バカロードその107 瀬戸内行脚後編~日本でいちばん制限時間の短い100kmレース・前編

公開日 2017年05月29日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)   

(前号まで=愛媛県のしまなみ海道を舞台に222kmを駆ける瀬戸内行脚。松山市の道後温泉前を出発し、瀬戸内海の3島を徹夜でひとめぐり。再び四国本土に戻った165km地点で爆睡してしまう) 

【今治市~伊予灘街道~松山市大街道 165km~222km】
 地図に描かれた波方半島は、タージマハルのたまねぎ屋根みたいなトンガリを、瀬戸内海にブスッと突き出している。この半島を外縁に添って北上したのち、伊予灘に面した漁港に突き当たったら海岸通りを南下する。海が見渡せるのは所々で、農耕期を終えた田畑の景観がつづく。
 道ばたに現れた広いため池の水面に、ポッチャンポッチャンと輪っかの波紋が広がっている。鯉がエサに食いついているのかと凝視すれば、後方からゴルフボールが滑空し、ため池に落下している。ゴルフの打ちっ放し場なんだな。水面にプカプカ浮いているボールはどうするんだろ?  おう、回収用のボートも係留されてんなあ。コレって自分の土地をほとんど持たずにゴルフ練習場の商売ができますな、ぬふふ。うまいこと考える人もいるもんだな。
 それにしても眠い・・・。明け方に30分ほど仮眠をとったのが裏目に出ている。走ったままうつらうつらと居眠り。まぶたは重力に抗しきれず落下していくが懸命にこらえる。が、ふと気づけば目をつぶったまま数十、数百メートル進んでいる。異常な危機感を感じてパッと目を開けると、着地した足は用水路のフチすれすれ。踏み外したら大落下のヘドロまみれだ。
 両手で頬をぶってみたり、頭を左右に激しく振って遠心力で目を覚まそうと試みるが、効果はない。眠気覚ましにはピンセットの針で太腿を刺すといい、と聞いたことがあるが、想像しただけでお尻の穴がキュンとなり、自分にはそこまでの覚悟はないと落ち込む。
 ちょっとした峠道のてっぺんに、たこ焼き屋さんの売店が現れる。受け取り窓口だけがあるテイクアウト専門のお店。たこ焼き屋さんなのに、カウンター横の貼り紙には「アイスが名物」と書いてある。値段はダブルが110円でトリプルが160円とある。なぜだかシングルは存在しない。ふつうアイスクリームのトリプルって400円くらいするもんだよねえ、160円でも3倍盛りなのでしょうか。おばちゃんにトリプルを注文すると、高知のアイスクリン的な丸っこい盛りつけでもって3段重ねにしてくれる。シャリシャリアイスが内臓から血液へと吸収され、血糖となって脳内を駆け巡ると、ようやっと眠気から解放される。
 巨大な造船所や石油の精製工場の脇をゆく。高さ50メートルはあろうかという精油塔には配管パイプが複雑怪奇に張り巡らされ、VRゲームのCG画面のよう。工場萌えや写真コンテストの投稿マニアには垂涎の場所らしいです。工場の敷地と道路の間は、ジャンプしたら飛び越えられそうな低い塀しかなく、不穏な意図をもったテロリストなら1人でもどうにかできちゃいそうなくらい開けっぴろげ。わが国はまことに平和です。
 菊間という街を過ぎると、人工的な護岸のうえに築かれた海岸ロードに出る。小さな岬や岩礁がつくる突起を10個くらい越えると、道の駅「風和里」の駐車場に大会スタッフが設けてくれたエイドがあった。ここが200km地点、スタートから31時間ほど経っている。なんぼ走ってもお腹が空かず、常時ハンガーノックという超常現象に悩まされたが、テーブルに並べられた食べ物を見て、ついに食欲が湧く。おにぎりを3個ガツガツ食いし、4個目のおにぎりは味噌汁が入ったコップに混ぜて、胃に流し込む。スタート前夜から40時間ぶりのお食事。残りたったの22kmだからチンタラ走ってもゴールはすぐそこ。終わりも近しと自覚した内臓たちが正常に機能しはじめたんだろうね。わたくしは精細な心の持ち主なのです。
