バカロードその62 道と太陽と地平線。トランス・エゾ・ジャーニーラン

公開日 2014年02月10日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 早朝3時に目覚まし時計が鳴る。枕元に置いたメガネを手探りするが見つからない。
 身体がべったり敷き布団にくっついている。磁石に拘束された鉄塊を無理やり引っぺがすように上体を起こす。
 夕べ手洗いして室内干ししてあったランニングシャツやパンツを生乾きのまま着る。独特の汗蒸れした臭いが鼻をつくが、他ならぬ自分の体臭ゆえ不平を漏らす相手はいない。
 最少限に絞り込んだ持ち物を、小さなバックパックに詰めこむ。現金、地図、着替えの衣類、薬品、照明具などである。総重量700グラムほどだ。この荷物で2週間を過ごすのである。人間、生きていくのに大したモノは必要ないってことか。
 起床から身支度を終えるまで10分もあれば事足りる。いつでも走りだせる恰好が整うと、もう一度布団に潜りこむ。スタート時間は午前4時。二度寝の末の寝坊はマズいが、20分でも10分でも活動エネルギーをゼロ状態にして体力を回復させたい。
 3時50分、民宿前のスタートゲートの周辺には、ヘッドランプが照らす淡い円がいくつも揺れている。ランナーたちはサプリメントを飲んだり、地図を眺めたりと、各々が準備にいそしんでいる。カップラーメンをすすりオニギリにパクついてる人もいる。多くの人は快活な声量で会話を交わしているが、昨日のステージで極限まで体力をすり減らしたとおぼしき人は、地面にべったり腰を下ろし、会話のやり取りがままならなかったりする。
 スタートの合図とともに、ランナーたちは夜明け前の街路へと歩きだす。ジャーニーランのスタートで走りだす人はめったにいない。まだ眠っている筋肉に「温まるまでは走らんからな」と納得させるように、傷んだ脚に「そのうち痛みは取れるよな?」と問いかけるように歩く。カップメンを食べ終わらなかったランナーは、麺とスープを掻き込みながら歩く。
 何キロか進むとそれぞれのペースで走りだす。単独走になることもあれば集団をつくることもある。基本、他人のペースには合わせない。自分だけのリズムで、自分が潰れないペースで。そして、気の遠くなるような距離のほとんどを、1人ぼっちで過ごす。
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 「トランス・エゾ・ジャーニーラン」は、1997年の初開催以来17回の歴史を刻む、日本で定期開催されている数少ないジャニーラン大会のひとつである。北海道のえりも岬から日本最北端の地・宗谷岬へと、555キロの道のりを太平洋からオホーツク海へと7日間かけて走破する、と聞くだけでゾクゾクするスケールだ。2000年からは宗谷岬からえりも岬、ふたたび宗谷岬へと往復する14日間・1100キロの「アルティメイト」コースも設けられた。
 毎朝のスタート時刻は朝5時を標準とし、その日の走行距離によって調整される。80キロを超える場合は4時30分、4時・・・と早められ、最も長い98キロの日は午前3時スタートとなる。
 毎日、ゴールの最終時刻にあたる「節度時間」が設けられる。コース距離を時速5.5キロで割り、算出されたゴールタイムだ。一般の大会なら関門とか制限時間と呼ばれるところをトランス・エゾでは節度時間と呼ぶ。これは、ゴール地点まで自力走行できなくなったランナーへのメッセージでもある。「どんなに時間が遅くなってもゴールまでたどり着きたい」という自己陶酔の末に1人だけ深夜にゴールして、周囲に迷惑かけるようなマネはすべきではない、という「節度」である。ケガをしたり体調悪化してリタイアすると判断した時点で、列車やバスを使ってゴール地点へと向かう。その悔しさや、無念さ、思い出も含めてジャーニーランってことなんだろう。
 この「節度時間」に象徴されるように、トランス・エゾではランナーが自分のエゴによって勝手な振る舞いをすることは暗黙の了解として許されない。550キロ〜1100キロという長い道のりを、見ず知らずの人間が集まり、キャラバンを組んで街々を巡っていく。ランナーもサポートも肉体的にも精神的にも限界ギリギリで越えていく場面もある。ほんの数人が「自分だけは特別だ」という行動を取り始めたら、キャラバンの雰囲気は悪い方へと向かってしまうだろう。
 自己責任が徹底されたこの大会では、1〜2週間の間に使用するすべての荷物を自分で背負って走る。荷物預けはない。またエイドステーションもない。走行中に必要な飲み物、食べ物は、途中の街々にある商店や自販機で仕入れる。無人地帯が長い場合は、2リッター以上の水を背負うことになる。
 あらかじめ指定された走破コースは、2万5千分の1地図上に破線でライン引きされており、途中、誰のチェックも受けることなく、自分自身の良心に従って忠実にコースをなぞる。
 手厚いエイドや荷物配送サービスなど至れり尽くせりの今どきのマラソン大会に馴染んだ身には、いくぶん厳しく感じるかもしれない。だが、要は「1人ぽっちでふらっと走って旅に出た」と思えばいいのである。1人旅なら、給水サービスやら荷物配送なんてあるはずもなく、宿泊先の最終チェックイン時間を守らなければ部屋をキャンセルされる。予定より遅くなり、間に合わなそうなら路線バスに飛び乗るだろう。誰の力も借りず、自分1人の力と責任で、果てしなく遠い道を走りきる。それがジャーニーランの基本姿勢である。
 こんな風にトランス・エゾは一見厳しい自己責任をランナーに求めていながらも、だけどホントのところは限りなくランナーの視点に立った、走ることが心から好きな人のために考えに考え抜かれた大会なのである。
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【初日・宗谷岬〜幌延75.3km】
 宗谷岬を出発する。海岸線を南下せず背後の丘陵へと駆け上がると、いきなり野生鹿の集団に遭遇する。大自然に突入するの早すぎ!
