公開日 2020年02月06日
文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)
(前号まで="アフリカ大陸徒歩横断"を目論む十九歳のぼくは、その試金石として北海道宗谷岬から鹿児島県佐多岬まで日本列島を縦断する二千七百キロの歩き旅をくわだてる。ところが居候をしていた牧場で、一匹の子犬"おけけ"を貰い受けたことから事態は思わぬ方向へ)
絶世の美女がぼくを覗き込んでいる。
長いまつげはしっとり濡れ、ぽってりした唇にタヒチアンレッドの口紅が光る。怪しの微笑みを頬に浮かべると、ぼくの耳たぶを舌で愛撫する。骨盤あたりからゾクゾクと悪寒にも似た快感が押し寄せる。大胆に開いたカクテルドレスの胸元に、豊満なバストが揺れる。張り出した腰が、軟体動物のようにくねくねと動き、ぼくの下半身にぴったり密着して圧力を増していく。耳の穴の奥深くまで、タラコ色をした舌がチロチロ侵入してくる。
ああ、もうダメなんです・・・耐えられません。あああ、やめてくださいよう。
一瞬、銀色の光が視界を占拠する。ゆるやかに瞼を開け、網膜に飛び込んでくる光量をコントロールする。甘美な記憶を失わないよう、ゆっくりと、そっとだ。
ぼくの湿った鼻の先っちょには、確かにつぶらな瞳の女の子がいる。彼女は、ぼくの顔じゅうをペロペロと無邪気に舐め回している。
正体はこいつか! あぁ願わくば夢の続きを・・・再びぼくは惰眠を貪る。
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干し草の中で眠る幸福感といったら、たとえようもない。夏の間、トラクターによって何重にも巻き取られた巨大な干し草ロールの中心の方で、乾ききらない牧草は冬の間じゅう静かに発酵し、表面に微熱を運んでくる。
毎日が野宿の貧乏旅行者にとって、夜の闇にまぎれて忍びこむ農家の干し草小屋は、天国そのものだ。鉄道駅の凍ったプラスチックのベンチや、工事現場の埃っぽいプレハブ小屋や、すきま風吹きすさぶバスの待合所に比べれば、チクチク肌を刺す牧草は、一流ホテルのふかふかのダブルベッドに等しい。冷え切った身体に温かさの芯が灯れば、睡魔が訪れる。その寸前の悦びといったらない。
同行者一名。
といっても、そいつはぼくの背負った赤いリュックの中で、一日の大半を過ごしている。
名は「おけけ」という。
白毛で、まるまる太った雑種のメス犬だ。生後およそ二カ月。アイヌ犬の血を多少なりとも引いているのか、体に不釣り合いなほど大きな耳をピンと立て、未知の世界からの情報を懸命に採取しようとしている。
この旅は、ぼくの旅であり、おけけの旅でもある。
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三日前、ぼくと子犬のおけけは、日本徒歩縦断の出発地点となる北海道宗谷岬にいた。
オホーツク海の波濤うちよせ、凍てつくシベリアの大地より吹く北風は頬を切り・・・という哀愁演歌の世界を想像し、鈍行列車とバスを乗り継いでやってきたわけだが、現実はそうでもなかった。原色ギラギラの看板を掲げた土産物屋が建ち並び、「さいはて音頭」といった類いの安っぽい民謡がスピーカーより虚空へと放たれている。ツーリング客らはブオンブオンとエンジンを空吹かしし、団体旅行客は酔っ払った赤ら顔をして時間の潰し方がわからぬ様子であたりを徘徊する。日本のほとんどの観光名所に等しく、ここも風情などないのであった。
(さておけけよ、ここがぼくたちの旅立ちの場所だよ)と振り返ると、さっきまでそこらの芝生の上で寝転がっていた子犬がいない。あたりを見回すと、派手な洋服を身にまとった女子大生らしき集団が、輪になっておけけに群がっている。
「いやーん、かわいい~」
「まだ子犬だねー。あーん、わたしにも抱っこさせてェん」
おそるおそる近づくと、
「すみませーん。この子にカマボコあげていいですか~」
とお姉さんの一人。
「ど、どどどうぞ」とぼく。
「この子と一緒に旅してるんだぁ。どこまで行くの?」
「鹿児島まで歩いていきます」
「えー、すっご~い。ウエムラさんみたーい」と一同(注釈/1980年代、国民栄誉賞を受賞した探検家・植村直己は女子大生にも知られるほどメジャーな存在であった)。
「いっしょに写真撮らせてもらっていいですかァ~」
と求められたので、
「はは、どうぞ」
とうろたえながら返事する。
おけけとぼくは、激しく煽情的な香水の匂いを放つ四人の女子大生と、代わる代わる記念撮影をした。いちばん美人のお姉さんは、ポーズをとるときぼくの腕をガシッと掴んで「ピースピース」と言った。ぼくのヒジのあたりが、お姉さんの柔らかい乳房にギュッと押しつけられ、(ああ、時よ永遠なれ!)と心のなかで叫んだ。
華やかな撮影会が終わると、自らリュックにもぐりこんだおけけをヨイショと背負い、「日本最北端の地」のモニュメントを離れ歩きはじめる。
「頑張ってぇ~ん」
「東京まで来たら連絡してね~!」
「おけけちゃんファイトぉーん」
お姉さんグループが、悩ましげな黄色い声で見送ってくれる。実にしまりのなく、しかし幸福な旅立ちである。とにかく鹿児島めざして出発だ、おけけよ!
