バカロードその156 アフリカ密林編3「コンゴ川のジオラマ」

公開日 2022年07月06日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)

(前号まで=アフリカ大陸の徒歩横断を試みる“ぼく”は二十歳。アフリカ東岸の国ケニア共和国の港町モンバサを出発した。ケニア、タンザニア、ルワンダを経て二千キロ余りを踏破し、大密林地帯のザイールへと入る。迷路のようなジャングルをひたすら西へ西へと歩く)

 ジャングルに突入してから二週間。覆われ続けていた密林がふいに失われる。
 溶かしたチョコレートをトロリと流したような川面のコンゴ川が現れる。数百メートル向こうに陸地が見える。対岸だと思っていたら、そこは川の中洲だという。対岸は遥か奥にあり視界で捉えられない。地図で見ると川幅は一キロ以上ある。
 そして街はまったく唐突に現れた。川辺に中層のビルディングが並んでいる。キサンガニ・シティだ。
 大陸横断の出発地・モンバサから西へ二千四百五十キロ。ザイール第五の都市・キサンガニは、コンゴ川中流域に唯一存在する近代都市だ。「緑の魔界」と呼ばれる世界最大のジャングル地帯のド真ん中に、奇跡のように存在している。キサンガニからはるか南、ザンビア国境地帯の森に端を発したコンゴ川は、この中流域で、対岸まで最大川幅十キロもの広大さとなって、二千キロ彼方の大西洋へと流れている。
 西欧建築の官公庁の建物、整った並木道、エアコンが唸りをあげるスーパーマーケット。綺麗なショーウインドウにはモダンな洋服や布が飾られている。コーヒーショップからはうっとりするような焙煎豆の香が、アイスクリーム店の周囲には甘ったるいバニラの匂いが漂う。写真店には西欧の映画スターのブロマイドが飾られ、ナイトバーのピンクや黄色の毒々しい蛍光灯が昼間から不規則に点滅している。
 この光景は、ジャングルを彷徨いながら夢見ていた幻そのものだ。贅沢な食い物と、凍りつくように冷やされたコカコーラの喉を焼く感じ。全部の汗腺をキリリと引き締めるエアコン。すれちがいざまに浴びせられる磨かれた肌の都会の女の匂い…。
 数時間前まで、生ぐさい野生の猿の肉と、ボソボソした野草を喰い、ボウフラだらけの水を飲んでいたとは思えない。ジャングルにはなかった全ての贅沢がここにある。
 眩しい。白いビルやコンクリートで固められた道が、陽射しを反射する。ここには赤道直下の太陽をさえぎる密林がない。目玉を虫メガネで焼かれるような、鈍い痛みが走る。欲望が急速にしぼんでいく。ぼくは、現代社会に迷い込んだ原始人のように落ち着かなくなる。外界とのつながりを感じられないのだ。ほんの数時間前まで、森や、地面や、人や、動物たちと共生していたというのに、今は孤立している。
              □
 キサンガニ市内の中心部に「ホテルオリンピア」がある。名高い旅行者の基地である。密林を抜け北の砂漠を目指す旅人、四輪駆動車でジャングル横断を試みる者、コンゴ川の悪名高きフェリー船「地獄船」の出港を待つ酔狂な人、キャンピングカーで十数年も旅している富豪。アフリカ大陸のド真ん中に位置するこのキサンガニには、大陸を縦断する人、横断する人が必然的に交差する。そんな宿場町の看板宿たるこのホテルで、旅人たちは情報交換と静養と準備の時を過ごす。
 洋風の建築物が広い中庭を囲んでいる。
 フロントで「シングルルームは一泊二千ザイール(二千円)、庭でキャンプを張るなら五十ザイール(五十円)だ」と説明を受ける。選択の余地もなく、中庭の滞在者となる。
 バックパッカーらは庭にテントを張っているが、ぼくはテントすら持っていない。蚊除けの蚊帳をロープで張り、リュックを枕にコンクリートの床にごろ寝をする。
 熱帯のぬるい風が頬を撫でていく。「さてこの先、どうすべきか」と考える。キサンガニから西の方角には道が伸びていない。大陸を自力で横断するには、どのような可能性があるのか、旅人たちから情報を集めたい。周囲にいる旅行者に声をかけ、西方への移動ルートについて尋ねてみる。しかし、どの旅行者も「道はないよ。いったん北に何百キロか向かうんだ」「カヌーを手に入れて、コンゴ川を下っていくしかない」と口を揃える。絶望的な話しか耳にできない。
              □
 「ホテルオリンピア」に滞在して七日目に、マラリアを再発する。四十度の熱が出て、うめき声すら上げられないほど消耗する。でもケニアで初めて発病したときのように、死を身近に感じることはない。マラリアに対応する薬も持っているし、慣れなのかもしれない。
 中庭でテントを張っているスウェーデン人の美しい女性が、マラリアでダウンしているぼくの世話を焼いてくれる。濡れタオルで膝から下を拭きながら、「上半身を温めて汗をたっぷりかきなさい」と言う。北欧では「頭寒足熱」ではなく、逆らしい。タンクトップの胸元で豊かな白い乳房が揺れている。それだけで平和な気分になる。