 北条バイパスと呼ばれる長い直線道路に進路をとり、ふたつのトンネルを抜けて、松山市の市街地へと続く坂をくだる。夕暮れどきの街では、自転車のカゴにスーパーで買った食材を山盛り乗せた主婦や、部活や塾の帰りらしい中高生が嬌声かしましく帰路を急いでいる。
 うしろから追いついてきたジョギング中らしき女性ジョガーの方に「222km走られてるんですよね。もう少しでゴールですね」と話しかけられる。いろいろ質問してくれるのだが、寝ぼけた脳には会話に対応できる余白がなく、「徹夜で走るのは健康にとても良くないのです」とか「ゴールしたら生ビール飲もうと思って、ずっと水を飲むのを我慢してしたので、いま脱水症状になっています」などとトンチンカンな受け答えに終始する。もっと夢のあることを語るべきなんだよ、こういう場合は。お姉さんは、手に持っていたペットボトルの飲み物を「冷えてるのでどうぞ」と恵んでくれ、さっそうと夕焼けの街へと駆けていった。お姉さん、格好いいこと言えなくてすみません。
 松山城を取り囲むお堀の周回路から愛媛県庁方面へ。スタート以来ずっと山と島と田んぼのなかにいたので、松山の街が大都会に映る。きれいな服を着たショッピング客やビジネスマンが歩く歩道の隅っこを小さくなって走る。汗と泥まみれのシャツやパンツは、さぞかし異臭を放っているだろう。
 メイン繁華街である大街道の入口へ。むかしラフォーレ原宿松山があった場所には、今はカンデオホテルというモダンなデザインの高層ホテルが建っている。そのホテルの裏側にゴールが用意されている。瀬戸内行脚に参加したランナーたちが最後にたどりつく場所には、ゴールゲートやゴールテープはない。完走タオルやメダルをかけてくれる女子高生もいない。ゴールは居酒屋である。
 トタン壁のスタンドバーのある角を曲がると、換気扇の煙突に「おときち家」と店名が書かれた居酒屋がある。店の前まで行ってもここがゴールであるという表示はない。ガラス扉の向こうに、主催者やスタッフの姿がある。扉を開けると「おー来たなー、おつかれ~」と部活終わりの中学生みたいに迎え入れられる。タイム計測マシンに、ピッと計測チップをかざせばゴール完了である。34時間20分23秒。ふらふらゾンビ走りの時間帯が長かった割には好タイムだと満足する。
 奥に細長くつづくお店のテーブル上には、空になった生ビールのジョッキが何杯分も並んでいる。先着ランナーたちはすでに酒盛りの真っ最中で、既に目が座っている人や、隣の人にからんでいる人もいる。この人たちは走ったままの格好してるけど、お風呂入ったんでしょうかねえ。徹夜で走って、今からまた徹夜で飲まれるのでしょうか。さっそく生ビールいただきます。脱水症状をきたした全身の細胞に、ビールの気泡がしゅみこんでいく。やばい、風呂に行く前に瞬殺ノックアウト喰らいそう。

【日本でいちばん制限時間の短い100kmレース】
 むちゃむちゃマイナーで、おそろしく大変で、だけどもんのすごく楽しい100kmレースがある、と何度か耳にしたことがある。だけどその大会、ランネットとかスポーツエントリーに載ってるわけではなく、大会のホームページもない。大会名でネット検索すると、過去に参加した人の報告がちらほらヒットするが、3、4人分しか見あたらないので、あまり実体がつかめない。申し込むのってどうすんの?  郵送、電話、それとも紹介?   よくわからなくて、何年か放置したままになっていた。
