バカロードその104 スパルタスロンその3 輝ける峰へよろよろと 

公開日 2017年04月03日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)
(前号まで=2500年前のペルシア戦争時、ギリシャ・アテナイ国兵士が援軍を求めてスパルタ国まで駆けたという逸話を元に、247kmを36時間以内に走るレース・スパルタスロン。6度続けてリタイア中のぼくは、7度目の挑戦真っただなか。日中に先を急ぎすぎたためか、110kmを過ぎて夜行軍がはじまると、完全に潰れてしまう。山の村にある小さなレストランで「5分だけ・・・」と床に横にならせてもらうが、フカフカの枕を出されて心は休眠モードに)

 レストランの床で10分寝そべったのちに、魅惑の枕からむりやり頭を引きはがして、夜道に復帰する。幾分か体力が戻ったのか、再びキロ6分台で走れるようになってる。登り坂で先行するランナーをじゃかじゃか追い越す。ところが3kmほどでまたローソクの火が消えるようにエネルギーがぷっつり切れ、生きる屍のようにふらふらと蛇行。
 追いついてきた顔見知りの方々が、ゾンビ状態の僕を見かねて声をかけてくれるのだが、アドバイス通りに身体が動かせないのがもどかしい。
 「どんなに遅くても、脚を動かしてる限りキロ8分でいけます。ゴールまでの距離は縮まっていきます。とにかく脚を動かし続けることが大事です!」
 と励まされたものの、次のエイドでたっぷり休憩してしまう。
 「つらいときは歩数を100まで数え続けてみてください。数字に集中したら、つらさを忘れられますよ」
 やってみたけど頭がモウロウとして数が順番に出てこない。
 「片目をつぶって走ってみたら? 片目にすると脳みそが半分が眠るから、楽に感じるかも」
 試したみたけど、もともと夜目のきかない鳥目体質なので遠近感がつかめなくなって膝ガクガク。
 「ここからはガマン!ガマンをしきった人だけが完走できます」
 忍耐力・・・それは僕に最も欠けているものであります。

□120kmを通過、14時間34分46秒(この10kmを1時間38分11秒)。
  今いる場所は山の中なのか平原なのか。光源のない真っ暗な空間で、手足をバタつかせてもがく。追い越していくランナーの足元に映るヘッドランプの輪を追いかけてみるが、僕のノロマなペースでは、すがりつける人はいない。
 われながら情けないのは、この不調がどうひいき目に見積もっても、大したことないレベルとしか思えない点である。身体のどこかに耐え難いほどの激痛があるわけでなく、意識を失うくらいの消化器の異変や脱水症を発症しているわけでもない。ただ身体がぐっしょり重い濡れ雑巾のように動かないという、もしかしたら精神力で乗り越えられそうな域の、一般的にはどうってことのない理由で、ずるずると後退しているのである。情けない三唱でも唱えてみますか。
 あー情けない。
 あー情けない。
 あー情けない。
 諦めてるわけじゃないんだよ。序盤ハイペースで入ったおかげで、関門アウトまで50分くらいの貯金がある。この先123kmにある大エイド「ネメア」に着いたら、奇跡的回復が起こるのを信じて30分間眠ってみよう。ずるずるとダメになっていくよりは、肉体を一回リセットする賭けに出てみよう。「さっきまでの絶不調は何だったんだ?」と何ごともなかったように走りだせる可能性だってゼロではない。徹夜走では、好不調のうねりが何度も寄せては返されるのだ
 足元もおぼつかない暗い道の行く手に、小さな光が点となって現れ、白熱灯の光らしく煌々と輝きはじめる。ネメアだ。ついにぼくは自分の足でやってきたのだ。
 この街には過去6年間のうち5度、収容車に乗せられてやってきた。関門が閉じられる深夜11時まで、当地でリタイアしレースを終えるランナーたちを待ち続けたものだ。一方で、ゴールまでの247kmのちょうど中間点となるネメアを、必死の形相で再出発していく生き残りランナーたちは、神々しく見えた。灼熱の道を123km走ってきて、まったく戦意の衰えない選手たち。こちらは戦いの舞台を降りた傍観者。彼らと自分との間に横たわる深くて広い谷間を感じた。
 その場所に、僕はやっと戦いの当事者としてやってこれたのだ。

