バカロードその154 アフリカ密林編1「大ジャングルの光」

公開日 2022年06月22日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)

(前号まで=アフリカ大陸の徒歩横断を試みる“ぼく”は二十歳。アフリカ東岸の国ケニア共和国の港町モンバサを出発した。寒村でマラリアに倒れ死線をさまよったが、療養期間を経て再び歩きだす。ケニア、タンザニアを経て、山岳国家ルワンダを横断。密林国家ザイールの国境へとたどり着く)

 山岳国家であるルワンダから、ザイールへの国境越えはキブ湖を渡るボートに乗る。大ジャングルが広がる密林国家ザイールの間に横たわる黒い湖だ。
 このボートがまるで出発しない。
 ルワンダ最後の街キブエに来て、はや三日になる。湖畔の教会は、ボート待ちの商人で溢れかえっている。 一 泊百フラン(五十円)のベッドが隙間なく並んだ大部屋は、旅の興奮に憑かれた商人たちの、甲高い笑い声や、大げさな叫び声が充満している。
 「船はいつ出るんだい?」と尋ねても、誰も知らない。知ろうともしないのだ。皆が皆、結末のない旅を楽しむかのように、時間を無駄に費やしている。
 ぼくは、船着き場に近い湖畔の大岩に座って、夕日が落ちるまで湖を眺めている。
 湖の向こう岸に、べろーんと薄っぺらに広がる土地がザイールなのだろうか。切り立った山々が続いたルワンダとはまるで様相が違う。地図を見ると、ザイール側の国境の街ブカブから先は、七百キロ西方にある都市・キサンガニまで街らしき街はない。道を示す線は破線となり、やがては途切れてしまっている。今から進む先、地図上は密林を示す濃い緑色で覆い尽くされている。そこは既にコンゴ川流域エリアだ。
 アフリカ大陸の中央部を蛇行するコンゴ川(ザイール川)は、不思議な流れをもつ大河である。南半球のザンビア国境に端を発し、南から北へと赤道をまたぎながら、南米アマゾンと並ぶ世界最大のジャングル地帯を形成する。その湿地帯では、いくつもの支流を飲み込みながら、西へと向きを変え、やがて北から南へと二度目の赤道またぎをし、源流から四千七百キロを経て、彼方の大西洋へと流れ込む。総延長の四千七百キロという距離は、日本から真南に向かえばオーストラリア大陸に達するほどの遠大さだ。
 これからぼくが足を踏み入れるコンゴ盆地 一 帯は、わずかに整備された車道以外は、ほとんどが人跡未踏の空白地帯という魔境中の魔境である。インド洋岸からこの地までの乾燥地帯サバンナ二千キロの旅は、水不足による乾きとマラリア原虫との戦いだった。これからはじまる密林の旅は、どんな困難を突きつけてくるのだろうか。果たして、生きて七百キロ先のキサンガニまでたどりつけるのか。  
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 ようやく国境越えのボートが出航する。乗り合わせた若者たち五人は気のいい連中であった。彼らはザイール出身のロックオーケストラバンド「ザ・ジョイ」のメンバーで、ルワンダでの演奏旅行を終え、ブカブの街に帰るところだという。彼らは、船上で即興の演奏会を行った。ローリング・ストーンズの「刺青の男」のナンバーを、A面の 一 曲目から順に歌う。
 彼らは、ぼくの意味不明の旅を訝しがることなく共感し、「ブカブでは君の面倒を見させてもらえないか」と申し出てくれる。
 国境の船着き場に降り立つと、ザイール最初の町ブカブの街並みが開ける。
 突然、別世界へ瞬間移動してしまったようだ。数時間前までいたルワンダと、何もかもが違っている。店の看板や商品のパッケージはすべてフランス語になった。下校途中の子供たちが、外国人のぼくを目にすると「ボンソワール」と挨拶してくれる。人々の視線は穏やかで、ルワンダのギスギスした空気はない。
 市場で値引き交渉している客と店主の会話が耳に飛び込んでくる。ケニアやタンザニアの公用語であるスワヒリ語だ。ルワンダで通じなかったスワヒリ語を数十日ぶりに聞くと、異郷で母国語に遭遇したかのように温かに耳に流れ込んでくる。ぼくはスワヒリ語圏に百日ほどもいたため、すっかり音感に馴染んでしまっているのだ。
 両替場でアメリカドルをザイールの通貨に換金する。通貨名は国名と同じ「ザイール」である。百ドル紙幣を 一 枚、窓口に差し出すと、分厚い札束が十二個、ドスドスと積み上げられる。十ザイール札が千二百枚分。十ザイールは約十円だ。日本円に換算しやすいのは良しとして、千二百枚もの札束を貧乏旅行者が所有している違和感が甚だしい。
