バカロードその131 無力な虫として

公開日 2019年04月08日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)

(前回まで=高校2年生の春、あてどなき旅に出たぼくは、150km走ってたどり着いた夜の高知でアル・パチーノ似の男性に犯されそうになったり、こんぴらさんの背後の山を泥まみれになって登りながら、混迷を極めつつある青春に戸惑っていたのだった)

 アメリカの公民権運動活動家・マルコムX。20代の頃は過激なアジテーターであり黒人至上主義の標榜者であったが、彼が凶弾に倒れる1年前、聖地メッカに巡礼し、人種や民族を超越した人間愛に触れ、それまでの暴力革命路線からの方向転換を計った。
 アルバム「サージェント・ペパーズ」を発表した後のビートルズ4人。インド人宗教家マハリシ・ヨギを師事し、インド亜大陸へ旅立った。すでに富も名声も手にしていた彼らが欲したのは超越的な瞑想、そしてドラッグがもたらす幻想。深い精神の旅は「アクロス・ザ・ユニバース」を生みだす。
 日本の若き冒険家・上温湯隆。23歳のときにサハラ砂漠八千キロ横断の旅に、ラクダのサーハビーとともに出発し、還らぬ人となった。熱砂のなか墓標となった彼の魂は、ぼくの心に旅の遺伝子を撒いた。
 心のヒーローたちは常に旅を欲し、旅は人の根源的な存在の意味を旅人に問いかける。
 旅立ちはいつも衝動的でありながら、その人間にとって最もふさわしい時期に、ふさわしい場所へと、得体の知れない巨大なエネルギーによって導く。あらかじめ細胞の奥の、そのまた奥の塩基配列にプログラムされているかのように。
 16歳の春休み、ぼくはいてもたってもいられなくなり旅に出た。そして四国の東半分を、ただ無秩序に這いずりまわっていたのである。
      □
 国鉄貞光駅で汽車を下り、駅前のバスの営業所で剣山方面へと向かうバスを探した。
 一九八三年の冬はやたらと寒く、春の訪れは遠かった。窓口の人に聞くと、剣山の登山基地である見ノ越へは、まだ山開き前ということでバスは通じていなかった。この時期の終点は「つづろお堂」というバス停であるらしい。とりあえずそこまでバスで行って、あとは地道に頂上を目指せばいいか、とたかをくくる。
 なぜに剣山(※)に向かうのか、それは自分にもよくわからない。そもそもこの旅自体が、まったく意味不明なのである。阿南の家を飛び出してから1週間というもの、自分の欲するがままに走り、登り、野宿をし・・・を繰り返している。