□【第二関門ネメア】123kmに到達。15時間10分。
 教会のたもとの広場には、いくつもの投光器がたかれ、闇夜の底を真っ白に浮かび上がらせている。光の向こうにたくさんの人がいる。ランナーの姿よりも、応援の人や大会スタッフの方が多く見える。
 小さな広場の中央へとランナーを導くようにカーペットが敷かれている。ここまでたどり着いたことを称えてくれているかのようだ。カーペット奥には通過タイムの計測器がある。
 夜10時10分着。11時ちょうどの関門閉鎖まで50分の貯金を残している。
 この大エイドのテーブル上にはピラフやパスタなど食料が用意されているが、固形物が喉を通る気がせずパス。
あずけてあった荷物を受け取る。この街を出ると摂氏5度以下になる標高1200mの峠に向かうため、防寒用具を揃えてある。
休憩用にパイプ椅子がたくさん並べられているが、椅子だと着替えに手間取るので、どこか地べたに座れる場所を探す。教会の脇に空きスペースを見つけて座り込む。
 荷物袋をひっくり返して、目についた物から順に装着していく。
 新しい電池の入ったヘッドランプに交換。薄いナイロンパーカーを重ね着する。汗で濡れたソックスを新しいのに履きかえる。股間にワセリンを塗りたくる。痛み止めの薬を飲む。迷ったがシューズも代える。雨天になったときの予備なのだが、ここまで履いてきたシューズの底がへたって地面からの突き上げがひどい。同じターサーなんだけど、新品の方が少しはマシだろう。
 シューズの紐をほどいて、タイム計測用のチップを外そうとするが、指先が正確に動かせない。指が震えているわけでもないのに、思ったとおりに動かないのだ。ぼくの行動を周りで見つめていた街の人が近づいてきて、「やってやろうか」と紐をほどくのを手伝ってくれる。さっきまで「たいしてダメージないのになぜ走れないんだよ」と自分を責めていたが、指を動かせないほど消耗がひどいことに気づく。
 真夜中の峠道に挑むフル装備を身につけるまで5分。完了したら、そのまま地べたに仰向けになる。今から最大25分、生体エネルギーをオフにするのだ。寝ころんで1分もしないうちに、靴ひもをほどいてくれた人とは別のおじさんが「大丈夫か?何かしてほしいことはないか?」と尋ねてくれる。「大丈夫です。少し寝たら元気になると思います」と答える。おじさんは床に散乱した僕の荷物を、丁寧に袋に詰め直してくれる。
足が鬱血しないようにと、パイプ椅子の座面に足を乗っけているのだが、ふいに誰かがふくらはぎを触りだす。ぎょっとして目を開けると、またまた別のおじさんがぼくの脚を撫でている。
 ホ、ホモなのかな。
 と思うが、抵抗する気力も体力もない。
 おじさんは「そのまま寝ていなさい」と言って、ふくらはぎからスネ、ヒザ、土踏まず、そして足の指先を1本ずつ揉みしだいてくれる。マッサージをしてくれているのだ。筋肉が固まってる部分に、おじさんの指が的確にめり込む。おじさん・・・快感です。
それから20分近く、ぼくの砂埃と汗にまみれた汚い足を、おじさんは優しくもみつづけてくれた。
 弱々しいランナーを再び走らせるために、街じゅうのおじさんたちが何かをやってやろう、助けてやろうと思ってくれているのだ。
 夜10時35分。関門閉鎖まで25分の貯金をもってネメアを出発する。この街にたどり着いたのも初めてなら、次の街へと出発するのも初めてである。今まで見てきたランナーたちのように、たった一人で暗闇の奥にそびえる伝説的な山へと挑むべく、街の灯りを背にして駆けだしていく・・・それは長い間、夢見てきた光景であり、自分にとって輝ける場面であるはずだ。しかし休憩あけの僕といえば、全身から力が失せ、10歩走っては力尽き、民家の前の花壇のヘリでうずくまるばかり。
 続々と日本人ランナーが追いついてくる。よっぽどの事故がないかぎり毎回高い確率で完走しているベテランランナーの方々だ。
 「いっかい潰れてしもうても、時間まだあるから、我慢してるうちに復活するよ」と笑っている人。
 「この辺にいるのはみんな完走する人たちだから、ついてこなあかんよ」と肩を叩いてくれる人。
 ついていきたい。だけどついていけない。どうしようもなく足が動かない。ときどき立ち止まって嘔吐するが、もう吐き出せる物は胃の中に残っていない。
 大股で歩くヨーロッパ人ランナーたちが追い抜いていく。2人1組で大声で話をしながら進んでいる人たちが多い。眠くならないための作戦なのかな。
 道路の端の排水溝のうえに倒れる。道ばたにいたおじさんが、自動車の荷台から毛布を取り出し、かけてくれる。5分ほど寝て、また走りだす。
そのうち、誰にも遭遇しなくなる。いよいよビリにまで転落してしまったようだ。
 長い下り坂の終点にあるエイドからは舗装された道を離れ、ゴツゴツした石ころだらけの砂利道に入る。極度の疲労は眠気に直結する。猛烈な睡魔がやってきては、一瞬で眠りの世界に落としいれられる。

