バカロードその86 時速2キロでどこまでも 土佐乃国横断遠足242kmの3日間

公開日 2015年09月18日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

  フルマラソンを走る人が特別な人だと思われていたのはずいぶん昔のことのように思える。愛媛マラソンの制限時間が4時間で、高知マラソンの40km関門が3時間10分だった時代だ。あの頃は、並大抵ではないトレーニングを積んだアスリートだけが参加できるのがフルマラソンだった。

 制限時間を7時間とゆるくすることで、マラソンは競技会からお祭りになり、ランパンランシャツはお洒落なワンピースや仮装にとって代わられた。それは、とても素晴らしいことだと思う。野球に、プロ野球や社会人リーグ、草野球や少年野球があるように、陸上競技だってどんなレベルの人も楽しめる場がある方が良いに決まっている。
 30年ほど昔のウルトラマラソン創生期には、浮世離れした鉄人ランナーの集まりであった100kmレースですら、制限時間を13時間から16時間程度にゆるめることで、今はごくふつうの市民ランナーでも十分に完走でき、その達成感を得られるようになった。例えるならば、小便臭いライブハウスで細々とウンコ投げてたアングラなバンドが、武道館でコンサートしてオリジナルグッズを物販するくらいの変化だ。例えがヘタだな。要するにマイノリティがマジョリティ化する過程にある。
 しかし100km経験者の次なる距離的ステップともいえる250kmの世界は、いまだ特別な人向けの世界にある。国内の主要な250km超級の大会である「萩往還」「さくら道」「川の道」「関西夢街道」「沖縄サバイバル」には、疲労骨折なんてかすり傷くらいにしか思わないモノノケたちが顔を揃えている。顔役クラスの世代にはこの世界を造りあげてきたレジェンドたちが居並んでいるし、最近台頭しつつある若い世代のレベルは急上昇し、サブテン、サブスリー級だらけ。彼らは、何百kmという距離を大酒あおりながら千鳥足で走り切れてしまうモンスターズなのだ。なかなかふつうの市民ランナーがちょっかい出せる雰囲気ではないのである。
 そんな異界とも言える250kmの世界を、市民ランナーに門戸開放したのが「土佐乃国横断遠足(とおあし)」だ。
 242kmという距離が長いかどうかは個人の感性にまかせるとして、制限時間がたっぷり60時間とられていることで、自分の走力(フルや100kmのね)を気にせず参加できるのである。なんたって時速4kmで歩き続けたら完走できるんですからね。2日間立ち止まらずに、の机上の空論ですが。
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 大会前日のお昼どき、主催者が用意した2台の中型バスが、JR高知駅や高知空港を経由しながら参加選手を拾っていく。鉄道、高速バス、空路などの到着時間に合わせてくれている。
 隣の席に座った参加者の長井さんは、昨年ゴールをともにした方。わずか半月ほど前、高知の県境上を踏破した話を聞かせてくれる。四国の西側である宿毛湾岸を起点に、愛媛県・徳島県との県境ラインに沿って山岳地帯を移動し、太平洋側の東洋町付近まで達する。道なき道というか、登山道もトレイル道もない山中を10日近くかけてビバークを繰り返し、低体温症に何度も陥りながらも全踏破した。
 こりゃ何ていうジャンルの遊びなんだろね。トレイルでも登山でもランでもないな。あえて競技名をつけるなら「トランス四国~人から野獣へ~」かな。長井さんは、「海沿いをぐるっといく土佐乃国横断を完走したら、ほぼ高知県一周だなぁ」と無邪気に喜んでいる。危険でヘンタイな野獣には近づかないようにしておこう。
 2時間ほどで、あたりに村ひとつない深い山中にたたずむ「国立室戸青少年自然の家」に到着。選手全員が参加義務のある大会説明会が行われ、希望すれば1泊2食つき2000円の良心価格で宿泊できる。
