バカロードその92 坂道つづくよどこまでも

公開日 2016年03月01日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
 
 今年の春に参加し173kmをやっとこさ完走した長崎県の「橘湾岸スーパーマラニック」は、1年に2度、春と秋に開催されている。
 春と秋ではコースが異なっている。春は長崎市街からスタートし、標高100~300m程度の山を15個ほど上り下りして小浜温泉にゴールする173km、秋は小浜温泉を起点に、島原半島の海岸線を半周し、雲仙の山岳地帯を大縦断して温泉に帰ってくる103kmの設定だ。秋のコースは距離は短いものの、真夜中の12時にスタートし、標高480mと750mの山越えがある。100kmロードの自己記録にプラス3~4時間はかかってしまうとのこと。
 さらに当大会では、2年に1度「W部門」というものが開催される。通常の春と秋のコースをいっぺんに全部走りきってしまう276kmの超ロングレースだ。
 この276km部門に参加するには資格が必要である。資格のタイプは「第1優先」から「第6優先」まで分類され、より上位の優先者から参加が認められていく。
 橘湾岸マラニック独得のユニークさはこの優先順位に表れていて、もっとも優遇されるのは過去にこの「W部門」に挑戦して完走できなかった人なのである。当大会では完走した人よりリタイアした人を大事にしているのだ。ランナーを走らせるために大会が存在し(つまり経済効果とか地域おこしなど大人の事情が入らない)、ランナー目線が徹底されたこの大会ならではのルールといえる。
 
■昼から夜へ(スタート~45km)
 前夜に宿泊した長崎市街のホテル真正面に、有名なカステラの老舗「文明堂」の本店があった。お土産用にと買い求めたカステラ一本を我慢できず封を開けてしまえば、地に敷きつめられたザラメ糖がたまらなく旨い。一口つまみ、また一口いやしをしてるうちに一本全部食べ切ってしまう。欲望に抗すことのできないダメ人間だと落ち込む。おかげで朝から腹がでっぷり丸い。
 僕のスタート時刻は昼1時である。「僕の」というのは、ランナーによってスタート時刻がバラバラなためである。276km部門のスタート時刻は、10時、13時、16時、18時、20時、22時と6段階に分けられていて、都合12時間もの時差スタートとなっている。
 僕の属する13時スタートは「一般ランナー部門」であると思う。16時なら相当な実力者、20時は少数のエリートランナー、22時は100kmなら7時間台で走るアスリートさんである。このスタート時刻の割り振りは、怪我などの事情がない限り、基本的には主催者が決定する。該当ランナーの同大会における過去の成績や、ネット上で検索できる他大会のタイムで総合判断されている。
 スタート時刻は異なれど、276km先のゴール制限時間は決まっている。2日後の夕方5時だ。したがって10時スタートの人は55時間、22時スタートなら43時間と、スピードのある選手ほど制限時間が厳しくなる仕組みだ。
 今回の総参加者約100人のうち、13時スタートは28人である。
 まず主催者からお話があった。「わけあって次回からはコースを変更するかもしれない。最後となる(かもしれない)コースを完走したと後のち自慢できるよう、たっぷりとこの道を味わってください」。そして「途中で近道を知っていたら、近道を行ってもらってもいいですよ」という凄いローカルルールを述べられた。「ただし、近道はだいたいすごい坂道ですけどね」とのことである。ま、そりゃそうだ。この大会は、コースの大半が曲がりくねった登り坂か下り坂。ヘアピンカーブの車道をショートカットしようと試みれば、そこは荒れ果てた山肌の直登ルートか、急傾斜の階段が待ちかまえているだろう。