 □130kmを通過、16時間54分11秒(この10kmを2時間19分25秒)。
 熟睡したまま歩く。当然、前は見えていない。とつぜん顔や腕に鋭い痛みを感じて目が覚める。樹木の中に突っ込んだのだ。木の枝は悪魔のツノのような堅くて鋭いトゲをまとっている。肌が露出してる部分に裂傷を負ったみたいだけど、血が出ているかどうかは真っ暗でわからない。
 トゲトゲの木を迂回すると、幹の向こうに深い谷が切れ落ちていた。悪魔の木は、僕が崖から落ちるのを防いでくれたのだ。
 道ばたの空き地に倒れ込む。見上げれば、天球全体に清んだ星空が広がっている。山の冷たい空気が星がまたたかせる。
 遠くの方からヘッドランプの光が1個近づいてきては、ザグサクと地面を踏みしめる音とともに通り過ぎていく。自分がビリだと思っていたが、後ろにまだ1人いたのか。表情も姿も見えないけど、その人が諦めていないことは伝わってくる。
 戦っている人を傍観者として眺めている自分。もはや自分のなかに戦意がカケラほども残ってないことを自覚する。
 どこかにたどり着かないと凍え死んでしまいそうなので、目標を失ってしまったけど歩く。
 132kmのエイドは、山の中の何にもない場所にあった。このエイドの閉鎖時間に5分オーバーし、到着した。ドリンク類や軽食は撤収されていて、スタッフの村人たちは机やイスを車に積み込む作業の最中だった。遅れてやってきたランナーを気の毒に思ったのか、荷台にしまった荷物の中から1リッター入りの果汁ジュースを取りだし、手渡してくれた。
 スタートから132km、ゴールまで残り115km。ぼくは7度目のリタイアをした。

 いまや、このスパルタスロンの参加者で、7連敗を喫するような弱者は皆無となっている。
 ひと昔前なら、10連敗、12連敗を喰らってる人はゴロゴロいたが、どこにも見あたらない。
 5年ほど前までは選手を募集してもなかなか定員(400人程度)まで集まらなかったので、資格がゆるかったのだ。当時は「200km以上のレースを完走」で良かった。だから、60代、70代で長い距離をトコトコ走るのが好きな方々も多く出場していた。
 募集開始から一瞬で埋まるようになってからは、資格レベルが毎年のように引き上げられ、200kmならば男性29時間以内、女性30時間以内という高水準のタイムを過去2年間のうちに出してないとエントリーできなくなった。
 つまり連敗してしまうような走力の人は出られなくなってしまったのだ。
 最近は20代、30代のスピードのある若手ランナーが出場し、1発で完走を決め、それで卒業・・・というパターンが増えてきた。
 ぼくは100kmサブテンの参加資格をギリギリでクリアしているために、しつこく出場し続けられている。そして「サブテンなのに完走できない」希少種として、華やかな完走パーティの末席で居心地わるく小さくなっている。
 ここいらで打ち止めにしたらよいのかも、とよく思う。
 だけど、毎年少しずつゴールに近づいているという事実が、かすかな希望を抱かせてしまう。今年だって、去年よりは50kmも先に進んだし、過去ベスト記録の113kmよりも5エイド分、前に進んでいるのだ。
 この調子で、1年ごとに前進していけば、あと5年くらいでゴールまで到達するという机上の空論が成り立つ。
 五十路を前にして、去年は5000m、10km、ハーフ、フル、100km、200kmと自己ベストを更新した。つまり自分はまだランナーとしての成長過程にあるような気もする。ここで諦めてしまうのはどうなのかとも思う。
 さすがに7年も出続けていると、この行為はチャレンジなのか惰性なのかが曖昧になってくる。このレースを中心に1年を廻しているので、出なくなった時の喪失感を考えると怖い。走るのをやめてしまって肥満体に戻るのは二度とごめんだし、コーラを痺れるほど美味しく感じなくなるのは寂しい。
 それとは逆に、もしスパルタスロンを完走してしまったら、生き甲斐としてのポジションを維持できるのかどうかも心配である。美しく高い峰も、一度よじ登ってしまえば、色あせて見えることはないのだろうか。
 「完走できないくせに、参加資格は持ちつづけている」という、つかず離れずな状態を維持したいのかもしれない。
 結婚する気配がないのに同棲をだらだら続けている男女みたいなものだろうか。今さら別れて新しい恋をスタートさせるエネルギーはなく、だからといって夫婦になると恋愛感情を失いそうで怖い。惚れた腫れたの微妙な恋人関係がベストだね、みたいな感じ。
こんなだらけたこと考えてるから完走できないんだろうか。だろうねえフーッ。