バカロードその123 ブローニュの森にて

公開日 2018年12月10日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)

(前号まで=16歳のぼくは春休みを利用して「人類史上初」のローラースケートによる四国一周の旅に出た。しかし安物ローラースケートは出発からわずか5kmで車軸が割れタイヤが取れてしまう。仕方ないので、そのまま国道195号線を自分の足で走って高知を目指し、3日後の夜中に高知駅にたどり着く)

 真夜中の高知駅。野宿を決め込み、段ボール箱をつぶした寝床で熟睡していたぼくを起こしたのは、黒ポロシャツの男だった。腹をすかせた少年を案じて、男は虎巻きと缶コーヒーを買ってきてくれた。
 虎巻きを喉につまらせてむせ返るぼくを、心配そうに覗き込む。
 「何か食べないとダメだよ。駅の近くにさ、ウマいメシを食わせる店があるから、連れていってあげるよ」
 断る理由は特にない、と思う。
 今宵の寝床と決めた2階から正面玄関に移動する。男はタクシーを指さし、乗れとポーズする。田舎の高校2年生、めったにタクシーになんか乗らないので、VIP気分で少しうれしい。冷え切った身体に、温かいエアコンの風がブアーッと当たって、いっそう幸福な気分になる。
 路面電車の線路の凹凸が伝える振動。屋台を覆う赤や黄色のシートからこぼれる光。旅に出てからわずか3日間とはいえ、まだかまだかと思い焦がれた高知の街だ。
 知らない街で、知らない男と、行方も知らぬ車に乗ったぼくは、まさに「銀河鉄道999」の星野鉄郎そのものであり、街の灯を銀河の星々に見立てて頭の中で遊んでみる。しかし、隣のシートに座っているのは絶世の美女メーテル、ではなくて高知のアル・パチーノである。痩せぎすで彫りの深い男を、ぼくはアル・パチーノと勝手に名づけた。ゴッドファーザーのマイケル・コルレオーネじゃなくて、「狼たちの午後」のソニー役のアル・パチーノ。
 15分ほど走っただろうか。タクシーは迷路のような裏道に入り、右折左折を繰り返す。ヘッドライトの光の奥に朱色の看板が浮かび上がる。「ブローニュの森」という店名が書いてある。
 タクシーを先に降りた男は、ぼくを振り返りもせず、ビルの外に備えつけられた鉄階段を、カツカツ踵を鳴らしてのぼる。突きあたりのドアを慣れた感じで押し開け、狭い厨房スペースにいる人物と軽い調子で挨拶をかわし、カウンター席に僕を招く。
 これはいわゆるバー、あるいはスナック。マスターらしき人がいるからバーなのか。どっちにせよ16歳の僕としては、初めて立ち入る大人の空間だ。
 ぼくたち以外に客が2人いる。灰色の髪の毛をした四十代後半とおぼしき男性と、シルク生地のシャツを着た三十前後の栗毛の女。女は酔っているようで、首の位置が定まらない。男の腕は女の腰に回され、上半身が隙間なく密着している。
 アル・パチーノが尋ねる。
 「お酒、飲んだことある?」
 あるような、ないような。
 マスターがウイスキー瓶と氷の入ったアイスペールを運ぶ。
 「これバーボン。飲めるかな」
 氷のカケラを頑丈そうなグラスにひとつ落とし、琥珀の液体を注ぐ。
 高校生といえど男児であり、酒ぐらいでビビッていると思われたくない。ロックグラスを鷲掴みにし、一気に流しこむ。たちまち熱い空気の塊が、食道の奥から逆流する。むせ返りそうになるのを、歯と唇を閉めてこらえる。
 男はその様子を見てクックッと笑っている。
    □
 アルコールなんて胃に落としてしまえば、どうってことない。酒の極意を極めつつある頃、店内の照明がすうっーと落ち、アップテンポなバックミュージックが流れだす。店の奥にしつらえられたステージにピンスポットが当たる。ステージといっても幅、奥行きともに2メートルくらいの狭さだが。
 舞台上座の安っぽいカーテンをめくって、2人の男が現れる。
筋肉質の男と、肥満腹を醜くたるませた男。2人とも薄いビキニパンツ1枚を着けただけで、ほぼ全裸である。
 音楽のリズムに合わせて奇妙な舞いがはじまる。不規則に手脚を交差させ、互いの指先をからませる。こういう振り付けは、何かのダンスカテゴリーに属しているのだろうか。いや、そもそもダンスという部類なのか。素人が当てずっぽうで身体を動かしているようにも見えるし、前衛的な舞踏を演じているようにも見える。
 ステージを凝視している視界の隅で、男は僕のグラスにバーボンをなみなみと注いでいる。
 BGMがサビにさしかかると、2人のダンサーはスパンコールつきの薄手のパンツを、お互いに脱がせあう。股間にむき出しになったのはやけに白っぽい男性器。ロウ細工のように白い。陰毛をぜんぶ剃っているからか。非現実すぎてプラスチック製の人工物のように見えるが、男の動きに合わせて揺れるそれは、やはり肉そのものである。
 筋肉質の男が上半身をくねらせながら、背後から肥満男の腰を両腕で拘束する。円を描くように腰をループさせ、たるんだ尻に非現実的な肉棒を突き立てる。肥満男は後ろにのけ反り、ウーウーと押し殺したような声を漏らす。
 ステージの背後を彩る紫色の間接灯が、ぼくの眼底へしのびこむ。視界は薄ぼんやりとし、目の前に展開されている光景が、違う惑星のできごとのように思える。
 隣の席の男女が背中に両手をからめ、キスしはじめる。他人のキスしている様子を、こんなに間近で見るのは初めてだ。舌と唾液がからむ音が聴こえてきそうなディープキス。
 アル・パチーノの顔が、ぼくの耳元にある。
 「酔った? 興奮してる?」
 ささやく吐息が、耳の奥の神経に届く。彼の手がぼくの股間に伸びる。手のひらがゆっくり収縮する。
 見栄を張って胃を直撃させつづけたアルコール度数45度のバーボンのせいか、それとも16歳の小僧には抵抗のすべもない状況に追い込まれているのか。ぼくはなされるがままになる。
 アメリカンポップなステージミュージックとは真逆の音楽が遠くから聴こえてくる。ビートルズの「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」。ランカシャーの道路に空いた4000個の穴を数える男の救いがたい物語、そして退廃。
 耳たぶの横で、男のささやきは止まらない。
「夜が明けるまでだいぶ時間があるからさ、よかったら俺の家に来ない? 美味しい苺があるよ」
 その瞬間、気づいた。
 ぼくはこの旅から脱けだせない。大人になって、他人に従属したり、社会に迎合したり、組織に組み込まれたりすることがあったとしても、きっとこの旅に出た自分を捨てることはない。
 股間が熱かった。はやく家に帰りたいと思った。                        (つづく)