 この町でいちばん見すぼらしい格好をしているぼくが、リュックがパンパンに膨らむまで札束をギッシリ詰め込んでる事実に、罪悪感を感じる。「貧乏旅行者」と言っても、この国では金持ちに類する。他人に食べ物や寝床の施しを受けながら、実は背中に大金を背負っているというギャップが甚だしい。
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ホームステイ先のバンドメンバー宅では、家族ぐるみで温かく迎えられ、夜遅くまで旅と日本の話で盛り上がる。真夜中になり、若者のベッドに二人でもぐりこんでからも、国境越えの興奮からか眠れず、明け方まで話し込む。
 口にしようかどうか迷ったが、ルワンダで受けた暴力と差別について、話してみる。彼はちょっと考えてから、表情を曇らせて答える。
 「ルワンダは問題が多い所だ(※)。君が経験したいろいろな出来事は、君とルワンダの問題ではなくて、ルワンダ自身の問題なんだ。ただ君は、君の国に帰ってから、そこであったことを他の人にも伝えなくちゃならない。そうすることがルワンダにとって 一 番必要なんだ」
 けど、やっぱりぼくの問題でもある、と返そうとしたが、彼のアドバイスを守ることが自分にできる唯 一 のことだろうと思い、彼の言葉を噛みしめる。
 (※この数年後、ルワンダでは数百万人が生命を落とす大虐殺が起こる)
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 ブカブの街を出て、しばらく湖岸道路を進んだあと、道は深い森へと伸びている。この辺りの森は、野生ゴリラの生息地として世界的に名高い。森に入ってからは、ひんぱんに集落が現れる。無人地帯が続いた序盤のサバンナ地帯とは、人の往来の数が違う。七百キロ彼方のキサンガニまで歩いていくという奇妙な旅人を、村人らはみな珍しがり、心配し、サトウキビや水を差し入れてくれる。
 昼頃から、ヤギの親子を連れた老夫と、二十キロほどを抜きつ抜かれつ歩く。夕暮れ時分にたどり着いた集落で、老夫は「今日はここまでにしなさい」とぼくの手を取り、民家へ連れていく。雰囲気からして、老人の家ではなく、知り合いの家のようだ。
 突然の異邦人の訪問に、家族は戸惑うこともなくベッドを用意し、スクマ(緑黄野菜の煮込み)とウガリ(蒸したキャッサバ芋の粉)をテーブルに並べる。「家族のために用意した夜食でしょう?」と遠慮しても、「気にするな、食べろ食べろ」と勧める。
 食事を終える頃には、村人たちが庭先に見物に集まっている。村の少年が「コレ食え。うまいぞ」と渡してくれたのは、昼間ごにょごにょと道路を這っていたグロテスクな紅い毛虫だ。口に含んで噛んでみると変な味がして「ギョエ」っと吐き出す。村人たちはキャッキャと笑う。
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 ザイールに入って三日目。久々に大きな村に着く。食堂に入ってワリ・ニャ・ニャマ(肉ぶっかけご飯)を注文すると、異様に臭い肉が出てくる。割ってみると、中にたくさんの白い幼虫が茹で上がって死んでいる。我慢して飲み込んでみたが、死ぬほどまずい。喉を通らないので「水をください」と頼む。出されたコップ水をよく確かめずに飲むと「ゲボーッ」とむせ返る。これは紛れもなく酒だ。店の主人は、ぼくの様子を見て、腹をかかえて笑っている。
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 道はだんだんとジャングルの奥深くへと分け入っていく。ツルがまとわりついた背丈の高い椰子の木、巨大なシダの群生、鳥獣のささやき声や遠吠え。「グォーグォー」という大型獣の鳴き声が辺りを圧する。ジャングルが静寂に包まれる。この森の主の雄叫びなのだろうか。
 サルの死体をぶら下げた少年たちが歩いていくので「それは何だい?」と尋ねると「チャクラだ」(メシだ)と答える。サルの身体は燻製されたのか黒くいぶされ、硬直している。口と目を大きく開いて、天に向かって吠えているかのようだ。
 獣道のような頼りない山道が十五キロも続くと、やがて踏み跡に変わり、道が途切れる。サラサラと水音が聴こえる。突然、密林が開けると、二十メートルほどの幅を持つ小川が横たわっている。水は澄み切っていて、磨かれた川砂の模様がくっきりと浮かび上がる。跳躍する川魚が川面を叩き、飛沫が宙を舞う。太陽の光が降り注ぎ、光が揺れている。
 川面に蝶が舞っている。光の中に何千、何万という蝶がいる。銀色の羽を光の渦の中で羽ばたかせながらダンスを踊っている。目を開けていられないほどの光だ。
 ぼくは靴を脱ぎ捨て、浅瀬へ飛び込む。頭のてっぺんまでピーンと冷たさが伝わる。蝶といっしょにぼくは踊ってみる。ここは、密林の天国なのだ。
(つづく)