バカロードその115 夢の祭り あとの祭り

公開日 2018年03月06日

文=坂東良晃(タウトク編集人、1967年生まれ。1987年アフリカ大陸を徒歩で横断、2011年北米大陸をマラソンで横断。世界6大陸横断をめざしてバカ道をゆく)

(前号まで=247km、36時間制限のレース・スパルタスロン。7連続リタイアのバカ記録更新を断つべく、自ら考案した百の戒めに緊縛され、キロ6分ペースを厳守しながら最後尾あたりを進む。100kmの計測ラインを11時間01分で越え、関門アウトまでの余裕を1時間24分まで増やす)

 えっほえっほと100kmに到着。波乱はございません。いつもの年なら、この辺までにゲロの噴水を盛大にあげ、路上に倒れて路地裏の少年(浜省)を口ずさみと、一人で大騒ぎしてるのに、今年は水を打ったような静けさである。
 とにかく涼しいんだわね。こんな涼しいのってアリなん?という想定外の低気温、真昼でも30度いってない。おいおい何のためにクソ真夏の昼ひなか、パトカーのおまわりさんに睨まれながら、ほぼ全裸でジョグを重ねて暑熱対策してきたと思ってんだい。スパルタの神様が「今年はラッキーチャンスを与える」とガードを甘くしてくれた? んなわけないし。絶対どこかに落とし穴がある。物事がうまくいくなんてことは、わが身に起こるはずがない。
 警戒レベル100%でそろそろと進んでいたら、ほらきたよ。日が暮れて、山の辺の街を縫って標高を上げていく坂道で、第一弾のバテがやってきた。呼吸器はゼーゼー、ぐにゃつく太もも、気力も湧いてこんね。念のため戦意を喪失してないか自分に問いかけてみると「戦意はある」と心が応える。ならばただの体調不良だ。路上でフラついていても衰弱が増してくだけなので「7分間だけ寝る」と決める。
 道ばたの廃屋の前の空地でねっころぶ。夜の空気は透明で、またたく星々が降り注いできそう。朝までゴロ寝したい気分です。いやいや何言ってんのオレ。関門までの余裕時間が30分まで目減りしてるんだよ。
 地面から体を引きはがしコース上に帰還する。さて7分間レストの効果はいかに。うーむ、さして体調は変わらない。千鳥足で右に左によろけていると、後方から顔見知りの選手がやってきて「どしたの? 眠いんじゃないの?」とカフェインの錠剤を恵んでくれる。ふむ、オレは眠いのだろうか?
 カフェイン服用からものの15分。急にやる気が満ちてきては、足取りも確かにザクサクと坂道を登りはじめる。恐るべし薬物効果。ちっちゃい粒を2つ飲んだだけで、精神状態まで真逆に豹変するなんて。助かるけど、生理機能が単純すぎて、なんか怖いです。
 スタート地点から135km、自己最長地点をあっさりクリアする。今までどしてこんな所でくたばってたんだろ。並走したベテラン選手が「この先にあるマランドレニ村は楽しいよ」と教えてくれる。楽しいって何だろか? 長い下り坂をテケテケと重力のおもむくままに下っていくと、キラキラ輝く集落が下界に見え隠れしはじめる。ははん、アレが楽しいマランドレニ村っぽいですね。
 深夜1時をまわっているというのに、エイドは大賑わいを見せている。民家の広い前庭に、テーブルや椅子がずらりと並べられ、たくさんの村人がワイングラス片手に赤ら顔でなんやかんやと語りあっている。こりゃエイドっていうより居酒屋だねえ。ランナー用に用意された食パンに、チューブ入のギリシャ蜂蜜をべたべたに塗りたくってかじる(あとで土産物屋で同じ蜂蜜の値段を見たら500円だった。高級品なのだ)。酔っぱらいの村人グループが「ここに座って酒を飲めい」と椅子を指さす。うわー、関門まで余裕があればアルコール補給したいとこだが、おっちゃん、ぼくには時間の貯金がビタ一文ないんですよ。