 スタート直後から、標高330mの稲佐山の頂上を目指す。10回以上参加のベテランが引っ張る集団にいたので、正規コースを外れガンガン裏道に入っていく。「やったー近道だぁ」と喜んでいたら、延々とつづく階段や、アキレス腱が伸びきってしまいそうな急坂が現れ、ドウドウと汗を流して登るハメに。そして近道の出口には、平坦な正規コースを元気に走ってくるランナーたちと再遭遇。さっきまで同じ位置にいた人たちである。近道、ぜんぜん速くないなー、おまけに階段登らされて脚にダメージ深し。
 稲佐山に登頂したらいったん市街地まで降り、ふたたび標高270mの「あぐりの丘」へ登り、式見漁港という漁村へ下る。
 海岸線の道は平坦ではなく、岬をぐるっと越えるたびに幾つものコブをエッホエッホと登っては下る。そのうちに日は暮れ、長崎湾口にかかる女神大橋にさしかかる頃には、100万ドルの夜景と称される長崎市街の美しい光の連なりを遠望する。スタートから45km、走り旅ははじまったばかり。この先、もっと厳しい山越えが続くことがわかっているので、できるだけ脚の筋力を使わないように、スリスリとももを上げずに走る。
 
■夜から朝へ(45km~115km)
 夜6時。長崎市から南の天草灘方面へと25kmほど、海を切り裂くように三角錐を突き出す野母崎半島への旅がはじまる。
 半島といっても過疎地ではなく、郊外のショッピングエリア風情の賑やかな市街地が続く。道路は、長崎市からの帰宅ラッシュの車で大渋滞している。
 凸凹のある歩道をダラダラと登る坂が何キロも続き、たいして走ってないわりに疲労感が増してくる。愛媛から参加された古賀さんという実力のあるランナーの方と30kmほど併走しているが、どうみても僕の方が走力が劣るために、のろのろスピードにつきあってもらっていて申し訳ないなーと身が縮む。
 70km地点の「権現山山頂エイド」は標高200m、岬の突端にある。70kmに9時間かかっている。ゆったりペースで地足が残っていればいいのだが、反対にすごくヘバッている。エイド脇で5分ほど横にならせてもらう。仰向けになったまま、エイドでもらった甘いミカンを6個、口に放り込みつづける。ここら辺りまで来れば繁華街の灯りが届かないため、天球いっぱいに広がるチカチカと瞬く星屑が、手が届くほどに近い。
 次の目標地点は10km先、80km地点の「樺島灯台公園」だ。灯台たもとの樺島漁港に用意されたエイドでは、大会名物の牛スジカレーライスを出してくれるから、多くのランナーがこのカレーを目当てに元気をふりしぼって夜道を駆ける区間だ。
 ところが、この間に僕の体調はいちじるしく悪化し、吐き気がひどく、エイドに着いても何も喉を通らない。魚の集荷場のコンクリートの床に横たわり、鉄骨組みとスレートの屋根裏をぼんやり見つめては、この先つづく真夜中の峠道から目を背けようとする。
 深夜12時。吐き気止めの薬を大量投与し、オエオエえずきながら標高250mの峠越えに向かう。民家も街灯もとぼしい夜道。歩いているのか走っているのかわからないペースでは距離が稼げず、眠さも相まってうんざりしてくる。峠の登りの真ん中あたりで、自動車のハッチを開けて個人エイドをしてくれている方がいた。地獄に仏、いや闇夜に人の優しさが胸にしみる。いったんここらで限界値に到達と、車の脇のアスファルト上に膝から落ちる。すると、打ち上がったフナのようにグロッキーになったランナーが4名、路上に転がっている。いやはや、みなさんお疲れなのですね。ヘトヘトなのは僕だけじゃないのですねと安堵する。
 100km付近にあるエイド「川原老人の家」に着いたのは深夜3時。少し吐き気が治まっており、温かい水ギョウザや漬け物をいただく。奥の広間で横になれるよ、とスタッフの方が案内してくれたので、畳敷きの大広間で横になる。しかし100km程度でこんな疲れてていいのかね。タフさのかけらもないんだよね。