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日記/九月十六日。
歩きはじめて三日目だ。農家の物置小屋で寝ていたら、小学生のガキに発見されて睡眠を妨害される。朝から十五キロ以上歩いても、自販機の影すら見えない。水道も川もない、街も現れない。ノドの乾き、空腹感でもだえ苦しみ、ついついおけけ用に買ってあった牛乳を半分飲んでしまう。
振老(ふらおい)という牧場しかない一本道をふらふら歩いていたら、車が横づけに停まりビールをくれた。ビールを飲むともっとふらふらした。
午後二時。天塩町(てしおちょう)着。スーパーで買った巻き寿司をおけけと山分けする。
午後九時。遠別(えんべつ)という街の「居酒屋のぶちゃん」にて、みそラーメンとごはんをタダで食べさせてもらう。「道向かいの運送屋の詰め所のカギが開いてるからそこで寝ろ!」と大将にアドバイスを受ける。電気の消えた運送店に無断でしのびこみ、床に段ボールを敷いて寝る。
今日は四十五キロを歩く。歩くのは苦痛じゃない。明日からは五十キロを目標に歩こう。
日記/九月十八日。
ここまでリュックにほとんど一日中こもっていたおけけが、「歩きたい」という顔をして這い出してくるようになった。
広大なひまわり畑の中を突っ切って豊岬(とよさき)に着くと、雨が降りだした。えらく寒くて、お腹をすかせたおけけに冷たい牛乳をやると、カタカタ震えだした。
やがて強風となり、叩きつけるような雨が来た。雨宿りする場所もなく、びしょ濡れで歩きつづけた。
夕方、海沿いの崖の上にある「第二栄」というバス停の小屋に逃げ込むと、壁いっぱいに落書きがされていた。自転車で日本一周中の人が二人、徒歩で日本縦断の人が二人。バイクやリヤカーやいろんな野宿旅行者がこのバス停で夜を明かしたのだな、と思うと勇気が湧いてくる。
外は大風、バス停の薄っぺらなトタンとベニヤ板の壁を叩く。荒れ狂う海の波音が地響きとなって伝わる。寒い、けれど眠れないほどじゃない。たくさんの夢を持った若者たちが過ごしたこのバス停は優しさに包まれている。
おけけが頭の横でションベンしたせいで髪の毛が濡れる。嵐のため三十一・七キロしか歩けなかった。
日記/九月二十一日。
雄冬岬(おふゆみさき)の手前で高い峠を越える。朝からおけけはまったく歩こうとしない。歩古丹(あゆみこたん)という打ち棄てられた集落をボーッと歩いていたら、目の前にマムシが! あと一メートルまで迫っていた。
午後三時、雄冬の漁港着。札幌まで百キロを切った。おけけは一日中眠ってばかりだ。どこか具合が悪いのだろうか。
夕方六時。野宿をするためバス停の小屋に入ると、自転車旅行中のオッサンが先客にいた。オッサンはロレツが回っておらず、意味不明のことを口走りつづけている。「じ、人類は進化すると、男はみんなホモになるんだ。ホ、ホモってどう思うキミ」とか「コカインは、イ、インドではコークって言うんだって」とかデンジャーな発言が多く、朝までヒヤヒヤしてよく眠れなかった。三十四・四キロ歩く。
日記/九月二十九日。
あと五十キロで函館だ。森町という街で、商店のおばさんが牛乳をくれる。ちょうど高校の登校時間と重なってしまって、女子高生に囲まれてキャアキャアと騒がれ、おけけとぼくは困ってしまう。
駒ヶ岳山麓にさしかかると、たこ焼き店から顔をのぞかせた美人のお姉さんが「今朝、車からキミたちを見かけたよ」と言って、たこ焼きとかつおぶしをくれる。さらにはドライブインの店員さんが「おーい」と追いかけてきて、紙に包んだホットケーキを手渡してくれる。「わたし犬好きなんですよ、ホッホッホ」と笑って去っていく。
その先では、道沿いの雑貨店の前でウンコ座りしていたヤンキー風の兄貴がこっちを睨みつけてくるので、殴られるのかと思いビクビク前を素通りしたら、後ろから「おい少年、ホットドッグ食べない?」とお店にお金を払い「犬の分も」と2個買ってくれる。そして「頑張りな」とおけけの頭を撫でてくれる。
夜中の十二時、ついに函館着。四十九キロ歩く。
ここからは青函連絡船に乗って青森に上陸するのだ。
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おけけは行く先々で人気者になった。リュックから首だけを出して、あたりをキョロキョロ見まわしている彼女は、道ゆく人たちの目に愛らしく映るようなのである。
小学校の下校時間ともなれば、大変な騒ぎになってしまう。物珍しい旅行者とチビ犬のコンビは、小学生にしてみたら、とてもやり過ごしてはおけない存在であるようだ。子供たちは好奇の視線を浴びせながら、ぼくらの後ろを二十人もの大行列をなしてついてきてしまう。ハーメルンの笛吹き男になったようである。
一方で、おばあさん世代にはよく説教された。
「こんな産まれて間もないこっこ犬を連れて歩いてかわいそうでしょ!」
と言うのである。
ぼくは返す言葉もなく「ごめんなさい」と謝るしかない。何べんも謝った。
そのうちぼくは、自分がこの子犬の従者であるような錯覚に陥りはじめた。
知らぬ間に、旅の主導権を完全におけけに握られているのだ。この旅は、アフリカ大陸を歩いて横断するための前哨戦であり鍛錬の場として企画した。しかし今のぼくは、いかにおけけ様につつがなく旅していただけるか、おなかは空いていないか、機嫌をそこねるような事をしてないのか・・・そのような心配ばかりしながら歩いているのである。
おけけの態度も、なんとなくエラそうになってきたような気がするのだ。(つづく)