 後ろ髪ひかれまくりながらエイドを離れる。ギリシャ人の人生の楽しみ方はおおらかで良い。この国に住んだわけじゃないので本質なんてわかんないけど、店や工場は潰れまくってるのに、暗い顔して電車に乗ってる人はいない。ダメで元々なんだから、ダメでもゼロなんだから、マイナスになんかなりゃしない・・・なんて達観してる風でもある。
 スパルタスロンの最大の魅力は、ギリシャの田舎町に暮らす人びとの助けをもらいながら、自分自身も酒の肴になり、小さな村にとって年に一度の一夜限りのお祭りの装置になることなんだ。エイドに陣取る世話焼きのおばちゃんたち、酔っぱらってデコ突き合わせて議論してるおっちゃんたち、ノートとペンを持ってランナーの間を駆け回りサインを集める少年少女たち。選手に対して過剰なくらい面倒見が良くて、人種の壁などみじんも感じさせず、ヒーロー扱いしてくれる。ぼくたちの走りが、彼らに何かのささやかな楽しみをもたらせてたらいいなと思う。
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 深夜3時、リルケアという小さな集落の入口には、馬糞らしき物体が道にたくさん落ちていて、夜目が効かずふんづけてしまう。ヌルヌルした靴底だと急坂ですべってしまい難儀する。
 リルケア村はアテネから148km、ちょうど20時間が経った。村の郊外からは、いよいよ標高差960mを登りつめていく山岳エリアに入る。永く憧れつづけたサンガス山のすぐそばまでやってきたのだ。
 ヘアピンカーブがつづく舗装道路を、6回、7回と折り返しながら高度を稼いでいく。振り返るとはるか眼下に20個ほどのヘッドランプの光が、道路のうねりのままに連なっている。自分より後方にたくさんの選手がいるという事実にホッと安堵する。
 行く手には、山岳地帯を縫う高速道路のオレンジの照明だけがあり、その背後にあるはずのサンガス山の姿はまるで見えない。だが、闇の奥には明確に巨人の威容を感じとれる。標高1100mのサンガス山は、無論ヒマラヤやヨーロッパアルプスといった巨大な山塊ではない。地理的には平凡な岩山にすぎない。しかし、何百、何千というスパルタ挑戦者をはね返してきた歴史と、障壁となって立ち塞がる存在感の圧が、吹き下ろしの風となって押し寄せる。
 岩山の麓までの10kmあまりの長い登りを、一歩たりとも歩かず、立ち止まることなく走りきる。アドレナリンが大放出されているのか、サンガス山が近づくにつれ好調さが増す。
 159.5km、岩山の麓のエイドに着く。ここには防寒具をあずけている。防水性のあるウインドブレーカー、長ズボンのジャージ、もこもこの手袋、耳まで隠せる毛糸の帽子、ホッカイロ2個。
 しかし長い坂道を走りつめたせいか、身体は発熱しており汗をたっぷりかいている。設定タイムどおり進めば、山越えに擁するのは1時間30分程度である。過去に読んだ多くのランナーの走行記には「サンガス山を警戒していたが、意外とあっけなく終わった」「すんなり頂上に達して拍子抜けした」などの記述が見られた。
 (よーし。体調はいいし、この山越えでタイムに貯金を作るか)と欲を出す。
 (防寒着を着込む時間がもったいないし、着衣の重量を増やさずに、一気に登って下ってやろう)と戦闘的な気分になる。
 スタートからこの地に至るまで、用心に用心を重ねた。自分の力を一切信用せず、物ごとを全てネガティブにとらえ最悪の事態に備えてきた。しかし、ついにオフェンシブな精神状態になった、「オレはやれる子だ!」と。
 それがすべての間違いの元であると気づかされるまで、そう時間はかからなかった。
