バカロードその30 北米大陸横断レース LA-NY 2011 ステージ51〜ステージ55

公開日 2011年08月16日

■8月8日、ステージ51

距離/67.3キロ

大会ナンバーワン選手であるライナー(ドイツ)様が、ぼくの怪我を気遣かって話し掛けてくれました。「きっと典型的なシンスプリントですよ。骨折まではまだいかないでしょう。少なくとも3日間は痛みが酷くなり続けづけますが耐えてください。走っている時以外は胴体より脚を高く上げるように横になり、氷で冷やし続けること。大丈夫です。1回克服すれば次はなかなかなりません。強くなります。何といっても、ぼくたちはニューヨークに行かなくちゃね」ぼくよりずいぶん歳下なのに、まるで師のような上下関係です。
本職が工学系エンジニアである彼は、ぼくの知るかぎり4カ国語を流暢に話し、論理的で冷静で民主的な姿勢の持ち主です。そして各大陸の横断レースをぶっちぎりで勝ち続けています。以前、ふだんはどんな練習しているのか尋ねたことがあります。すると「平日は走りません。長距離を走るのは、まとめた時間のとれる週末の休日だけです」と言うので、何キロくらい?と問うと「200キロくらいです」との返事。こりゃ勝てんて!
今日は左脚のスネ、足底筋、膝を傷めました。今まで怪我してなかったパーツが、反乱を起こしだしています。
「今まで黙って耐えに耐えて来たが、これ以上われらを酷使するなら、全部位が蜂起して、城主殿に痛みという地獄を味わわせてやる!」とシュプレヒコールを挙げはじめたようです。
かといって謀反に対して打てる手立てもなく、明日今大会最長の92キロを迎えます。毎日が正念場なんだけど本当にギリギリの勝負です。これを乗り越えたら、きっと何かがあるはずなんだ、そこには。

記録/11時間42分


■8月9日、ステージ52

距離/91.4キロ

走っても走ってもゴールは遠かったです。夜明け前に走りだし、そしてまた日は暮れて、おまけに時刻変更ラインを越えたもんだから1時間進んでしまい。ゴールしたのは夜中の10時前。明日の朝の集合時間まで6時間ちょいしかないって!
仮眠をとるために入った宿。なんじゃこりゃ! 客室は鉄格子の中、廊下からまる見え。囚人が寝るような薄く狭いベッド、というかベンチ。トイレはドアなし、これまたまる見え、照明は紫…。刑務所をテーマとしたホテルなんだとか。頭イカレてるぜ!この追い詰められた心理状態にダメ押しパンチかよ!

記録/15時間51分


■8月10日、ステージ53

距離/83.7キロ

結局3時間しか寝れず、極度の疲労と寝不足で、強い二日酔いのような頭痛がし、吐き気が止まらずカラゲロを繰り返します。今日が最後なのか?と思います。立ってるのも困難なのに80何キロも走れるわけない。
もうね、ぼくにできることは一つしかないわけです。残された手段に選択肢はないんです。
やけくそダッシュだ!
やけのヤンパチ、死ぬ時はドブの中で前向きに倒れろってことだ。
最初から全力で走ります。真っ暗な下り坂をヘッドランプの光を追いかけて走ります。空には星が1万個も輝いています。
オレは本当に追い込まれた時だけ強いんだ。少しの苦境には弱いけど、完全に後がなくなれば強いんだ。
そんでもってぼくはアントニオ猪木の名著「君よ、苦しみの中から立ち上がれ」から引用した名文句を唱え、そして尾崎豊が10代の頃に世に出した3枚のアルバムを全曲熱唱しました。結局ぼくは猪木と尾崎で形成されているのです。
並走したアレキサンドロ選手が言います。「われわれはレースが始まって以来、ずっと怪我に苦しんできた。毎日が苦しみの連続だった。だがこの経験は深い。より多くの痛みと苦しみを知っていた者が他人の苦しみを理解でき、またヒントとなる言葉も見つけられるだろう」
(お前何者?)と思いなつつも「君の言葉はいつも重いね。なぜ32歳でそんな考えが持てるの?」と聞きました。彼は説明します。「私は手漕ぎボートに乗って500日以上、太平洋や大西洋の洋上にいた。そこでは考えることしかすることがない。だから私は考える」

