バカロードその136 史上最長のレースその1 理性のタガ

公開日 2019年09月11日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)

 「四国おおもりオールナイトマラニック」は、今年の黄金連休に初めて開催されました。四国4県をめぐる総距離785km、制限時間8日間のノンストップレースは、国内ウルトラレース史上最長距離だと思われます。
 結末を最初に言ってしまうのはレース紀行文としてバカポンタンですが、785kmには程遠い599km地点でギブアップしました。事実を先に明かしておけば、今後の出場(2年に1度開催との噂)を検討している方にいらぬ期待を抱かせずにすみます。参考資料とはなりませんのであしからずです。

 ゴールまで残した距離は186km。あとちょっとな気もしますが、もうどんなに頑張ってもムリぃー!って感じで撤退しました。だから、当レースのうち最も過酷で、ハイライトシーンとなるはずの最終盤186km分の説明はありません。あらかじめご了承ください。
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【1日目/宇和島市スタート~大佐礼峠106km】
 レースの起点は愛媛県の宇和島市です。徳島からの高速バスを松山市駅で降り、宇和島市行きの路線バスに乗りかえます。松山市駅での乗り継ぎ時間が1分しかなくて、停車場から乗車場まで全力ダッシュしてギリ間に合いました。徳島から宇和島まで乗車5時間、四国の真反対側まで大横断したと考えれば、かかる時間も短く感じられます。
 宇和島駅前の安宿で一泊。翌朝、大会ボランティアの方が乗用車で迎えにきてくれました。スタート地点となる津島町岩松という街は、駅から南へ14kmほど下った所にあります。
 タイムスリップ感のある商店街の一角が出発会場となっています。松山城下をゴールとする全行程785kmに挑戦する12人と、330km地点の金刀比羅宮をゴールとする方々がにこやかに談笑しています。緊張感なく「ぼちぼちいきましょか」という感じでスタートを切りました。
 ゆっくり進むつもりでしたが、皆さんのペースが速くて置いていかれないようついていきます。キロ6分ペースです。おーい、今から785kmも走るのにこんな調子で行くんですかあ、と心で叫びます。いやはや、この先が思いやられます。朝、送迎してくれた宇和島市街までの14kmを1時間半ほどで帰ってきてしまいました。
 1つめのチェックポイントである宇和島城の急階段を登ります。天守の標高は74m。自然石造りの石段は急峻で、駆け上がれはしません。このレースでは、四国内の現存天守や城跡のある八城(宇和島、大洲、松山、今治、川之江、丸亀、徳島、高知)の天守閣の前でスマホ撮影し、主催者にメールで画像を送信したり、フェイスブックにアップして通過を証明します。あと、6時間おきに自分のいる位置を送信する義務があります。行方知れずにならないためですね。
 1コ目のお城の登り下りで、すでに太ももは悲鳴をあげています。宇和島市街を抜けると、宇和海のヘリに出ます。峠と入江を繰り返すリアス式海岸をエッサホイサと登り降りします。ってーか、このコース設定、ひたすら坂道一択です。鳥坂峠(49km地点、標高315m)の手前で、道路工事中のおじさんに話しかけられ「気をつけて行ってこいよ!」とチャーミングな笑顔で見送られました。黄金連休のさなか、ごくろうさまです。笑ったおじさん、前歯が2本しかなかったです。
 次なる目標地点の大洲城(58km地点)までは、久保さんという強いランナーの方と並走しました。走ることが本当に好きで、ジャーニーランをこよなく楽しんでいるのが伝わってくる人です。「痛い、寒い、眠い」とブツブツ文句たれっぱなしの僕とは、精神のステージが何段も違います。8日後、久保さんはこの大会4人しかいない完走者の1人となりました。やっぱし大切なのは「心」なのです。侍ハードラー・為末大の著書でも読んで、人生を一からやり直したいです。
 家々の外壁に水害の爪痕が残る大洲市街を抜け、標高25mの大洲城を登ります。宇和島城と違って足腰にやさしいスロープ状の坂でした。
 日がとっぷり暮れた頃に、女子旅の聖地とされるレトロタウン内子(70km)の旧街道を抜けます。その後、指定されたコースは四国の外周ではなくなぜか内陸へ内陸へと向かいます。
 谷間の底にある「道の駅 小田の郷せせらぎ」に着いたのは夜8時すぎ。ここまでの90kmに10時間30分ほどかかりました。あれこれ道草したり、道ばたに座り込んでお菓子を食べたりしてた割には、早い到着となりました。
