バカロードその137 史上最長のレース2「救いの紙」

公開日 2019年10月15日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)

(前号まで=「四国おおもりオールナイトマラニック」は、四国4県をめぐる総距離785km、制限時間8日間のノンストップレース。愛媛県宇和島市を出発し3日目の夜、290km地点の観音寺市に入ったものの、疲労と睡眠不足の果てに理性が崩壊しはじめ、ウンチとオシッコを同時に漏らしてしまう・・・何なんだろねこの説明。すみません)

【4日目/観音寺市290km~三頭峠358km】
 丸亀駅前の安ホテルで早朝起床。始発電車に乗って、昨夜走るのを中止した観音寺駅へ引き返します。アタマが錯乱した挙げ句、ウンチを漏らした道の駅ことひき近くの公衆トイレに戻り戦線に復帰します。
 他のランナーの居場所情報がメールで届きました。先頭を行く選手は、すでに60kmも先にいて、徳島県境を目前にしています。昨夜時点では10~15kmほどの差だったのに、ホテルで寝て電車移動している間に、途方もない距離を開けられてしまいました。
 大会ルールでは、先頭選手から100km以上離されると、巡回している主催者の車に乗せられ、100km先まで強制ワープさせられる事になっています。今夜は睡眠時間をゼロにして前を追っかけないと、たちまち100kmくらいの差はついてしまいそうです。
 善通寺市を経て、丸亀国際ハーフで何度も訪れたことのある陸上競技場より方向転換し、丸亀市中心部へと続く直線道路に出ます。
 視界のいちばん奥に、こんもりと緑に覆われた丘と、頂にある白い天守閣が見え隠れしはじめます。ようやく丸亀城にやってきた・・・と、感慨にふけっていると油断が生じました。アスファルトのほんのわずかな亀裂につま先が引っ掛かり、スピードを乗せて走っていたため派手にすっ転びました。受け身は取れたものの、膝頭がざっくり切れ、血がしたたり落ちています。パカッと開いた傷口には、油ぎったアスファルトの欠片が何個もめり込んでいて、水洗いとか消毒をした方がいいんだろうけど、見るのも触るのも怖いので、何もなかったことにして、何もしないことに決めました。
 「高さ日本一の石垣」を謳う丸亀城(316km地点)の城壁は、四段の石垣を立体的に重ねています。そのため見た目の高度感は抜群ですが、天守閣のある広場は標高66mとそう高くはありません。観光客で溢れてそうな正面入口はパスして、南側の裏口っぽい門から入城し、スロープ坂を登るとあっけなく本丸広場に達しました。見晴らしはいいけど、のんびりしていられる時間はありません。すぐに踵を返し、次のチェックポイントである金刀比羅宮へと向かいます。
 丸亀から琴平まではわずか14kmと至近距離です。ふだん車で移動しているとわからないものですが、自分の脚で走ればそれぞれの街の距離感がつかめます。2つの街を結ぶ広いバイパス道には、車道を何本も取れそうな幅広の歩道が続きます。歩行者の足に優しいクッション性のある路面が採用されており助かりますが、ふだん誰も歩いてなさそうな場所に、謎めいた公共投資です。
 金刀比羅宮では本宮までの785段の石段を登ります。こんぴらさんに何か願い事をしたいわけじゃないですよ。それがこの大会のオキテです。とにかく山の上にある史跡にはすべて登るべし!なのです。
 めでたくと言うか生憎と言うか、本日は令和元年の初日とあって、人波が石段を埋め尽くしています。肩が触れあうほどの密集度です。参拝客たちは手にしたソフトクリームをぺろぺろ舐め回し、袋入りのレモネードをちゅうちゅう啜って、令和初日の浮き立つ気持ちをスイーツに投影しています。一方の僕は、石段を真っ直ぐ登れる筋力が太腿に残っておらず、右に左にとふらついては通行者に眉をしかめられます。本宮にたどりつくと賽銭箱の前には100人ほどの行列ができていて、神頼みするテーマもないので参拝はあきらめます。
 展望台からは、琴平の街とその背後にこれから向かう阿讃山脈の屏風のような連なりが見えます。西の空がオレンジ色に色づいています。さてさて、28km先の徳島県境・三頭峠(標高479m)トンネルを目指しますかぁと石段を駆け下ります。
 観光客でごった返す表参道とアーケード街を抜けると、石畳の門前街を歩く人は誰もいなくなりました。歩き参拝客が中心だった昭和の頃までは、この道もさぞや賑わっていたんだろうな。
 コースは馴染み深い国道438号線に合流し、讃岐まんのう公園前から美合渓谷へとさしかかります。日はとっぷり暮れています。当初予定では県境手前の「道の駅エピアみかど」の温泉で身体を洗い、畳敷の大広間で仮眠をとる計画でしたが、とうに営業時間は終わっています。山峡の寒さがひたひたと迫り、自販機でホットコーヒーを2本買ってシャツの腹の所でくるみ、トイレの隅にうずくまってコーヒー熱で体温を上げようと試みますが、いっこうに暖かくはなりません。
 深夜12時近く、県境の三頭トンネルを抜けて徳島県に入りました。スタートから358km、4日目の一日が終わりました。

