バカロードその159 アフリカ密林編6「あっち側とこっち側」

公開日 2022年10月11日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)

(前号まで=アフリカ大陸の徒歩横断を試みる“ぼく”は二十歳。アフリカ東岸の国ケニア共和国の港町モンバサを出発した。ケニア、タンザニア、ルワンダを経て二千キロ余りを踏破し、大密林地帯のザイールへと入る。州都キサンガニから西へ向かう道が途切れたことから、一艘の木彫りカヌーを買い、川幅最大十キロという大河・コンゴ川を下る。六百キロの川旅を終えて再上陸を果たし、西部アフリカの徒歩旅を再開する)

 インド洋岸から三千二百キロほどを移動してきた。大西洋岸まで二千キロ余りである。すでにここはアフリカ東部の文化圏ではなく、西部にあたる。同じような風景が続くジャングルに住んでいても、言語も文化も食べ物も違う。たとえば彼らの食事のメインひとつとっても、東側ではトウモロコシの粉を蒸しパン状にした「ウガリ」だが、西側ではキャッサバイモをお餅のようにこねてバナナの皮で巻いてちまきみたいにして食べる「クワンガ」に変わる。
 この国ザイールでは、東側はほとんど未開拓の昔ながらの生活をしているが、西側には開発の手が入っている。道路は赤土なれど四輪自動車が走れるし、街道沿いには数キロおきに集落が現れる。東側では、現金がほとんど流通しておらず、物々交換が主流だったが、西側にはキオスクと呼ばれる商店が点在しており、皆がそこで物を買っている。要するに貨幣経済が浸透しているのだ。
 今、ぼくがさしかかった西ザイールでは、黄色人種に対する差別意識が強い。それはおおむね中国人労働者に向けられたものである。道路や橋の建設は中国人が行っていることが多い。自分たちの村をより便利にしてくれている中国人たちは、尊敬の対象なのかというと、まったく逆である。中国人たちは住居などの拠点を自ら村外れに築き、地元の人とは交じろうとはしない。地元民にとっては、異国から押し寄せてきた奇妙な言葉をしゃべる異邦人なのである。
 彼らの目に映るぼくは中国人と変わらないから、ここのところ、被差別者的な扱いを受け始めている。「ヒーホー、ヒーホー」(ニイハオのこと)と中国語独特の発音を真似ながら、からかい半分で近寄ってきたり、さまざまに侮蔑語を吐いては大笑いする連中があとを絶たない。リンガラ語を理解する中国人なんていないから「コイツに何を言っても分からねえだろ」と思っているのだろうが、ぼくは異言語圏に入ると、まず侮蔑語から覚えるのだ。
 たいていは無視をする。あまりにひどい態度を取られたときは、覚悟を決める。そいつの真正面に立ち、顔を三センチくらいまで近づけてメンチを切る。「ぼくはお前に馬鹿にされる筋合いはまったくない」ということを、きちんと伝えておくのだ。何ごとにつけても、相手に意思を伝えることは大事だ。
 すぐに逃げだす臆病者もいれば、目をそらしてブツブツつぶやいているヤツもいる。めったに反撃には遭わない。確かにぼくは乞食のように汚れ、貧相な骨格をした異人種だが、それを根拠に馬鹿にされるのは納得がいかない。
 ここいらの人は、今まで旅してきたザイール東側の純粋で穏やかな密林の民ではない。華僑や西欧人が無秩序に商売や宗教を持ち込んでしまったがために、人間が壊れてしまっている。アル中にハッパ中、物乞いにチンピラ。濁った目をして、怠惰と堕落が蔓延している。
 物乞いといってもインド亜大陸の乞食のような誇り高さはない。無遠慮で、面白みがなく、思慮に欠ける。アル中といっても、酒に人生を供する潔さはない。単にアルコールに犯されているだけだ。昼間からドロっとした目玉で、ブツブツとひとり言を呟きながら、何もしていない。