レース中にマクドナルドを1日3回利用するジェームス選手と並んだ時ちょうど、巨大なマクドナルドの看板が現れました。そこには「本物の果物を使ったシェイク」と書かれ、3種類のシェイクの写真がありました。ジェームス選手にどのシェイクが最も美味か尋ねると、流暢すぎる英国英語で詳しく説明してくれますがぼくには半分も理解できません。業を煮やしたかジェームス選手、急に猛スピードで走り去ると、1キロに現れたマクドナルドの店の前で、マック・フルーツシェイクを2種類手に持ち、満面の笑顔で待ってました。
後半は大失速し、いつものビリになりましたが、今日も生き残りました。いや、生きました。

記録/13時間52分


■8月11日、ステージ54

距離/73.6キロ

スタートから脚がまったく上がりません。抽象的な表現ではなく、ホントに脚を持ち上げる力が大腿部の筋肉に残ってないので、地面にある1センチくらいの突起に何度も蹴つまづきます。歩幅は50センチがやっと。それでも必死だから心拍数は上がり息はゼェゼェいってます。制限時間に遅れないためのギリギリペースを保つので精一杯です。
インディアナ州の州都・
大都市インディアナポリスの高層ビル群に囲まれたメインストリートを駆け抜けます…そうならカッコいいんだけど、現実は、歩道にある10センチほどの段差すら越えられず、アゴの先から汗を滴らせて苦闘するばかりです。
スピードが出ない場合、エイドで脚を止めることもできません。つまり一切の休憩は許されなくなります。
経過時間と移動距離、速度をGPSで測りながら、制限時間アウトの暗い不安に苛まれ続けます。果てしない耐久戦を8時間し、50キロを過ぎた頃、やっと脚の動きが良くなりはじめました。なんぼなんでも遅すぎます。ウォーミングアップの距離として50キロは長すぎです。こんな体質じゃ、日本に帰ってフルマラソンの大会なんか出られやしない。ウォーミングアップ中にゴールテープを切り、いよいよスパート可能って時に、豚汁やうどん交換券持って行列に並ばなくちゃいけない。
かくして50キロ以降、人が変わったようにタッタカ走りはじめ、今日もぶじ制限時間をクリアできました。


記録/12時間22分

■8月12日、ステージ55

距離/86.7キロ

朝、震えるほど寒いです。ここ半月で北緯を500キロ上げてきたけど、蒸し暑さにうんざりしていた数日前とは別天地。白い息たなびかせながら、正面に瞬くオリオン座に向かって走りつづけます。
夜が明けてから、いくつかの小さな田舎街の商店街を通りました。
「走って寝て」を繰り返しす今回の旅では、観光はいっさいできない代わり、普通の観光旅行では絶対に訪れない人口数百人の街を訪れられます。もちろん街の喫茶店でひと休みってわけにはいかず、速足で移動しながらの見物です。それでもアメリカの田舎の暮らしぶりや、時間の流れ、人の性格もかいまみられて、愉しいものです。

午後から両方の足の裏、土踏まず部分が熱くなり、激痛に変わっていきました。尖った岩の上を裸足で踏みしめているようです。
だけど最近は痛みを恐れないよう考えています。それは身体が外部環境に合わせようと必死に修復しているサインだから。
痛み、腫れ、化膿、発熱…これらは身体がさまざまな化学反応を起こしながら、弱い部分を強く変形させようと頑張っている過程で生じる産物です。
「ああ、ご主人殿は毎日80キロを走りたいのだな。じゃあこのパーツをバージョンアップさせなくちゃな」と。
大会中、どんな大きな怪我をしても、必ず治ってきました。そして二度と同じ場所を傷めることはありません。人間の環境対応力のすごさに驚かざるをえません。
ロサンゼルス出発から今日で4000キロを越えました。ニューヨークまであと1100キロ余り。東京・博多間の距離くらいかな。ようやく日本人の距離感覚でも理解できる遠さになってきました。嬉しくもあり、少し悲しくもあり。

記録/14時間38分