【5日目/三頭峠358km~那賀町もみじ川温泉466km】
 日付が変わっても、今夜は眠ることは許されません。寝たら(たぶん)強制ワープ対象となり、完走の夢は潰えます。またまた情報が入り、先頭をゆくランナーらは徳島市に入っているとのこと。昨日の朝方と変わらず60kmの差です。ただし先行選手たちは、徳島市内のネットカフェやスーパー銭湯で仮眠を取る予定だとか。距離を詰めるには彼らが寝ている今夜しかありません。
 もはや脚に力はなく、三頭峠の長い坂を重力の惰性のままに下っていると、闇の中から3人の人影が現れました。顔見知りのウルトラランナーの方々です。当大会のコースを車で逆走しながら、選手たちを応援しているのだそう。1時間に1人くらいしかやってこないはずのランナーを探しながらです。徳島市内からこんな遠い山中まで、ありがたやです。車の荷台からたくさんの手づくり料理を出してくれます。冷めないように保温してくれていた塩おむすびが美味しい! 昨日一日、ひとかけらの食料も口にすることなく走っていたことに気づきました。たくさん運動しても、案外お腹って空かないもんなんですね。
 さて、2日前からどの選手とも遭遇しませんでしたが、ついに目撃しました。しかしその人は、三頭峠を下りきった所にあるコインランドリーのベンチで死体のように倒れていました。顔はジャージで覆われていて見えないし、起こすわけにもいきません。窓の外から覗き込んだだけで通り過ぎます。そして、脇町の中心商店街のコインランドリーでも別の選手が丸まって眠っていました。
 ジャーニーランでは、夜中に1時間ほどの仮眠を取るのはよくある事です。しかし体力に余裕があって惰眠を貪っている人と、限界の極致にある人では醸し出す雰囲気が違います。このお2人は、ちょっと再生不能なくらい衰弱しているように見えました(実際そのあとでリタイアされたようです)。
 阿波市から岩津橋を通って吉野川を渡り国道192号線へと移ります。次のチェックポイント徳島城跡までわずか35kmほどなのに、果てしなく遠く感じます。強烈な睡魔がやってきては、堤防の草むらで仰向けになったり(草がびしょびしょで最悪)、三角座りをして歩道のガードレールに背中を預けます(自転車のオッサンがびっくり)が、寒気が強くて眠れません。
 川島、鴨島あたりの記憶は飛んでいます。眠りながら走っていたんだと思います。長い夜がようやく明けると、石井町のバス停のベンチに朝の光が射し込んでいました。暖ったかそうでつい腰をかけると、そのままのポーズで眠ってしまいました。「いけるでー」という声で目を覚ますと、乳母車を押したおばあさんがこちらを見つめています。死んでいるのかと思ったそうです。たいそう身の上を心配してくれました。
 寒い夜が終われば、元気は復活します。車が激しく行き交う国道192号線の上に5月の澄んだ青空が広がっていて、鮎喰川の奥にはなだらかな稜線を描く眉山が優しく横たわっています。沿道の並木は若々しい新緑の葉を湛え、太陽の光をかざすと瑞々しいグリーンを輝かせます。嫌ってほど見知っているはずの徳島が、400km走るという行為を経ると初めて訪れた街のように感じられ、まるで違った様子で目に写ります。
 正午すぎに徳島城公園(414km)に着き、お城の近くにある職場に停めてあったバイクに乗って自宅に戻ります。途中、吉野家に寄り道して、牛丼特盛をテイクアウトします。家に着くやいなやシャツやパンツやシューズやリュックをドバドバ洗濯機に放り込み、シャワーを無心に浴びて、ヘッドランプの電池を入れ替えたりこまごまと出発に必要な準備をし、洗ったウエアをベランダに干したら、牛丼特盛をビールで流し込んで、布団に潜り込みます。3時間眠ってから徳島城に戻り、夕方4時には走りを再開しました。
 かちどき橋から論田、小松島を経て立江の旧街道に入ったあたりで日没。無性に塩気が欲しくなり、灯りの点いた商店に飛び込んでサッポロポテトや駄菓子を3袋買い、バリバリかじりながら走ります。
 加茂谷橋を渡って那賀川を越え、旧鷲敷へと山越えする峠道にさしかかると冷たい強風が正面から吹きつけだして、寒くて寒くて心が折れてきます。街灯のないくねくね夜道は果てることなく続きますが、もちろん終わりはあります。国道195号線に突き当り、道の駅わじき(446km)からは民家が点在しはじめました。丹生谷の底は冷気に満ちていて、これだけ人の気配のある場所なのにどこにも休憩できそうな場所が見当たらないことが、辛さに拍車をかけます。期待した旧鷲敷の市街地にも暖を取れる場所はなく・・・コンビニの休憩スペースは終了し、コインランドリーは施錠され、バス停は吹きっさらしと空振りが続き、あっけなく商店街は終わりを告げました。そしてまた街灯のない森の中の道がはじまります。

