バカロードその161 アフリカ幻影編2「ヒグマ男との黄金の闇」

公開日 2023年01月04日

文=坂東良晃(タウトク編集人。1987年アフリカ大陸5500km徒歩横断、2011年北米大陸横断レース5139km完走。人類初の自足による地球一周(喜望峰→パタゴニア4万km)をめざし、バカ道をゆく)

(前号まで=アフリカ大陸の徒歩横断を試みる“ぼく”は二十歳。アフリカ東岸の国ケニア共和国の港町モンバサを出発し、タンザニア、ルワンダを経て、世界最大の密林国家ザイールで偉大なるアフリカの民との遭遇に胸を踊らせる。スタートから三千九百五十キロ余りを踏破し、五カ国目となる中央アフリカ共和国の首都バンギに入り街を歩いていると、突如背後から首を絞められる。そこにいたのは永遠の宿敵「ヒグマ」だった)

 アフリカ東西南北のド真ん中に鎮座する中央アフリカ共和国で、宿命のライバルであるヒグマ(樋熊)に突然の再会を果たした。怒涛のように地表へと降り注ぐ直射日光のかげろうの中に、すっくと立ったヒグマは、それこそボロ雑巾のように汚い。髪はボウボウ伸び放題で、全身真っ黒に日焼けしてテラテラと光っている。破れたTシャツの袖から、隆起した筋肉がむき出しになっている。白い歯を出してニカニカと笑っている姿は、ボボ・ブラジルのようである。
 「なんでここにおるんなぁ?」
 ぼくは呆然として尋ねる。久しぶりに喋る日本語だ。
 「ケープタウンからチャリで来た」とヒグマは鼻をゴシゴシこする。
 「はん?」何のこっちゃ。
 「大陸縦断やってんだよ」と怒り顔面でヒグマは叫ぶ。
 「おまえ、むちゃくちゃアホやなあ」。ぼくは横隔膜全開のため息をつく。そうだ、こいつはずっとこんなIQの低いことばかりやってる。
 「そりよりテメエ、マジで歩いてきたの。バカみたいだな」。やれやれといった表情で、ヒグマはぼくを見下ろす。
 とにかく何百日ぶりかに遭遇した悪友に対し、罵詈雑言を浴びせ、頭突きを応酬し、ザックを交換しあって再会を祝う。アフリカみたいにめちゃくちゃ広くて、地図のほとんどが空白の大陸で、横に歩いているぼくと、縦に自転車で移動しているヒグマが、まるで学校帰りに駅前でバッタリ出くわすくらいのお気軽さで、偶然鉢遭う確率ってどれくらいなんだろう。きっと途方もない小数点以下の数字なんだろうな。
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 「アルゼンチンのメンドサという町から、アコンカグア山(標高六九六〇メートル)に向かったんだ。麓から山塊に取りつくまで、けっこう何日も歩かなきゃいけないんだけど、何日目かの朝、テントから起き出したら、犬が脇で寝てるんだ。可愛いからちょっと缶詰をやったんだけど、そいつ、ずうっと後を着いてくるんだよ。
 標高五千メートルを超えて、核心部に入っても、犬のヤツ全然帰ろうとしないんだ。「帰れ」つっても日本語通じないしさあ、いったいどこまで着いてくるんだろうって思ってたら、ついに最終のアタックキャンプまで来て、テントの横で平気な顔して寝てる。ちょうどその頃から次の朝方まで猛烈に吹雪いて、オレはツェルトザックにくるまるような感じでやり過ごしたんだけど、犬はずっと雪の中でまるまって眠りこけてる。で結局、その昼、頂上までそいつと登っちゃったんだ。きっとアイツ、世界で一番高い所まで到達した犬だよ。でも、オレやんなっちゃったよ。オレなんかフル装備でさあ、アタックの前の晩なんか、もう死ぬかと思ってんのに、犬なんか全然無装備で楽しそうに登ってんの」
 南米最高峰に犬とともに登ったヒグマは、南アフリカ共和国に飛んだ。横浜からケープタウンに輸送してあった自転車を組み立て、喜望峰を出発点にアフリカ最北端のチュニジアを目指し、大陸縦断をはじめた。ヒグマが用意した高級MTBはすぐにブッ壊れた。彼はすぐさま自らの過ちに気がついた。パーツが精巧すぎて、交換部品がアフリカには存在しないのだ。そんな当たり前のことにも気づけない情けない男なのである。タンザニアでは、キリマンジャロ山(アフリカ最高峰・標高五八九五メートル)に登った。一日あたり二十ドルが必要な国立公園入山料をケチって、ふつう五日かかる行程を、ほとんどの登山道をヒイヒイ言いながら走り、たった二日で登頂した。まったくのバカっぷりである。キリマンジャロはヒグマにとって三山目の大陸最高峰制覇となった。
