バカロードその144 アフリカ横断灼熱編1「水爆の太陽と生血スパゲティ」

公開日 2020年07月31日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)

 飛行機はゆっくりと右に旋回し、徐々に高度を下げている。
 アラブ首長国連邦のアブダビで乗り換えたパキスタン航空の小型ジェット機は、宙に浮かんでいるのが奇跡に思えるほどのオンボロ飛行機だ。座席周辺の壁や天井には、ゆるみきった丸ネジがブラブラとぶら下がっている。外れかけの壁はガムテープで補修してある。最後部のトイレに入ると天井パネルがなくなっており、奥には圧力隔壁らしきものが丸見えになっている。

 「世界のあらゆる航空会社のなかで、未だかつて一度も墜落していないのはパキスタン航空だけだ」とカラチから乗り込んできたパキスタン人の商人が自慢げに喋りかけてくる。「落ちないのは何か理由があるのか?」と聞くと「アッラーの神のおぼしめしによる」と鼻毛をフンと鳴らす。
 ぼくは今、憧れのアフリカの上を飛んでいるんだ。血のりをぶちまけたような真っ赤な土地。言葉を失うほどの摩訶不思議な色彩が、空と大地の境界線いっぱいまで埋め尽くしている。
 この窓から見渡せる無限の荒野のその先、薄ぼんやりとかすんで目にすることができない地平線の向こう側までぼくは歩いていくんだ。
 やがて眼下に雪を抱いた弧峰が現れる。乗客らは窓辺へと身を乗り出し、赤道直下の銀稜の登場に驚嘆の声をあげる。
 隣の席の英国人紳士が、感慨に耐えかねたような表情をし、おもむろにつぶやく。
 「Oh、キリマンジャーロ・・・」
 しかし、その鋭角的な山影は、明らかにキリマンジャロ山ではなくアフリカ大陸第二の高峰・ケニア山なのであった。
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 東アフリカの盟主的ポジションにあるのがケニア共和国である。アフリカ大陸横断徒歩旅行のスタートの地として、ぼくはケニアを選んだ。首都ナイロビで飛行機を降り、鉄道に乗り換えてインド洋岸の貿易都市モンバサへと移動し、海辺に出て歩きはじめる。赤道直下の国々を数カ国経て、5500キロほど西方の太西洋岸まで歩く・・・というのが旅の計画だ。ずいぶんザックリとしているが、これ以上に詳しい予定はない。どの道を通るか決めてないし、どの国を経由するかも考えてない。ただひたすら西へ西へと進むのだ。
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 ナイロビの下町、飲み屋街の真ん中にある安宿「ホテルイクバル」は、一晩中ケニア人たちのドンチャン騒ぎの喧騒に包まれている。海抜千七百メートルの高地にあって「アフリカの軽井沢」と日本語ガイドブックに書いてあるナイロビシティだというのに、避暑地には程遠い蒸し暑さだ。腰が床につきそうなくらいスプリングが緩んだボロベッドの上で、パンツいっちょうになって寝ていると、一瞬にして何十カ所も蚊に刺される。
 痒くて眠れそうにないので、1階にある大衆食堂でメシを食うことにする。メニュー表はアルファベット書きなのだがケニア語の料理名なので理解できない。唯一読めたのがミートソーススパゲティ。注文するとなにがしかの動物の生血がたっぷりかかったパスタが出てきた。血の匂い以外にまったく味がしないので、塩をぶっかけて無理やり口につめこむ。
 真夜中の十二時を過ぎているというのにタバコ売りの少年がフロアをうろついている。眼光鋭くマルボロや「555」の洋モクをぼくの鼻先に突きつける。無視していると、今度はジョイントはどうだ、エルもあるぞと小声でつぶやき、耳の穴に息を吹きかけてくる。なんてこった、ここじゃ十歳少々でドラッグの売人かい。
 食堂を出て街をふらつく。細い路地が、ゴールのない迷路のように果てしなく続く。羊肉をスモークする匂いと煙、モスリムの宝石商、路上にテーブルを置きイカサマ賭場を開く詐欺師とサクラ客たち、でっぷり肥えた肉塊を色鮮やかなサリーで隠したインド女、象皮病の脚をもっと見ろと迫る物乞い。カンフー映画館の薄い壁から歓声が聴こえる。ピンクや黄色をしたヒラヒラのシースルーをまとった娼婦たちが速足で通り過ぎる。歯の抜けた立ちんぼのオバチャンが「ファックミー、ファックミー」と叫ぶ。道端には人間が倒れている。死んだように動かない。
 Tシャツが汗でぐっしょり濡れる。立ち止まることもできない。砂漠の遭難者がループウォーキングするように、同じ所をぐるぐる廻ってどこにも脱け出せないような錯覚に陥る。
 翌朝から下痢がはじまる。生血スパゲティの効果はてきめんだ。胃腸の中をザリガニが暴れまわるような鋭利な痛みに襲われる。明け方から便器に張りつきっ放しで、一日がかりで腸内の残留物を排泄したあと、肛門からは白い泡がゴボゴボと溢れるだけになった。水便よりひどい泡便だ。それでもまだ便意は途絶えない。