 初開催であった昨年の出走者数は21人だったが、今年は43人と倍増している。全員が顔を揃えても「班」くらいの小集団だった去年に比べ、今年は「学級」くらいの賑やかさがある。
 ランナーは、1棟建てのコテージ4棟に別れて宿泊するのだが、人数の都合もあって男性3棟、女性1棟に分けられる。男性は、「21時消灯」「22時半消灯」「24時消灯」とそれぞれ就寝時間が決められた部屋を勝手に選んでよいという画期的なルールであった。誰がこんな素晴らしいシステムを思いついたん? 高知県民って良く言えば何物にもとらわれない、悪く言えばテキトーそうなイメージなのに、細かいことに気が回る一面も持ち合わせているのだな。
 大会前夜の見知らぬ人との同宿相部屋は、「明日からの徹夜レースに備えてすぐ眠りたい人」と、「こんなハレの日には酒でも飲んで騒いでたっぷり起きていたい人」との利害関係が一致せず、両者が不満タラタラというエピソードにこと欠かない。この悩みを一挙に解決する名案である、拍手を送りたい。 
 さてここは酒豪の国・高知県である。24時消灯のコテージでは、日も沈まぬうちから宴会の準備がはじまっている。重そうな生ビールサーバーまで運び込まれている。ぼくだって当然、「明日から徹夜レースとはいえ、俺は酒を断るような無粋な男ではない」と自分の豪傑ぶりを知らしめるために参加する、ほどの勇気はなく、睡眠薬代わりの鼻炎アレルギー薬をたっぷり盛って、他人のことはおかまいなしに20時すぎには眠りにつく。
 眠る前に同じコテージで宿泊した徳島からいらした中川さんが見せてくれた衝撃映像・・・半月前に川の道を完走した証である皮膚がぐちゃぐちゃになった足の裏と、爪が取れまくって変色した足の指が夢に出てきて、激しくうなされる
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 室戸岬の中岡慎太郎像前を朝9時にスタート。ランナーはゼッケン番号順に・・・ではなく自主的にかつ適当に2列に並び、2人ずつ5秒おきにウエーブスタートが切られる。このあたりは規律性は求められていない。
 視界の左半分は紺碧の海、右半分が緑濃い山。ゆるいカーブを描きながら1コ先の岬の先っぽへと道路はつづく。6kmあたりの室戸市街、12kmの吉良川の街を通過するが、歩いている人はほとんど見かけない。のーんびりした時間が流れている。まあ、こっちの人は、こっちの人なりに忙しいのかも知れないけど。印象ね、印象。羽根岬をぐるっとまわり込むと、さらに人の気配のない松林の直線道に入る。
 暑い。列島全体が高気圧に覆われている日和も手伝っているが、南洋に向かって熱吸収効率よさそうな扇型をした高知の地形が、ソーラーパネル的に暑さを増幅させてる気がする。太陽、なんか徳島より眩しいし。 
 1km6分前後のペースなのに、すでにゼーハー息が荒い。軽量ながらもリュックを背負い、ペットボトルのなかで液体が揺れていると、空身ほどスピードが出なくなる。あるいは脳みそが自動ブレーキ装置をかけているのかも知れない。2昼夜走り続けるのだ。今から体力使ってると後で地獄が来るんだよと、脳にも筋肉にも細胞にも知れわたっていて、スピードを出せなくしているに違いない。
 第1エイドは27.9kmの「海辺の自然学校」。氷水でギンギンに冷やされたスポーツドリンクを500ml一気に飲み干し、さらに500mlをペットボトルに補給してもらう。すでに吐き気がしていて固形物を食べる気がしないが、エイドの傍らにかき氷マシンが鎮座しておるではないか。シャリシャリの氷にイチゴ蜜をかけてもらった器を受け取ると、休憩なしで出発する。歩きながらむさぼり食うかき氷が、喉から食道、胃壁へと落ちていくのがわかる。内臓が急激に凍り、体内を循環する血液も冷やされると、ぼーっとしていた思考が機能回復する。
 エイドに長居せず、少しでも先を急ぐのは、とりあえずの目標があるからだ。「日の沈まないうちに83.8kmの桂浜エイドに着く」のである。日没時間は19時だから、9時のスタートからちょうど10時間後である。
