バカロードその141 おけけとぼくの旅3~日本徒歩縦断2700キロ~

公開日 2020年04月04日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)

(前号まで="アフリカ大陸徒歩横断"を目論む十九歳のぼくは、その試金石として北海道宗谷岬から鹿児島県佐多岬まで日本列島を縦断する二千七百キロの歩き旅をくわだてる。ところが居候をしていた牧場で、生後間もない北海道犬「おけけ」を貰い受けたことから事態は思わぬ方向へ。沿道のさまざまな人たちの情けに涙しながら、二週間目にして函館にたどり着く。そして冬の到来も近い東北路へと足を踏み入れるのだった)

 ガンコウケータイ的ハッテン
 ガンコウケータイ的ハッテン
 ガンコウケータイ的ハッテン
 眠れない夜、ぼくはあのグラフを思う。
 驟雨の下水管の中で、みぞれ舞うテトラポットの型枠の底で、ぼくとおけけはだんご虫のように丸まって「ガンコウケータイ的ハッテン」と百回つぶやいてみる。
 社会科の教科書の隅にぬらりとたたずむ、あの斜め右上にフニャフニャと伸びる意思の薄弱そうな曲線。睡魔の回路にたちまちアクセスし、すみやかに瞼の荷重を増大させる無遠慮なグラフ。
 「雁行形態的発展」とは、ある特定の経済区域において好不況を交互に繰り返しながら、マクロ的には経済が上昇していくという状態を示したもので、それがどうしたんだい?という理論である。狂騒と浪費も、絶望と苦悩も、そこでは単なるフニャフニャ曲線として描かれる。庶民の苦悩を他所に、あくまで右上方へと飛躍していくであろうとのハッピーでオプティミステックな未来予想図。「ガンコウケータイ的ハッテン」と百回繰り返す間に、ぼくの眠りの深度と同調しながら経済は発展し、社会と遠く隔たった下水管の中で、無一文に等しいぼくは安らかに眠りにつくグー・・・・・・。

日記 十月二日。
 朝起きるとひどい雨だった。鈍い雨空は気分を憂鬱にし、夜中に忍び込んだ建設現場のプレハブ小屋で、寝たり起きたり茶を飲んだり、また寝たりして過ごす。
 朝遅くに出発。腹の調子が悪く、平賀町(現在の青森県平川市)で大便をもらしそうになり、駅へと駆け込み何とか危機を脱する。無理に走ったので足のマメが裂けて出血する。
 一日中、話しかけられていた北海道とは対象的に、津軽の人たちは無口である。ぼくたちの姿を見かけると、困ったような表情をする。
 昼過ぎに入った大衆食堂のおばさんが、おけけにソーセージをくれる。ぼくには「胃腸が悪い時はりんごがいちばん」とりんごを三個包んでくれる。津軽弁の訛りが激しくて、実際には何と言っているのかわからないが、だいたいの意味を推測しながら会話する。
 それからしばし歩くと、国道沿いのりんご販売店のおばあさんがりんごを五個くれる。「傷物だけど味は天下一品」と津軽弁で自慢している(たぶん)。碇ケ関(いかりがせき)という街では、おばさんが追いかけてきて、鶏ガラとドッグフード入りのごはんをおけけに、ビニル袋にずっしり入ったりんごをぼくにくれる。数えると八個もあった。
 リュックはりんごで溢れ、今日だけで十個以上食べたけど、まだぎっしり残っている。さすが青森だな。朝、サボったので二十六キロしか歩けなかった。

