バカロードその74 ずぶ濡れで泥まみれの夏が過ぎていく 【九州縦断ぬかるみ走】

公開日 2014年12月19日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

 福岡天神から鹿児島市までは最短距離で約300kmだ。うまくいけば徹夜の連走で2日。100kmずつ3分割すれば3日ってところ。
 早朝というかまだ深夜。福岡市・博多天神の繁華街を走りだした。入り組んだ路地には間口の狭い飲み屋がひしめきあっている。看板やメニュー表にはハングル語や中国語が踊る。ねっとりした空気や、歩道にウンコ座りで煙草ふかしながら語りあう店員と客の光景も、何となくアジアの裏路地っぽい。博多からの直線距離なら、東京よりもソウルや上海の方が近いんだからアジア臭も当然なんだろう。
 そんな坩堝な街は、2kmも走らないうちにごく普遍的な郊外型の街にとって代わられ、その市街地も10kmほど進めばあっけなく途切れて、うっそうとした木々に覆われた山道に突入する。深夜3時、街灯のない山峡の山道に渓流の音がゴウゴウとこだまする。右側の深い谷間には、シーズンを終えたはずの蛍の光が数十と瞬いている。
 佐賀県境の脊振峠を越え有明海沿岸へと下る国道385号線をゆく。標高500mの峠で夜が明け、吉野ヶ里の青々とした田園地帯を眼下にする。蛇行する下り坂はやがてだだっ広い平野へ。青稲が風に揺れる水田の1本道には、トラクターが盛んに行き交っている。
 50km走ったあたりで直射日光にヤラれバテはじめる。たった50kmでスタミナ切れかよ・・・ハーァとため息。走れば走るほど弱くなる、を今年も実践か。ぼくの足は、ボロ中古車のように走行距離の限界があるのかもしれない。距離を重ねれば重ねるほどガタが出る。
 体温を冷ますため、コンビニでソフトクリームの乗ったかき氷を2個胃に収める。コンビニを後にし、5kmくらい快調に走ったところで道路標識を見て、自分があらぬ方角に走っていることに気づく。交差点の一角に建つコンビニでよくやっちまう失敗。コンビニ店舗の後ろ側からやってきたにも関わらず、休憩を終えると条件反射的に正面玄関に対して左か右に走りだしてしまうバカ行動。むろん目的地とはぜんぜん別方向。
 コースアウトはなはだしく、楽しみにしていた柳川市の堀割見学もあきらめ、へんてつもない農道を進む。
 大牟田市を経て、85kmほど走って熊本県境を越えたあたりで、カンカン照りの空が黒雲に覆われると、ポツポツと雨が顔を打ちはじめる。やがて本降りになってきたのを言い訳に、100km地点のJR玉名駅で沈没。シティホテル3500円也に逃げ込む。
 2日目は朝から滝雨。島原湾沿いの国道501号線は物流の主要ルートらしく、10トントラックがひっきりなしに猛スピードで通り過ぎる。路肩はほとんどない。道路は山側から流れ込む大量の雨水で川になり、道路のわだち部分は深い水たまりとなる。大型車やスポーツカーが通り過ぎるたびに、バケツの水をザバーッと脳天からぶっかけられたように泥水を浴びる。
 シャツやソックスを脱いでは絞り、を繰り返していたが昼にはあきらめた。足の裏の皮は白くふやけてベロンベロンにめくれあがっている。洋の東西を問わず「水責め」はあまたの拷問のなかで最も苛烈なひとつとされているが、なかなか大した責め苦である。
 大雨は夜になっても勢いは衰えず。早朝から夜中まで泥水を千杯もかぶるという折檻に抵抗するすべはなく、あきらめの先に禅的な無念無想の達観に入る。この状況を苦行とせず、「現実とはそういうものだ」とありのままを受け入れるのだ。この度のジャニーランを精神修行の場とする予定はなかったのだが仕方あるめえ。
 1日がかりで65kmしか進めず、ネットで当日予約した八代市内のとても立派なホテルで泊まる。ウエディングバンケットまで備えた絨毯ふかふかのシティホテルなのに3000円台。当日予約って部屋代が安くなるんですね、勉強になりました。真夜中に全身びしょ濡れで現れた怪しい客に、カウンターの方はたじろいでおられたが、シューズを乾かすためにと古新聞をくれた。やさしい接客です。
 3日目も土砂降り。気温はいちだんと低く、レインコートを着て耐える。住宅街の合間を縫う水路は、茶色の濁流で氾濫寸前である。当然本日もまた車が浴びせる泥水をかぶりっ放しだ。昨日つちかった禅的な境地は二度と訪れず。自分が何と戦っているのか迷走し、終始うんざり気分である。行く先である鹿児島県内で土砂崩れによって鉄道が脱線したというニュースが繰り返されている。美しいはずの八代海や天草諸島の風景は、白い霞に覆われ何も見えはしない。
 九州くんだりまでやってきた目的は、酷暑対策と徹夜走トレーニングだった。しかし日程の大半を寒さに震え、深夜の氷雨からエスケープしてぬくぬくとしたホテルに連泊、って何の練習にもなってねーし。
 鹿児島県境を越えた出水市という鶴が飛来することで名高い街にて力尽きる。3日間かけて前進したのはわずか230km。ドロドロととぐろ巻く暗雲よりもさらにダークサイドな気分がぼくを覆い尽くすのだった。