【6日目/もみじ川温泉466km~四ツ足峠517km】
 5回めの夜明けは、朝霧もやる川口ダム湖の奥にようやく見えたもみじ川温泉(466km)前で迎えました。ここも予定では入浴して仮眠を取るポイントとして設定していましたが、開館前で利用できません。あらかじめ組み立てた予定と、実際の行程が後ろに半日ずれてしまっているために、あちこちの温泉施設への到着はことごとく営業時間外で、昼間に睡眠を取りながら進むという甘い目論見は外れっ放しです。
 旧上那賀町の中心街は、那賀川が刻む深い谷の上辺にへばりつくように高層の病院や集合住宅が建っています。街外れの商店に入ると、こんな山の中の店であるにも関わらず、ハマチやブリなど海獲れの魚が保冷氷の上にずらっと並んでいます。
 値札ラベルに自家製と書かれた白身魚の握り寿司と焼き鳥を選びました。レジをしてくれるおばちゃんが「これも持っていきよー」とお菓子やドーナツをポイポイと袋に放り込んでくれます。四ツ足峠まで走っていくと言うと「(木頭の)北川まで車で行くんも遠いのに気の毒な・・・」と気をもみ、店の外まで出て見送ってくれました。
 道ばたに座り込んでつまんだ白身魚寿司の分厚く弾力に富んだネタは、甘みに溢れ、柚子酢がキュッと効いていて、脳内快楽物質が爆発するほどの美味さです。わが人生でこれ以上の鮨を食ったことがあるだろうか? ないと思います。
 木頭の歩危峡の手前で、大会主催者の河内さんが車で追いついてくれ、ガスコンロにフライパンを乗せて肉入り焼きそばを作ってくれました。先頭から最後尾まで120km以上は開いているとのこと。その間にいるすべてのランナーの世話を焼きながら、前へ後ろへと移動しているようです。ほとんど眠ってないんだろうな、瞼をぽてっと腫らしています。それでも40kmほど後ろにいる最後尾ランナーが「ぜんぜんあきらめる気がないんよー」と愉快げに話してくれます。どうやら、先頭から100km離されたら強制ワープルールはご愛嬌だったらしく、「本人があきらめないかぎり収容せず走らせる」という方針のようです。いや、それどころか「○○さんからリタイアするって電話があったけど、まだアカン、もっと走ってみてって断った」と、リタイアすら認めない方針のようである。うーむ、怖い。
        □
 木頭の商店街(502km)を抜け、高知県境の四ツ足峠へと続くだらだら坂を登っていると、ゴロゴロと絵本の効果音のような雷鳴が近づいてきます。小雨がポツポツと地面に黒点を描きはじめます。灰色の雲が低空まで降りてきて、狭い空を絵巻物のように通り過ぎます。数分後、小雨は一気に滝雨と化しました。強雨のことを「滝のよう」と比喩する事は多いですが、実際は本物の滝ほどではありません。しかしこの雨は本当に滝みたいです。アスファルトに叩きつけられた大粒の雨は王冠を作って跳ね上がり、地表を白い霧状に覆っていきます。枝分かれした稲光が上から左右から空を切り裂くと、数秒後にはドーンという落雷音が森と地面を揺らします。
 全身びしょ濡れなのは仕方ないとして、日没が迫っている今、この荒れまくりの天候のなかを、15キロも彼方の四ツ足峠へと足を踏み入れるべきなのか。この先に雨宿りできる集落があるかどうかもわかりません。
 深く刻まれた谷あいの、那賀川の激流が立てる轟音の縁に、一軒の新聞販売店の建物が見えてきました。地獄の底で、天から垂らされた蜘蛛の糸のように思えました。軒先に逃げ込みます。雨を直接浴びないだけでずいぶん助けられます。でも強い風を遮ってくれる壁や屋根はなく、横殴りに降り込む雨のために乾いた床面はありません。活動を停止すると急速に寒さが増し、がたがた震えがやってきます。
 軒下にある新聞スタンドに何紙かの新聞が差され、料金を小銭箱に入れると購入できるようになっています。新聞紙一枚でも防寒の足しになるものがほしい・・・。販売している4紙のうち一番分厚いページ数のデイリー新聞を選び、代金を箱に入れます。新聞の束を3つに分け、ひとつをシャツの中に入れて胴回りに巻きつけます。別の束を肩から蓑のように被り、下半身にもスカート状に巻きつけてみます。壁に背中をぴったりつけて三角座りになり、ひたすら雨が降り止むのを待ちます。
 通り雨であることを願って空を見上げますが、稲妻と雷鳴はますますひどく、軒先から垂れる雨粒が風にあおられて吹きかかり、身体に巻きつけた新聞紙を濡らしていきます。それでも短パン、半袖シャツにそのまま風雨が当たるよりはよほどマシです。
 だんだんと夜の帳が下りてきます。空を覆う雲はますますドス黒く、叩きつける雨音に谷底は支配され、誰に助けを求めるわけでもないんだけど、スマホが圧倒的な「圏外」を示していることが絶望感を高めます。誰も見てない、誰も知らない場所で、デイリー新聞にくるまりながら、なすすべもなく追い込まれている自分って何なんだろ。 (つづく)