 比較したら不謹慎だけど、アフガニスタンやスーダンの難民の方々は、着の身着のままで、食べ物も乏しいまま、1万kmもの距離を歩いたり走ったりしてドイツやイギリスを目指してるんだよな。アフガンの10歳足らずの少年が、たった1人で野宿をしながらフランスまで歩き、ドーバー海峡トンネルを越えようとしてるドキュメンタリー番組を見たんだ。
 一方、こちら満ち足りた平和なお国で、エイドで美味しい食べ物いただきながら100km、200km走るのにヘバりまくっている・・・情けないねえ。戦火に追われ、破れたズック靴で砂漠を歩き続ける少年を想像しながら、「老人の家」の畳部屋でごろごろする中年男子です。
 当エイド以降は、時速2kmというだらしないペースに終始し、ほとんどの後続ランナーに抜かれ、すっかり朝日が昇りきった後に115km地点の茂木漁港にある仮眠所に着いた。民宿「ナガサキハウスぶらぶら」は、大会が用意してくれた前半戦唯一の仮眠所だ。かつて料理料亭であった立派な日本家屋を部分改装し、若者向けのゲストハウスとして再オープンさせた施設らしい。1階の車庫スペースがランナー用の食事エイドで、あずけてあった荷物の受け渡しを行う。2階のお風呂場でシャワーを使わせてもらい、3階の暖房の効いた大広間で休憩をとる。大広間には座布団や掛毛布があり、15分ほど眠ろうと努力してみたが、朝日のシャワーで睡眠欲は消し飛ばされている。
 「仮眠所」ながら、ここで休憩しているランナーはほとんどいなかった。大半の選手は、軽食をとってそのまま走っていったみたい。みなさん、強いですね。そして僕は弱いです。
 
■2日目の朝から2晩目の夜へ(115km~173km)
 2日目になると、自分が今どこにいるとか、何キロ地点を何時間で越えた、なんてのはどうでもよくなってくる。ペースが遅すぎて(今はキロ11分30秒か・・・)なんて管理するのもちょっと馬鹿馬鹿しいし、こんなんじゃダメだと反省してもスピードを上げる脚はない。残りの距離を暗算すれば(あと150kmでゴールか・・・)では展望が開けず、努力して手前に手繰り寄せる気が起きない。時間にも距離にもあらがえないんだから、ストップウォッチもGPSも邪魔なだけだ。ビートルズのレット・イット・ビーを「なすがままに」と翻訳した人、天才だね。状況を変えることはできない、ただなすがままに、ただ目の前に開ける景色を、少しずつスローモーションで後ろに送っていくだけ。
 海辺の堤防道路を離れ、住宅の裏から頼りなく伸びるつづら折れの道をゆく。138km地点にある標高150mの「飯盛峠」のてっぺんエイドに着くと、手づくり感たっぷりの粒あんおはぎが振る舞われる。
 いったん船津漁港まで下り(この「漁港まで下り」というフレーズがほんとに多いです)、トラクターが行き交う農道を140mほど登り、広大なじゃがいも畑を突っ切る。そしたらまたまた下りに下って、のっぺりした内海のようなたたずまいの橘湾岸の道路に出る。
 波のない穏やかな海の対岸には、当大会で「中継地点」と呼ばれている小浜温泉街の高層ビル群(旅館ですね)が霞む。右手には海原深く、なだらかな傾斜を描いて海面まで落ちていく島原半島の緑。いかにも火山の溶岩流や噴出物が積み重なってできた大地だと感じさせる。
 そして、温泉街の背後には急峻な山岳地帯が鋭利な山容を見せつけている。かすみ雲の向こうに身を潜めているのが標高1480mの雲仙岳の三峰五岳だろう。今から、この筋力のカケラもない足で、視界にすら捉えられない島原半島の果てまでぐるっと回り込み、怖っそろしい高さの雲仙岳の横断道路を登って、戻ってくるのかなー?