  夕刻になって鉄道駅までふらふら歩き、インド洋岸の港町モンバサ行きの二等席の切符を買う。肛門の括約筋はすでに力を失っており、薄いお粥状の便がこぼれている。安宿のドミトリールームの隣のベッドにいたフランス人女性にもらった生理用ナプキンをお尻にあてがって列車に乗り込む。
 延々とスラム状の街が続くナイロビの都市圏を抜けると、鉄道はツサボ国立公園を貫き、一直線に東へと向かう。窓の向こうにはダチョウやジャッカルの群れが見える。まるでサファリパークだ、いや本物のサファリなのだ。ときどき赤茶けた土の道が現れるが、集落や人の気配はまったくない。赤銅の土地に谷筋を刻む涸れた川の跡・・・この地に水場なんてあるのだろうか。旅の第一歩はこのモンバサ~ナイロビ間の五百キロなのだ。ほんとうにこの岩と草しかない荒野の真ん中を、一人ぼっちで歩いていけるんだろうか。ほとんど無理な気がする。
 翌日の昼、モンバサ駅に降り立つと、すざまじい太陽の圧力が脳天に襲いかかってきた。「太陽は水素で形成されたガス球であり、水爆の何百倍規模の爆発を断続的に起こし、エネルギーを放出している」という高校地学の教科書に載っていた説明を実感させる説得力を持っている。じっとしていると人間の丸焼きができそうだ。
 サウナ風呂のような熱波の中で、重さ二十キロを超すザックが両肩に食い込む。何リットルもの汗がドクドクと皮膚から溢れだし止まらない。ついでに下痢便が股間を伝って足まで流れ落ちる。
 ぼくはアフリカを甘く見すぎていた。日本で五千キロに及ぶ徒歩行を重ね、一日十二時間の運送屋の仕事で身体を作った。絶食に耐えられるよう食事を二日に一食に制限した。アフリカが初海外となるとビビってしまいそうなので、東南アジアやヒマラヤの山村で数カ月暮らし、四千メートルの峠を毎日登ったり下ったりした。無謀な挑戦にならないよう身体をいじめ抜いてきた。
 ところがどっこい、ついに本丸アフリカに取りついたというのに、歩きだす前から下痢と灼熱に心身ともにダウン寸前なのである。飛行機から眺めた果てしない荒野、列車の向こうに広がる野生動物しかいないサバンナ、そして身体じゅうの水分を暴力的に奪い去ろうとする猛烈な太陽・・・。モンバサの安宿で、ぼくは便意と自己嫌悪と不安に苛まれながら、ベッドの上でのたうちまわった。
 翌日、交換した真新しい生理用ナプキンをお尻にはさんで、ひょこひょことぎこちない歩き方をしながら「オールドポート」と呼ばれるビーチにでかけた。インド洋でひと泳ぎするのは、この旅の儀式のひとつである。インド洋で泳ぎ初めし、大西洋で泳ぎ納めするのである。
 ビーチの脇には古い砦がそびえ建っている。15世紀、ポルトガル商人が貿易拠点であるこの港を守るために築いたフォートジーザス砦である。大きな城壁の中には、何門もの大砲が備えつけられ、隆盛を極めた中世交易時代の跡をかいま見せる。新大陸を次々と開拓していったあの時代には、たくましい冒険家や本物の男どもが血湧き肉躍る旅をしたのだろう。
 彼らに比べたら、ぼくのやろうとしていることなど所詮ニセモノの冒険ごっこだ。人の造った道の上を、ミシュラン社製の道路地図を頼りに歩くだけだ。テントや寝袋を用意しているから、野宿には困らない。どこの安宿にも「旅の情報ノート」が置いてある。そこに立ち寄った旅人が、のちに旅するツーリストのために貴重な情報を書き留めていくノートだ。治安の悪い街を回避したり、適正物価を知ることができる。・・・くだらない、本当につまらない「旅ごっこ」だ。
 おばあさんの行水程度にインド洋で水浴びしてからホテルに戻ると、明後日の出発に備えてパッキング途中の荷物がベッドの上を占領していた、一眼レフカメラ、寝袋、ガスコンロ、ガソリンボンベ、カメラフィルムの束、コンパス、ダウンジャケット、コッヘル、旅行ガイドブック、文庫本。この旅のために揃えた真新しい装備が、旅を束縛する足かせのように思えてきた。
 ぼくは快適な時間を求めてアフリカにやってきたんじゃない。身体も心もボロボロになって、そこから何かを見つけるために、灼熱の大地を歩き続けるんだ。
 翌日、生きていくために必要な最低限の荷物以外をすべて段ボール箱に詰めこみ、郵便局に持っていって船便で日本に送り返した。手元に残したのは2リットルポリタンク、ツェルト(露営用の簡易テント)、コンパクトカメラ、ミニ三脚、お金とパスポート、わずかな米、そしてシャツとパンツいっちょうだけだ。着替えはない。二十キロ超の荷物はニキロほどに減った。何もなくなったら、いい気分になった。
 ケニアに入国して以来やめていた生水を、水道から直飲みでガブガブ飲んでやった。今まで不調だった腹の具合がとたんに良くなった。
 ぼくはアフリカに溶け込むんだ。最低限の装備とこの身体ひとつでアフリカに立ち向かってやる。これは旅なんかじゃなくて戦いだ。ぼく自身との戦い、アフリカがそのレフェリーなんだ。(つづく)