 いったんオホーツク沿岸に戻ったのち、再びアップダウンのある牧場地帯をゆく。昨夜のミーティングで、「明日は20キロに1カ所の割合でしか自販機や水道がないよ」と経験者ランナーの方々が教えてくれたものの、半信半疑で聞いていた。「ない」といっても、それなりに民家は点在してるだろうし、集落には公民館や学校があり、水道栓があるに違いない。食料は補給できずとも、ここは日本なんだから水くらいはあるはずだ、とタカくくっていたら・・・本当に何もなかった。
 酪農農家の家屋や牛舎は建っているが人影ひとつない。無人のお家に勝手に入れば不法侵入であり、さすがにそれはできない。住民の集会所や災害避難所と書かれた建物にも人の気配はない。ようやく水飲み場を見つけて蛇口をひねっても、1滴の水も出ない。
 道路の下の方に小川らしきせせらぎが何本か現れるが、北海道の川水や沢水は絶対に飲んではならぬと注意されている。キタキツネの糞に混じったエキノコックスという寄生虫の卵が混入している可能性があり、その生水を飲めば人も感染してしまうからだ。エキノコックスは肝臓の中に寄生し、最後は子供の頭くらい巨大化して人間を死に誘う。ってことで枯れ死寸前あろうと、川水だけは飲めない。
 真夏の直射日光の下では、ダラダラ吹き出す汗は止めようがない。10キロ前進するにつき水分が1リットル必要である、と嫌ってほど教えられた一日となった。
 スタート地点から10キロ先にあるコンビニを最後に、ゴールの幌延の街に入るまで60キロ以上、ついに1軒の店にも遭遇しなかった(ラーメン店とコープがあったが2軒とも休んでいた)。2カ所の自販機と、酪農家の私設エイドに助けられ、カラカラに乾燥しきってゴールにたどりついた。
 ゴールはJR幌延駅前の民宿・光栄荘。お宿名物のカツカレーは、ごはんもカレールウもおかわりし放題で、3皿分食べた。
 布団に横になって氷のうで脚を冷やしまくる。カッカッと燃えるような脚の熱を取り、明日の朝までに元どおりに復旧させるのだ。フトモモに載っけた氷の塊を眺めながら「ジャーニーランの世界に戻ってきた」と少しうれしくなる。
【2日目・幌延〜羽幌82.8km】
 内陸部の広いバイパス道を進み、20キロすぎからオホーツク海沿いの砂利道へと針路をとる。砂利道を行くことを「ジャーリーラン」というのだと教えられた。楽しい響きである。マメができた後なら地獄かもしれないが、今のところ楽しむ余裕がある。
 しばらく進むとコース上にあるはずの橋が橋ゲタごと流失し、道が完全にチギれていた。対岸の道路を巨大なクレーン車が占拠し、作業員の方々が復旧工事に当たっている。大会指定のコースを守らないと「完走」の称号は得られないし、でも道はないし、海を泳ぐってわけにもいかんし・・・と悩んで道を行ったり来たりウロウロしたが、打開策見つからず2キロほど迂回することにした。こんなのはジャーニー・ランでは「よくあること」なのだろう。
 昼前から本格的に暑くなってきて、コンビニで買ったアイスの「パピコ」をタオルで包み、首に巻きつける。涼しくなったのは短時間で、直射日光にあたるとすぐ溶けてしまって、啜ろうと思った時には熱湯パピコになっていた。
 水分の摂取量がハンパなく、50キロに達するまでに6リッター分のジュースを消費した。北海道内の公共施設にはゴミ箱がほとんど置かれていない。公園にも、トイレにも、道の駅にも。ジュースの自動販売機の横に当たり前にあるべきゴミ箱もない。かろうじてコンビニの前には分別ボックスがあるが、ここいらの地域でコンビニは20〜30キロに1軒あるかないか。トランス・エゾでは、ランナーの誰かがゴミを不法投棄した時点で大会を中止にする、という約束事がある。人知れずポイ捨てをしてしまえば、そっと良心を傷める程度の事態では済まされない。
 大量に出る空ペットボトル。こいつらを捨てる場所はない。仕方なくバックパックに6本、ランニングパンツの両ポケットに2本、さらに両手に2本持って、ポットボトルの串刺し状態で走る。初山別という街でアイスを買いに立ち寄った商店の方に涙ながらに廃棄をお願いして、ようやく10本のペットボトルから解放される。
 街のあちこちにゴミ箱があるってのは、本当にありがたいことなんですね。ジャーニーランは、何でもない日常にこそ幸せがあるのだとTHE虎舞竜的な教訓を得られる場でもある。
 本日のゴールは「サンセットプラザほぼろ」という巨大な温泉宿泊施設。だけど大浴場に移動する余力なく、部屋でシャワーを浴びただけで布団にダイブし失神寝する。