、アゴの先から汗がしたたり落ちる。さらに10キロ手前でヒザ痛が再燃し、エネルギーが枯渇しはじめる。2日前に使い切ったグリコーゲンは当然補充されていない。だけどあきらめるわけにはいかない。我慢だ、とにかく我慢である。
15キロ地点で大会サイドが用意した「4時間」のナンバーカードをつけたペースメーカーに追いつかれる。ペースメーカーは50人ほどの大集団を引っ張っている。この集団から落ちないように走り切ればいいのだ、と頭を切り換える。ハーフ通過は1時間58分39秒、ボロボロのタイムである。23キロ地点で無性に尿意をもよおす。枯れたエネルギーを補給しようとスポーツドリンクを必要以上にガブ飲みしたためだ。コースを離れ、用を足す間に1分ロスする。「4時間集団」ははるか前方へと走り去ってしまった。追いかけよう。キロ10秒ずつ詰めれば5キロ程度で追いつけるはずだ。ペースを5分10秒まで上げる。しかし集団は遠い。追いつけるようで追いつけない。追いつきたい、どうしても追いつき、追い越したい。食らいつけ、あきらめるな。33キロの折り返し地点を過ぎると強烈な向かい風に襲われる。残り10キロ、身体の疲労感はすでに抜け、足の痛みを感じなくなっている。今の自分ができるベストをしよう。身体に軽さはない。スピードも目いっぱいだ。しかしこれ以上は走れないなんて思うな。今走らずして、いつ走るというのか。今全力を出さずしていつ出すのか。走りにリズムが出てきた。「飛ぶように走れ」と自分を鼓舞する。前のランナーをどんどん追い越していく。向かい風を気持ちよく後ろに置き去りにする。
ゴール、3時間57分32秒。自慢できるようなタイムではないけれど、初めて納得いく走りができた。自分で自分を認められる走りとは、タイムではなく、むろん順位でもない。どうしようもなく苦しく、心が折れる寸前という場面で、粘って、粘って、耐えきれたかどうかなんだろう、きっと。
・・・とレース後、一瞬の満足感にひたったわけだが、2度のフルを走ってみて長ロング走に耐えられる脚が全然できていないのではないか?という疑念が湧き上がった。練習でいくら50キロを走っても現れない疲労感や痛みが本番のレースでは続々と襲ってくる。やはり、疲れがすっかり抜けきった良いコンディションでいくら距離を稼いでも意味がないのではないかと思う。この2本のレースのダメージが回復しきらないうちに更なるロング走を試みるべきだろう。
仕事が休みに入る年末まで1週間あったので、その間はハーフのタイムトライアルなどを連日行い、「ヘトヘト」の状態をキープした。食事をなるべく採らず、エネルギーの枯渇状態を維持した。そして、かねてからチャレンジしようと企んでいた「1人箱根駅伝」を実行した。
(つづく)