 一昨年頃に、親しいランナーから「絶対いい大会なので出ておくべき」と強くおすすめを受け、ならばトライしてみるべしと本腰を入れた。
 タイミングよく、公式ホームページも完成しているらしい。少ない情報ながら大会のことを調べてみると、とても興味深い仕様と歴史を秘めていることがわかった。
①大会名は「鶴岡100km」。開催地は山形県の鶴岡市。
②距離は100kmで、10kmの周回コースを10周する。
③制限時間は11時間。最後の1周回にあたる90kmラインは、10時間00分ちょうどに閉鎖される。
④参加者数は毎年だいたい70~80人。完走率は10%を軽く切り、年によっては完走者が3~4人しかいないときも。
⑤日本で最初に行われた(とぼくが勝手に思いこんでいた)サロマ湖100kmウルトラマラソンの第一回大会(1985年)よりも前から行われている。つまり日本最古のウルトラマラソンの大会であるらしい。
⑥南東からの山越え季節風がフェーン現象を起こす庄内平野で、真夏のいちばん暑い盛り、9月上旬に開催される。
⑦コースの途中に砂利道がたくさんある。

  うーむ。ますます興味がひかれる。制限11時間というのは、どう考えても国内最短の制限時間である。13時間のサロマ湖でも「短い」部類とされており、12時間台ですら聞いたことがない。9月上旬というド真夏に100kmってのもほぼないし、完走率10%はよほどの過酷さなんだろう。昨年分だけの着順・成績表がネットにアップされているが、実力的には100kmを8時間台の人が10時間かかっていたりと、ふだんのタイムより1時間から1時間30分はタイムが悪くなっている。ということは、ベストタイムが9時間くらいでないと完走がおぼつかないということか。こんな破天荒な大会を30年以上も昔・・・フルマラソンですら「鉄人レース」と思われていた時代より更に前から、東北の一都市で続けられているのがまた凄い。
 公式ホームページにはエントリーフォームがついていて、ネツト経由で申し込めるようになっている。勢い込んで入力し、送信ボタンを押すと、大会主催者の方から折り返し連絡があった。まだエントリーは始まっていないそうで、「今年の大会要項を作成中なので詳細はのちほど。申込みについては受理させていただいております」と丁寧なお返事をいただいた。気がはやって勇み足してしまいました。
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 徳島から羽田空港を経由して「おいしい庄内空港」に降り立つ。羽田空港での乗り継ぎに2時間必要だったが、それでも朝に自宅を出たら昼前には日本海の海辺の街に着いている。便利なもんである。
 空港からのバスが着くJR鶴岡駅前には6階建ての大きなデパートがあるが、最近撤退してしまったようで、シャッターが下りたままでしんと静まり返っている。ここは東北地方だというのに、肌を炭火焼きであぶられてるくらい直射日光が痛く、汗がダクダク止まらない。今の気温は34度。大会当日は36度に上がるとの予報。
 冷たいジュースを飲みながらぶらぶら歩道を歩いていると、前から「キャー」っと叫び声が聞こえてくる。顔をあげると、自転車に乗ったご婦人・・・60歳前後でよそ行きの綺麗な洋服を着た女性が、金切声を上げながら、斜め45度方面から歩道を横切り、こっちに向かって突進してこようとしている。(ななな、なんでー?)  ハンドルを握った両手はぐらぐら揺れ、ブレーキレバーを握る気配はない。それなのにペダルを漕いでるから止まるはずもない。バッと飛び退き、すんでの所でかわすと、婦人はそのまま10mくらい先まで進むと、その場所でぐるぐると回転しはじめる。5回転ほどしてスピードが落ちるとようやく地面に足を着き、何事もなかったかのように自転車を押して去っていった。大会を前にご婦人と正面衝突という大惨事は避けられた。なぜか汗はピタリと止まっている。