  (※)剣山・つるぎさんは標高1955m。西日本では愛媛県の石鎚山に次いで2番めの高峰。

 バスの出発まではいくぶん時間があったので、食料の調達にかかる。剣山山頂アタックには1、2泊の行程が必要だと思われる。
 駅の近くにあった商店で、サバの缶詰2個とチョコレート、缶ジュース、みかん1袋10個入り、それにポリ袋20枚を買い揃える。チョコはカロリー価の高そうな分厚いのを選んだ。食料一式をザックにしまうと、いやがうえにも登山気分が盛り上がってくる。
 バス停に戻ると、しわくちゃの老婆がベンチに腰掛け、太陽の方に向かって目を細めている。どうやらこの老婆も「つづろお堂」方面のバスを待っているようだ。
 同志を得たような気持ちがした。見知らぬ土地で、同じ方向を目指す者がふたり。たとえそれがアンアンやノンノを片手に旅する美人女子大生でなく、齢八十を超えようかというオババでもよいではないか。
 ぼくは、旅する青年らしい爽やかな笑顔をたたえながら、老婆に接触を試みる。
 「あのぉ、おばあさんも一宇の方に行っきょんですか?」
 すると、さっきまで日だまりの猫のようにやすらかな表情をしていた老婆の目に、鋭い光が走る。
 「にいさんは剣山いっきょんけ?」
 魚市場の床に横たわる冷凍マグロの目玉のような、灰色の眼球に射すくめられたぼくは、
 「は、はい」とたじろく。
 「今は、雪で雪でじゃわよ」
 「は、は、はい」とぼくは慌てる。
 ぼくの背負っている赤いリュックを睨みながら、老婆は続ける。
 「まだ、山しょらんでよ」(山開きしてないという意味か?)
 老婆は目を細め、遠くの山峰を仰ぎ見てつぶやく。
 「は、は、は、はい」と気持ちが後ずさりする。
 ぼくの前途には、急速に暗雲がたれこめはじめたような気がした。
     □
 ゴウゴウと低いエンジン音を唸らせながら、バスは曲がりくねった道をローギアで登り続ける。一宇の村役場前のバス停で乗客のほとんどが下りてしまい、いつしか20人乗りの小型バスの中は、ぼくと運転手だけになってしまった。
 ルームミラーでちらちらとこっちを注視していた運転手が、ぼくを運転席近くの席に手招きする。そして、
 「ぼくよ、山登るんか? まだ雪ようけ積もっとうぞ」
 と神妙な顔つきでのたまう。またもや不安になったぼくは「ムゴムゴ」と口の中でくぐもった返事をする。
 五万分の一登山マップによると、終点の「つづろお堂」は標高六百メートルのところにあり、そこから千メートルの標高差をもって登山道が見ノ越の国民宿舎へと伸びている。順調にいけば約3時間の行程か。
 ぼく一人を終点で下ろしたバスは、けたたましいエンジン音を残し、来た道を引き返していった。
 運転手に教えてもらったとおり車道をしばらく歩くと、板切れで作った「登山口」の道しるべがあった。そこから小さな集落を抜けると、雑木林の奥へと山道が続いていた。
 最初から階段状のきつい急傾斜である。5分も歩かないうちに息はゼエゼエとあがり、リュックと背中の間を汗が濡らす。やがて周辺の樹木に純白の雪がつき、道にも積もりはじめる。高度を上げていくにつれ、登山道と山腹の境界を雪があいまいにする。
 幸い木々には数十メートル間隔で赤い紐が巻かれており、それをたどって行けば道を外さずにすむだろう、と考える。
 ナイロン製のスポーツシューズは雪を踏むとたちどころに濡れる。靴下の中へと侵入した水分は体温を奪い、足の指先が割れそうなくらい痛い。いったん腰を下ろして乾いた靴下にとりかえ、二重にしたポリ袋に足を突っ込んだうえで、シューズをはき直す。雪は足首の高さを超え、容赦なく靴の中に侵入してくるが、ポリ袋を巻きつけてからは冷たさを感じずにすむ。
 やがて踏み跡のある登山道と合流する。楕円形の足跡が点々と上部へと続いている。木を曲げて麻で固定した「輪かん」の跡だろう。おそらく前日につけられたものだ。
 急勾配の山道は1時間ほどでだらだら坂に変わり、雑木林を抜けると風景が開けた。急に光量が増したので、目が慣れるまでに少し時間がかかる。薄ぼんやりとした白い山の風景に焦点があったとき、ぼくは思わず、あっと声をあげそうになった。
 それは、何ということもない、ごくあたりまえの山の景色だった。
 深い谷の両側から山ひだが谷底へとすべりこみ、尾根すじの連なりの向こうには、陰鬱な黒い雲が幾層にも重なっている。雲のすきまから挿す一筋の光が、かろうじて風景に彩色をなしているが、数百メートル下まで続く深い谷底は限りなく暗く、死を予感させるに十分であった。
 こんなにも広い空間に、生命の気配はまるでなく、風景のパノラマの中で、呼吸し、瞬きし、鼓動を打つ生命体は、ぼくだけなのだ。巨大な山塊にぴったりと張りついたぼくは、名もなき昆虫のようだ。    (つづく)