 桂浜エイド手前の、浦戸湾を天空高くまたいだ浦戸大橋からの夕景を見たいのだ。というのは外向きの理由で、本当は暗くなってから浦戸大橋をわたるのが怖いからだ。とっぷり日が落ちてから橋を越えた昨年は、誰かに見られているようなねばり気のある視線を感じ、全身の鳥肌が収まらず、背中をドードーと冷たい汗が流れた。というわけで、心霊対策のために、先を急ぐのであった。
 第2エイドの62km「ヤ・シィパーク」までを、ことさら長く感じるのは致し方ない。エイド間が34kmあるのだ。「次のエイドまで」といっても、フルマラソンにちょっと足りないくらいの距離なんだから、長いに決まっている。
 40km地点の大山岬では、海岸線沿いにぐるっと回り込む国道と分岐して、新たに岬をトンネルで貫いたバイパス道が完成している。コースは旧道のまま、変わらない。かつて無数の自動車が行き交った国道は、今では乳母車を押すおばあさんが道をゆっくり横断しているくらい時が止まっている。道沿いには立派な道の駅があるのだが、やはり立ち寄る人も少ない。この施設は今後どうなってしまうのだろう・・・と地元の雇用を心配する善人ぶった感情を抱きつつ、さらに地域貢献ぶってお金を落とすべく自販機でコーラを購入。ただ飲みたいだけですがね。
 長い長い直線道路を淡々と進む。道中、変化に乏しく、見るべきものもない。頭の中はエイドで休憩することしか考えられなくなっている。
 遠く右前方の丘陵に、土佐ロイヤルホテルの高層棟が見えてくる。次のエイドは、あのホテルの更に向こうにあるはずだが、ホテルの輪郭がなかなか大きくならず、うんざりしてくる。イヤ気満々でダラダラ走っていると、後方からテケテケと軽快な足音が響いてくる。60kmも走ってるのに何と元気な人がいるもんだと振り返ると、徳島から参加の佐幸さんである。あの「トランスジャパンアルプスレース2014」・・・北・中央・南アルプス縦走を含め日本海から太平洋まで8日間制限で踏破する伝説的なレースのたった15名しかいない完走者のお1人である。体重に比して、筋力の強さが生みだす軽い走り。神々しいばかりのランニングフォームだ。「ロードは(足の裏の)同じ場所ばかりで着地するのでつらい~」という感じのことをおっしゃっているが、まったく辛そうには見えない。鈍重で心肺能力の低いぼくの持たざるものすべてを持ったような走りで、あっという間に視界の先で点になっていった。うらやましいなー。
 62kmエイド「ヤ・シィパーク」は16時に到着。ここまで7時間、予定より30分遅い。3時間後の日没までに桂浜に着かないぞ。コーラをがぶ飲みし、冷え冷えみかんを2個ポケットに入れ、休憩もそこそこに21km先の桂浜を目指す。
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 海上50mの高さまで急傾斜のアーチをつくる浦戸大橋にさしかかった頃、太陽は山の端にひっかかっている。薄暮れの下界には、浦戸湾岸の漁港の連なりや、太平洋へと連なる土佐湾が、ノスタルジックな夕景として浮かんでいる。日中は暑かったけど熱中症や脱水にはなっておらず意識は明瞭であり、おかけで例の心霊現象も起こらなかった。
 桂浜には19時すぎに着いた。せっかく坂本龍馬像のたもとに用意してくれた桂浜エイドだが、龍馬殿の勇姿をおがんでやろという余裕や好奇心は既にない。テント脇のブルーシートの上に敷かれたマットに腰を下ろすが、疲労がどっと押し寄せ、仰向けに寝ころぶ。縦横に枝を張り巡らせた松の木を、薄空を背景に呆然と眺める。まったく自分の「80km足」には、毎度うんざりさせられるぜ。100kmレースでも250km徹夜レースでも、いつもぼくの限界は80kmでやってくる。80kmで潰れたあとは、目標タイムとか、絶対完走とか、スタート前に抱いていた志は消失霧散し、「あと170キロも走らないといけないのか」「何か自分に不慮のトラブルが起こり、やむなくレースを中止できないか」という、ダークサイドな精神に犯されていくのである。