 マラリアの発熱には周期がある。高熱が出るものの、数時間後には平熱に戻る。それを何日か繰り返しながら快方に向かう。熱が下がったときには街を散歩する。街のべーカリーで買ったアイスクリームを舐めながら、木陰に腰掛け、コンゴ川を眺める。 三百メートルほど沖にのっぺり連なる陸地。川の対岸や中洲には大きな集落が見える。集落というよりは街といった方がよいかもしれない。
 河原に降り、ふらふらと歩いていると、渡し船の船頭が大声を張り上げている。
 「オラオラ、十ザイール(十円)だよ!」
 巨大な丸太をくり抜いたカヌーは、舳先から船尾まで十メートルはあろうかという大型の木造船だ。船尾には年代物のヤマハエンジンがでんと乗っかっている。さしずめ高速カヌーといったところだ。川のこちら側と、対岸にある集落とを往復する渡し船である。
 呼び込みに誘われ。たちまち二十人ほどの乗客が集まる。その多くがご婦人で、両手いっぱいに生活用品や食料をたずさえている。彼女たちは商人か、あるいは比較的裕福な階層の人だろう。川の上手には無料の渡し船があるにも関わらず、十ザイールを払って高速カヌーに乗れる人たちだ。
 船頭にムリヤリ腕を取られる。
 「オイ外国人。早く乗っちまいな。すぐ出発するぞ」
 ぼくは成りゆきにまかせてカヌーに乗り込む。
              □
 川の対岸には街があり、市が立ち、数百人の人々が暮らしていた。
 市場を歩いていると、マラリアの悪寒がぶり返してきた。ガタカタと震えだし、体温が急上昇していくのがわかる。
 選択の余地はない。どこかに倒れこむ必要がある。粗末なホテルの看板が目に入った。小さな商人宿に転がり込んで、ベッドに横になって 一息つく。天窓しかない三畳ほどの、刑務所の独房のような部屋だが、道ばたで卒倒するよりはマシである。
 宿の一階はダンスホールのある酒場で、真っ昼間からリンガラロック(ザイールの軽音楽)をガンガン流している。ひどい頭痛のする脳髄に、オンボロスピーカーの爆音が響く。
 この名も知らぬ川の対岸のボロ宿で、マラリアが回復するまでの数日を過ごす。
 宿の女将(ママ)は三十代半ばの美人だ。彼女はぼくの具合を心配し、昼に夜にと食事をたずさえて部屋に現れる。何も喉を通らないときは「何かほしいものはない?」と聞いてくれる。「ナナシ(パイン)が欲しい」と言うと、大雨の中をパイナップルを抱えてびしょ濡れで帰ってくる。
 毎日二回、きまって三十九度台の発熱がある。ママは枕元で様子を見守りながら、冷たいタオルを優しく額に乗せてくれる。美人ママに優しくされるたびに「たとえばここで生活をはじめてみるのはどうだろう」などと夢想する。コンゴ川に浮かぶ熱帯雨林に覆われた川っぺりの、リンガラロックがかかるディスコの二階にある商人宿の、コンゴ美女との暮らし…熱に浮かされると、ロクなことを考えない。
 キサンガニシティの対岸にある名も知らぬ街の住人となったぼくは、マラリアの熱が下ると、暇つぶしに街を散歩してまわった。
 この街は、神様が暇つぶしに造ったジオラマ模型のような場所だ。小さな市場と繁華街、ヤクザ者がクダを巻く酒場、尻が背中につきそうなくらいスタイルのいい女の子が腰をぐりぐりローリングさせるダンスカフェ。対岸のキサンガニという洗練された都会からあぶれ出された庶民階級の人たちが、ここに集まっているのだ。
 川べりの掘っ立て小屋の脇に、木彫りのカヌーが十艘ほど並んでいる。いつの間にか横に立った親父が「カヌー買わないか?」と誘ってくる。「一艘、一万ザイール(一万円)だ。君だけの特別プライスだ」という。そして、親父のセールストークは一時間も続く。
 「何? 歩いて中央アフリカ(共和国)まで行くだと? そりゃ百パーセント無理だ。なぜなら道がないからだ。キサンガニから西へ延びる道なんてないよ。あるとすれば北に四百キロのブタという街を経由する方法だが、そりゃトラックでも行けないよ。今は雨季だろう。道が川に浸かっちまってるんだ。象でも歩けないって言うぞ。キサンガニから六百キロ西のリサラという街まで、このカヌーで川を下っちまえばいいんだ。なあに、素人でも大丈夫さ。ザイール川は水量が減っているから、危険はないさ。三百キロ西の集落でコレラが発生しているから気をつけろ。飲み水は沸かせば問題ないだろう」
 軽口の親父だが、嘘はついていない。地図をどうひっくり返して眺めてみても、ここから西へと向かう道はないのだ。
 カヌーで六百キロの旅か。面白いのかな…と少し思う。
 そして彼のセールストークを一週間聞き続け、ついにぼくはカヌーを購入するにいたる。毎日値引き交渉を続けているうちに、ふっかけられていた元値の一万ザイールは二千五百ザイール(二千五百円)まで値下がりした。木彫りの櫂(オール)込みの料金だ。
 ここから西に向けて六百キロ。ぼくはジャングルを貫く世界随一の大河を、カヌーで下る決意をしたのだ。もちろん一人漕ぎのカヌーなんて、生まれてから一度も乗ったことはない。ぼくは生きてジャングルを抜けられるのだろうか。
(つづく)