 いかんいかん、先のことを考えるのはやめとこ。気が遠くなる。
 160kmあたりで日没となり、2度目のヘッドランプを装着。旧国鉄の廃線跡に敷かれた狭い車道や、切り出した石と煉瓦積みのトンネルを抜ける。温泉の繁華街に入ると、中継地点の「小浜温泉エイド」まで残り3kmとなる。側溝の穴や、配水管の出口から、白い湯煙が数十と立ち昇る。道ゆく自動車の中から、あるいは歩道を歩いている人たちから次々と「頑張れ」「ナイスラン」と声をかけられ、ちょっとしたスター気分を満喫する。
 到着予定時刻から遅れに遅れて夜7時、173kmの「小浜温泉エイド」にかりそめのゴール。スタートから30時間たっている。
 
■中継地点であたふた
 中継地点「小浜温泉エイド」では、いくつかの決まり事がある。
 ①夜8時までに到着した選手は、再スタートを切ってはならない。
 ②夜8時から12時まで1時間おきに「リスタート」を行う。出発時刻はランナーが自ら決める。
 ③夜12時までに「リスタート」できない選手は失格となる。
 つまり、どんなに早くここに着いても、少なくとも夜8時までは先に進めないってことだ。
 多くのランナーがもくろむのは、お昼から夕方の時間帯でなるべく早めに「小浜温泉エイド」に着き、仮眠時間をたっぷり確保する。よく眠って鋭気を養ったのち、フレッシュな気持ちと再充電された体力で後半戦に臨む・・・という青写真である。
 しかし今はすでに夜7時。再スタートの第一弾が行われる夜8時まで、1時間しか余裕がないのである。
 「夜12時にリスタートできなければ失格」というルールだから、最大5時間の休憩をとっても良さそうなもんだが、現時点で生き残っているランナーの大半が夜8時に再出発するようだ。残り103kmに対し21時間。出だしから徹夜走がつづき、夜明けの後には大きな山越え2カ所が控える。参加経験のあるランナーは口を揃えて、「残り103kmに対し21時間でも余裕はない。キツい」「夜8時リスタートでギリギリ間に合うかどうか」と言う。
 ならば選択肢は夜8時リスタートしかない。
 あと1時間。再出発まで分刻みで用事を済ませなくてはならない。まったくもって、休憩場所のくせに走っている以上に大忙しである。
 まずは、あずけていた荷物を公民館の広間から探し出し、30時間着つづけて汚なくなったウエアをきれいなのに着替える。
 次に、徒歩3分の所にある民宿「小浜荘」に向かい、お風呂で汗を流す。天然温泉湧き出すせっかくの良湯なのに、湯舟につかるのは約2分。洗い場で全身をシャンプーと石鹸まみれにし、後半戦で体臭を放たないよう涙ぐましい努力。
 手ぬぐいで股間をパンパンッとぬぐい、髪の毛を乾かす間もなく公民館に引き返し、走りだす寸前までの装備を整える。ヘッドランプをスペアに交換し、ワセリンを股間に塗りたくり、痛むヒザに湿布を貼り、乳首テープをおニューにし・・・などなど。
 食堂に移動し、ボランティアの方が用意してくれた豚汁におむすびを浸し、流動食的にして喉に流し込む。汁3杯とおむすび3個を胃につめこんで、炭水化物と塩分チャージを速攻完了。
 ここまでで30分。
 「よし、リスタートまで30分眠れるぞ!」と、ガーガーとイビキをかいて眠るランナーたちでぎっしり埋めつくされた薄暗い広間を、かきわけかきわけ横になれるスペースを確保!・・・した瞬間に天井の蛍光灯が点いた。ま、まぶしいよう。ほとんどのランナーがむくむくと起きだし、「さあいよいよ出発だな!」と気合いを入れはじめる。荷物準備のビニル袋のガシャガシャこすれる音がやかましく、寝ぼけた人に足を蹴飛ばされたりして、もはや睡眠どころではない。ということで一睡もできないまま2晩目の徹夜走のスタートラインに向かわざるを得ないのであった。
                                                   (つづく)