 エイドの方が食事のメニュー表をたずさえ「どれでも召し上がってください」と寝転がったぼくに声をかけてくれる。桂浜エイド名物の鰹のタタキを注文したい所だが、顎に力が入らず、噛み下せそうにない。噛まずに飲み込めそうな豚しゃぶサラダとスープをいただく。ほんとどちらのエイドでも、贅沢な接待を受けております。幻覚でないとするなら、美人のお嬢さんぞろいです。見ず知らずの変なおじさんに優しくしてくれてありがとう、と心で唱える。
 20分ほど横になっていたが、このまま伸びていても体調が戻りそうな気配はなく、ヘッドランプを装着して夜道をふらふら歩きだす。
 松林を抜けると、土佐湾岸沿いに真っ直ぐ伸びる黒潮ラインに出る。なるべくなら陽のあるうちに、視界いっぱいに開けた雄大な太平洋の横を走りたかったが、すでに真っ暗でございます。海沿いの直線道に出て、5個目の信号の角に「ピンクの子豚」という男女がうれしいホテルがあり、そこを確実に右折しなくては道に迷ってしまう。この道沿いには男女が楽しいホテルが点在しているから、他店と間違うわけにはいかない。おのずとランナーは「ピンクの子豚、ピンクの子豚」とつぶやき続けることになる。
 前方の暗闇からキャアキャアと叫ぶ声が聞こえてくる。若者の集団がいる。女性の声が目立っているが、声のけたたましさが尋常ではない。レディースの暴走族だろうか。こちらは武器を持たないしがないオヤジであり、うっぷんを溜めた若者たちに、木刀で殴られたり、竹槍で刺されたりはしないだろうか。Uターンして桂浜に帰ろうか、それも面倒くさいな。危機管理能力乏しく、そのまま近づいていくと、ヘッドランプの光の向こうに、赤やピンクの派手なセーラー服やミニスカの衣装をまとった異様な女性の集団が現れた。色彩のない闇夜に舞い降りた天使・・・にしてはヤイヤイとやかましい。耳をすませば、土佐弁全開でものすごく応援してくれているような雰囲気である。「キャバクラの方でしょうか」とか「コスプレイベントやってるんですか」などといろいろ質問させてもらったが、ほぼ話が噛みあうことはない。最後まで何者の集団なのかわからなかったが、みなさん応援ありがとう。(後に彼女たちは高知ではとても有名な地元アイドルグループの方々だと教えてもらった。いい子たちだね)。エネルギーの放熱を受け、走りに少し元気が戻った。
 高知市を抜け土佐市入口に架かる仁淀川大橋でちょうど100km、ここまで13時間30分。ふー、バテバテでほとんど歩いてるわりには、そんなに遅くないねえ。
 土佐市街に入り夜も11時を過ぎると、眠くて眠くてどうしようもなくなってきた。ふだんなら深夜の2時、3時なんて起きてても全然平気なのに、ジャーニーランの最中は耐え難いほどの眠気に襲われるのが常だ。実力のあるランナーは、レースになると徹夜でも眠くなくなるそうなのだが、ぼくは真逆です。
 眠気に耐えられず、仮眠できそうな場所を探したが、1つも見つからない。コイン精米所の床は鉄板だし、墓石屋さんの屋外展示の椅子は石だし、野宿するには冷たすぎるんだよ。深夜1時にも関わらず、私設エイドを開いてくれていた方が、ワゴン車の後部座席で寝てもいいよと親切に勧めてくれたので、倒れ込んでみた。一瞬で眠れるだろうというアテは外れ、温かい空気のなかにいると、身体がジンジンと火照ってきて呻き声をあげるばかり。
 102kmの土佐市街から20km先の須崎市街まで5時間もかかってしまう。須崎を越えて、海岸線のくねくね登り道に差しかかった頃に夜が明ける。1時間に2kmしか進まなくなってきた。朝日を浴びても眠気がぬぐい去れず朦朧としている。開店前のドライブインの玄関マットの上や、廃屋の前のひさしの下で横になってみるが、やっぱし眠りに落ちない。15分でも仮眠できたら調子が戻るとわかっているのに、悲しい。
 大型バイクで応援に来ていた方に、呼び止められる。コンロで火を沸かし、温かいスープを作ってくれる。傍らに座り込んでいるランナーは、前半もの凄いスピードで追い抜いていった広島からいらした山本さんだ。脚をひどく傷めていて、主催者に電話をかけてリタイアの相談をしたが、てんで相手にしてもらえなかった模様だ。互いに戦意喪失といった風情だが、「150kmの大エイドまでいけばシャワー浴びれるし、ゴロ寝もできるので、もうちょっとだけ進みましょうか。この大会リタイアさせてもらえないみたいだし・・・」というしみじみとしたお話をした。寝ぼけていて、会話の内容は定かではないけど。