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 山道へと続く小さなゲートを越え、未舗装の石ころ道に入る。浮き石がたまにあるが注意しておれば事故にはつながらない。山腹の巻き道が谷側にざっくり崩れ落ちて、えぐり取られている部分もあるが、大会側が崖側にテープを張ってくれているので、滑落の危険性はない。居眠りさえしなければ問題はない。
 ゴツゴツの岩の道は、10メートル進んではUターンを繰り返すジグザグの登り。この道を駆け上がる走力があれば良かったが、ダメージゼロの状態でも歩くしかない不安定な階段状である。歩けばおのずと運動量が落ちる。さっきまでのアプローチ道でかいた汗が冷えてくる。標高が上がるにつれ、風も強くなってくる。冷気を含んだ風が体温を奪う。せめてシャツやパンツが乾いていたらと思うが、湿度が高いのか汗が乾くことはない。
 10回、20回と折り返した崖の先にいた大会スタッフが「頂上まであと400メートルだ」と教えてくれる。400メートルが距離を示すのか、標高差なのかわからないが、(もう少しなんだな)と心の救いになる。さらに何度か折り返すと、達磨のように厚着で膨れた2人目の大会スタッフがいて「あと700メートルだ、がんばれ」と言う。相変わらず標高差なのか距離なのかわからないが、どっちにしろ遠ざかってるじゃないか!  こんな小さなことに激しく精神ダメージを受ける。
 (いつ頂上に着くんじゃ? あっけなく着いて拍子抜け・・・という情報は何だったんだ?)
 壁のような山腹を見上げる。目を凝らしても、安全確保のための小さな照明光がポツポツと続いているだけで、その上部は霧がかかっているのか頂上まで見通せない。
 辺りにまとわりついていた霧雨が、はっきりとした雨に変わる。寒い。防寒具を着けなかったことを後悔する。警戒を怠ったぼくの甘さを攻めたてるように、むき出しの皮膚を氷漬けにしていく。
 気が遠くなるくらい歩いてようやく山のテッペンに着く。遮るものを失った場所には暴風が容赦なく吹きつけている。雨筋が真横に走り、雨つぶてが痛いほど顔に叩きつけてくる。
 山頂エイドのテントに逃げ込む。テントといってもほとんど吹きさらしで、暖を取れる場所ではない。
 エイドのおばさんに頼み、ハンドポトルにブラックコーヒーを入れてもらう。待ち時間に椅子に座っていると、体温は下がる一方。一刻も早く山を降りないと、身体が動かなくなりそうだ。コーヒーを注いでもらったらすぐにテントを出る。背中から雨がバシバシ当たり、一瞬で頭から脚の爪先までびしょ濡れになる。
 ボトルをシャツのお腹のあたりでくるむ。触ると火傷しそうな熱湯だ。貴重な熱源を逃がさないように両手で包む。しかし熱湯コーヒーは、ほんの数分で冷え切ってしまい、カイロの役目を果たさなくなる。
 つづら折れの下り坂をターンすると、真正面から雨と風が襲ってくる。ガチガチガチと鳴りだした奥歯の震えは前歯に伝播し、手にも脚にも広がっていく。
 後ろからランナーが次々に追い越していく。20人くらいいる。関門時間ギリギリで進む最終集団なのだろう。泥濘んだ土道を水しぶきをあげて走るさまは勇猛果敢だ。ヘッドランプの光の輪の先に、上半身裸のヨーロッパ系の選手が浮かび上がる。プロレスラーのような分厚い胸板。獣のような雄叫びをあげ、飛び跳ねながら駆けていく。このすっ裸男の登場が、精神的ダメージを壊滅的なものにする。
 (こっちは凍え死にそうなのに、裸でも平気な人間がいるとは。こいつらとはタフさも理性も、何から何まで全部違ってる)と絶望する。
 全身がひどく震えているのに、生暖かい感覚がしのび寄り、眠気が思考を鈍くする。これってニュース番組によく出てくる、無防備な軽装で夏山に入り、ちょっとした天候変化で遭難して迷惑をかけるドシロウト登山者と同んなじ?  ぼくは今、最も恥ずべき存在に片足がかかっている。
