公開日 2020年12月05日
文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)
(前号まで=アフリカ大陸の徒歩横断を試みる"ぼく"は十九歳。アフリカ東岸の国ケニア共和国の港町モンバサから五百二十キロ歩いて首都ナイロビに着く。退廃した路地裏世界に翻弄されながらも、西へと向かう道を再スタートする。ところが小さな村で熱病を発症し、村人たちに介抱される)
東アフリカではマラリアは日常茶飯事だ。サバンナやジャングルには耐性を有する部族が存在するらしいが稀有な例であり、風土病として瘧(おこり・熱病の症状)に苦しむ人々は多い。地元の人でさえ罹るのだから、無菌培養された清潔な国から来た人間が、無防備に汚染エリアを旅すれば、たちどころにやられてしまうのは至極当然だ。
マラリアは蚊の一種であるハマダラカによって媒介される。人間から血を吸うために肌を刺した際に、ハマダラカの唾液から「マラリア原虫」が体内に送り込まれ、人の肝臓や赤血球内で増殖する。つまり人は、ハマダラカに血をあげた代わりにマラリア原虫をもらうという、恩を仇で返される仕打ちを受けるのである。
そもそも、ドラム缶に溜まったボウフラだらけの雨水で乾きを癒し、土の家や草原で夜を明かして蚊に刺され放題のぼくなど、感染しない方がおかしい。カネをケチって予防薬すら飲んでないのだ。マラリア予防薬は主に2種類。そこらへんの庶民売店にも置いてる低価格のマララキン、病院や薬局でしか入手できない高価格のファンシダール。マララキンは気休め程度で、ファンシダールはガチで効くが肝臓や腎臓への副作用強い・・・というのが旅行者の通説。
ぼくは「守られた旅」をする気がない。水が汚染されているからとミネラルウォーターを飲み、蚊やハエが多いからと防虫スプレーをかける。兵隊アリに攻撃されまじとテントを張り、切り傷に抗生物質を塗りたくる。精巧な地図を持ち、コンパスで方位を測りながら進む・・・。リスク回避された正しい旅の方法は、ぼくには何の意味も持たない。
村人たちと同じ水を飲み、毒虫にたかられて、飢えて乾いて足の裏を血まみれにして、下痢腹をピーピー鳴らしながらじゃないと、わざわざアフリカを歩いて旅する意味はない。
たとえばエベレストに登るという行為の場合、ヘリを使って山頂に降り立つのと、無酸素・少数精鋭のアルパインスタイルで頂点を極めるのでは、まったく意味合いが違う。文明の利器に守られた快適な旅は、ぼくには不必要なのだ。コテンパンにやっつけられて、この旅を完踏できなくなったとしても、それでいい。その失敗までの濃密な時間が必要なのだ。
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発病から三日目の夜。
三日間、面倒を見てくれていた村の若者たちが「これ以上ここにいたら死ぬ」と、ぼくを抱えあげる。一人の若者の背におぶわれて集落から少し歩いた幹線道路に向かう。首都ナイロビ行きのバスが通っているという。背負われたぼくの周りを老人や子供たちが囲い、後ろには行列ができている。名も知らない小さな村の優しい人たち。村の前で行き倒れ、気を失っていたやっかいな異邦人に、水と食べ物と薬を分け与えてくれた親切な人たちだ。
遠くにヘッドライトの光が現れる。決まったバス停があるわけじゃない。子供たちが道路の真ん中に踊りだし、身をていしてバスを停める。若者たちは、バスの中へとぼくを担ぎあげ、椅子に横たわらせる。若者たちはバスを降りる前に強い意志をこめた瞳でぼくを見つめる。うわ言のような返事しかできず、二度三度とうなずく。
バスに(たぶん)二時間ほど揺られると、椅子に寝た姿勢からでもナイロビの繁華街の高層ビルの窓明かりが見える。どうにかこうにか背中を起こし、記憶にある街の風景の場所でバスを降りる。ここには肩を抱えてくれる人も、背負ってくれる人もいない。下車してからは方向感覚もあいまいで、道に迷っては路上に座り込み、ゼエゼエと息をつきながら体力の回復を待ってはまた歩く。
ようやくたどり着いた常宿で、今夜は満室だと断られる。愕然として廊下の壁にリュックを立て掛け、もたれ掛かってうなだれていると、事情を知った親切な旅行者が肩を叩き、「私は他に宿を取るから、あなたはここで休みなさい」とベッドを空けてくれる。
二階にある部屋に向かう階段の途中の踊り場で、植木鉢に嘔吐する。
四人部屋のベッドの一つに横たわると、周りの旅行者がいろいろ世話を焼いてくれる。体温計で計ると三十九度四分だった。あとは眠る以外にできることはない。
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発症から四日目、同室の英国人がアスピリン錠剤を口に含ませ、水を飲ませてくれる。三十分もするとぐんぐん気分が良くなり、平熱まで体温が下がる。「やった、治った」とベッドの上で跳ね回ったのも束の間。一、ニ時間後にはものすごい悪寒に襲われ、震えが止まらなくなる。毛布を何枚重ねても、氷の膜に包まれたように不快だ。