 大会のスタート会場は、JR鶴岡駅から車で20分の稲作地帯の真ん中にある公民館。当日は早朝3時起きで向かうので、前泊は鶴岡駅前の宿でとるとして、前々泊はせっかくなので観光気分を満喫しよう。駅前から路線バスで30分ほどの所にある湯田川温泉に足を伸ばしてみる。バスに乗り込むと、色あせたシートの布地や、サビの浮いた窓枠のサッシに、昭和の頃からの年期が深く刻まれている。おそらく40年もの?  近頃の公共交通はなんでもピカピカに真新しいのが当たり前になっているが、古い車体を大事に使い続けて何が悪いものか。
 10人ほどの乗客は全員お年寄りで、なおかつおばあさんばかり。これはどこの地方都市でも似たり寄ったりな光景か。
 古めかしいアーケードが歩道のうえに連なる商店街を抜けていく。3、4百メートルおきにある停留所で停まりながら、バスはのんびりと進んでいく。運転手がヘッドホン型のマイクで車内アナウンスをしている。マイクをオフにしないから、乗客との会話が丸聞こえ。ライブ感が満点で飽きない。「こちらおつりでしたー」みたいに、いちいち言葉尻が過去形になっているのが面白い。山形弁、特に庄内弁の特徴であるらしい。
 ほどなく到着した湯田川温泉は、狭い1本の車道の左右に温泉宿が連なっている。バス停で下車して、辺りを見わたしても、観光客はおろか人影がひとつもない。神隠しにあったかのように街は静まり返っていて、側溝を流れる温泉の湯の音だけがチロチロと音色を奏でる。建ち並ぶ温泉旅館の玄関を覗いても、なんとなく薄暗く、照明が消えているような感じ。昼の3時ちょっと前だから、まだ営業は始まっていないのだろうか。観光客向けの土産物店や飲み屋さんは見当たらない。「ひなびた温泉街」っていうのはこういう空気の所を指すのでしょう。
 予約をしていた宿の玄関を開けても誰も出てこない。受付らしき部屋を覗いてみたが、やはり誰もいない。「こんにちわ」と何度か声を掛けたが、人がいる気配はない。手持ちぶさたでぼーっと立っていると、明らかに接客担当ではないおじいさんが、ももひき姿でごぞごぞ現れる。「予約をしている者です」と伝えると、特に返答はなく、部屋の鍵をそっと渡してくれる。部屋は2階のようなので、自分で勝手に上がって部屋を探し、荷物を下ろす。ぼくとしては、いちいち女将が部屋に入ってきて仰々しく挨拶される宿よりは放ったらかしにされる方を好むので、これでよし。
 湯田川温泉には2つの共同浴場「正面の湯」と「田の湯」がある。一寸の休憩ののち1階に降りると、さっきのじいさんとはとは別のおっちゃんがいたので「外湯に入りたいのですが」と告げると、またまた何を説明するでもなく「はいはい」という感じで、鍵がついているらしき物体を手にして玄関を出る。後をついていけばいいのだな。おっちゃんが先導した先にあったのは「正面の湯」。おそらく宿から近いという理由で「田の湯」ではなくこっちが選ばれたのだろう。
 「正面の湯」は木造・入母屋造りの重厚な外観をしている。おっちゃんが鍵を使って入口を開けてくれる。その鍵がないと中に入れない仕組みだ。入口には「外来者は入浴券200円」と書いてある。日帰り入浴客は、近所の商店で入浴券を買って、これまた商店の人に連れてきてもらいドアを開けてもらう・・・というシステムらしい。お客がどっと押し寄せた時はどうするんだろう。宿泊客は入浴無料のようである(どこにもそう書いてないが、200円払えと言われなかったので、きっとそうである)。