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 土佐久礼郊外の134km地点で国道56号線を離れ、田舎道に入っていく。三叉路を何度か折れるたびに道は細くなり、山すその遍路道へと導かれていく。
 編み笠を模したような斬新なデザインの東屋があり、木のベンチに毛布が置かれている。もっと早い時間帯に来れていたら、ここで安眠できたのにと残念に思う。東屋の向こうに「へんろ道登り口」の標識があり、急階段が現れる。この道は、添蚯蚓坂・・・「そえみみず坂」という土佐の古道へと続く。高知県西部の遍路道三大難所とされ、ミミズが土の上を這った跡のようにぐねぐね曲がりくねった坂道だから、こんな愛嬌ある名前がついたらしい。
 しかし国道をそのまま進んでも、そこそこキツいこの久礼坂の峠道を、わざわざ山中を遠回りさせて、階段やらトレイルを走らせようとする主催者の、おもしろいイタズラを思いついた子どものような悪だくみ心を想像し、笑いがこみあげてくる。
 長い階段を登ったり下ったりしていたら、遙か上空から名前を呼ぶ声が聞こえる。道中にエイドがあるとは知っていたが、まさかこんな崖にへばりつくような斜面にねえ。階段を登り切ると、東屋の下ではスタッフの皆さんがかいがいしく働いてらっしゃる。隣接する場所に車道などなさそうなのに、クーラーボックスやらコンロやら膨大な物資があるので、どうやって荷物を持ってきたのか尋ねると、「500mくらい下から5往復はした」とのこと。ありがたやー。豚肉でスープをとった「すいとん」を、ドンブリいっぱい振る舞ってくれた。膨大な手間をかけて作ったことでしょう。
 当大会の主催者である田辺さんが、にこにこ笑顔で(いやニヤニヤか)見つめている。ぼくは、「実は足がすごく痛くて、体調もよくないし、1時間に2kmしか進まなくなってるのでゴールは厳しいし、ゴールできても日曜は早めに帰らないと用事があるし・・・」などとリタイアをほのめかせてみたが、まったく相手にしてはくれない。その代わりに、東屋から更に上へと伸びる急階段を指さして、「その階段を登ったら、あとは平坦やけん、頑張って」と優しくアドバイスをくれる。そうか、この山道もそんなに大変じゃないんだなと安心し再出発したが、完全な嘘であった。平坦などころか、ゴツゴツ岩だらけの登山道が延々と登っていた。わはは、本当にゆかいな大会だぞ。
 「そえみみず坂」の終点は国道も通っている標高292mの七子峠頂上であるが、遍路道はいったん標高410mまで登って、292mの七子峠まで下りてくるという、ある意味ムダ骨を折らされる酷道であった。途中で3人のお遍路さんに遭遇し、皆さんに励ましてもらい、お八つをもらったりした。よほどつらそうに見えたに違いない。
 やっとこさ七子峠頂上のアスファルト道に出る。 
 後方からパタパタパタと猛烈な勢いで走ってくるランナーがいる。徳島の椋本さんだ。「今、カフェインとったんです。この日のためにカフェインを2週間抜いてきたんです。カフェインが効いてるうちに走ってしまいます」とテンションが高い。とても追走できないスピードなので「がんばってー」と声をかけると、「今はもう止まれないんです!」と言い残して風のように去っていった。
 水田の中の一本道をとことこ進むと、大会運営車両が停まり水を補給してくれた。大エイドがある「クラインガルテン四万十」まであと少し、エイドで食べさせてもらえる「窪川ポークのしょうが焼きを心の支えにして走っています」とスタッフの方に告げたら、「今年はカツ丼もあるけんね」とお薦めしてくれる。うほっ、カツ丼もいいねえ。カツ丼にすべきか、豚しょうが焼きにすべきか。いっそ2品ともいただこうか。と考えていたら、何やら元気がふつふつと湧いてきて「カツドン!カツドン!カツドン!」と声に出しながら走る。