 徒歩旅行者はいろんな場所で眠る。
 真夜中の野球場のベンチ、田んぼの脇のポンプ小屋、深夜営業のランドリー、ドライブインのトイレ、ショベルカーの運転席。適当な場所が見つからないときは、洞穴、路上、季節はずれの海の家、と吹きさらしの中でも寝る。
 「いかなる状況下においても眠ることができる」というのは、永らく男の勲章であったり、偉人のエピソードであったり、達人の条件だったりした。古代印度の苦行僧は片足で立ったまま三十年間眠ったり目覚めたりし、南ヴェトナム解放戦線の兵士たちは泥中に全身を沈め顔面のみ出し眠る。現代のハイパーサラリーマンもまた、地下鉄の吊り革にぶら下がって眠る。
 徒歩旅行者とて、タタミ半畳のスペースさえあればいかなる苦境下においても眠れるのである。と自信をもって宣言したい所だが、わりかしまぁ難しい局面もあるわけで、そう易々とはいかない。
 まず最も野宿イージーと思える週末のオールナイト映画館や、東屋やベンチが整備された都市型の公園は、必ずや物腰柔らかなお兄さんやオジサマたちがたむろするデンジャラスゾーンといえる。ウトウトしている間に、優しく股間をもみしだかれていた経験には事欠かない。
 かつて一晩じゅう駅を開放し、野宿者に優しかった国鉄は、民営化してJRと名を変えてからは態度が一変した。終電が出ると、雨が降ってようが雪が積もってようが、容赦なくホームレスやツーリストを駅舎から追い出すという非情さを露わにしている。・・・などと無銭旅行者が社会に対してエラそうな事を述べられる立場にはなく、屋根と壁と段ボールさえあれば、どこでも安眠できるよう心を整えている。
 さすがに参るのは大雨や雪の夜だが、悪天候には想像力で対抗する。鋭利なガラスの刃で全身をチクチク責めいたぶられるような凍った夜に、ぼくとおけけは真冬のグランドジョラス北壁を思い浮かべる、ヨーロッパ三大北壁の中で最も登攀困難なグランドジョラスの厳寒の壁。テラスしかない垂直の断崖、足下は二千メートルも切れ落ちた絶壁。気温マイナス三十度、叩きつける烈風、スノーシャワーが間断なく振り続ける。幾人もの天才クライマーを死に至らしめた悪魔の壁でビバークする恐怖に比べたら、ボットン公衆便所の壁にもたれかかって一夜を過ごすわれわれは、極めて平和な状況にあるだろう、と分析しつつグー・・・・・・。

日記 十月六日。
 国道七号線を南下し、秋田県に入っている。昨日は秋田駅の公衆トイレ前で、新聞紙をかぶって寝た。
 朝から小雨がぱらつきひどく寒い。駅前にはまるで人の気配がなくゴーストタウンのよう。街の中をさまよい歩いているうち猛烈なデジャブーに憑かれ、あまりにリアルで怖くなる。ところが街角にミスタードーナツを見つけ、昔この場所に来たことがあるのを忘れていたのだと気づく。高校一年生の冬休みに「青春18きっぷ」を使って東北を一周したときにも、この店でドーナツを買ったのだった。五年ぶりに店に入り、フレンチクルーラーを五個買って、おけけに二個やり、自分は三個食べることにした。
 ドーナツをかじりながら歩いていると、登校中の女子高生の集団に囲まれてしまい、いろいろ質問される。彼女たちは色白で黒目がちな目をしていて美しく、怪しい旅人に壁を作るわけでもなく、あっけらかんとしていて笑顔が眩しい。ぼくとおけけはうろたえ、以後目立たないように道の隅の方を小さくなって歩く。
 お昼に日本海沿いに出る。国道を離れて、砂浜を歩いているうちにヤブの中に迷い込み、さんざんな思いをして脱出する。切り株で傷ついたのか、おけけは足の裏から大量出血している。水道で血を洗い、親犬が子犬を慰めるように舐めてやったが、しばらく血が止まらなかった。怪我をしてからのおけけは、肩掛けカバンにもぐりこみブルブル震えてばかりだ。肩掛けカバンは、リュックに入り切らないほど成長したおけけのために、函館で新調したものだ。四十二キロ歩く。

 ゲームソフトに裏技攻略本があり、プロレスにチョーク攻撃があるように、野宿にも反則ギリギリのテクニックがある。
 ちょっとした街の郊外の幹線道路沿いには、必ず中古車販売店があり、駐車場に停めてあるたいていの展示車はロックなどしていない(注釈・1980年代のお話です)。そこで、なるだけ立派なランドクルーザーやステーションワゴンを選び、車内で一夜を明かすという、まあ端的に言えば犯罪行為なわけだが、何ともこれが寝心地がよくクセになってしまうのである(注釈・良い子はマネをしないでね)。
 完全防風防雨、クッションに富んだソフトシート、内側から鍵をかければセキュリティも万全。あわよくば、つけっ放しにされたキイをそっと回し、エアコンディショナーを効かせ、深夜ラジオをBGMに天国への階段を昇るように夢の世界へと誘われる。
 建設現場や清掃会社前に停まっている業務用車両も狙える。廃材を積んだ産廃トラックや、バキュームカーは盗難の恐れもないからか、キーロックされている方が珍しい。また運送会社の構内には長距離トラックがわんさと集合していて、舌なめずりしてしまう。大型トラックの運転席の背後にある仮眠スペースの居住性はベストオブベスト。毛布や枕まで用意されているのでカプセルホテル並みの快適さだ。しかし、早朝もしくは夜明け前にドライバーが乗り込んでくる場合があるので、必ず言い訳の三つか四つは用意しておきたいものだグー・・・・・・。