 狭い脱衣所で服を脱ぐ。すっ裸のときに入口が開いたら、外から丸見えな気がします。入浴客はぼくひとり。5、6人が浸かれば満杯になる浴槽がひとつだけの浴室は、高窓から外光がさんさんと射し込んでいる。湯口よりこんこんとほとばしる湯は、そのまま浴槽のへりへと贅沢に溢れ出している。湯は無色透明ながら強い温泉臭を放っている。ここの共同浴場の湯は、いっさい加水・加熱していない完璧なかけ流しで、なおかつ「新湯流入量」が全国屈指だとか。確かに10分ほど浸かっているだけで、湯あたりしそうな予感。
 そのうち仕切りの向こうの女湯に、地元のおばさん方らしき数人の声が響きだす。耳をそばだててガールズトークの内容を聞き取ろうとしたが、強烈な方言は、何一つとして意味を理解できない。しかし独特のイントネーションがタイル壁に反響し、安らかな調べとなって耳に心地よい。
 もうひつとの離れた方の共同浴場に入るにはどうしたらいいのだろう。たぶんもう一回宿に戻って、ふたたびおっちゃんに連れていってもらうのが正解なのだろうが、面倒くさくなってしまった。
 湯上がりに温泉街の端から端まで歩く。下駄履きで往復しても15分しかかからない。片道300メートルの温泉街には、食料品を売っている店が2軒あった。1軒は最近改装したっぽいオシャレな古民家カフェ風。もう1軒はどこの田舎町にでもありそうな生活必需品をなんでも売ってる商店。
 田舎商店に入り、アイスクリームの冷蔵庫からカップアイスを取り出すと、カップの周りはびっしり氷の結晶が層をなしている。何年くらい売れてないんだろ? ま、腐るもんでもないしいいか。レジのおばちゃんがアイスを新聞紙でくるんでくれる。はっ、確か子供のころ、近所の商店でも買ったものをばーさんが新聞紙に包んでくれてた気がする。
 その夜は「日本屈指の注入量」の湯が効きすぎたのか、ふだん寝つきが悪いのに、ドーンと深く眠りに落ちた。
 翌日も朝から猛暑の気配がしている。太陽フレアは髪の毛根まで届き、頭皮を焼きつくそうとしている。地面のアスファルトに映った自分の影が濃すぎて、「ドラえもん」の怖い話を思いだす。自分の影をハサミで切り取って、影に宿題や嫌なことをさせる。そのうち影に意識が芽生えて、自分と入れ替わろうとするお話。
 鶴岡駅前へのバスの到着をバス停で待っていると、30歳くらいの女性が歩いてきて隣で立った。夏らしい花模様のワンピースを着て、美しい顔立ちをしている。ほどなくして、1台のスポーツカーがバス停の前で停まる。車の窓からいかつい30代の男が顔を出し、彼女に声をかける。どこまでいくの? 街までなの。よかったら乗ってけばー。顔見知りのようだ。女性はいろいろな理由を並べて断る。バスなんか乗らなくてもさあ、こっちの方が速いから乗っていきなよ。男はあきらめない。押し問答を10回くらい繰り返す。地上のものを焼き尽くさんばかりの太陽の下で、額に汗を浮かべた男は粘り腰を見せつづける。ぼくの頭のなかで天童よしみの「なめたらあかん」のミュージックが「やめたらあっかん」の歌詞でリフレインする。粘れ、ひげヅラ男! もうあとひと押しでワンピースは落ちる。今日は土曜日だ、この女とドライブしたいんだよな。きっと前から狙ってたんだよな。今がチャンスだ、負けたらあかん。
 そのとき、温泉街の端っこの交差点を、路線バスがディーゼルエンジンのうなりをあげて曲がってきた。時間切れだ。男は仕方なくサイドブレーキを下ろし、また飲みに行こうよと誘い文句とためらいを残して去っていった。よく戦ったよサンチョ・パンサ。お前のチャレンジ精神と粘りを、オレは明日のレースで見事に受け継いでやる。
 ぼくはバスの最後部席に座る。サスペンションの効きの悪いレトロなバスが走りだす。前の方の座席で窓辺にほおづえをつく女性。全開に放たれた窓から吹き込む風に、長い髪が揺れる。なんとなくバスじゅうに彼女がつけた柑橘系のフレグランスの香りが漂っている気がした。(つづく)