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 ぼくたちは逗留先であるバンギ郊外のキャンプ場にテントを張る。中央アフリカの滞在許可の延長と、次の訪問国カメルーンのビザを取る必要があった。ビザ申請以外には当分の間、何もすることはなさそうだった。  ヒグマはやや疲れているようだった。彼は最近人を殴ったらしい。殴られもしたという。この旅に少し失望しているようだった。こんなに疲れている彼を目にするのは初めてだった。
 キャンプ場は、大麻草の臭いと煙に包まれ、ぼくたちは日がな一日、中央アフリカ産の鮮烈なガンジャの洗礼を受けながら、果てしない時を過ごした。
 表面のペンキが剥がれ、ささくれだった机をはさんで、ぼくとヒグマは自分たちの旅について語りあった。そんな経験は初めてだった。旅というよりも、ぼくたちについて考えた。自分たちは、何者なのかということだ。
 何のために、だだっ広いだけの砂漠や、迷路のように複雑怪奇な密林や、酸素不足で頭がクラクラする高山を、ただひたすらに求めて、旅しつづけているのだろう。どこへ向かおうとしているんだろう。地理的に困難な場所を求めるのは、明確な理由がある。たとえば危機的な状況に陥ったとき、眠っていた本能のようなものが静かに頭をもたげる。体力が限界に達したとき、全身の細胞が少しずつエネルギーを放出しあって、身体にパワーをもたらす。それは素晴らしい神秘体験だ。その陶酔に及ぶ快楽はない。しかし、生命を危険に晒すことなんて、別にどこでだって、自宅のトイレの便器の中でだってできる。
 特殊な空間にいたいという願望はない。
 別天地を求めているのではない。
 目もくらむ銀稜の雪山や、風景を湾曲させる熱砂の空気や、吐き気がするほどの熱帯魚の群れを前にしても、ぼくたちの心は動かない。旅は非日常的な行為ではなく、旅もドラッグも日常をより現実にさらし、認識するための手段なのだ。ただ、その環境で自分がどう対応できるかに興味があるのだ。
 旅は目的ではない。旅するために、旅しているのではない。
 旅立った十代の終わり…。
 「ぼくたちは宙ぶらりんで」
 「ぼくたちには戦うべきリングがなく」
 「ぼくたちは物事の核を知らない」
 だから旅は、社会に対する決別の儀式であった。
 ノーリスクではなかった。いろいろなものを捨てなくてはいけなかった。「輝ける青春」や「まっとうな社会生活」は比較的簡単にあきらめられた。しかし「知」の現場から遠ざかったのは悲しかった。ノウノウと合コンにいそしむ大学生に対してコンプレックスを抱いた。しかし、狭い閉ざされた空間で培われた学問よりも、人間がバカみたいに生きる広大な世界の方が面白いと思えた。人間はなぜ繰り返し戦争をするのか、ということですら学問は解明していない。ぼくは人間の本質を知りたい。弱さも強さもひっくるめて、人間という生き物の核を解き明かしたい。もし誰かに愛すべきザイールの民を殺せと命じられたら、ぼくはきちんと自殺できるだろう。
 六日目の夜、ヒグマは叫んだ。
 「真理はオレの内側にある。真理は最初っから自分の内にあるんだ。オレは気づかなかった。知っているということを知らなかった」
 日本から何万キロも離れたこの遠い町で、この言葉をヒグマに語らせるためだけに、ぼくは存在しているような気がした。遠くに行くことは回帰することだ、と古い中国の賢人は書き遺した。遠くへ、もっと遠くへと願うことは、自分の内側へと近づく作業なのだ。
 ずっと暗闇の中を歩いてきた。まるで見えない未来に、不安に脅えながら生きてきた。それは、ヒグマも同じだった。旅人の存在証明なんてないんだ。でも、このバンギの薄汚いキャンプ場の片隅で、その暗闇の向こうにぼくたちは小さな光を見つけた。
 黄金の日々…そんなものがもし生涯に一度か二度あるとしたなら、きっとこの一週間は、最上の黄金の日々だったに違いない。
 ぼくは、さらに西を目指して町を出る。壊れた自転車の回復を待つためヒグマは停滞。彼のゆく手には「世界で最も何もない場所」が広がっている。サハラ砂漠が怖い、と彼はつぶやく。何かに怯えるなんてヒグマらしくない。無鉄砲だけが取り柄だったのに。
 道路に出る。
 ぼくはヒグマに手を振る。
 ヒグマもぼくに手を振る。
 ぼくたちは、それから二度と出会うことはない。
(つづく)