六日目の真夜中。宿は停電していて、窓の外の街も真っ暗である。喉が渇きすぎて唾が出ず口の中がガサガサして痛い。どこかで水を買えないかと、頭にヘッドランプをつけ、宿の玄関を出て久しぶりに屋外の空気に触れる。すると以前から顔見知りのマラヤ(娼婦)の二人組が近づいてきて、いきなり両側から抱きついてくる。こちらの体調など知ったこっちゃないと、顔や首筋にキスの雨あられ攻撃を加える。いったい何の魂胆かと訝しんでいると「私たち今からディスコに行くから、その頭につけてる光るモノを寄こしなさい」とヘッドランプをむしり取る。そんな無茶なと抵抗するが、筋肉ムキムキの彼女たちに抗う体力はなく、無残に奪われる。ヘッドランプをつけて踊ったらウケるのか?とムダな想像をしつつ、容態を悪化させて宿の階段を這い昇る。
八日目。オレンジを口にする。発病して以来、上に戻さず胃に入ったのは初めてだ。少しは回復しているのだろうか。
十日目。嘔吐が止まらなくなり、トイレの中に毛布を持ち込んで、一晩じゅう胃液を吐き続ける。体温計を脇にさすと四十度を超えている。宿の主人が再三、部屋にやってきては「病院に行くように」とうながす。厄介払いをしたいのが有りあり伝わる。「お金がないので、病院に行けない」と拒む。ケニアでは医療費が驚くほど高く、入院すれば一日に二百ドル(二万円ほど)もかかると聞いている。二万円といえば、旅行費用の二カ月分にあたる。入院なんかしたら、あと一年以上かかるであろうこの大陸横断の旅が、ここで頓挫してしまいかねない。
十二日目。朝から高熱。まぶたを開いても閉じても紫の万華鏡のように光の乱反射が見える。身体が痺れてトイレにも立てず、ベッドで排尿する。昼ごろに意識が混濁する。ツーリスト四人に担がれて、ナイロビ市内の大きな病院に連れていかれる。
受付で三時間待たされたあと、車いすに乗せられ診察室に入る。右手の甲に太い注射針を打たれ、点滴が流れ込む。血液と濃度が違うのか血管がピリピリ痛む。体温は四十一度。診察は目と舌を見て、あとは何やらこちょこちょやったら終わり。医師は、付き添いの旅行者が持参していた英和辞書のページをめくりながら「熱帯熱マラリアと卵形マラリアの混合感染・併発」と教えてくれる。
担架で入院病棟に運ばれる。右隣のベッドにはアラブの商人風の男。左隣のベッドはインド人とケニア人のハーフっぽい男。入院患者にケニア人らしき人はおらず、みな裕福そうに見える。ここは「ケニヤッタ国立病院」というケニア国内で最も権威のある総合病院だそうだ。インド人患者が女性看護師の尻を触ったらしく、口喧嘩をおっぱじめる。二人の怒鳴り声がグワングワンと頭に響いて、気が狂いそうになる。
夜になって気づいたのだが、点滴の管に気泡がたくさん浮かんでいる。血管に気体が入ったらマズいのではないかと不安になり、看護師を呼んで指摘する。でっぷり太った看護師はスワヒリ語しか理解せず、ぼくは「空気」や「泡」というスワヒリ語の単語を知らないために、身ぶり手ぶりで抗議するが伝わらない。怒った彼女は、頭上のライトを点けっぱなしで去ってしまう。まぶしいし、暑苦しくて眠れない。
喉の乾きが抑えられず、枕元のポットの水を飲み干してしまう。寝返りを打ちたいが、身体が重くてうまく回転できない。手足が邪魔で切り落としたくなる。
発症から十四日目、入院から三日目。まるまる二晩、ぶっ通しで点滴薬剤を注入したせいか、少し体調が上向いている。意識がはっきりしだすと、治療費や入院代が気になって仕方がない。午前中、担当医師の回診がある。口に差し込まれた体温計に、舌や上アゴが触れないようにして、平熱を偽装する。
「もう退院できますか」
「だめだよ。熱が下がったのは、薬で抑えてあるのと、マラリア特有の症状のためだ。きちんと治しておかないとすぐ再発するよ」
「でもホントに大丈夫なんですよ。もう元気満点、力があり余って仕方ないくらいです」
とベッドから飛び降り、オリャオリャと空手ポーズを取る。
「ぼくにはお金がない。早く退院しなければドクターに迷惑がかかるから、退院させてください」
「わかったよボーイ。ただしホテルに帰ったら、一週間は無理をせず寝ていなさい。そして、来週中にもう一度病院に来ること」
なかば強引に退院手続きを済ませ、料金の支払いカウンターに行く。態度の横柄な受付のお姉さんがバンと請求書をカウンターに叩きつける。そのゼロの並びを見て、頭がクラクラする。たった二晩の入院で五百ドル以上の請求書。五万円といえば、ぼくの全財産の半分近く。旅行者保険にも入ってないため、返金される可能性はない。ドル札を一枚一枚名残惜しげに数え差し出す。代わりにペラペラの薄い紙の領収書を一枚もらった。
屋外に出ると、目の前が真っ白になる。さっそくマラリア再発症かとアセる。違った、久しぶりに見る太陽が眩しすぎるのだ。急激に痩せ細ったためか、地面を踏む感覚があいまいで、雲の上をふわふわ歩いているよう。ケニヤッタ国立病院の広い敷地を抜け、道路に出たらダウンタウン行きのバスに乗る。
相変わらずバスの窓にはガラスがない。車窓から土埃が舞い込む。
手すりを掴む腕はガリガリで肉が消え、肘の関節の蝶つがいの骨がデコボコ浮き上がっている。急ブレーキがかかると、身体がふわっと持ち上がり、体重を支える筋力が腕になく、床に尻もちをつく。
ふいにつらい気持ちになる。ぼくはアフリカに敗れたのだ。無知蒙昧にアフリカにぶつかり、いとも簡単に駆逐された。完膚なきまでに叩き潰され、序盤であっけなくノックアウトされた。じわじわと涙が溢れてくる。床に座り込んだまま、立とうとしない東洋人を、乗客たちが振り返って見つめている。土埃と草原の匂いが鼻の奥に流れ込む。赤い大地が広がるあのサバンナに、ぼくは再び戻れるのだろうか。(つづく)