 すると前方に、さきほど猛然たるスピードで追い越していった椋本さんが、ふらふらになって蛇行している。どうしたんですか?と尋ねると「カフェインが切れたようです」とのこと。カフェイン切れ、はやいなー! 「坂東さんはふだんコーヒーを飲みますか?」と尋ねられたので、飲みますよと答えると、「それは惜しいです。ふだんコーヒーを飲んでなければ、ここぞというときにカフェインが効くんです」とのことである。うーむ、効果の持続性さえ保障されればね。さて、大エイドのシャワーブースが1つしかないことを知っているので、併走するのはやめて、カフェイン切れの椋本さんを置き去りにし、「カツドン!カツドン!カツドン!」と連呼ながら先を急ぐ。
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 四万十町の滞在型農園施設「クラインガルテン」に12時30分頃到着。先着したランナーが気をつかってシャワーを3分ですませてくれる。ぼくもシャワーコックをフル出力にして5分で終了。シャワー室を出ると、入浴前にお願いしていたカツ丼と豚しょうが焼定食を即座にテーブルに並べてくれる。ああ、何て美味なんでしょう。胃がぱんぱんに膨れあがるほどいただく。
 奥の仮眠所に入ると、毛布ひっかぶってブーブーいびきかいてる方々がいる。この爆睡メンバーに加われるという幸せに目まいがする。床に敷いたウレタンマットに横になると、得も言われぬ多幸感に包まれる。ああ、やっと眠れる。今から1時間くらいは走るのをサボッていいんだ。あぁこの世の極楽ここにあり・・・と噛みしめていると30秒ほどで気を失う。
 きっかり1時間で目が覚めると、心はやる気に満ちており、「さあ走るか!」とポジティブエンジン全開状態である。つい数時間前まで、わざと側溝に足を踏み外して怪我をしてリタイアする計画を企てていた自分なんて、もはやどこにも存在しない。「やる気!元気!井脇!」と叫んで大エイドを後にする。なんだキロ6分で走れるではないか。人間の限界なんて、99%心理的なものなんだよね。標高240mの片坂の登りを走りきり、「足の痛みなんて踏んで固めてやる」と下りもダッシュする。そのかわり「やる気!元気!井脇!」を復唱しすぎて井脇ノブ子の顔が頭から離れなくなり苦悶する。
 20kmばかり進み、夕方になると冷たい雨が降ってくる。カッパ代わりのエマージェンシーシートが気休めの雨よけになったが、しばらく走れば全身びしょ濡れになった。180kmの土佐佐賀あたりで2度目の夜に突入する。100kmぶりの太平洋とのご対面だが、漆黒の夜にザッパーザッパーと打ちつける波音を聴くだけである。雨の海岸ロードはさみしさに満ちていて、濡れた衣類やシューズが皮膚を冷たくし、バス停の小屋を見つけるたびにもぐり込んでは暖を取る。深夜1時もすぎて土佐入野の商店街に入ると、狭い路側帯の白線を越えずには走れないほど蛇行しているのが自分でもわかった。
 四万十市街に入る手前で、両方の手に木の枝を持って痛々しく前進している山本さんに再会する。70km手前で会ったときはお互い真剣にリタイアする相談をしてたのに、「2人ともやめてないですねぇ、すごいすごい」と喜ぶ。
 午前3時。最終チェックポイント、四万十大橋のたもとへ。エイドにはなぜか漬け物がずらりと並べられていて、青菜や野沢菜や梅干しやらをバリバリとむさぼり食う。コース図によるとここは206km地点で、全行程242kmってことは、引き算すると残り36kmという計算が成り立つのだが、エイドにいらした主催者・田辺さんいわく「少なくともあと40kmはありますね」。なるほど、地図に書いてある数字なんてただの記号に過ぎないのである。われわれはリアルを生きているのだ。目の前には真っすぐな道がゴールへと続いている。血の通った生身の足がストライド50cmずつ前に身体を運んでいくんだ。ジャーニーランとはそういうものだ!うおーっ! 徹夜二晩目には、自分の感情も論理もコントロールできはしないのだ。