 道の駅で到着を待ち構えてくれていたレース主催者の河内さんのワゴン車に5分ほど乗せられ、古民家を改装した宿泊施設「京の森」に運ばれます。ここでは食事や仮眠室を用意してくれています。宿のご主人に「薪で沸かした」という温かいシャワーを薦められ、遠慮なく使わせてもらいました。畳の部屋でちょっとだけ仮眠しようと試みましたが、初日の夜ということもあり、眠りに落ちるほど衰弱してなくて、目が冴えわたっていて眠れません。ありがたくカップ麺と河内さんお手製の焼き鳥を堪能した後に、深夜の峠道へと踵を返しました。
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【2日目/大佐礼峠106km~今治市201km】
 標高556mの大佐礼峠(106km地点)は、霧雨やガスに覆われて真っ白です。急坂すぎて歩きだしてしまいました。歩きだと距離が稼げなくなります。1時間に3、4kmしか進みません。走れている時は体調も気分も良かったのに、ずどんと重い疲労がのしかかってきます。峠道を下りきって海沿いの双海町(125km地点)に出た頃には、ふらふらになってました。毎度そうなんですが、2晩以上の徹夜レースでは初日の夜越えがいちばん苦しく感じます。何日間もぶっ通しで走るという異常な世界に慣れる前の「ふだんの自分」と、幻覚や幻聴をBGM代わりにしてしまう「イカれた自分」との境界線の手前にいるからです。
 伊予市街手前で標高差100mほどの峠道にさしかかります。ゆるい登りですが走る気力が湧かず、ひたすら歩きます。伊予市から松山城まで15kmほどが果てしなく遠く感じられます。
 松山城(151km地点)に着いたのはお昼前。ここまで26時間もかかっています。遅いです。ゴールデンウィーク真っ盛りの松山城は、観光客の人波が途切れません。標高132mの天守まではリフトやロープウェイのゴンドラを仰ぎ見る格好で坂道を行きます。足をぶらぶらさせて暇そうにリフトに乗っている観光客を睨みつけながらヒイコラ登ります。天守前の広場に着くと、売店でいよかんソフトクリームを買い、木陰のベンチに寝そべったままナメナメします。とても行儀が悪いです。
 松山市街からは50km先の今治市へと北上します。「愛媛マラソン」のコースをなぞる広いバイパス道に出ると、雨足が強くなってきました。荷物を最小限にするため雨具や防寒具は持ち合わせていません。コンビニでビニル傘を買い、差したまま走ります。500円のビニル傘は想定外に大きく頑丈な作りで、風をはらむと身体ごと持っていかれそうになります。
 吹きっさらしの伊予灘沿いに出ると風雨をさえぎる物なく、傘をナナメ差しにして踏ん張ります。スタートから200km地点の今治市街に着くまで、雨は降り止みませんでした。今治港の近くに1泊3500円の安宿が確保できたので、今夜は天井のある所で安眠できます。
 夜8時すぎに宿にチェックインしました。服を来たままシャワーを浴び、髪の毛でたてたシャンプーの泡をシャツとパンツになすりつけ、入浴と洗濯を同時に済ませます。ウェア類は手絞りした後でバスタオルで三重にくるみ、青竹踏みの要領でコネコネと足踏みすると水気が9割方取れます。人力脱水した服は、浴室のポールにポイッと掛けておけば、出発前には乾いているはずです。
 それから食事を取ろうとしましたが、フロントで聞くと徒歩圏内の飲食店はすべて閉まっていて、ドラッグストアが1軒あるだけとのこと。選択の余地なくドラッグストアに入ると、弁当やおにぎりなどごはん物はぜんぶ売り切れていました。仕方なくカップ麺とカップ焼きそばを買い込み、粗挽きウインナーを乗せてむさぼり食いました。
 起きたらすぐ走りを再開できるよう準備を整えてベッドに寝転ぶと、30秒で意識が失くなりました。
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【3日目/今治市201km~観音寺市290km】
 目覚めると真夜中の2時すぎです。瞬きしたくらいの時間感覚ですが、就寝から6時間も経っています。熟睡したのか頭はスッキリしています。午前3時にホテルを出て、チェックポイントの今治城に向かいます。今治城は海に近い平坦な場所にあり、お堀に架かる橋を渡ったら天守がすぐそこにありました。今までのお城とは違って階段がなく楽ちんです。
 国道195号線を伊予小松まで24kmほど南下していくうちに夜が明けました。国道11号線につきあたり、香川県方面へと左折します。ひたすら西へ西へと進んでいくと、国道から100mほど南側に遍路道が並行している様子が見え隠れしはじめました。車の通行量が多い国道を離れ、遍路道に移動します。風情のある旧街道は、ふだんはたくさんのお遍路さんが歩いているのでしょうが、雨模様だからか人の姿はほとんど見えません。しょぼ降る雨に濡れた庭木や門塀が静逸な空気を湛えています。