              □
 カヌー旅を終えたリサラから二百七十キロを西に歩いた所に、コンゴ川北部で最大の市場をもつゲメナ・タウンがある。久方ぶりの都会である。 街に入ったとたん、背後から物を投げつけられる。十センチ大の尖った金属片が背中に当たり、足元に転がる。
 どうしようか、と思う。やるしかないだろう。
 ぼくは鉄片をつまみあげ、息を吸って吐いて整え、充分間合いをとってから、知っているリンガラ語をメチャメチャに並べて怒鳴る。
 「誰、投げた。話をしたい。ここに来い。なぜ投げたか、知りたい」
 下町の裏路地なら、物を投げられた瞬間に、なりふり構わず全速力で逃げるだろう。だが、ここは通行人が多く商店が建ち並ぶ表通りなので、大丈夫だと踏んだ。喧嘩になっても、危険な状態に陥る可能性は低い。
 道の真ん中に陣取り、投げたヤツが出てきて謝るまで動かない、という姿勢を見せる。何ごとにつけても、相手に姿勢を見せることは大事だ。
 たちまち黒山の人だかりとなる。
 齢七十ほどの、汚れた布を体に巻きつけた老人がソロリソロリとぼくに近づく。そして周りを見回してから、やせこけた身体からは想像もつかないほどの大声を上げる。
 「お前たち、なんて馬鹿なことをやったんだ。早く出てきて謝れ」
 まさに救世主現る、といった感じである。
 さらに見物の輪の中から、高校教師風の身なりの良い紳士が発言する。
 「さっきまでここにいた人、みんな出てきなさい。自分のやったことを彼に詫びなさい」
 とりまきの野次馬たちも「マベイ、マベイ」(悪いぞ、悪いぞ)と口々に非難をはじめる。
 予想外の展開に、ぼくはとまどう。物凄い強そうなのが出てきたら、どの方向に逃げるかを計算していたのだ。
 マトモな感覚の持ち主はいっぱいいるのである。西欧の文化に毒された「植民地人」はごく一部だし、東洋人が嘲笑の対象にされているのは、この地を開発した側に問題があるのかもしれない。結局、名乗り出る者はなく、老人と群衆に礼をし、その場を去る。
              □
 ゲメナは街の中心に市場を抱く交易都市だ。久しぶりのマトモな街だ。一泊二百円の安い商人宿に荷をほどき、物見遊山にでかける。
 「市場があれば国家はいらない」とさる賢人はのたまったが、まったくもって市場は自由で、無法地帯である。
 ぬかるんだ地面にぶちまけられたように、あらゆる商品の成れの果てといった風情の厄介物が並べられている。
 ノズルが固く錆びついた蛇口、底に穴の空いた片方だけの長靴、歯がくだけ飛んだノコギリ、濡れて煎餅みたいにパリパリになった地図。
 ガラクタの見本市ではない。堂々と、自信満々販売されている。この不条理性を問うのはナンセンスだ。価格という二者間の合意点のみが物を正当に評価する。商品の屍たちは、この自由市場で再び生命を取り戻し、市場経済の渦へと放り込まれるのだ。でも、ゼンマイの壊れたオルゴールなんて、いったい誰が必要とするのだろう。
 この町で驚くのは、残飯が所構わず捨てられていることだ。クワンガというイモ餅、ロソと呼ばれる米、肉や野菜の食い残しが、市場や食堂脇の路上に山となしている。腐ってもいない果物や野菜が、水たまりに転がっていたりする。
 物があるということは、物がないよりはいい。人間がいちばん辛く惨めな気持ちになるのは飢えたときだからだ。残飯にあふれたこの町には、人類最大の不幸は存在しないということだ。
 ザイールに入ってから、米粒一つ、芋の皮一枚を始末にしてきた。もちろん、ぼく自身常に飢えていたし、村人たちが食べ物を粗末にするはずがなかった。