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 朝日が空を白くしはじめた頃、「四万十川野鳥自然公園」に東屋を見つけ、ベンチで20分ほど眠る。目が覚めて立ち上がると、肛門周辺に、焼けた釘を何本も打ち込まれたような痛みあり。スボンに手をつっこんで恐る恐る撫でてみると、尻の穴の周りが激しくミミズ腫れし、ぼっこりとドーナツ状に隆起している。触った指には血がべっとりついている。これじゃとても走れないと、指先でワセリンを塗りつけると、剥けた表皮が激痛を誘い、悲鳴をあげる。
 右のお尻と左のお尻がこすれ合わないように、股を左右に開いた奇妙な格好で走っていると、昨日大エイドで一瞬遭遇したランナー・中島さんが追いついてこられた。
 中島さんは、川の道フットレース520kmを毎年のように完走している凄い人。ぼくとはレベルが違うために、こちらも4回出ているにも関わらず川の道では顔を合わせる機会はなかった(ぼくは常にビリのあたりを走っております)。しかし競技人口が少なすぎる250km超級の世界だけあって、共通の知人が山のようにいることがわかり、その人物たちのエピソード・・・あの人は少しおかしい、あの人はイカれている、あの人はド変態・・・と愛するランナーたちの逸話を披露しあっているうちにに、肛門の痛みが緩和された。
 一方、足裏の打撲的症状は耐えうる限界をやや超していて、数キロおきに道ばたに座りこんでは、自販機のジュースやコンビニで買ったアイスクリームを、ソックス脱いだ足に押し当てながら、痛点を麻痺させようと試みる。
 そんなノロノロペースにつきあってくれる中島さんは、タバコ休憩という名目のもと、ぼくが立ち上がるのを待っている。うまそうに紫煙をくゆらせる中島さんがかもし出す雰囲気は、地球の滅亡を救っておきながら「やれやれ、ひと仕事おわったな」とタバコ1本分の褒美を自分にあげるヒーローのようである。このような人格の余力分をちらつかせながらジャニーランのいちばん厳しい場面すら遊びなのであるという、達観した人間性をぼくもいつかは放ってみたいものである。
 そんな理想と現実はほど遠く、ラスト5kmには着地するのも困難となる。道ばたの幅の狭い用水路に、山側から流れ出した水がゴーゴーと溢れている。裸足になって両足をひたすと、ドライアイスの塊に足を突っ込んだみたい。頭のてっぺんまで痺れる。いったん真っ赤に変色し、やがて白くなっていく足は蝋人形。もう痛みは感じなくていいのだ。
 後方からどんどんランナーが追いついてきて集団が5人になる。ゴールを目前にし、なにやら皆さん楽しそうである。カフェイン切れから復活を遂げた椋本さんは、「あえて遠回りな遍路道に登って、意外な場所からゴール会場に現れてウケようとしたけど、途中にあったお寺の人に追い返された」という読解不可能なエピソードを話してくれる。
 ゴールまで500mという所で、キャーキャーとやかましい女性たちが前方から駆けてくる。何かよくわからないが、熱心に応援してくれているらしい。ランナー集団を取り囲み、ウイニングランにつき合ってみたい感が溢れている。さて、この黄色い声援はどこかで聞いたぞな。そうだ、2日前の夜、桂浜の海岸線でレディース暴走族と間違えた高知のローカルアイドルさんだ。相変わらず土佐弁全開で、鼓膜を突き破るくらい声がデカい。調子はどうかと尋ねられたので、「肛門が痛い。肛門の周りがドーナツみたいに腫れあがってる」と説明すると、「肛門ドーナツ!きゃははは!かんばれコーモン!コーモン!」とコールをはじめた。「ほくは肛門ではない。ぼくはランナーだ」と説明するが聞く耳を持たず、「肛門さんファイト!オーッ!」と盛り上がっている。
 54時間にわたる苦闘のフィナーレは、派手な肛門コールに包まれ、幕が下りようとしている。ひと足先にゴールテープを切った中島さんが、煙草の吸える場所を探して消えていく。お祭りの時間は、楽しければ楽しいほど、終わりは寂しく感じるものなんだな。