 新居浜市を過ぎ、三島川之江地区の郊外にさしかかると雰囲気が一変します。大王製紙など大工場群の奇々怪々な配管や、高さ200mもある高い煙突が、左右を圧します。激しく行き交う大型トラックは、深い道路の轍にたまった雨水を跳ね上げ、容赦なくバッシャーンと大量の泥水を浴びせかけます。文句を述べる筋合いはありません。運転手さんは平成最後の1日にも関わらず働いている勤労者であって、こっちはフラフラほっつき走っている気楽な徘徊者です。
 日没間近の川之江城(273km地点)の天守からの下り坂にさしかかると、雨がジャンジャン降りになってきました。傘では太刀打ちできない雨量で、カッパを調達して着てみましたが効果はありません。頭から爪先までびしょ濡れです。うー寒い、5月なのにこんなに寒いとは。凍った手足の指先がピリピリ痺れ、腕を抱え込んで懸命に脚を動かしても体温が戻りません。
 緻密に計算したペースよりも3時間ほど遅れています。今夜は50km先の丸亀駅前にビジネスホテルを取っています。深夜11時頃に着く予定だったのですが、このままだと深夜2時を過ぎてしまいそう。
 夜10時頃に、香川県観音寺市街に入りました。ところが撮影ポイントの「道の駅ことひき」にたどり着けないのです。地図では確かにこの辺りにあるはずなのに、見あたりません。道の駅のような目立つ施設が、道路沿いに現れないとはどういうことなんだ? その時は気づいていなかったけど、道の駅が見つけられない時点で、僕のアタマは少しおかしくなっていたのかも知れません。
 パラパラと降りやまない雨が、手に持った紙地図をボロボロにしていきます。同じ道をぐるぐる回っていると、自転車に乗った青年が通りかかりました。
 「この辺に道の駅ってないですか?」と尋ねると、「あっちだと思う」と案内してくれます。さっき通ったばかりの道を500mほど戻りますが、道の駅はありません。親切な青年は、雨に濡れるのも構わずスマホを取り出し地図検索してくれてます。そして「こっちかな」と行ったり戻ったりし、僕は彼の自転車に離されないようダッシュを繰り返します。
 (自分で探した方が早いんだろうな。でも、もういいですって言えんし・・・)と葛藤がはじまります。同じ道を3往復いったり来たりしているうちに、アタマが軽くパニックを起こし始めました。とにかくこの状況から一刻も早く逃げだしたくなり「あっ、ここ前に来たことあります。思い出しました、たぶんこっちです」と青年にウソをつき、お礼を述べまくって、自転車の後を追いかけるのを止めました。
 結局のところ、自分のスマホで位置検索すれば、無理なく道の駅にたどり着けたのです。スタートからここまで3日間、頑なに紙地図オンリーで来たので、GPSを頼るのに抵抗あったんです。いつもながら無意味で無価値なこだわりです。深夜の「道の駅ことひき」は照明一つ着いておらず真っ暗で、松並木の奥にひっそり佇んでいました。
 なんだかドッと疲れが押し寄せてきました。
 さっき感じた小さなパニックの点が、インクの染みのように脳の中に広がっていき、異変が起こりはじめました。
 説明が難しいんですが、極端な自暴自棄というか、淀みに浮かぶうたかた的な「あらゆることがどうでもいい」という液体状の感情が、頭蓋骨の内側に満ちているのです。
 その様子を冷静に観察している自分もいます。「今の自分はヤバい。何をしでかすかわからない。とりあえず今夜は走るのを中断した方がいい」と真っ当な方の自分が判断し、行動を止めさせようとします。
 しかしヤバい方の僕は、かすかな尿意と便意を人質のように捉え、暴走をはじめました。
 公衆トイレに入ると、3メートル先に洋便器があるにも関わらず、「便器までいって座るん面倒くさい、パンツ下ろすん面倒くさい」との圧倒的な自我に支配されます。そして、パンツをはいたまま、やらかしてしまったのです。放尿と脱糞を同時に!
 理性のタガが完全に外れています。一世風靡セピア調のリズムで「ええじゃないかええじゃないか」という奇妙なお囃子が耳の奥で鳴っています。
 いつか自分が「老人」と呼ばれる年齢になり、ズボンをはいたままウンチを漏らす日常を過ごす時も来るでしょう。ヘルパーさんに「ごめんよごめんよ」と侘びながら、泣く泣く漏らすのかなと想像していましたが、意外に攻めの思考回路の果てに漏らすんだなあ。何事も実際やってみないとわからんもんだな・・・と冷静な方の僕が納得しています。 たった290km走っただけで、僕はあっけなく壊れてしまってるんだな。 (つづく)