バカロードその132 2018スパルタスロン6「戦士っぽくなりたくて」

公開日 2019年04月08日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)

(前号まで=毎年9月、地中海に面したギリシャで行われる総距離246.8km、制限36時間の超長距離マラソンレース・スパルタスロン。8年連続リタイア中の僕は、9回目の挑戦の途上にある。スタートから20時間、コース最大の難所であるサンガス山越えを果たす。地中海性台風メディケーンはますます接近し、冷たい雨と風が強くなってくる)

【171km~195km/ネスタニ~テゲア】
 171.5km地点のネスタニ村に朝5時24分に到着する。関門閉鎖は7時30分だから2時間の貯金を依然キープしている。曲がりくねった狭い街路は、戦乱の時代、外敵の侵入を遅らせる工夫の名残か。夜明け前の薄暗い道ながら、両側に連なる家並みの様子がこれまでの街とは違う。山越えしたサンガス山の北方の村は白いモルタル塗りの壁が多かったが、山の南側にあたるネスタニ村の家々は、石造りの壁とえんじ色の柱や瓦が組まれ頑強な造りだ。
 スパルタスロンのコースはいくつもの街や村を訪ねながら進んでいく。ひとつの街に滞在するのは通過に要するわずか5分や10分で、立ち止まりすらしない場合もある。しかし沿道から「ブラボーブラボー」と声を掛けてくれる人や、そっと肩に手を触れて体温を伝えてくれる人がいる。そんな一瞬のふれあいが積み重なっていくと、街をあとにするときの寂しさが増してくる。
 レースに要するのは最長36時間、つまり1日半。その短い時間に、半年ほどもかけて旅するバックパッカーの郷愁をぎゅうぎゅうに濃縮しているかのよう。
 ネスタニ村の大エイドもまた、オレンジ色の煌々とした照明に包まれ、エイドスタッフは「陽気な野戦病院」といった雰囲気で右へ左へと慌ただしい。ピットインしたランナーたちを即座に椅子に座らせ、取り囲んで世話を焼いている。ミルクと蜂蜜入りの熱い紅茶をハンドボトルに詰めてもらい、ポケットに入り切らないほどのチョコウエハースをもらう。
 街の中心にある広場を突っ切ると街並みは途切れ、郊外に出る。しらじらとした朝を迎えると、行き交うサポート車のテールランプや、ランナーたちのヘッドランプの連なりが風景から消え、賑やかに感じていた夜道は、寂寥感のある平原のなかの一本道にとって代わられる。
 低く垂れ込めた乳白色の雲。むき出しになった石灰質の白い石が転がる荒れ地に、背の低い灌木がまばらに生えている。
 国土の大半をこんな乾いた土くれに覆われたギリシャという場所で、僕たちが今まんぜんと享受している民主主義の原型が形づくられたなんて不思議でならない。市民が権力者を交代させられる権限を持ったり、人を支配するルールを変更できたり、あるいは階層階級に関係なく職業を自由に選べたり・・・羅列するだけで数千ページの歴史書になるだろうギリシャ人発明の現代に通じる思想。その多くは2500年前のアテナイ国(今のアテネ)で芽生えた発想だ。
 そして今、僕が走っている道も、2500年前のアテナイ国とスパルタ国との戦時協定をめぐる逸話をたどっている。スパルタスロンに参加したすべてのランナーが目指すゴール地点は、2500年前にスパルタ国を率いたレオニダス王の像である。ギリシャを侵略し植民地化しようと東方から押し寄せたペルシャ軍勢20万人に対し、たった300名のスパルタ兵士を率いて敵を狭小谷に誘いこみ、数日間を圧倒しながらも、最後は戦死した映画「300」の主人公のお方。
 2500年前の勇猛かつ賢明なるおじさまたちよ、東洋の島国に住むちっぽけな人間の人生に影響を与えすぎだよ。
 再び大滝選手と並走する。昨晩は眠気に苛まれていた大滝さんだが、夜明けとともに生気を取り戻し、ペースがどんどん上がる。バッテリーをオフにしていたGPSを起動させると、キロ6分ちょいで走っている。いやいや180km走った果てのキロ6分ペースは世界レベルですって。いつもの僕なら、180kmといえばとうの昔に潰れてボロ歩きしている距離だ。こんなペースについていけることが奇跡。人間の体って、エネルギー残量が枯渇したようでも、どこかに着火源が残っている。あきらめたり絶望することがあっても、夜が明ければ一からやり直せる回復力があるんだ。