 山の麓にサンガス村が見えてくると、嘘のように風がやむ。といっても身体の震えはなおひどく、手も脚も思うように動かせない。村の中にエイドがあるはずだが、いくら歩いても到着しない。
 民家の駐車場を使った小さなエイドに着いたのは早朝の6時すぎ。山中で行き倒れにならず、人に迷惑をかけなかったことだけを安堵する。
 椅子に腰掛けたままガタガタが止まらず、喋るのも困難なぼくの様子を見たエイドのおっちゃんが、ぐっしょり濡れたシューズ、ソックス、シャツと、パンツ以外のすべてを脱がし、乾いたタオルで全身を拭いてくれる。ひと通り拭き終わったら、大きな毛布でくるんでくれ、ゴシゴシ摩擦して温めようとしてくれる。しかし冷え切った体はまったく発熱しない。
 ぼくが最終走者かと思っていたが、後からエイドに入ってくるランナーがいる。飲み物をコップに注いでもらおうとするが、手の震えがひどくて、うまくコップを構えられない。ぼくと大差ないくらい衰弱しているようなのに、彼はまだレースを諦めていない。エイドを離れ、ゴールの方向へと消えていく。ぼくにはもう、その気力はない。
 164.5km、ゴールまで残り82km。8連敗が確定した。
 素っ裸のまま収容車に放り込まれ、街に着くまでの3時間、震えっぱなしであった。運転手がゴミ袋でぐるぐる巻きにしてくれたが、温かさは戻らないままであった。
 山を彷徨っていたのは、何十分間なんだろうか。2時間はかかっていないと思う。そんな短時間のうちに、絶好調な状態から低体温症で行き倒れる寸前まで追い込まれるなんて、人生と同様に一寸先はわからない。
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 レースから3カ月が経った。ゴールまで82キロも残しておいて言うのもなんだが、ツメが甘すぎるのである。なんで防寒具つけんかったかなー。
 サンガス山にさしかかるまでは、汗をかくほど暑かったのである。アプローチの登り坂をぜんぶ走りきれたことで、調子がいいと判断してしまった。実力どおりにフラフラでたどり着いていたなら、山麓エイドに用意してあった防寒具をまとったはずだから、違う結果になっていたかも知れない。もっと寒い年ならば雪まで降り積もるというサンガス山を、甘く見た結果だ。
 考えてもすべて後の祭り、アフター・ザ・フェスティバルである。
 悔やんでもどうしようもない失敗はさておき、収穫はたくさんあった。
 大塚製薬の経口補水液OS-1は圧倒的に効いた。嘔吐や脱水症状に陥らなかったのは8年目で初めてだ。粉状のOS-1をハンドボトルの水に溶かしながら、ちびりちびり飲んだ成果である。
 マタズレ対策として、古バスタオルを幅20センチほどに細長く断ち、腹に巻いたのも功を奏した。上半身の滝汗が下半身に流れ落ちるのをダムとなって防いだ。ランニングパンツは乾いたまま。ランパンの股間が濡れてない限りマタズレにはならない。
 緑茶パックをボトルに入れ、即席の水出し緑茶を飲みながら走ったのも正解だった。レース中は、エネルギー補給の必要から、糖分の多いドリンクやゼリーを10kmにつき500mLほど摂取せざるを得ないが、累積5リットルもいけば気持ち悪くなってくる。緑茶はそんな口の中をさっぱり洗い流してくれた。
 ふたたび負け惜しみを述べるが、風雨にくじける瞬間までは、ゴールを狙う気力、体力とも十分にあった。そして、今回も過去最長地点から、ゴールまで30キロ近づいた。このペースで前進するなら、あと3年で完走できる。まだあきらめてはいないのですよ。