日記 十月十三日。
 バス停の掘っ立て小屋で起きると猛烈な腹痛。一秒たりともガマンできる余地なく新聞紙の上に漏らす。完全に水ゲリ。おけけは「もう休ませてくれよう」とまなざしで訴えてくるが、構わず出発する。
 山形県を抜けて新潟県に入っている。相変わらず今日も雨降りで、拾ったビニル傘をさして歩く。この雨はいつまで続くのだろう。月曜日だというのに商店はみなシャッターを下ろし、ぼくとおけけは飢えに瀕する。ようやく見つけた食堂に飛び込んだら「犬は外につないで!」と怒られる。外は雨で、おけけだけ追い出せないので仕方なく店を出る。
 道路に泥だらけになった文庫本が落ちていたので拾って読みながら歩く。二十歳の美人の女の子が学生運動に疲れ、森で首を吊って死ぬ話。
 夕方、トラックの運ちゃんに声をかけられる。びしょ濡れのぼくたちを見て哀れに思ったか「温泉に連れていってやるから、夜の九時に出雲崎駅で待っとけ」と約束してくれる。
 出雲崎駅は少し遠かったけど「おんせん、おんせん」と掛け声を出しながら走ったら、ぶじ夜九時前に着いた。思えば1カ月も風呂に入ってない。
 期待に胸をふくらませて駅のベンチに腰掛けて運ちゃんの到着を待つ。九時になってもトラックは来なかった。夜中の十一時まで待ったけど、現れなかった。つらくなり、またトボトボと歩き始めた。真夜中、倒れそうになるまで歩きつづけた。五十一・五キロ歩く。

 ぼくとおけけは毎日抱き合って眠った。
 横になったぼくがスウェットのパーカーのすそをめくると、おけけはもの凄い勢いで中にもぐりこんでくる。襟元から冷たい鼻先を出し、ぼくのアゴにくっつけて眠る。寝顔が可愛い。ピュウピュウという鼻息がくすぐったい。かすかな鼓動と体温が伝わってくる。ときどきクンクンと寝言をつぶやいたりする。
 ある夜、ぼくは眠れずにおけけの寝顔を見つめながら、かすかに胸のときめきを感じ、そして戦慄を覚える。
 (ぼくは彼女にあやうい感情を抱きつつあるのではないか)
 おけけとの旅がはじまり、はや1カ月が過ぎていた。ぼくたちはこの1カ月というもの、二十四時間かたときも離れずにいた。少なくとも十九年の人生の中で、ある特定の人物(あるいは動物)とこんなにも長い時間、密着して暮らしたことがあっただろうか。ない。
 彼女(おけけ)とぼくは、いつしかお互いの気分を理解しはじめていた。痛みや苦しみを共有し、苛立ちや焦りはたちまち伝播した。日常の喜びや悲しみは、ぼくと彼女の共通の記憶として蓄積されていった。
 ウッディ・アレンの「SEXのすべて」という七話からなるオムニバスムービーの作品のひとつに、メスの羊に恋する医者の物語があった。黒いランジェリーをまとい診察台の上で戸惑う"羊"に、当時中学生だったぼくは異様な興奮を覚え「自分は性的倒錯者ではないか」と三日三晩もだえ苦しんだ。
 なにやらその時以来のヤバい状況に立たされているのではないか。
 おけけは、ぼくの腕の中で静かに夢の世界をさまよっている。
 「ガンコウケータイ的ハッテン」
 と百回繰り返してみる。ダメだ、今夜は効果がない。 (つづく)