【195km~226km/テゲア~英雄記念碑】
 朝8時42分、195km地点のテゲアに到着する。ここまで25時間42分、大滝さんに引っ張ってもらったおかげで関門閉鎖まで2時間28分と貯金が増えた。
 雨足が強くなっている。濡れて重くなったシャツを手絞りしようとエイドテントの下に逃げ込むと、雨垂れが横風にあおられシャバシャバ吹きつけてきて余計に寒い。
 エイドのお姉さんにゴミ袋を1枚めぐんでもらう。袋の底にギリギリ頭が出せるほどの穴を1コ分だけ破き、蓑(みの)のようにして被る。腕を出すと寒いし、腕と首用に穴を3つ空けると保温効果がなくなりそうなので、ゴミ袋から顔だけ出す奇妙な格好で道へと飛び出す。
 日本で売っているゴミ袋はたいていが乳白色だが、もらったギリシャ製のは真っ黄色で、縛りヒモがピンク色と派手である。黄色い袋から首だけ出していると、ファッションとしては漫画「キングダム」の幼き頃の河了貂そのものである。つまり間が抜けているのだが、他に寒さをしのぐ方法がないので仕方がない。
 20時間もぶっ通しで雨に打たれていると、体内で生産できる熱量に対して、濡れた皮膚から奪われる熱の方が明らかに多いマイナス消費。ちょっとでも行動を止めれば奥歯がガチガチと鳴りはじめる。雪が積もっているわけでも気温が零下なわけでもないのに、とにかく寒い。古代中国であった「水拷問」ってこんな感じ? ただの水滴を頭から長時間垂らされると、いずれ正気を失うというアレ。
 この寒さに耐えるには、走りつづけるしかない。座って休憩すればたちまち凍えるから前に進むしかない。
 唯一、暴風雨を避けられるのが、道ばたのプレハブ小舎やガソリンスタンドにおよそ3kmおきに設けられたエイドだ。
 エイドに駆け込んで、デタラメなギリシャ語(※)で食べ物をリクエストする。いの一番に告げるのは「ピナオ!」(腹へった)だ。ギリシャ語を口走る外国人選手なんてまずいない。エイドで待ち構えているオッチャンオバチャンたちは、一瞬キョトンとするが、もう一度「腹へった」と告げると爆笑が起こる。「この人、ギリシャ語しゃべってるよ! ぷっぷっぷー」ってな感じ。
 「それじゃあアンタは何が欲しいんだい?」と聞かれる。食パンを指さして「デュオ パラカロ!」(2枚ください!)と叫ぶ。そうしたらまたウケる。オッチャンオバチャンたちが手に手にパンを2枚ずつ持って、僕にくれようとする。
 すると、その様子を見ていた別のオバチャンが「皆で2枚ずつあげたら、この子は腹いっぱいになって走れなくなるわよ(翻訳は想像)、ワッハッハ」と笑い、他の皆さんも「ワハハハ!」と腹を叩く。風速30mの風にふっ飛ばされそうなプレハブ小屋で、大笑いしている状況がなんとも楽しい。
 例年であればこの道は、木陰ひとつない乾いた土地を、カンカン照りにさらされた灼熱地獄に苛まれ、延々とつづく嫌らしい登り坂を一歩一歩這い上がっていくという、ランナーを苦しめる最後の障壁にあたる場所なのだ。
 本当のところこの辺りって、勝算なき戦いに挑むスパルタ兵士的な切なさを醸し出したいクライマックス場面なんだよ。それなのに今の僕は「次のエイドでどのギリシャ語しゃべったらウケるかなー」などと邪念まみれで先を急いでいる。     (つづく)

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(※)デタラメなギリシャ語

 街々で出会う人たちやエイドでお世話してくれる方々には、なるべくギリシャ語で話しかけようと思う・・・とはいうものの五十路の中年にギリシャ語をインプットできる脳の空きスペースがない。この1年というもの「旅の指さし会話帳ギリシア」(情報センター出版局刊)を買って自宅トイレに置き、声を出して練習したが、からっきしだった。
 ちょっともマスターできないまま日本を発つ日が来てしまったので、レース時に着用する白いアームカバーに油性マジックで必要と思われるギリシャ語を書いた。エイドで使う言葉は限られているので30語ほどに絞った。

エイドで使えるギリシャ語(誰の参考になるってーの?)

□差し迫った欲求の訴え
腹ぺこです(ピナオ)
腹いっぱいです(エフォガ) 
水(ネロ)、氷(パゴス)、熱い飲み物(ゼスト)
~ください(パラカロ)

□同情を誘って優しくされる
眠い(ニスタゾ)
寒い(リゴス)
疲れた(クラズメノス)

□軽口叩いてウケ狙い
美しい(オレア)
友だち(フィロス)
めでたい(エフハリティメノス)

□一応の礼儀として
美味しいです(ノスティモ)
ありがとう(エフハリスト)
こんにちわ(ヤーサス)
すみません(パラカロ)

□念のため基本
1(エナ)、2(ディオ)、3(トリオ)
はい(ネー)、いいえ(オヒ)
日本人の男(ヤポネズス)
勝ち(ニキ)、負け(イッタ)