 この町はきちんと文明を享受しているのだ。消費しつづけることで市場は安定し、拡大し、人は富を得る。市場と、消費と、繁栄だ。資本主義の基本だ。回し続けないとコケてしまうのだ。しかしそんなのはうんざりだ。
 道端の赤土にメシ粒がベシャッとへばりついている。ついさっき捨てられたようなドンブリ飯の残骸だ。拾って口に含んでみる。奥歯でジャリジャリ土を噛む。人間、どっち側で生きていくのかを決めるのは、最後は自分自身なのだと思う。
              □
 宿に帰ると、数人の軍人が宿泊者の身分証明書をチェックして回っている。一人の男が部屋から中庭へとひきずり出されると、三八銃式の銃底で頭を殴られている。ガツガツと音が響くほど打たれ、たちまち血まみれになる。男は泣きわめいている。ぼくは、見物の群衆をそっと抜け出し、部屋に戻って、英国空軍用の航空地図をベッドの下に隠す。スパイか何かに間違えられたらひどい目に合わされそうだ。
 中庭に戻ると騒動は引けており、殴られた男がしょげ返って地べたに座り込んでいる。宿の門前で拾ったミカンを差し出すと「ありがとうミスター」と手を握られる。その挙動に妙な優しさが感じられ、(あ、こいつはヤバいやつかもしれない)と疑念が湧く。案のじょう、それから夜ごと部屋のドアをノックされることになる。売春ボーイに仏心を見せてはいけない。
 その色気ムンムンの青年に誘われ、夜の市場をほっつき歩いてみる。昼間とは店主が入れ替わっていて、小さな机だけを並べた露店が百軒余り連なっている。電気が通っていないから、照明はアルコールランプだ。オレンジ色の炎の列が、永遠のように続いている。まるであの世への通路みたいに美しくて怖い。
 二十軒ほどの薬屋が並ぶ 一 角は、赤や紫や青のカプセル薬が、ランプの光を受けてキラキラ輝いている。「ネオトーキョー」の闇市っぽい雰囲気だ。注射針や避妊具も置いてある。いろいろな形のコンドームの見本が、スルメイカのように吊るされていて、悪ガキどもが引っ張って遊んでいる。どれもこれも長さ二十センチはある巨根仕様で、日本人としての生まれを呪う。
 旅の鉄則に「風土病を治すのは、日本の薬じゃダメ。現地の病気は現地の薬が効く」とよく聞く。ならば、これを機会に下痢止め薬を購入しようと思い立つが「下痢」を意味するリンガラ語がわからない。仕方なく身振り手振りで「おなか痛い痛い」「尻からジャージャー」と説明していると、「一時間で君の病気を止めてしんぜよう」と豪語する薬屋のオヤジが現れる。丸薬一個五円。ぼくは念のため二十個を購入する。
 結果はきっちり一時間後に表れる。激烈な腹痛と下痢が襲ってきたのだ。屋外の厠へと走る。あの怪しい薬は、一時間であらゆる便秘を止めてしまう、優秀な下剤だったのだ。きっとそうだ。
 厠は井戸の底のように真っ暗である。便器の穴すら位置の確認ができないが、とにかく出しちゃえばいいのだ。
 耳元でガサゴソ得体のしれない音がする。
 何かいるのか。
 闇に目が慣れていく。
 壁がぬらりと動く。
 絶句する。クマゼミのように肉感的な巨大なゴキブリが四方の壁に数百とへばりついているのだ。床にもいる。ぼくの股間の下、便槽へと続く暗い穴を、さかんに出入りしている。このクマゼミゴキブリは人糞を喰らって生きているのだ。
 何となくほっとする。このゴキブリたちは「こっち側」にいる仲間なのだ。
 いっせいにゴキブリが羽ばたきはじめる。ぼくは下痢便が濡らした股間もそのままに立ち上がり、脱出を試みる。しかし厠のドアはなぜか押しても引いても開かないのだ。
(つづく)